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8 復讐開始


 ☆孝里side☆


 むかしむかしあるところに、つぶらな瞳の王子様がいました。

 名は『孝里(こうり)


 お姫様フェイスなのにかなりヤンチャな男の子で、チャーミングなのに年中反抗期ぎみ、良く笑いたまに毒を吐く、自分の感情に素直なそれはそれは優しい王子様でした。


 ん? 優しい? 

 自分で言っておいて、罪悪感にさいなまれちゃった。

 毒吐き頻度が「たまに」ってところが、事実と異なるような……

 一日の半分以上は、トゲトゲな感情を口から吐き出していたような……


 なにはともあれ、僕、十守(ともり)孝里の前世は、たくさんの仲間に囲まれて幸せいっぱいだったんです。


 ごめんね。

 いきなり前世の話を始めちゃったけど大丈夫?

 みんなついてきてる?


 本音をもらすとね、生まれ変わった今の方が生きやすいよ。

 ちゃんと人間だし。

 便利な手と足が生えている。


 できる限りリアルに想像してみて、うつぶせ腹ばい移動の苦労を。

 あれってね、ほんとタイパが悪いの。

 体力消費が激しすぎだし、頑張ってニョロっても「これだけ?」っていうくらいしか先に進めないんだ。


 それに比べて今は、スマホという画期的な長距離連絡手段まであるんだもんな。


 『車で迎えに来て~ 歩くのめんどい~』


 なんて甘え声をスマホに吹きかければ


 『孝里待っててね、今すぐ行くから!』


 89盗(はくとう)LOVEが強すぎる芸能事務所のスタッフちゃんが、車でビューン。

 僕を後部座席に乗せて、僕が行きたいところにビュビュビュビューン!

 疲れることなくどこへでも行けちゃう。

 クククっ、便利な世の中になったものだ。


 さーて、ここで問題です。

 僕の前世は何だったでしょーうか?


 ヒントは僕の名前だよ。

 【孝里】って漢字をよく見てね。


 人間たちは僕らのことを

 『幻の珍獣』とか『未確認動物・ユーマ』なんて呼んでた。


 あっ!

 あいつらと間違うのはやめてよ。

 いくら生まれ変わった僕が、絶世の美少女顔をしているからって。


 聖なる獣と名高い『ユニコーン』

 メルヘンさと気品を兼ね備えた一角獣と比べられたら、勝ち目なし。

 行きすぎた毒吐きで自分の心を守っている僕でも、さすがに潜っちゃうんだから。

 恥ずかしさと悔しさで、布団という暗がりの中にニョロニョロって。



 僕は今ステージに立ち客席を見渡している。

 まるでコンサートホールのような学園の講堂。

 客席には全生徒が十分に座れる椅子が並んでいて、一列ごとに高くなっているから後ろの席の人でも見やすい設計になっている。


 僕はステージのふちに腰をおろし、両足をブラブラブラ。

 振り向きながら、肩にかけたベースのチューニングをしている九重(ここのえ)(いのり)に、だらけ声をとばした。


「ねぇいのりん。僕ひまなんだけど」


 今回は学園の制服が衣装だから、着替える必要もないしさ。

 僕は波打つ栗毛を耳にかけ「つまんないー」と、天井に向かってぼやく。


「孝里、ドラムのチューニングはあれで終り?」


「もっち完璧。僕たちの楽器を講堂に運び入れた時に、マネージャーもやってくれたみたいなんだ」


「楽器は体の一部なんだから、人任せにしたらダメよ」


「だから、ちゃんと自分でもやったって!」


「はいはい、そういういことにしておいてあげる」


 こぶしを口元に当て、クスクスと慎ましく微笑んだいのりん。

 シャツ・ネクタイ・ズボンと男子の制服を着ているのに、どこからどう見ても美女にしか見えなくて。

 アイライン&マスカラはケチることなくたっぷり盛り。

 黒で囲まれた切れ長アーモンドアイの存在感が半端なくて、視線釘づけナンバーワンの顔面パーツである唇は、ド派手なくらい真っ赤に潤っている。


 エセ聖女らしさが薄らいでいるのは、高い位置で縛ったピンク髪ポニーテールのせいなのかな?

 まるでロック美女。

 いやパンク美女というべきか。

 ライブの時のいのりんは、ワイルドで尖った色気を放つ天才なんだ。



 僕は立ち上がった。

 頭の後ろに両手を置き、24時間女の子になりきりたい願望を持つ、いのりんの前に進む。


「いのりん時計見て、もうすぐ午後の授業が終わる時間だよ!」


「ほんとね」


「放課後になったら、生徒たちが講堂に入ってきちゃう。それなのに戒ちゃんも美心ちゃんもまだ来てない!」


「二人は授業中。私と孝里はさぼり組でしょ?」


「さぼったんじゃない、必要な準備をしてるの!」


「フフフ、ポジティブに言うとね」


「神へのおいのりポーズで瞳をウルウルさせて先生にお願いしたら、歓迎会の準備に行かせてくれたよ」


「まぁ私たちの特技よね、おねだりって。でも戒璃はそういうタイプじゃないでしょ? 優等生の完璧主義者で、授業もこなしてライブも成功させるいわば超人」


「戒ちゃんだけベタぼめやめて! 僕がダラケ魔人みたいに聞こえちゃう!」


「何を言ってるの? 私は孝里を尊敬しているわ。おねだりは生きていくための、最重要スキルなんだから」


「そうかな」


「人を操ることができるなんて、神の領域でしょ」


「……なんか話が、異世界方面に行っちゃってるような」


「そのうえ私たちのために良いことをしたって、勝手に自己満足して喜んでくれるのよね。おねだりは神だわ」


「もしかしていのりんって、今までその最重要スキルを使って僕を操ったことがあったりして……」


「フフフ、内緒」


「マジで怖っ! 絶対に敵に回したくない! 民の心を救うにこやかエセ聖女の本性が、相手の心を操り地獄に落とす魔女だったとは。ファンにがっかりされること間違いなしだよ!」


