皮肉屋
「ばかね、皮肉よ」
公爵令嬢アマリリスは、そう言い放った。両親を亡くしたばかりの、齢十二の僕にだ。まったく、血も涙もない。
父はしがない伯爵で、それなりに汚く、誠実に、日々を生きている、あまりにも普通の貴族だった。母も、堅実で噂好きな、どこにでもいる貴族だった。ただ軟弱だからと狙われた。うちの護衛団が弱っていたのは、ひとえに天災ゆえの、食糧難のせいなのに。
「まだ泣いているの。あなたに付いていた教師は、とても優秀だったのね。葬儀で泣いてさえいれば良いと教えたなんて!」
今、考えてみれば、甚だしく横暴だったと分かる。十歳そこそこの子どもに、泣く以上を求めるのは酷だ。しかし、僕の婚約者であるアマリリスは、許してくれなかった。
「ばかね、皮肉よ。あなた、早く泣きやみなさいな。やることは山積みよ?」
五歳差だ。それは結構な時間である。結局僕は、アマリリスと共に、領地中を右往左往しながら伯爵の地位を確立しなければいけなかった。僕を操り人形にし、お家乗っ取りを企んでいた家庭教師は、早々に解雇された。
幼いながらに伯爵となった僕は、王家から補助を受けなければいけなかった。たびたび、うっかり損をしそうになる僕に、アマリリスはまた言う。
「本当に素晴らしい頭脳をお持ちね、お坊ちゃん。これでは、わたくしの年上の威厳も、御役御免というものだわ!」
アマリリスは場を整え、正確に両親を頼り、僕は公爵家の後ろ盾を正式に得ることが出来た。聞けば、公爵夫妻は僕を憐れに思うものの、家にとっての利がないことから、婚約を解消することを考えていたそうだ。
「ばかね、皮肉よ。年の功は確実に存在するものよ。利用できるなら、してしまいなさい。赤子が一人で立てるなんて思わないことね!」
王家から派遣されたのは、昔、他の地域で街を運営していたという、老齢の男だった。死んだ父の家令と協力して、領地経営は順調に進んだ。
学ばなければいけないことが、ふんだんにあった。跡取りとして、僕は確かにふさわしい教育を受けていたけれど、同年代の優秀な者と比べて、遅れをとることが多々あるのだ。
「よかったではありませんの、伸び代が見て取れて。学べることが大いに有り余っているようですのね」
アマリリスはずっと優秀だ。いつだって僕の先を歩いて、振り返る肩越しに僕をばかにする。してもらってばかりの僕ではいられなかった。
「ばかね、皮肉よ。五年も違うのよ。あなたが、わたくしに追いつけることなど、ないわ。あったとしても数十年先よ、諦めなさい」
上ばかり見ていて、見上げ疲れていたようだ。張り詰めていた緊張も、父母が儚くなってから数年経ち、いくぶんか落ち着いた。漸く周りを見渡してみればどうだ、僕が思っている何倍も、僕は成熟を早められてしまったようだった。これは順当な成長なんかじゃないわ、とアマリリスは苦々しい顔をする。
でも、アマリリス。伯爵家に子が僕しかいないから、お嫁に来てもらうんだよ。ずっと足りないんだよ、五年分、もっと。
社交界とは恐ろしい場所だ。母はどこまでも偉大ということだ。僕は社交が苦手で、内向的な性格であった。火を見るより明らかに、向いていない。
僕はようやっと、分別のつく年齢になって、アマリリスを伴って夜会に出掛けられるようになった。とはいえ、会場内では最年少。気の毒そうな視線が多数だったけれども、中には、幼けな伯爵を喰いものにしようとする、意地の悪い貴族だって居た。僕は、既に社交界の華となっているアマリリスに合わせて、情緒を急成長させた自覚がある。難なく追い払えた。
「肩肘を張っている姿、とても素敵ですわ。媚の売り方はどなたにお習いになったの?」
前日、自室で必死に考えた口上を、練習の成果とばかりに舌に乗せて、顔を伏せる。緊張でそれどころではなかったけれど、上手くやれたと思ったから、僕は褒めてもらえるとすら思っていた。王女様にとっては、嘘を嘘と見抜くのは容易いであろう。だから、本当に何もないのに。
「ばかね、皮肉よ。わたくしが、わたくしのために育てたのよ。誰にも渡すものですか!」
あと、世辞を嘘と言うのはやめなさい、と注意された。やはり、まだまだ社交に気は抜けない。
年頃の娘、と呼ばれる時期は、等しくアマリリスにも降りかかる。もう適齢期も終盤だというのに、僕が至らないばかりに、まだ婚姻まで進んでいない。公爵夫妻は呑気に待っているけれど、それは彼らが絶対的に高位貴族だからで、押しも押されもせぬ実力があるからだ。娘はその恩恵を受けたとしても、僕はその限りではない。
