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3 アルファ学園にオメガの私が?

 

 ☆美心side☆


『えっと……』


 3列シートの高級ワンボックスカーの中。


『この状態は……』


 肩をすぼませ縮こまり、一番後ろの列に座っている私。


 『週刊誌のカメラに撮られたら、アウトなのでは?』


 肌から逃げ出さないか心配になるほど、私の心臓が暴れまくっています。

 異常なまでのバクバクっぷり。

 原因は、気品と威厳のある高価な制服に初めて袖を通したからじゃない。


 ただいま、アルファしかいない高校への初登校中で

 『オメガということを隠して転入するなんて、本当に大丈夫なのかな?』

 車に揺られながら、スリリングな不安を抱えているってのもあるけど。


 私が座っているのは、横長シートのど真ん中なんです!

 両隣には、同じ顔をしたイケメンアイドルがいるんです!


 私を挟んだ状態で、二人ともテンションがおかしくて。

 車に乗る前から、ニマニマ笑顔を絶やさなくて……


「美心似合うじゃん、うちの制服」


 雷斗(らいと)さん、横から私の顔を覗き込まないで。

 金髪をなびかせるワイルドフェイス、近っ!


「フフフ、ほんとお似合いです。あなたが転校する未来を予知した職人が、命がけで作り上げたとしか思えませんね」


 今度は普段あまり笑わないクールキャラの風弥(かざみ)さんに微笑まれて、バクバクっ。


「立て! もっと近くで、俺様に全身見せろ!」


 ひっ、無茶ぶりすぎっ!


「雷斗、独り占めはダメですよ。それに危ないじゃないですか。車が走行しているんです!」


 はぁよかった~。

 きつい言い方で止めてくれる、風弥さんがいてくれて。



 この1週間、雷斗さんと風弥さんのお屋敷に住まわせてもらってわかったこと。

 雷斗さんって、スイッチが入ると暴走しちゃう時がある。

 人間の姿をした猛獣みたいに見えちゃうの。

 なんて本人に言ったら、怒られるかなぁ?


「カザミはズリぃんだよ」


「なにがですか?」


「俺様にはガミガミ怒ってばっかのくせに、美心には声甘くして。俺様のことは睨みつけてくるくせに、美心には微笑んでばっかで」


「かわいい子は、とことんとんとん甘やかせ!ということわざがあるじゃないですか?」


「それテストの解答用紙に書いたら、ぜってー大バツくらうやつ」


「放課後屋敷に帰ったらプロカメラマンを呼んで、美心の写真撮影会をしましょうね~」


「おっ、いいなそれ! 俺様らも気合い入れてヘアセットして……って。カザミ! 話しすり替えやがった!」


「だって美心は、お人形みたいで可愛いじゃないですか」


「言い訳にすらなってねーし!」


「目がグリグリで。腰まで伸びる黒髪がこんなにサラサラなんですよ」


「カザミ、美心の髪さわんな!」


「フフフ、誘惑に負けてしまいましたね。アイドル業が忙しすぎて、癒しを欲していたもので」


「まぁカザミの言うこともわからんでもない。ちっちゃいのに、抱きごこち最高だし」


「え?」


「なに?」


「雷斗、もう美心に手出しを?!」


「睨むなって!」


「ちゃんと話してください! 場合によっては処刑ものですよ!」


「噴水に突き落としたとき、ケガしないように美心を包んでやっただけ」


「みっみみみっ美心を……噴水に……突き落としたぁぁぁ?」


「オマエの冷静沈着さ、消え去ってるぞ」


「私は聞いていないんですけど! ケガをするかもしれないくらい危ないことを、美心にしていたなんて!」


「なんだよ! ちょっと強引でもいいから、美心を屋敷に連れて来い! そう言ったのカザミじゃねーか!」


「ちょっとの意味が分かりますか? そうですか、雷斗にはわかりませんか。あなたは10歳くらいで、脳の成長がストップしてしまいましたからね」


「はぁ? 今なんつった?」


「私の声が聞こえなかったんですか? 高3という若さで耳まで退化するとは。可哀そうに」


「はぁぁぁぁぁぁ?! ふざけるなぁぁぁぁ!! カザミ~~~~~~!!」



 やっやややっ、やめてください!

 私の目の前に上半身を突き出して、手をぶん回しながらの兄弟げんかなんて。

 2人とも怒気が上がりすぎです。

 冷静に! 頭を冷やして!

 挟まれて車のシートに座っている私は、冷や汗を垂らしながらオロオロすることしかできないんですから!


 とりあえず車の窓が、外から見えないスモークガラスでよかったぁと溜息フ―。

 でもあることに気づき、血の気が引いてしまいました。


 ごめんなさい。

 風弥(かざみ)という男は誰?って、皆さんの脳がざわついていますよね?

 会話でお気づきだとは思いますが、補足させてください。


 五六(ふのぼり)風弥(かざみ)さんは、雷斗さんの双子のお兄さんです。

 高3でありながら、大人っぽい雰囲気ダダ洩れのアイドル様です。

 えりあし長めでユルふわな髪は雷斗さんのような金髪ではなく、星がきらめく夜空のように艶やかな紺色をしています。


 センターわけの波打つ前髪がかかるキメ細かい肌には、男らしさと優しさが溶けこむ顔面パーツが黄金比率で配置されていて。

 パーフェクト執事に見えるのは、敬語を使い、メガネをかけているからでしょうか?

 喜怒哀楽がはっきりとした、感情爆発系の雷斗さんとは対照的。

 感情をあまり表に出さない、クール系な王子様。


 ただ……

 冷静沈着で余裕たっぷりな、誠実男子ではあるものの、怒りポットがいっぱいになると豹変。

 弟の雷斗さんにキレずにはいられないみたい。

 そのギャップに世の女性はついつい沼ってしまうんだとか。


 風弥さんのこと。

 双子アイドル56ビュー(ゴロビュー)のこと。

 私の説明でちょっとはわかっていただけましたか?