「地獄に落とすなんて、そんな物騒なことはしてないけど」


「いのりんが、これからしそうってこと!」


「あら、これからするのは孝里もでしょ?」


「……あっ、確かに」


「もう孝里、学園内で毒舌お姫様になりきっちゃダメ! 誰に見られているかわからないんだから!」


「いいもん。今日の転入生歓迎ライブをハチャメチャにして復讐を成功させたら、僕は前世のように人と関わらない生活をするつもりだし」


「そんなに良かった? 土の中」


 人間の心の醜さとは無縁の生活だよ。


「快適じゃない理由を探す方が難しいよ」


「ツチノコかぁ。私はパス。絶対にパス。生まれ変わっても、ご遠慮したいわね」


「いのりんは前世の記憶がないから、そんなことが言えるんだ!」


「両手をあげて眉毛も吊り上げて、声まで張り上げないで。耳痛いー」



「生まれ変わる前はツチノコだった僕に、絶対にケンカ売ってる! ほんと気分悪っ!」


「だって想像してよ。手がなかったら、メイクができないじゃない」


「僕みたいにすっぴんで勝負すれば?」


「足がなかったらミニのスカートがはけなくなる」


「裸でいいじゃん」


「全身茶色のニョロニョロさんになってオシャレを楽しめないのは、わたしイヤなの! ヘビみたいなのに、頭と背中が膨らんでる形状も、私の美学に反しちゃう」


ムカッ!


「ツチノコの存在自体を否定されたようで、はらわたが煮えくり返ってるんだけど!」


「もう、怒り顔もカワイイんだから。前世の恨みを晴らしたい孝里のお手伝いをしてあげてるんだから、ほっぺを膨らませないの! 前世の前世は、可愛い可愛いリスさんだったのかな?」


「どうせ僕は、気持ち悪い珍獣でしたよ!」


「アハハ、そこまでディスってないんだけどなぁ」


「出会ったとき、いのりんは僕に言ってくれたじゃんか。私たちは同士だから、力を合わせて、いつの日か世界中にいるオメガを救おうねって」


「覚えているわ。覚悟を確かめ合うために、お互いのお腹にグーパンを食い込ませたのよね」


「僕たち両方とも非力だったから、全然痛くなかったけどね」


「私はね、孝里みたいに恨みを晴らしたいわけじゃないの。ただ純粋に許せないだけ。オメガを劣等種と決めつけている、アルファとベータたちが」


わかってる? 


「僕といのりんは、【オメガ革命】を起こす戦友なんだからね!」


「私だって、オメガが生きやすい世界に変えるために尽力するわ。そのために一緒にバンドを組んだの。世界中の人の心をわし掴みにできる、唯一無二の魅力を放つ八神戒璃と」


「今日のライブ中、戒ちゃんに公開告白をさせるよ!」


「運命のオメガである美心ちゃんへのつもりに積もった想いを、カメラの前でぶちまけさせるのよね。楽しみ~」


「祈チャンネルの、動画生配信の準備は?」


「隠しカメラを、3台用意してあるわ」


 画面3分割で配信するつもりか、ナイス!


「ラッキーなことに、双子アイドルの二人も、このステージに立つことになったし」


「戒璃、五六(ふのぼり)風弥(かざみ)、五六雷斗(らいと)で、オメガ姫を取り合う高密度の逆ハー展開を期待しちゃうなぁ、私」


「調べたところによると、あの二人もかなり深い愛で美心ちゃんを溺愛してたみたいだよ」


「孝里が雇った、腕利き探偵からの報告ね」


五六(ふのぼり)兄弟は戒ちゃんの精神を徹底的に痛めつけたくて、美心ちゃんに近づいたらしいけど。美心ちゃんの過去が不憫すぎだったのと、会ったら予想以上にいい子すぎて、完全に沼ったらしい」


「もうすぐ拝めるのね。日本を代表するビッグスター、八神戒璃の生プロポーズ」


「脅してでも怒鳴られてでも、僕が戒ちゃんに壇上プロポーズをさせてみせる!」


「それを私の聖女チャンネルで、独占生配信! 贅沢すぎて、ワクワクせずにはいられない!」


「その後、にこにこ姫の僕が、カメラに向かって毒吐き拡声器のごとく文句を言いまくって」


89盗(はくとう)命ってほど私たちを愛してくれている人たちに、突きつけるのね」


「八神戒璃が愛しているのは、何年も前から心優しいオメガただ一人だってね」


「56ビューの二人が終始無言だったら、私が代わりに、美心ちゃんが双子アイドルに溺愛されていた事実をカメラに向かってしゃべってあげる」


「その前に僕に怒鳴らせて。世界中の人を責めたくてたまらないんだから!」


「孝里、どんなふうに訴えるつもり?」


「ざまーみろ! キミたちアルファもベータも、劣等種だって見下してきたオメガに負けたんだよ! もう二度と、オメガをバカにするな! オメガ様って敬え! 大事にしろ! すれ違ったら敬礼しろ! 人をさげすむ汚い心を洗濯して、真っ白なシャツみたいにピッカピカになってから息をしろ! それまで呼吸をとめておけ! 水の中なら許す。エラ呼吸でもしてろ! バーカバーカバーカ!って」


「バカの連発は下品」


「うるさいなぁ」


「言葉選び、もうちょっとどうにかならない?」


「いいの、いいの。僕は悪魔になりきるの!」


「瞳真ん丸な愛くるしい悪魔だこと」


「そんでもって、僕のことを純粋な天使だと思い込んでいる脳内お花畑の能天気星人たちの急所に、毒舌ナイフを突き刺して、グリグリえぐりまくってやるんだ!」


「物騒な表現ではあるけど……それくらい過激なことをしないと、変わらないでしょうね。優越感に浸るためにオメガをののしってしまう、愚かな民たちの善悪基準なんてものは」


「さすが、いのりん。正義というものを正しく判断できる有能聖女様!」


「なによそれ。いつも【エセ聖女】って呼んでるくせに」


「そんなことよりさ」


「うやむやにしないで」


「このライブ後、世界中からねたまれるよね? 僕たちに利用されてしまった七星(ななほし)美心(みこ)


「間違いないわ。100%、そうなるでしょうね」


「オメガが傷つかない世の中をつくるためとはいえ、彼女のことだけがひっかかるんだよね」


「革命に犠牲はつきものとはわかっているけれど、それでもね……」


「僕といのりんで協力して、全力でオメガちゃんの心を守ろうね」


「任せておいて、私は聖女なの。人の心を救うのはお手のものよ」


「エセ聖女のくせに」


「さっきは有能聖女って言ってくれなかった?」


「もう忘れた。記憶するのめんどいから」


「記憶が苦手なんて想像できる! ツチノコちゃんって脳が小さそうだし~」


 っ、んな!