「美しいくせに外れくじを引いた女、と散々言われてきたのだけれど、これではとんだ当たりくじね!」
僕よりひと足もふた足も先に社交界に出ていたアマリリスへ、世間からの風当たりはそれはもう強かったようだ。特に、僕と一緒になって領地の引き継ぎを行っていた期間。目の前のことに必死だった当時の僕には、皆目見当もつかない悪口だった。
親を亡くした僕よりも、もしかしたら、憐れみや見下しの視線は強かったのかもしれない。それは、公爵家も婚約解消を検討するはずだ。
「ばかね、皮肉よ。ずいぶん前に、我が公爵家が正式に後ろ盾となってから、あなたはすっかりうちの子でしょうに。落ち込むのはいいけどね、わたくしに迷惑をかけないでちょうだいね」
それから数か月も経たぬうちに、僕は話し合いの場に招かれて、結婚の話がかなり前倒しに進んだ。そして、あれよあれよと言う間に、さっさと籍を入れられてしまったのだった。
復讐の機会は、結婚が決まってさほど待たずにやってきた。
両親の乗った馬車を襲ったのは、大して目立ってもいなかった、同格の伯爵家の差し金であると割れている。もちろん、子どもの僕が家を守るのに必死になっているうちに、王家と、アマリリスの父母である公爵家が、全力で叩き潰してくれていた。裁きは下るもの。それは分かっている。下手人は、貧困街の住人で、難病の息子を救うための大金を求めて罪を犯した、下請けの下請けの更に下請けの存在。済んだ話、それも分かっている。
アマリリスは、下手人の息子を、罪人となった父親と法的に縁を切らせた上で、孤児院に預けていたのであるが、その男児が脱走した顛末を、アマリリス本人から語られた。
裁きが下されたとされた、元伯爵の男が、その孤児を唆し、毒を握らせて、アマリリスを害そうとした、という話だった。結局、孤児も、元伯爵も、下手人よろしく斬首刑に処されることとなった。守られし公爵令嬢の喉元には、身に迫るどころか、町一つ分の隔たりを以て、届きもしていない。僕は、何も成し得なかった元伯爵に、死ぬ前に会いに行った。
「名前もないのね、あの子。熱に浮かされた子どもに何をさせようって、本当に考え無しだっんでしょうね、虫唾が走るわ」
無理を押して走った身体は、処刑日を待たずして、限界が来たらしい。アマリリスの計らいで、集団墓地に納められたと聞いた。それだって、泣き虫な僕への配慮であろう。あの子は、両親を亡くした時の僕と同じ目をしていた。
「ばかね、こんな時まで皮肉を言うわけないじゃない……お疲れ様」
両親が襲われたのは、貧困層の生活改善のための、視察からの帰り道だった。
結婚を知らしめる宴に、僕の親類は多くない。両親が亡くなっていることを考えると、血が近しい人は皆無である。従兄弟も来ていない始末だ。お膳立てされてばかりの人生だったので、今度こそと、僕が主に采配を振った結果だ。本家である我が家が困窮していた時、手を差し伸べなかった者達だ、ここで来られても困るのだけれど。
体面を気にする貴族界において、自分が侮っている相手からの招聘を受けるのは、耐え難い苦痛らしい。なんだか残念なことになってしまって、再び肩を落とす僕に、アマリリスは不敵に笑いかける。
「まあまあ、あなたってば、人望がおありなのね。親族の方達は両手で数えられないわね。更に、お友達のほうは、席が足りなくなるほどたくさんいらっしゃって、とても誇らしいわ」
僕は肩を竦める。確かに、両手では数えられないな。片手でも無理だけれど、居ないのだから。
僕が理解していることを、知っているのかいないのか、アマリリスは続きの言葉を発した。
「ばかね、皮肉よ。来なかった方々のリストを作ったわ。これで今後、すこぶる、やりやすくなるでしょうね」
結局、アマリリスの掌の上、ということなのであろう。きっと、このひとに、僕が敵うことはない。
全身を僕の色で着飾ったアマリリスは、本当に綺麗だった。きっと一人でも立てたのに、僕のために尽くしてくれた、鮮やかな大輪の花。それが愛ゆえだと、分からないと思っているのだろうか?愛しい人め。
さあ、やることは山積みだ。まずは花嫁を褒めるところから。僕は、穏やかな気持ちで口を開いた。
「ありがとう、アマリリス」
「……なによ?」
ばかだな、皮肉だよ。