 と言っても、私が彼らを知ったのは1週間前のことで、私が知らない謎めいた部分が、まだまだたくさんありますが。


 例えば……なぜ私への距離感が、肩がこすれ合うほど近すぎなのか?とか


 まぁ、私を利用しようとしているみたいですし。

 八神戒璃(やがみかいり)くんに対し、異常なくらい巨大な恨みを抱えているみたいですし。

 双子さんたちのことは、警戒しなきゃと思ってはいます。



 脳内に向いていた意識を、車の中に戻してみた。

 えっ?と驚いたのは、いつのまにか二人の喧嘩が収まっていたから。


「ヤバっ、今日ミニテストやるって言ってたよな?」


 ダルそうに顔を歪め、背中のシートに後頭部を沈めた雷斗さん。


「やっぱり、忘れていたんですか」


 風弥さんは、冷ややかな目を雷斗さんに突き刺している。


「ダンスの振り覚える方に、そうとう記憶力持ってかれたからさ。にしてもこの間教わったあのステップ何? ムズすぎ」


「私たちの人気が上昇するごとに、要求されるダンスレベルも上がってますからね」


「ガチヤベー、ダンスも今日のテストも」


「雷斗用にテスト対策ノートを作っておきましたよ」


「マジ?」


「3限までに頭に叩き込んでください」


「さすがカザミ!」


「ノートをカバンにしまってくださいね。車の中にノート置き忘れたら、竜巻で雷斗のことを吹き飛ばしますよ」


「オマエ以外にいねーわな。俺様の兄貴が務まるヤツ」


「へ?」


「ほんと神じゃん。カザミのこと拝ませてもらうわ、全力で」


「もう~ 雷斗はズルいですね」


「なにが?」


「自分に都合のいい時だけ、私をよいしょして」


「喜んでるくせに」


「まぁ悪い気はしませんけど。フフフ」



 私を挟んで、2人の間に笑い声が飛び交っているこの状況。

 双子って不思議だなってつい感心しちゃう。

 喧嘩っ早い。

 でも鎮火もスピーディーなんだもん。


 私は捨て子。

 兄弟もいない。

 劣等種のオメガだってことを、必死に隠して生きている。


 だからかな、ものすごく羨ましく思っちゃうんだ。

 いい自分も悪い自分も、思う存分さらけ出せる。

 深い信頼の絆で結ばれている。

 そんな雷斗さんと風弥さんの関係が。


「なんでだよ、美心!」


 いきなり飛んできた、雷斗さんの不機嫌ボイス。

 なんのこと?と首をかしげながら、腰から上を右にひねる。


「どうして昨日の夜、勝手に俺様の部屋からいなくなったんだよ!」


 ひぃえ~、そのことですか。


「俺様が風呂出るまで、ベッドで待ってろって言ったのに!」


「……そっ、それは」


「戻ったら美心はいねーし。ソファにぬくもりだけ残していきやがって! どういうことだよ!」


 えりあし長めの金髪を振り乱す雷斗さんが、私の腕にひじを突き刺してきます。何回も何回も。


 彼が長い前髪をねじって、後頭部でピン止めをしているからでしょうか?

 目と眉が異常なほど吊り上がってるのが、バッチリ確認できてしまって……怖っ!


「理由、言えよな!」


 ひっ、ひひっ!

 鋭い眼光を、真横から突き刺さないで欲しいんです。

 八重歯キランの雷斗さんが魔王様に見えて、体が震えちゃいますから。


「えっと……昨晩は……」


 確か……お屋敷の廊下を歩いていたら、急に手が伸びてきて。

 誰かに掴まれたと思ったら、強引に部屋に引きずり込まれてドアがバタン。

 そこが雷斗さんの部屋だったんです。

 私の腕を掴んだのも、金髪ワイルドアイドルさんだったんです。


 部屋に入って10分ほどは平和で、高校と仕事のグチといいますか、雷斗さんのマシンガントークをソファに座って聞かされていただけだったんですけど。

 お風呂に行くと雷斗さんが言い始めたあたりから、身の危険を感じてしまいまして。

 雷斗さんが部屋を出て行った!

 今が逃げるチャンス!

 期待を胸にノブに手をかけたのに、ドアが全く開かなくて。

 外からカギがかけられているんだ!

 どうしよう……。


 雷斗さんの部屋からの逃亡を断念した時

 『ガチャガチャ聞こえたから来てみましたが、雷斗の部屋に閉じ込められていたのですね。可哀そうに』

 風弥さんが駆けつけて、私を廊下に逃がしてくれたんです。



 どうやって風弥さんは、雷斗さんの部屋の鍵を開けたのでしょう?

 密室のトリックは未だ見破れていませんが、合鍵でも持っていたのかな?


「昨晩は、私が姫を助けに行って正解でしたね」


 目をアーチ状に変え、ゆったりと微笑んだ風弥さん。


「美心の瞳に、私が姫を助け出す王子様として映りましたか?」


 甘さたっぷりの低音ボイスをこぼした風弥さんに、雷斗さんは抗議せずにはいられなかったらしい。


「やっぱりカザミが邪魔したんだな! 昨日の俺様の癒し時間を!」


 長い人差し指を、風弥さんの眼鏡の前に突き出した。

 でも風弥さんはスルー。

 弟の怒りを涼しい顔で無視。

 そして私の両肩に手を置くと、私の上半身が風弥さんと対面になるようにひねってきた。


「美心、覚えておいてくださいね」


 目の前にクール王子のような微笑み顔が。

 まっ、まぶしい……


「おっ、覚えておくとは……」


「一人で猛獣の部屋に入るのは、危険極まりない行為なんですよ」


「……はぁ」


「魔王系のワガママ怪獣と出くわしたら、危険の予知と回避が大事なんです! 生まれた時から猛獣使いをせられてきた私が言うのですから、間違いありません!」


 実の弟を、猛獣認定しているとは……

 なんとも仲のよろしい兄弟で……


 ちょっと引っかかっていた。

 双子と言えど風弥さんの方がお兄さん。

 それなのになぜ、雷斗さんに敬語を使うのかなって。


 年下の私に対してもそうだし、握手を求めてきた幼稚園くらいの女の子にも敬語対応だったし。

 でもそれって、猛獣が暴れ狂わないよう試行錯誤し続けた風弥さんが習得した、コミュニケーション術なのかもしれないな。


 度が入っていない眼鏡をかけているのは……オシャレ?