「今、確実にバカにされた! 僕のこともツチノコのことも!」


「ふくらますならほっぺよりお腹にしたら? そしたら前世がツチノコだって認めてあげる」


「くっそー!! いのりん!! だからぁぁぁ!!」


「あっ、チャイムが鳴ってるわ。戒璃たちが来る前に、隠しカメラの最終チェックをしておかなくちゃ」


「うわっ、急いで急いで、カメラ大事、一番大事! 生配信ができなかったら、僕たちの計画が失敗に終わっちゃう!」


「孝里は暗幕を閉めておいて。客席からステージが見えないように」


「ラジャー!」

 



 僕は暗幕を掴みダダダダダダ。

 ステージの端から端まで猛ダッシュ。


 あれ?

 猛ダッシュする必要なかったよね?

 気づくの遅っ。


 無駄に体力を使っちゃったのは自分のせいなのに、隠しカメラのチェックを終えステージに戻ってきたいおりんに、あえて僕は吠える。


「ステージ中央に、ギターボーカルの戒ちゃんが使うスタンドマイクはあるよ。美心ちゃん用の手持ちワイヤレスも。でもさ双子アイドル用のマイクがなくない? いのりん忘れてるじゃん!」


 ふくれっ面の僕に対し、いのりんはルンルン笑顔で


「私たち89盗がメインで、ゴロビューの二人はオマケなんだから、地声で歌って、勝手に踊っててもらえばいいのよ」


 聖女っぽく微笑みながらも、ぶちこんできたのはかなりの毒舌。

 俺は思わずプッ。

 アハハ、なにそれ。


「56ビューはオマケって、いのりんの言うとおりだね」


 …って二人用のマイク、ちゃっかりステージ袖に用意してあるじゃん。


「あっ、美心ちゃんがステージ袖に来てくれたわ。おーい、ここよここー」


「ハァハァ……あっあの……遅くなんて申し訳ありません」


 僕たちが立つステージに着くなり、荒れた息を整えるように、前かがみで肩を揺らしているけど。


 もしかして美心ちゃん……


「教室から走ってきてくれたの?」


「講堂が校舎からこんなに遠いとは思わなくて……チャイムとともに教室を飛び出したんですけど、私、走るの早くないし……」


 いや、走らんでよかったから。

 一緒の教室で授業受けてて思うけど、美心ちゃんって他人に気遣いすぎじゃない?


「うちの学園、敷地が広すぎるのよね。そのうえ校舎や部室棟も多いの」


「何かお手伝いすることはありますか?」


 ほら、そういうとこ。

 まだ息がハーハーしてるんだから、大女優になったつもりで優雅に椅子に座ってなよ。


「美心ちゃんは今日の主役なんだから、私たちに気なんか使わなくていいのよ」


「あっ、伝えるのが遅くなって申し訳ありません。今日は私の歓迎会を企画していただき、本当にありがとうございます」


「私たちに頭なんか下げなくていいから。もう美心ちゃんが良い子過ぎだから、孝里が固まっちゃったじゃない」


 ああ、いのりんの言うとおりだ。

 七星美心は良い子だと思う。


 僕やいのりんみたいに、毒牙を心の中に隠し持ってはいない。

 ハート清らか属性に分類されるだろう。

 八神戒璃・五六風弥・五六雷斗が惚れた女の子なんだから、性格がよくて当然か。


 あれ? 

 いきなり不安が、こみ上げてきたんだけど……


 僕たちは今からのライブで、美心ちゃんを利用しようとしているんだよね?

 自分をアルファだと思い込んでいる彼女が、本当はオメガだとカメラの前で暴露して、戒ちゃんと五六兄弟に愛されていることも公表する予定だけど……


 今更だけど、こんなことしていいのかな。

 オメガが差別されない世の中を作るためとはいえ、こんなにいい子を傷つけてもいいのかな。


 僕がしようとしていること。

 それは本当に、ハルヒが喜んでくれることなんだろうか。




 うーんと首を傾け、眉をしかめていたけれど


「はい孝里、ライブの前に飲んでね」


 いのりんの艶っぽい声にハッとして、意識を戻した僕。

 手渡されたものが理解できず、僕はさらに首を傾げる。


「なに、この薬」


「薬じゃないわ、ただのサプリよ」


「え? 僕、サプリなんて生まれてから一度も飲んだことないけど」


「今日は必須。私もすでに同じサプリを飲んだわ」


「いのりん、これってどんな効果があるの?」


「イライラを鎮めてくれるの」


「今の僕が、怒りの大噴火をおこしそに見えるってこと?」


「違うわよ。今日は気に食わない56ビューとのコラボライブでしょ?」


「うん」


「あの二人に睨まれても、イヤミを言われても、まぁいっかでスルーできる魔法のサプリなの」


「そんな良いサプリがこの世にあったなら、もっと早くにちょうだいよ。56ビューとテレビ共演する前には、毎回飲みたかった」


「最近発売されたんだ。高いんだから私に感謝して飲んでね」


 サプリって本当に効果があるのかな?

 僕はアルファ用の薬を飲んでるけど、飲み合わせ大丈夫?

 飲んだ直後の副作用で、おなか痛くなったり頭痛くなったりしない?


「美心ちゃんは飲めたかしら」


「緊張を和らげるサプリまで用意していただいて、祈さんありがとうございます」


「これで少しはドキドキが薄らぐといいわね」


「さっきまで心臓が肌から逃げ出しそうなくらい暴れてたんですけど、ちょっとだけ静まった気がします」


 本当かなぁ。

 サプリなんてものにそんな即効性あるのかな。


「ねぇいのりん、美心ちゃんにも僕らと同じサプリを飲ませたの?」


「違うわ。だって私と孝里はライブのプロよ。学園ライブくらいじゃ緊張しないでしょ?」


 ……そうだけど。


 勘違い?

 僕にはいのりんが、いつもと違うような気がするんだ。


 聖女様みたいな笑顔を振りまいているし。

 乙女チックなしゃべり方は健在だし。

 何が違うって聞かれたら、答えられないけれど。


 警告するかのように、僕の第六感がざわつきだしている。

 忙しなく乱れ打つ僕の鼓動。

 まぁいいかで無視して大丈夫なのかって思うのは、心配しすぎ?


 僕は警戒心が強い。

 それは前世から引き継いでいる。

 僕がツチノコだった頃、人が住めないような林の中が僕らの里だった。

 今思い出すと、グラウンドの400メートルトラックぐらいの狭さだったんじゃないかな。


 妖精が木々の間を飛び回っていそうなほど、綺麗なところで。

 生い茂る木々の葉が、太陽の光でエメラルドに煌めき。

 色とりどりの花々が咲き誇る。

 透き通る池のおいしい水でのどを潤しては、木にぶら下がる甘い果実をパクり。

 里に住むツチノコたちはみんな仲良しで、自由気ままな快適生活を送っていたんだ。


 僕たちの見た目?

 えっと……

 体長20センチほどの、肩のり手のひらサイズ。

 土に同化できちゃう茶色いボディだけど、まっ平らなお腹はシルクホワイトで。

 ヒョウタンを半分に切ったように、頭と背中が盛り上がり。

 短めでチャーミングなしっぽがヒョコン。


 あっ、今思ったでしょ。

 かなり地味な生き物だなって……

 ひどいよ、グスン……その通りだけど……


 わわっ、話が脱線しすぎちゃったから戻すね。

 仲間と幸せに暮らしていた僕たちだったけれど、外部に天敵はいた。

 人間だ。


 誰だよ、幻の珍獣探しブームなんて起こしたヤツら。

 学校のグラウンドぐらい小さな僕らの里ですら、1週間おきくらいに人間たちが荒らしに来たんだ。


「あれ? この場所、先月探さなかったか?」


「木ばっかで、どこも同じに見える」


「方角すらわからなくなった。俺らの家はどっちだ?」


 虫取り網を片手に困り果てている人間を、穴の中から眺めては

 人間って、記憶力が悪すぎる種族だな。

 道に迷って、林の中でミイラにでもなっちゃえ!

 僕は心の中でわめいていたっけ。


 まぁ僕たちは隠れる天才。

 人が近づいてきたら、穴の中にスポッと隠れればいいし。

 土や木に擬態するのも得意。

 だから仲間が捕まることはなかったけれど……


 僕には全ての人間が、平穏な生活を脅かす侵略者に見えていて

 『人間なんて、今すぐ滅んでくれ!』

 何度、満天の星空に願ったことか。



 でもある日、気がついた。

 僕の考えは間違っていたと。


 【人間は絶対悪】と思い込んでいたが、1人だけいたんだ。


 僕らツチノコを見つけても誰にもバラさず、大好きだと微笑み、僕たちを大事にしてくれる、心優しい女の子が。


 年齢は今の僕と変わらないくらいかな。

 16、17歳くらいだったと思う。


 栄養失調で死んじゃうのではと心配になるほど、ガリガリな体に、炎天下の労働を強いられていると確信できるほど日に焼けた小麦色の肌。


 真ん丸でかわいらしい瞳とは対照的に、男の子っぽいショートの髪は不揃いにカットされていて、まとっていたのはボロ布をつぎはぎしたのがまるわかりな汚いTシャツとハーフパンツ。


 腕や足などの見える部分だけでも、棒で叩かれたような跡が無数にあり。

 初めてその子と対面した時、僕の全身にショックがビリリリリ。

 僕は逃げることもせず、ただただその子を見つめてしまったんだ。



 土の上で腹ばいになっている、ツチノコの僕をじっと見て


「……私……生きていなくちゃダメかな?」


 大粒の涙をボロボロこぼした彼女。



「っ、、、人間の私の言葉なんて、わからないよね……」



「ごめんなさい」と涙を飛ばしながら背を向けた彼女が、あまりにも可哀そうで、放っておくことなんかできなくて、僕は後先考えず声を張り上げた。


「人間の言葉くらい、わかるっつーの! 僕を見くびるな、バーカ!」



「えっ?」と、目を丸くした彼女。

 僕だって、短いしっぽがピンと張るくらい驚いたよ。


 人間が里を荒らしに来るたび、仲間の中で僕だけが人間の言葉を理解できていた。

 だからその逆。

 僕がしゃべった言葉をわかる人間も、どこかにいるんじゃないかって考えたこともあったけど……

 本当にいたんだから。

 ツチノコの僕と会話ができる人間が。



 その子の名は【ハルヒ】 

 春の陽ざしって書くらしい。


 人間には男女のほかに第二の性というものがあって、ハルヒは稀少種の【オメガ】なんだとか。


 それからハルヒは、晴れていて山の土がぬかるんでいない日にだけやってくるようになった。

 太陽が真上にいるころ里に来て、僕とおしゃべり。

 滞在時間は15分間くらいかな。

 「仕事の休憩が終わる前に戻らなきゃ」と、いつも走って山を駆け下りていく。



 ほんとハルヒは泣き虫でさ、16歳くらいなのに15分間ほとんど涙を流しているの。

 っていうかハルヒの話を聞くたび聞くたび、人間嫌いが加速しちゃったさ。


 人間ってねオメガの扱いが酷すぎなんだよ。

 いわば奴隷。

 お金をくれないくせに、何時間も過酷な労働を強制するの。


 疲れたなって数秒間ボーっとしてるだけで、ハルヒは棒で叩かれて。

 食事は朝夕、具なしのスープのみ。

 ハルヒは家主たちが食べ残したものをこっそり胃に送り込んで、空腹をしのいでいるんだとか。


「ハルヒ、顔が腫れてるけどどうした?」


「おかみさんにはたかれたの……洗濯物にシワがついてるって……」


「はぁ? 何そいつ! オマエの顔のシワの方が100万倍みにくいって丸太を投げつけちゃいなよ!」


 ハルヒが愚痴をこぼすたび、ハルヒの肩の上で体をくねらせながら僕が吠えて。


「なんで人間たちは、オメガを虐待するわけ」


「何百年も前に、あるオメガがとんでもない罪を犯したんだって」


「罪?」


「王子の婚約者のだったオメガがフェロモンで国中のアルファを誘惑して、国を滅ぼそうとしたって」


「そんなの、オメガを悪者にしたい人が考えた作り話でしょ? 何百年も前ってなに? 今を生きるオメガたちは何も悪いことをしてないじゃん。っていうかその王子、ダサっ。オマエに魅力がないから浮気されたんだよ、バーカバーカバーカ!」