 知的なイケメン執事に見えてしまうくらいお似合いです、とても。


 それにしても双子というものは、お互いを怒り狂わせる特殊能力を備えているんでしょうか?


「カザミ~~!! きさま~~!!」


 雷斗さんが、見えない怒りの炎を燃えたぎらせてしまいました。


「なんでオマエは、俺様の邪魔ばっかするんだよ!」


 荒い声をぶつけられても、風弥さんはビビりません。


「美心が我が家に来た一週間前に、取り決めを交わしたはずですが。自分の部屋に美心を連れ込まないと」


 風弥さんは手で眼鏡を押さえ、面倒くさそうに溜息をひとつ。


「取り決めはした。確かにした。だがな、時と場合っつーもんがあってだな」


「雷斗、私たちはアルファなんですよ」


「だから?」


「でも美心は違うんです。オメガなんです」


「バーカ! そういうの人権侵害って言うんだぜ。オメガ差別、断固反対!」


「どうしてそうなるんですか! 雷斗には、もっと危機感を持ってくださいと言ってるんです!」


「危機感ってなんだよ?!」


「美心に番がいるとはいえ、美心も私たちも薬を飲んでいるとはいえ、お互いのフェロモンに惑わされない確率はゼロではなくて……」


「まぁカザミはヘタレだしな」


「はい?」


「美心がオメガフェロモンをぶっ放した瞬間に、メロメロにやられそうで心配だわ」


「私がオメガを襲うなんてことは、絶対にありえません! 野性的で凶暴な雷斗とは違いますから!」


「何その自信。どっから来るわけ? カザミこそ危機感持てよ!」


「私はちゃんと理性が働くんです!」


「どうーだか」


「脳筋野獣タイプの雷斗の暴走が、私は心配でたまらないんです!」


「かっちーん。今ので俺様の血管切れた。勢いよくブチって!」


 たっ、大変! 

 血管がブチ切れ?

 それが事実なら『救急車、大至急おねがいします!』の流血案件なのでは?


「久々に素手で殴り合いますか?」


「いいぜ、受けてやるよ」


「外に出ましょう。マネージャに車を止めてもらって」


 あわわ……

 冷静沈着な風弥さんが、腕まくりを始めちゃったんですけど。

 本気でやり合うつもり? 

 車が走っているのは、大勢の人がワイワイガヤガヤな街中。

 2人が外に出た瞬間、アウト。

 ゴロゴロいる56ビューファンに囲まれて、喧嘩どころの騒ぎではなくなっちゃう。


「カザミの貧相な体、ボッコボコにしてやる! まぁ顔面は避けてやるから安心しろ」


 雷斗さんの目、ファイト前の格闘家みたいにギラギラしてる。

 力を見せつけるように、ボンっと手のひらにこぶしを食い込ませているし。


「雷斗のへなへなパンチが私の顔をかするなんて自信は、どこから湧いてくるんでしょうね」


 風弥さん、雷斗さんを挑発しないで。

 えりあしの長いうしろ髪ををゴムで縛り始めたのは、ガチ喧嘩のための準備?

 2人ともシートベルトをしたままだけど、戦闘態勢に入っちゃったような……


「俺のパンチをカザミの顔面に食い込ませる自信、あるっつーの」


「脳内に穴が開いていませんか? エゴという名の湧き水が吹き上がっていないか、今ぐ病院で検査してもらいましょう。ついでに精神年齢が10歳児なところも、なおしてもらって……」


「くっそー! さっきから、俺様をバカにしやがって~~!!」


「猛獣の遠吠えがうるさいので、病院ではなく動物園に行きましょう。檻の中ならいくら叫んでいただいてもかまいませんよ」


「マジで許せん! カザミ~~!!」


 わわわっ、私を挟んで大喧嘩はやめてください!

 ぜひとも平和的解決を!

 車の中で戦えることと言えば……


 あっ『ゆび相撲』はいかがですか? 

 親指で相手の親指を10秒抑え込んだら勝ちという、シンプル勝負。

 負けん気が強い施設の子供たちも、よくやっていますよ。

 白熱しすぎて、口喧嘩からの取っ組み合いに発展するケースもなくはないけど。


「つーか、だいたい美心のせいだろーが!」


 あれ?


「屋敷ん中で、すぐ俺様たちの前から消えるんだよな。野良猫かよ?」


「それについては、私も雷斗に同意です」


 兄弟喧嘩が急に終了した?

 これって双子あるある?

 矛先が私に向いているような。


「美心が部屋にいないと思って探したら、庭師に混じってたじゃねーか。じーさん達とおしゃべりしながら雑草抜いてて」


 だって皆さん、私を孫の様にかわいがってくれて。


「床に膝をついて、長い廊下のタイルを一枚一枚ていねいに雑巾で拭く人、初めて見ました」


 小学校中学校の時にやらされなかった?

 ……あっ。

 お金持ちが通う学校は、そもそもお掃除なんてしないのか。


「今朝なんて、脚立にのって屋敷の窓拭きをなさっていましたよね?」


「オマエ正気か? 高いところから落ちたら、どーすんだ!」


「あなたが痛い思いをしたら、私の心も痛むんです! それなのにあんな危ないことをして」


 えっと……なぜに?