 ハルヒの心の傷を少しでも癒したくて、僕は全力で、ハルヒの耳元で毒舌拡声器になりきっていたんだ。


 めんどくさがり屋の僕が収穫しておいた果物を、おいしそうに頬ばるハルヒ。


「孝くんがいなかったら、私今頃、おなかがすき過ぎて干物になってたよ」


 涙を流しながら冗談を飛ばすハルヒのことが、僕は大好きでたまらなかったな。



 梅雨シーズンに入った途端、ハルヒに会えない日々が始まってしまった。

 彼女は傘やカッパなんて高価なものを与えられてはいなくて、濡れた服のまま仕事をしたら怒鳴れるかららしいけど。

 雨の日は来ないってわかっていても、僕は毎日待っていた。


 山の中の高い木の登り、ハルヒが暮らす山のふもとを眺めては


 「大丈夫かな? 生きてるかな? 泣いてないかな?」


 心配で瞳を陰らせる日々。



 でも1か月後。

 まだ梅雨時期とは思えないほど、雲一つない快晴の日、ハルヒは僕に会いに来てくれたんだ。


 ピカピカのくつを履いて、高そうなワンピースを着て。


「孝くん、久しぶりだね」


 地面にうつ伏せになって、上半身をこれでもかって反らせた僕の前にしゃがみこみ


「今まで孝くんに、たくさん食べ物をもらっちゃったでしょ? 今日は私が、おいしそうな果物を持ってきたんだ。白桃って言うんだけど、知ってるかな?」


 白っぽいピンクっぽい果実を差し出してきたハルヒ。


 僕は声が出ないほど困惑した。

 別人じゃないの?って。


 相変わらず髪はショートだが、綺麗にカットされている。

 頭にティアラを乗せたら、まるで可憐なお姫様のよう。

 あまりに衝撃が強すぎて、このとき僕は伝えられなかった。


 『会いたくてたまらなかったよ』


 雨の雫を見つめながら募らせてきた、せつない恋心も。


 『おいしそうな白桃をありがとう』


 僕に会いに来てくれたことへの、心からの感謝の気持ちも。




「あれ? 動かない。孝くん、私のことを忘れちゃった?」


 忘れるわけないじゃん。

 毎日、ハルヒのことしか考えてなかったのに。


「はっ? 僕の記憶力をなめてるの?」


「そういうわけじゃ」


「不憫で泣き虫なオメガのことなんて、生まれ変わっても忘れないし!」


「フフフ。ツンツン孝くんとのこういうやり取り、久しぶりで嬉しいな」



 今日のハルヒは、笑ってばっかりだ。

 あっ、腕や足についていたアザが薄まってる。

 こぎれいな身なりといい、高そうな果物を持ってきたことといい、ハルヒはオメガとして虐待されなくなったのかな。


 僕は心配を隠し、ぶっきらぼうな声を吐く。


「ハルヒは雨の間、元気だったわけ?」


「私のことはいいからさ、孝くんのことを聞かせてよ」


「僕?」


「大丈夫だった? ツチノコを狙う人間に、捕まえられた仲間はいない?」


「捕まるはずないし。僕たちは土の中に隠れるプロだし」


「アハハ。自分でプロフェッショナルって断言しちゃうんだ」


「あー、ハルヒにバカにされた」


「してない、してない。自信家でドSな孝くんらしいなって思って」


 ハルヒが無邪気に笑ってくれている。

 たったそれだけのことで、心はこんなにも温かくなるんだね。


 あれ? 

 前に会ったときは、こんなところにアザなんてなかったよね?


 ハルヒの左手の薬指。

 他のアザは薄らいでるのに、なんでこの指のアザだけが青黒く浮いているんだろう?


 やけに左手の薬指が気にはなったが……


「良かったぁ。孝くんの里にツチノコハンターが来なくなって」


 僕、ハンターが来なくなったとは言ってないよね? 

 確かに最近、人間たちを見ていないけど。



 さらに浮かんだハテナに、違和感を覚えたけれど……


「会いたかったよ、孝くん」


 真っ白な歯を煌めかせながら微笑むハルヒが、綺麗で可愛くて見ているだけで心が惑わされて、新たに浮かんだ疑問までかき消されてしまったんだ。



 それからは、池を眺めながら二人で会話を楽しんだ。

 ハルヒの肩にのっかった僕は、相変わらずの毒舌全開。

 だけどハルヒは以前とは全く違う。

 泣き言も涙もこぼさず、僕の話に突っ込みを入れては大笑い。


 思ったよ。

 ハルヒが幸せそうに笑うようになってくれてよかったって。

 こんな穏やかな日々、一生続けばいのにって。



「私、そろそろ帰らなきゃ」


 そっか……


「帰れ、帰れ!」


 やだな本当は、ハルヒと離れるの。


 会いたいなんて言えない僕は「僕もやることだらけで忙しいし」とぼやきながらの、顔プイ。


「いっつも孝くんは、バイバイの時そっけないよね」


 悲しい声が聞こえてきたけれど、僕の天邪鬼の態度は今さら解除なんか無理。


「ハルヒがツチノコとして生まれ変わったら、その時は目を見てバイバイしてあげる」


「じゃあなにがなんでも、私はツチノコとして生まれかわらなきゃね」


「好きにすれば。怒られるんじゃないの? 早く帰りなよ」



 僕はそっけない態度のまま短いしっぽを揺らし、ハルヒをシッシとあしらった。

 その日を最後にハルヒは僕の里には現れなかった。


 僕は待っていたのに。

 ハルヒが喜んでくれるようにたくさんの果物を集めて。

 木の上から人間の集落を眺めて。


 梅雨が明けても……

 晴れの日が1週間以上続いても……





 さらに1か月後。

 どうしてもハルヒに会いたかった僕。

 勢いのまま里を飛び出す。


 途中に立っていた木製の柵の間をすり抜け、人間が住む村に初めて踏み込んだ。

 地を這いながら数日掛けてたどり着いたのは、人で賑わう商店街。

 果物屋やお肉屋さんなどが並ぶ中、異様なお店の前にガヤガヤと人が集まっている。


 地面に這いつくばっているから、店内は見えないな。

 おっと、人間に踏みつけられそうになっちゃった。

 屋根の上に避難、避難。


 僕は向かいの店の壁を登り、屋根瓦に身を伏せた状態で眼を光らせる。

 広い店中、色鮮やかな着物をまとった若者たちが見えるところだけでも20人ほど。

 鉄格子の外にいる人間たちに向かって、義務みたいに手を振っている。


 男子も女子もいるけど、みんなハルヒと同じくらいの年齢っぽいな。

 お店っていうことは、あの人間たちは売り物ってことだよね?


 ほんと酷い人種。

 同族なら、互いを敬いながら仲良く暮らせばいいのに。

 僕たちツチノコを見習って。



 屋根の上で上半身を伸ばした時


「……えっ」


 僕の瞳は捕らえてしまった。



 頑丈な鉄製の柵で覆われた店の中、白桃色の高貴な着物を着て、引きつり笑顔でお客さんに手を振るハルヒの姿を。


 心臓にナイフがぶっささったような激痛が走る。

 現実だとは思えなくて、思いたくなくて、置物のように固まることしかできなくて。


 品定めするかのように鼻の下を伸ばす客の気持ち悪い声が耳に届き、さらに心臓をえぐられてしまった。


「オメガ専門店、いっつも繁盛してるよな」


……オメガ……専門店?


「オマエはどのオメガを買うか決まったか?」


「大金はたいて俺たちアルファの快楽道具を買うんだから、癒し系で夜に尽くしてくれる子がいいよな」


 ……今、なんて言った?


 夜?


 ここにいるオメガは、アルファたちの快楽道具として売られていくのか?


「ほんとオメガに生まれなくてよかったよ」


「子供の頃は奴隷扱い。()れてきたらアルファのオモチャって」


「俺がオメガだったら自害してるわ、間違いなく」


「でもここに売られてるオメガたちは、一度は良い思いをしたんだからいいじゃねーか」


「あれだろ? 商品になる前に、一つだけ願いを聞いてもらえるってやつ」


「体が悪い母親を、病院に入院させて欲しいって手を合わせてきた子がいるって」


「足にしがみついてお金をせがんだヤツもいるらしいぞ、家族の借金を支払って欲しいって」


「そういえば店主が言ってた。変なお願いしてきた子がいたとか」


「どんな?」


「林の中の狭い一角を、誰も立ち入れないようにしてって」


「ああー、そういやあったわ。幻の珍獣探してる時、ぐるーっと一周柵が立ってて、立ち入り禁止看板がつる下がってた場所」


「恨みが積もった場所なんだろうって、店主はぼやいてたな」


「恨み?」


「そのオメガ、赤ん坊の時に林の中に捨てられたらしい」


「呪われてたくねーし、そんな場所は近づきたくもねーわな」



 えっ?

 林の中に……柵?


 人間の集落に行かなきゃと里を出てしばらくニョロった先、確かに立っていた。

 僕たちの里を囲むように建てられた、木製の柵が。


 他にも変だなとも思っていたんだ。

 ハルヒと最後に会った少し前から、僕らの里で人間を見かけなくなったから。

 人間たちの気まぐれで、どうせすぐ僕らの村を荒らしにやってくるんだろうと警戒はしていけど……


 そういうことだったんだ。

 ハルヒ、キミが僕たちを守ってくれていたんだね。


 クソっ!

 悔しさが湧き上がり、僕は空を仰ぐ。


 最後にハルヒと会ったあの日、なんで俺はザワついた違和感をスルーしてしまったんだろう。


 自分のふがいなさが許せなくて、僕は屋根瓦に頭を打ちつけた。

 頭が壊れそうなくらい痛くても、何度も何度も。


 今思えばサインだらけだったじゃないか。

 虐待されていたハルヒが、見違えるほど綺麗な格好をしていたことだって、泣き虫のハルヒが身をよじりながら笑い続けていたことだって。


 クソ、クソ!

 なんだよ、僕たちのためって。

 いままでずっと、ハルヒはオメガ差別にあってきたんでしょ。

 長時間労働をさせられて、棒で叩かれて顔をはたかれて、辛く苦しい日々に、耐え忍んできたんでしょ。


 なんでわからないの?

 誰よりも幸せになる権利があるのは、ハルヒなんだよ!

 今まで不幸だった分、たくさんの幸せがハルヒに降り注がなきゃ不公平すぎるでしょ!


 そもそも、オメガ専門店ってなに?

 アルファの夜のオモチャとして売られるって、絶対に人間が犯しちゃいけない犯罪でしょ!


 人間は本当に醜い生き物だ。

 自分一人じゃ何もできないから集団になって、大勢集まると自分が強くなったような気になって、大勢で弱いものを責め立てて追い詰めて支配して、相手を痛めつけることで優越感という快楽に浸るんだ。


 僕は体が圧倒的に小さい。

 店に群がる人間たちの腕よりも。

 ツチノコの僕が無茶をして特攻しても、人間1人すら倒せないだろう。


 でも僕は絶対に、ハルヒを見捨てたくない!

 自分の命に代えてでも、この地獄の檻の中からハルヒを逃がしてあげる!

 だから店の外に出れるチャンスがきたら、とりあえず走って。

 ハルヒがオメガだって知っている人が一人もいないところまで、がむしゃらに逃げて!


 

 怒りで我を忘れた僕。

 屋根から飛び降り、地面を這い、オメガ専門店の前に。


「なんだ、この生き物は」


「初めて見たぞ」


「みんなが探してる、幻の生物じゃないのか」


 捕まえようとする人間を腹ピョンでかわし、格子の隙間から店の中に入り込む。


 ぴょんぴょんぴょん。

 跳ねて跳ねて、迷うとこなく大好きな子のところへ。

 いつもの定位置・ハルヒの肩にはあえて乗らず、真正面からハルヒを見上げた。


「なっなんで、(こう)くんが……」


 僕と少しでも目線の高さをわせるように、しゃがみこんだハルヒ。

 左手の薬指を噛みながら、大粒の涙を流していて


「もう一度、白桃が食べたかったに決まってるじゃん!」


 再会できた喜びを伝えるのが世界一下手な僕は、ドS言葉と一緒にこぼれそうになる涙を、意地でも目の奥に押し戻す。


「ハルヒ一緒に逃げるよ、こんな地獄から」


「無理だよ」


「やる前から諦めない! 着物を着てても走れるから!」


「そうじゃないの……鎖でつながれてるの……私の足……」


「……くさり?」



 僕はあわてて視線を床ぎりぎりに下げる。

 ハルヒが着ている白桃色の着物の裾で隠れていて、全く気がつかなかった。

 壁から伸びているのは太い鎖。

 逃がさんと言わんばかりに、ハルヒの両足に足かせがはまっている。

 この部屋にいる20人くらいの若者の足にも、がっちりと。


 鎖で自由を奪われているというのか。

 なんて酷いことをするんだ!