 さっきまで兄弟ゲンカをしていた2人の熱量の矢が、左右から私に突き刺さっているんですけど。

 ここはちゃんと、自分の気持ちを言葉にしなきゃ!


「だって思っちゃうんです……申し訳ないなって……」


「なにに対してだ?」


「豪華なお屋敷に住まわせてもらっているのに、何もしないのは……ちょっと」


 使用人の方たちばかりが忙しそうに働いていて、私もお手伝いしなきゃといてもたってもいられなくて。


「だからって、美心は屋敷の掃除なんてしないでください!」


「……でも」


「窓磨いている時間があったら、俺が寝てるベッドにもぐりこめ、バーカ!」


 いっいやぁ、それは……

 私は男性とお付き合いしたことがなくてですね。

 無茶ぶりもほどほどに……って。


 ひぃ、ひぃえぇぇぇ!!

 私を挟むように座る二人が、両側から凛とした瞳を突き刺してきたんですけど。

 2人とも腕組みしてるし。

 ……っう、恐怖!


「私たちは美心の雇い主なんですよ!」


「美心の仕事は、俺様たちの世話をすることだろーが!」


 二人のお世話って言っても……


「私がお二人にしてあげられることなんて、何もないような」


 二人の食事作りやお部屋の掃除も、使用人さんたちが完ぺきにこなしているし。


「大人気アイドルのお世話こそ、プロにお任せした方がいいと思うんですけど……」


 だから私はお屋敷のお掃除などに徹して……


「へ~。責任感が強すぎる女って、案外めんどくせーのな」


 そうなんです。

 私は面倒くさい女なんです。

 だからいっそのことポイっと捨ててください。


 芸能人としてお仕事をした時の恨みかな?

 お二人は戒璃くんに、並々ならぬ復讐心をお持ちみたいですけど、首を噛まれたその日に捨てられた私なんて、戒璃くんを脅す材料にはなりません。

 思ってもいない甘い言葉を、私に振りかけまくっても無駄ですよ。

 私に利用価値なんてありません、絶対に。


「美心が面倒な女? そうですか? 雷斗」


「間違いないだろ?」


「こんなけなげでキュートなお姫様は、他にいないと思いますよ」


「バカっ! 美心をけなしたわけじゃねーし!」


「はい?」


「俺様のハートをここまでザワつかせる女は初めてだっつー、最大級の誉め言葉だ!」


「フフフ、わかってます」


「俺様に毒吐くのガキの頃からだもんな。カザミは」


「危険な猛獣を飼いならしていたら、心地いい毒の吐き方を身に着けてしまいまして」


「俺へのディス?」


「いいえ、双子の弟に対する最上級の誉め言葉です」


「まぁ、わかってたけど」


「そういえば私たちは美心に、仕事内容というものをきちんと教えていませんでしたね」


「高校行ってアイドルもやって。忙しすぎて、あんま屋敷にいれなかったからな」


「でもこれからは、美心との時間をたっぷりとれます」


「マネに仕事のセーブ頼んどくなんて、カザミまじで神」


「神ですか。当たり前なことを言わないでください」


「アハハ、生意気」


「美心」


「はっ、はい」

「私たちの配慮が足りず、申し訳ありませんでした」


「オマエの仕事、手とり足とり教えてやるよ」


「それが雇用主の役目ですからね」


 手とり足とりは、ちょっと……

 他人同士の程よい距離感でお願いします。


「おっ、ちょうど学園の地下駐車場に着いたか。車から降りたら、一番大事なことを美心に叩き込んでやる!」


「美心のシートベルト、私が外してあげましょう」


「オマエのカバンは俺様が持ってやる。感謝しろ」


 うわぁぁぁ。

 何にも返事してないのに、シートベルトを外されちゃった。

 手さげカバンも奪われちゃった。


「ほら、車から降りるぞ」


「転んだら大変です。私の手をどうぞ」


 エスコートとかいいから!

 今からこの二人に何をされちゃうの?

 学園の地下駐車場に降り立つのが、怖くなっちゃったんですけど。




 私たちが車の外に出た後、運転席にいるスーツ姿の男性が窓を開けた。

 30歳手前くらいかな?

 ハンドルの上に顔を置き、不安げな顔で雷斗さんと風弥さんを見つめている。


「二人ともいいか」


「んぁ?」


「なんですか、マネージャー?」


「今日が美心(みこ)さんの初登校なんだ。車の中みたいな求愛行動は絶対にするなよ」


 ……っ、さっきの求愛行動なの?

 ちっ違うよ!

 アイドル様特有のファンサだよ!

 私を利用するための、餌付けみたいなものだよ!


「マネージャー、それ耳タコ。何度も聞いたし。耳腫れるほど聞いたし」


「人の目があるとこでは、美心とは他人のフリすればいいんですよね?」


 ふー、ちょっと安心しました。

 二人とも学園内では、絶対に話しかけないで欲しいんです。

 だって新しい高校に転入早々


「アイドル様たちに馴れ馴れしくするな!」


「生意気!」


七星(ななほし)美心はこの学園から出ていけ!」


 なんて56ビューファンからエネミー認定されたら、地獄の学園生活が始まってしまいますので。



「雷斗には前科があるからなー。人が多い駅前広場の噴水に飛び込んで、水圧いじっ……いや、ここでする話じゃなかった」


「マネージャー、まだそれ言う? 噴水の周りにいたやつらに、ちゃんとごまかし説明しといたって言っただろーが」


「ミュージックビデオの撮影なんて、よくそんな苦し紛れなウソを信じてもらえたな」


「俺様の演技力、なめんなバーカ!」


 らっ雷斗さん、それはどうかと思いますよ。

 10歳以上年上のマネージャーさんに向かって、舌をべーっと出す行為。

 アイドルとしても人としても。


「マネージャー大丈夫です。猛獣遣いの私が、雷斗を監視していますから」


「優等生みたいな真面目顔で言われても、カザミもカザミで心配なんだよ」


「私のことが心配とは?」


「最近は危なっかしいじゃないか」


「え?」


「気が緩んでるっていうか。表情筋までダダ緩みしてるというか」


「思い当たる節が全くありませんが」


「数日前のダンスリハで、場みり完全無視した時あったろ? ほんとににカザミか? 紺色のかつらをつけた雷斗じゃないよな? って疑って、目をゴシゴシこすっちゃったぞ俺は」


「ミスったイコール、なんで俺様なんだよ!」


「あっ、あの時のことは忘れてください。帰ったら女神の微笑みに癒してもらえるんだなぁと、意識を妄想空間に飛ばしていましたので……って」


「……やっぱりな」


「そっ、そうですマネージャー! 私たちのことばかり考えいてはダメじゃないですか!また彼女さんに捨てられますよ!」


「うげっ! なんでカザミ、今その話出した?」


「なんこ前の彼女だっけ? 私と担当アイドルどっちが大事なわけってキレられて、スマホを風呂の水ん中に投げ捨てたやつ」


「あぁー雷斗、嫌なこと思い出させないでくれよ。お前らのおもりっていうマネージャー業が忙しすぎて恋人にフラれたの、5回はあるんだからな」


 ……それは、ご愁傷さまです。

 アイドルのマネージャーさんって、大変なお仕事なんですね。


「じゃぁ俺は行くよ。雷斗も風弥も、学園内でもちゃんとアイドルでいるように」


「うす」


「美心さんはオメガフェロモンを撒き散らしそうになったら、特別棟の空き教室に逃げ込むんだよ」


「次のヒート予定日まで一ヶ月以上あるので大丈夫だと思いますが、ちょっとでも熱っぽくなったらすぐ隠れるようにします」


「美心さんはしっかりしていそうだから大丈夫か。じゃあ放課後また、この地下駐車場に迎えに来るから」


「サンキュ、マネージャー」


「迎えもよろしくお願いします」




 私たちの前から走り去る、黒いワンボックスカー。

 雷斗さんは総長様っぽくワル笑みをこぼしながら、仁王立ちでお見送り。

 風弥さんは眼鏡がずれるくらい、深く頭を下げている。


 ――双子だけど、性格は全然違うんだな。

 そう思ったらおかしくて、私の口から「フフフ」と笑いがこぼれちゃった。


「あっ、俺様たち見て笑ったな」


 『違います』の意思表示で、手と長い髪をぶんぶんぶん。

 雷斗さんに向け、控えめに振ってみたけれど……

 罪悪感がグワーっと押し寄せてきた。

 ゴマかしてごめんなさい。

 笑ってしまったのは事実です。


「私にウソが通用するとでも?」


 ひぃぇぇ~~!

 私の真ん前を陣取る風弥さんが、不気味な笑みとともに眼鏡を光らせてる。

 ……っう。

 背中ゾゾゾで声が出なくなっちゃった。

 気まずい時には逃げるが勝ち。

 急いでいるフリをして……


「あっあの、私先に行きますね。職員室に寄るように言われていて……」


 あそこの階段をのぼれば、きっと1階に……


「逃げんな、バーカ!」


 うわっ!

 横に立つ雷斗さんの腕が、私の首に巻き付いてきたよ!


「車から降りたら、仕事内容を手とり足とり教えてあげると言ったでしょ?」


 今度は魔女みたいに妖艶に微笑む風弥さんが、対面状態で私の髪を指でつまみだしたし。


「体が覚えるまで、丁寧に仕事を教えて差し上げますね。何度も何度も。しつこいくらいに」


 けけけっ結構です。

 サラッと教えてください。

 1回で覚えられるよう善処しますから。


「俺様に胸キュンしっぱなしで、心臓とめんなよ!」


 仕事を教わるだけで、心停止しちゃうかもってこと?

 キュン死の危機に直面しているのでは?


 いっ……いやいや、大丈夫なはず。

 だって私のハートは、戒璃くんにしかトキメかないようにできあがっているんだ。

 そのことはこの2年半で実証済み。

 大好きな人以外に何をされても、ドキドキするはずが……


「まぁいいでしょう。学園1階のエントランスに行くために、エレベーター乗りましょうか」


「遅刻したくないもんな」


 ふー、よかったです。

 雷斗さんも風弥さんも、私から離れて歩き出してくれて。

 エレベーターに乗ることは大賛成です。

 地下駐車場から1階のエントランスまで、エレベーターなら数十秒で到着するだろうし。

 エントランスに着けば、私たちは他人のフリ。

 生徒たちの目がある以上、雷斗さんと風弥さんが私にちょっかいをかけることなんてありえない。

 だってファン想いのアイドル様なはずだもん。


 細身だけど男らしい二人の背中。

 置いていかれないよう足早で追いかけ、私もエレベーターの中に。

 狭いとはいえ、10人乗りと書かれたエレベーター。

 たった3人乗るだけだから、雷斗さん達との適度な距離を保つことができて安心だ。


「ほー」っと、私が安どのため息をついた直後だったのに


「さーこれで、狭い密室空間の完成ですね」


 ゆるフワな紺色髪を耳にかけた風弥さんは、唇の下にこぶしを当て嬉しそうに微笑んでいる。


「最高ずぎて、顔が緩むわな。誰にも邪魔されず、俺様たち二人で美心を溺愛できるっつーんだから」


 ひゃっ! なんか怖い!

 雷斗さんのいじわるっぽい瞳に見つめられた私は、のっそりのっそり。

 2匹のオオカミに狙われた逃げ場のないウサギって、こんな心境なのかも。

 体をブルブル震わせながら、エレベーター奥の壁に背中がつくまで後ずさり。


 乗り込んだ時には、エレベーターの中にゆとりがあるって思っちゃったけど。

 訂正です。

 めちゃくちゃ狭すぎです。

 逃げ場なんてどこにもないんです!