 なんでオメガを、同じ人間として扱ってあげないんだ!


 僕はしゃがんでいるハルヒの肩に飛び乗り、決意をハルヒの耳にぶちこんだ。


「僕が店主を倒して、足かせの鍵を奪ってくる!」


「孝くん、今すぐ逃げて! あの生き物はって、お客さんが孝くんを狙い始めちゃったから!」


「嫌だ、僕は逃げない! なにがなんでも戦う!」


「勝てるわけない。人間とツチノコだよ。体格差がありすぎなんだから!」


「でも何もしなければ、ハルヒは好きでもないアルファのオモチャにされるんでしょ? そんなの僕が我慢できない!」


「私のことはいいの。オメガの宿命なの。いつかアルファに買い取られることは、小さいころからわかっていたことなの……」


「騒ぎを聞きつけてこの部屋に駆け込んできたあいつが、店主だな」


「お願いだから、逃げてってば!」


「イヤだ!」


「孝くんが傷つく姿……見たくないんだから……絶対に……」



 瞳の半分以上が涙で隠れてしまうくらい、大粒の涙を流しているハルヒ。

 ハルヒの悲痛な叫びを聞き入れず、良いものばかり食べてるんだろうと一目でわかるほどお腹が出ている男の腕に、僕は迷いなく飛びついた。

 左右にある尖った牙を、店主の腕に突き刺す。


「っ……、痛いじゃないか。なんだこいつは!」


 腕をオーバーに振る店主。

 振り落とされないようにしがみつき、隙を見て店主の背中を這う。

 肩までたどり着き、今度は思い切り店主の首に噛みついた。

 急所に食い込ませた僕の牙。

 傷口を広げるようにあごを振り、牙をねじ込ませる。


「うわっ、やめろ! なんだこの凶暴な生き物は!」


 どうやら急所を狙えば、人間なんて倒すのは簡単らしい。

 激痛に悶えながら、重たそうなお腹を床にぶつけるように倒れこむ店主。


 今のうちに、足の鎖用の鍵を探さなきゃ!

 ハルヒを逃がしてあげるために!


 僕は店主の上着のポケットに潜り込む。

 も……、ない。

 ズボンのポケットの中もない。

 首にもかかっていない。


 くそっ、鍵を持ち歩いてはいないということか。

 それならこの部屋の奥。

 さっき店主が出てきた部屋を探しに……


 クルっと180度、体をひねる。

 手のひらサイズの小さな僕の体では、明らかなるオーバーワーク。

 体の疲労が限界を優に超えているが、弱音なんて吐いてはいられない。


 奥の部屋に向かうため、腹ジャンプで前に飛び跳ねたと同時


「よくも俺の首を噛んだな!」


 地を這うような怒り声をうならせた店主の手は、僕のしっぽをギュっ。


 店主は僕のしっぽを掴んだまま立ち上がると、倒れた時にうった腰をかばいながらそろそろと足をひきずり、ハルヒの前に。


 勝ち誇った顔で、逆さづりの僕をハルヒの顔の前に突き出した。


 僕の目に映るのは大好きでたまらない女の子。


 足が鎖で繋がれて動けないハルヒは、大粒の涙をこぼしていて


「その子は逃がしてあげて! 何でも言うことを聞くから! どんなアルファのところにでも奉仕に行くから!」


お願いお願い!と、頭を床に擦りつけていて。


 ……あっ。

 その時、僕は気づいてしまったんだ。

 自分がおかしてしまった、とんでもないあやまちに。



 今の僕はいわば人質だ。

 僕がこの男に捕まっている限り、ハルヒはどんな無理な要求も受け入れてしまうだろう。


 ハルヒを助けに来たはずなのに……

 僕がハルヒの足かせになってしまうなんて……


 悔やんでも悔やみきれない。

 僕の存在がハルヒを不幸にするなんて、絶対にあってはならないことだったのに!



 僕は店主に逆さづりにされたまま、大切な想い出をひとり紐解く。


 木々が煌めく里でハルヒと過ごした日々は、全てが僕の宝物だ。

 そんなに泣いたら体中の水分がなくなるんじゃないかな?

 僕は結局、ハルヒの心配ばかりしていたな。

 ハルヒは僕に会うなり、オメガ虐待が辛いって涙をこぼしてばかりいたから。


 僕はねハルヒに笑って欲しかったんだよ。

 今もそう。

 干物みたいに干からびないか心配になるほど、僕を見て大粒の涙を流しているけれど……


 ニコっと笑って欲しいな。

 グリグリの瞳が見えなくなるくらい、満開の笑顔を咲かせて欲しいな。

 今この修羅場が、ハルヒの笑顔を見る最後のチャンスになってしまいそうだから。


 そういえば最後に里で会ったときに、ハルヒに言われたんだっけ。

 『いっつも孝くんは、バイバイの時にそっけないよね』って。


 僕の中に生まれた時から居座ってる、厄介な天邪鬼。

 お願いします。

 今だけは引っこんでいてください。


 これが僕たちの別れになると思うから。

 ハルヒの目を見て伝えたいんだ。

 ずっと心に秘めていた僕の熱い想いを。



「ハルヒ大好きだよ、バイバイ」




 これでもかってほど甘い声を紡いだ僕。

 恋心が届いて欲しくてゆるっと微笑んでみた。


「孝くん……バイバイなんて言わないでよ……」


 左手の薬指を噛みながら、人生の終わりみたいな顔で泣き崩れるハルヒ。


 大好きな子の涙を拭うこともできないなんて。

 無力すぎる自分が許せないな、ほんと。

 

 店主は未だ、僕を逆さ吊りにしたままだ。

 逃がすまいと言わんばかりの怪力で、僕のしっぽを掴んでいる。


 冷静に状況を判断しても、僕が逃げるのは無理だ。

 でもハルヒだけは、絶対にこの店から逃がさなきゃ!

 今の僕に狙える敵の急所は、ここしかない!


 僕は敵意むき出しのまま、大ぞりで体をばたつかせた。

 大暴れした結果、店主が慌てだし

 ――今だ!