 あっ、でも大丈夫か。

 エレベーターは1階に向けて上昇しているんだもん。

 そろそろエントランスに着くはず……って。



「ひゃっ!」


 なっ、なんで?

 今、エレベーターがガタンと揺れたの。

 すぐに揺れが収まったから、倒れはしなかったけれど。

 動いてないの。

 完全に止まっちゃったの。

 私たちが乗ったこの密室箱が。


 ん?

 非常事態だと焦っているのは、私だけのような。

 なんで目の前に立っているこの二人は、余裕の笑み倍増のニコニコ状態なの?


「あの……エレベーターが……」


「フフフ、止まってしまいましたね」


 だから、なぜ笑顔?


「非常ボタンを押して、助けを求めた方が……」


「大丈夫だ。故障じゃない。俺様が故意に止めた」


「……えっ?」


「前に言ったろ? 俺様の特技は、電気系統をいじることだって!」


 たっ、確かに。

 一週間前、噴水で水浸しの時に言われましたけど、エレベーターを止めるなんていくらアルファとはいえ、人間ができうることじゃないよ。

 雷斗さんと風弥さんのことを見ていたけれど、緊急ボタンを押したりもしていなかったし。


 そういえば

 『俺様は神をも超える存在になる男だ!』

 前に雷斗さんがどや顔を浮かべた時があった。

 戒璃くんと私の番関係を解消できるって。


 嘘をついて自分を大きく見せることに快感を覚えるタイプなのか?

 どや顔の雷斗さんに、あの時はじゃっかん引いてしまいましたが……

 もしかして嘘じゃなかった? 

 過剰表現じゃなかった? 

 実は雷斗さんは、人間じゃないとか?

 まっまさか……ね。

 あはは……はは……


「今ここで美心に教えてあげます。私たちのお世話の仕方」


 いやいやご遠慮してもよろしいでしょうか。

 エレベーターの壁に私を追い詰めて、ご指導いただくことではないような……


「習得するまで、エレベーターは動かしてやんねー」


 うっ、それは困る!

 今日は登校初日なんです。

 朝のホームルームの時間までに、職員室に行かなきゃいけないんです。


 とりあえず今は素直に仕事を教わろう。

 わかったふりと感謝を伝え、なるべく早めに逃がしてもらおう。


「わっ、私の仕事ってなんなんですか?」


 2人の世話って聞いてますけど。


「フフフ、とーっても簡単なんですよ」


「俺様達に甘えること、一択!!」


 ほー、そうですか。

 赤ちゃんでもできる簡単なお仕事ですね。

 それなら私も……って!


 あっ、あああっ、甘えるのが仕事?

 大人気アイドルのお2人に?!


「あっ甘えてと言われても……雷斗さんには言いましたけど、私そういうのが本当に苦手で……」


 人に頼るな!

 自分で何とかしなさい!

 高2まで施設で育って、自立を叩き込まれてきたせい。


「どうすればいいのか……全くわからなくて……」


「深く考えるな! 来い、美心!」


「えっ?」


「自分から俺様に愛されに来いって言ってんの!」


「……来いって……どこに……」


「わかりやすく腕広げてやってんだろーが! 俺様の牢獄で、とことん可愛がってやる!」



 ひぃえぇぇ!

 なんていう無茶ぶり。


 たった3歩。

 前にフラつけば、雷斗さんの男らしい胸に顔をうずめられる状況ではありますが。

 人に抱き着くなんて私にできるはずがないし、恥ずかしすぎだし。


「何ためらってんだよ。簡単だろ」


「……うっ」


「オスのぬくもり、感じた経験あるくせに」


「ん?」


「噴水に落ちた時」


 たっ、確かに。

 あの時は、雷斗さんに抱きしめられましたけど。

 でもあれは私の意思とは関係なし。

 事故みたいなものだったじゃないですか!

 気づいたら突進してきた雷斗さんの腕に包まれていて、噴水にジャボンなんて……


「ん? まだ?」


 手を広げたまま、睨まないでください。

 アイドルというより金髪総長様。

 眼圧エグすぎ、鋭すぎ。


「美心から甘えてこないと、いつまでたってもこのエレベーターを動かしてやんねーぞ」


 転入初日から遅刻なんて失態、絶対に回避したいよ!

 でっでも……


「わっわわわ……わたし……別のお仕事がいいな……」


 例えば……

 お二人が持ち歩くハンカチに、名前を刺繍することとか。

 たくさんの子供たちと一緒に過ごしていたから、裁縫は得意で……


「オマエと戒璃の(つがい)関係、世間にバラすけどいいわけ」


 そっ、そんな切り札出されちゃうと、従うしかなくなっちゃう。


 はぁ~しょうがない。

 覚悟を決めよう。

 重い足を何とか動かして、雷斗さんの胸に……



「強引な男は嫌われますよ」


「痛てーなカザミ、腕引っ張んな!」


 ふー、よかった。

 風弥さんが雷斗さんを私から遠ざけてくれました。

 さすが常識をお持ちの冷静沈着王子。

 頼りになりますね。


「俺様が美心に嫌われる? フンっ、無意味なご忠告どーも」


「こちらこそ。納得いかない顔での感謝のお言葉、お兄様へのプレゼントだとプラスに受け取っておきます」


「性格ワルっ」


「お互い様です」


「俺様の経験からいうとだな、美心みたいな奥手女には即効性の毒が効くんだよ!」


 ん? 即効性の毒とは?


「無理やりでもなんでも俺様の毒沼にズブる快感を覚えれば、強引な男じゃないと物足りなくなるくなる。美心はそういう女。絶対にな」


 さも私を知り尽くしてるように、雷斗さんは仁王立ちで言い切ってますけど……

 毒沼にズブる?

 なんですかその、猛毒ワードは。

 おぞましい言葉が私の鼓膜を揺らすだけで、身の危険を感じてしまいます。


 今すぐ二人の前から消えなきゃ!

 ……とこぶしを握り締めたところで、ここは狭い密室。

 地下から1階に行く途中で止まっている、エレベーターの中。

 エレベーターが動き出さない限り、逃げ場なんかどこにもないのが困りもの。


「わかってはいましたが、顔が同じ双子でもこんなに性癖が違うとは。実に感慨深いものがありますね。フフフ、おもしろい」


「俺様とカザミでは、性格も全く違うしな。女の好みは完全一致ってとこは面倒だが」


「私は相手の体内にじわじわと毒を回らせるように、時間をかけて愛でたい派なんです。相手の気持ち大事にしたいのですよ」


「俺様の強引さだってな、相手を笑顔にしたいと思うからこそなんだよ!愛なんだよ!」


「さぁ美心、選んでください」


 えっ、選ぶ?


「今オマエの前に、同じ顔をした二人の男がいる」


 喜怒哀楽全開の金髪王子と冷静な執事系メガネ王子……ですよね?


「美心は私と雷斗、どちらに愛されたいですか?」


 はっ、はいぃぃぃ?


「悩まず俺様を選ぶよな?」


「私の手を取ってください。そしたらお礼に、死ぬまで溺愛しつくしてみせますから」


 私の目の前に出された2つの手。

 オロオロしながら、ゆっくりと視線を上げてみたけれど。

 ひゃい!

 目の前の二人が、とろけるような笑みで私を見つめてくるんだもん。

 こんなに優しい表情を私に向けないで!

 理由はよくわからない。

 心臓が爆ついて、脳内がぐちゃぐちゃになって、胸あたりがギューギュー苦しくなってしまいましたから。


 私の背中は今、壁にぺたっと状態。

 密室の箱の中、逃げ場なんてものはない。

 エレベーターは止まったままで全く動いてはくれないし、私の心臓だけが、猛スピードでガガガっと駆けあがっている。


「えっと……あの……」


「頬を赤らめながら、大粒な瞳を左右に泳がせているなんて。美心は雪ウサギよりも可愛いですね」


 近っ! 風弥さんの顔。

 私の顔面の真横に来てる。

 耳に吹きかけられた低音甘々ボイスが、心臓に悪いよ。

 余計心臓がギューって掴まれちゃう。


「おい! うつむいてたら俺様の顔が見えないだろーが!」


「……っ、ひゃっ!」


「ちゃんと顔をあげろ! 俺様たちを瞳に映して真剣に選べ!」


 前に立つ雷斗さんにあごクイされたせいで、視線を上げちゃったけど……

 八重歯を光らせた雷斗さんの笑顔が、私の目の前に咲いているの。

 ワル感全開のやんちゃスマイルなの。


 思考がグルグル回りだし、立っているのがやっとの私。

 顔面整いまくりアイドル様の、あごクイから逃げたい!

 必死に顔をブンブン振ってみた。


 はー良かったぁ。

 雷斗さんの手から、顔を引っこ抜くことは成功した。

 オロオロテンパって思考力が急降下しているけれど、何か言わなきゃ。えっと……


「わっ私の(つがい)は……八神戒璃くんで……」


「だからその名前、オマエの口から聞きたくないっつーの」


 雷斗さんへのダメージ確認。

 よし、ひるまず強気で攻めよう!


「戒璃くん以外に何を言われても、私の心は動かなくて……」


「へーそうか、やっぱりか。八神戒璃は地獄に突き落とさねーといかんな」


 ……えっ?

 雷斗さんの顔面パーツ全てに、怒りが宿っている気がする。

 私、地雷を踏んじゃった?


「八神戒璃が強敵だということはわかっていました。ですが大人気アイドル二人が密室で誘惑しても、姫の心が揺らがないとは。雷斗の言うように、即効性のある猛毒で強引に迫るしか、手はなさそうですね」


 か、かかかっ、風弥さん。

 冷静沈着キャラは、どこに置いてきちゃったんですか?


「ちょっと手荒になってしまいますが、姫には覚悟をしていただきましょう」


 いつも澄んでいる眼鏡の奥の瞳が、濁っちゃってますよ。



 エレベーターの壁に追い詰められている私。

 ダブル壁ドンって、こういう状態よね?

 双子アイドルに捕らわれるって、こういう状況だよね?

 目の前に立つ二人が、私の真横の壁に手をついている。


 ヒロインを陥れる魔女みたいな不気味な目を、私に突き刺さないで欲しいよ!

 二人とも……怖っ!


「オマエさ、オメガなのに全くフェロモンの匂いしないのな」


 雷斗さん、壁に片手をついたまま、私の後頭部に鼻をこすりつけないで。


「フェロモンを抑制する薬を飲んでいますし。私には一応、(つがい)がいますから……」


 だからオメガの私が放つフェロモンは、番のアルファ以外には感じ取れないはず。

 病院の医師の見解だから間違いないかと。


「どれだけ姫を愛でたところで、私たちが放つアルファのフェロモンに惑わされないなんて。アイドルとしてもまだまだと言われているみたいで、泣きたくなりますね」


 腰まで伸びる私の髪を手ですくった風弥さん。

 長いまつげで神秘的な瞳を隠すように目をつぶり、私の髪にキスを落としている。


 そしてすくった髪の束に唇を当てたたま、後頭部まで唇をずらしていき、眉を隠す私の前髪を長い指で横に流すと


「甘さ、確かめさせてくださいね」


 私の額に唇をうずめてきた。



 ひぃえぇぇ!

 おでこにチュってされちゃった!

 唇が離れたのを確認して、おでこを指でこすってみたけれど、生々しい熱と唇の柔らかさが消えてくれないよ。



「フフフ。美心の甘さ、クセになりそうです」


「てめー、なに抜け駆けしてんだよ!」


「私の恋毒が、美心の血液に溶け込むおまじないをしただけですが。何か?」


「カザミが暴走したんなら、もう黙ってらんねー。俺にも甘さを確かめさせろ!」


 私の了承なんて、雷斗さんは待つ気すらありませんよね?