 僕は尻尾を掴まれたまま、店主の顔に張りつく。

 そして野心で濁った彼の瞳に、尖った牙を突き刺した。


「ぎゃぁぁぁぁ!!!」


 あまりの激痛で、ヨロヨロとよろけながら床に倒れこんだ店主。

 彼が壁にぶつかったおかげで、思いもよらないチャンス到来!


 床に倒れたんだ、立て掛けてあった斧が。

 回転しながら斧が床を滑って、なんとかハルヒの手が届くところに。


「ハルヒ、その斧を勢いよく振りろして!」


「斧?」


「目の前にあるでしょ! 自分の足の鎖を切って、今すぐ逃げて! 一人で店から逃げだして!」


 僕は必死に叫んだけれど、店主に尻尾を掴まれたままの僕がハルヒは心配でたまらなかったんだろう。

 顔面蒼白のまま動けず体を震わせている。


 そのすきに店主が目をかばいながら立ち上がってしまった。

 燃えたぎらせている怒りと一緒に、僕を頭上まで振り上げ


「クソ珍獣めが!!」


 怒り狂いながら僕を床に叩きつけると


「お願い、やめて!!」


 ハルヒの泣き叫ぶ声が悲しみのレクイエムのように響き渡る中


「地獄に落ちろ!」


 店主が振り下ろした斧によって、僕の体は真っ二つになった。



 これが僕とハルヒが永遠に引き裂かれた、悲しい前世の思い出だ。





 僕はハルヒを助けられなかった。

 オメガを売り飛ばす地獄の店にハルヒを置き去りのまま、僕だけが安楽の地に来てしまった。


 笑顔にしたいなんて立派なことを思ってたくせに、僕がしたことはハルヒを泣かせ傷つけただけで。

 前世の罪を背負ったまま、僕は今、この現世を生きている。



 アハハ……

 まさか僕が、大嫌いなアルファに生まれ変わるとはね。

 これも僕に課せられた罰なのか。


 

 オメガがアルファの快楽オモチャとして売られていた前世の頃より、現世はマジな世界になっていたけれど、街を歩いているだけでもSNSを覗いただけでも吐き気がするんだ。


『オメガが劣等種』ってなに?


『オメガはアルファを誘惑する人食い花』


『この世界から絶滅させよう』


 なんでそんな酷いことを言うの?



 僕はオメガ差別が許せない。

 同じ人間でしょって、怒鳴りたくなる。


 この世界は、オメガいじめを容認している人だらけだ。

 『いじめはダメ』って、学校で教えてるくせに。


 『友達を傷つけちゃダメ』


 親は子供に言い聞かせてるくせに、オメガが相手なら、無視して怒鳴って排除していいと思っているんだ。


 許せない……許せない……


 オメガ差別をする人を僕は絶対に許せない!



 ハルヒ。

 今、どうしてる?

 宣言通り、ツチノコとして生まれ変わった?

 前世で辛い思いをたくさんした分、幸せに暮らしているといいな。


 会いたくてたまらないよ。

 生まれ変わってからの16年間、僕の中の恋鏡にはハルヒしか映らなんだ。


 この執着は恋を通り越して、重いメンヘラ病なのかも。

 『前世から一途すぎて、怖っ!』

 なーんて、自分のことなのに呆れ笑いがこぼれちゃう。


 でもいま出会っても、きっと僕は君を見つけられないだろうな。

 だって僕は、キミの顔を完璧には思い出せないから。

 顔が幼めだったなとか。

 黒髪ショートだったなとか。

 左手の薬指に噛みアザがあったなとか。


 部分的には思い出せるのに、ハルヒの顔全体を思い出そうとするとモヤがかかってしまうんだ。


 期待をしたことはあったよ。

 僕がバンドマンとして有名になれば「孝くん!」って、ワンチャン声をかけてもらえるかもって。


 まぁ、そんなの無理に決まってるよね。

 ハルヒだって今の僕の顔を見ても、気づくはずがない。

 そもそも前世の僕は、人間じゃなかったんだから。



 ツチノコの僕を、怖がらずに受け入れてくれてありがとう。

 泣き顔を隠さず、僕にさらけ出してくれてありがとう。


 自分を犠牲にして僕を守ってくれた、心優しいオメガのこと。

 『初恋のキミ』としてずっとずっと、今世でも来世でも愛し続けるからね。


 

孝里(こうり)、私の声、聞こえてる?」


 女王様っぽいいのりんの呆れ声が、耳に飛び込んできた。


「ねぇ、孝里ったら!」


 やばっ、前世の回想をしていたら瞳に涙がたまっちゃった。

 僕はいのりんに背を向け、こそっと目元を指で拭う。


「ちゃんと渡したサプリは飲んだ?って、私、何回も何回も訪ねてるんだけど」


 なんで僕はライブ前のこのタイミングで、前世を思い出してたんだろう?


 手に乗せていたサプリ。

 いのりんから無性に隠したくなって、手のひらをギュッ。

 サプリを握りしめ、僕はほっぺをプクっと膨らませた。



「いのりんのキンキン声、近くで聞くと耳痛ってなるんだからね!」


「ねぇ美心ちゃん、どう思う? 私の声って耳障り? オルゴール並みの癒し声って言ってくれるファンもいるのよ」


 いのりんが美心ちゃんに確認を取っている間、僕は冷静になってこの状況を分析する。


 僕の心臓は今、痛みを伴うほどザワついている。

 やっぱりお告げなのかな?

 『おかしいなって少しでも思ったら、ツチノコの時みたいに警戒しなきゃダメ』

 僕想いのハルヒが、時空を超えて教えてくれたのかも。


 なーんて、アハハ。

 僕はそんなメルヘンチックなことを考える男じゃないんだけどね。


 でも……僕はこの第六感を信じるよ。

 念のため、いのりんから手渡されたサプリは服用しないようにする。

 それでいいよね、ハルヒ。



 僕は真ん丸な瞳でいのりんを見上げニコリ。


「飲んだに決まってるじゃん。いのりんが僕のために用意してくれたサプリだもん」


「あら? 今は素直モード?」


「美心ちゃん歓迎会ライブの直前だからね」


「ドSな孝里も良い子ちゃんの孝里も大好きよ私」


「このサプリのおかげでライブ中にムカついても、あの双子アイドルにドラムのスティックを投げつけなくて済みそう。ありがとう、いのりん」


 僕はオーバーに声を弾ませながら、もらったサプリをズボンのポケットに押し込んだ。











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