 目の前に立って、私の耳に髪をかけて、どうするつもりですか?


 ひゃっ、ダメ!

 耳に甘い吐息を吹きかけないで!

 ねっとりとした舌で、耳の後ろを舐めないで!


「やばっ。オメガフェロモンなしで、高級チョコ以上の甘さかよ」


「美心がいれば、デザートなんて食べる気にもなりません」


「他んとこも味わっていい?」


「真っ赤に熟れたいちごは、帰ってからのお楽しみにしておきましょうか」


「今夜プロカメラマンを屋敷に呼んで、顔面真っ赤に染まった美心を、カメラに収めてもらわんとだからな」


 それって私の唇も狙われているってこと?!


 風弥さんに言われた。

 暴走する猛獣と対面したら、危機回避が大事だって。

 今がまさに非常時だよね?

 それなら……


「こっこれ以上変なことをしないでください! 二人のことを大嫌いになりますからね!」


 体中の勇気を強めの言葉に変え、二人にぶつけてみた。

 私は目をつぶりこぶしをギュー。

 双子にタックルするような感じで走りだし、壁ドン状態から抜け出してはみたものの……


「フフフ。逃げられてしまいましたが、今のは私たちへの挑戦状ですか? キュートなプリンセス直々に戦をしかけていただけるとは光栄です」


「大嫌いになってみろよ。俺様の魅力で、大好きに変えてみせるから」


 なぜか二人とも嬉しそうにニヤついている。


 大人気アイドル様ってほんと難解。

 24時間、王子様っぽいことばかりしている甘い生き物なの?

 一緒の空間にいるだけで、絶叫ジェットコースターに乗りまくったような疲労感に襲われてしまうんですけど。



 壁づたいに逃げながら、エレベーターのドア付近までたどり着いた私。

 非常停止ボタンを見つけ、神にすがる思いで手を伸ばす。

 届いた!

 このボタンを押して、先生に助けを求めて……


「美心はつらいんだよな?」


 ……えっ?

 いきなり何?


 雷斗さん口からもれた、心配げに曇った声。

 驚き顔で振り返ってしまった私の手は、ボタンから離れダラんと垂れさがっている。


「私が……辛いというのは?」


「八神戒璃と(つがい)関係でいること」


 あっ、そのことか。


「……はい」


 つらいです。

 戒璃くんのことは忘れたい。


 でも……

 彼と過ごした幸せな時間は、宝物のように一生愛でていたい気持ちもあって。

 女遊びが激しい彼を大嫌いになりたい。

 それなのに……

 世界中で私が一番、彼のことを大好きでいたいとも思ってしまい……


 戒璃くんに対する愛情と憎悪。

 グチャグチャなどす黒い感情に、私は死ぬまで襲われ続けるの?

 楽になりたいの。

 嫉妬まみれの憎しみを、ごっそり捨て去りたいの。

 抜けだしたいよ。

 毎晩布団にもぐって、左手の薬指を噛みながら、大粒の涙を流す日々から。


「本当につらいです……戒璃くんと番関係でいるのは……」


 いっそ縁が切れれば……

 彼との繋がりがなくなれば……

 『いつの日か、戒璃くんが迎えにきてくれるかも』なんて、無駄な期待をすることもなくなるのでしょうか?



 私の頭の上、ゴツゴツした手のひらがのっかった。

 頭皮に伝わる熱が温かくて優しくて、引き寄せられるように視線を上げる。

 なんで雷斗さんが、辛そうな顔をしているの?

 風弥さんも、私の心の痛みを肩代わりしていくれているかのように、唇をかみしめているのはなぜ?


「八神戒璃は、首を噛んだその日に美心を捨てた最低男です」


「業界のうわさじゃ、寄ってくる女優を拒まず食いまくってるらしいじゃん。アルファもベータもオメガも関係なく、何人もの女を自分の所有物にしてるんだってさ」


「……そう……ですか」



 戒璃くんにとって私は、運命の番じゃなかったってことですね。


 『運命の番』

 それは唯一無二の特別な存在。

 他の人は瞳に映さなくても平気なくらい、運命の番は一途に溺愛されるみたいですから。


「なんで世の民は、あんなクズで女たらしな男に心を奪われてしまうのでしょうね?」と、風弥さん。


「普段はおっとり王子。ギターを鳴らしながら歌う時は、オスのアルファフェロモンを振りまく皇帝顔負けのワイルド王子。そのエグいギャップに、やられる奴らが多いんだろうな」


 雷斗さんの目も悲しそうに揺れている。



 なんで私は、戒璃くんに恋心を盗まれてしまったのかな。

 私は間違いなく、この世で一番のおろかな民だ。



「美心、覚えているか?」


「雷斗さん、なんのことですか?」


「オマエと出会った日、俺様が約束したこと」


 それって……


「戒璃くんとの番関係を解消してくれるって……」


「そうだ」


 確かに噴水の中で約束してくれたけど。


「そっそんなこと、絶対にできませんよね?」


 首を噛まれたオメガは、噛んだアルファとの番関係を破棄できないんですよ、絶対に。


「だからこの前も言っただろーが。世間の常識が正しいとは限らないって」


「……でも」


 ネット記事を読み漁ったけれど、番の解消法なんてどこにも書いてなかったし。


「つがい関係の解消は可能ですよ」


 風弥さんまで眼鏡を指クイしながら言い切ってるけど。


「俺様たち二人の力があればな」


 雷斗さんと風弥さんの……力?


「どっ、どういうことですか?」


 確かに雷斗さんと一緒にいると、マジックのような不可解現象が起こったりしていましたが……


「口で説明すんのだりー」


「実践して証明すればいいだけの話です」


「なぁ美心、切っていいんだよな?」


「えっ?」


「八神戒璃とオマエが繋がってる縁。二度と結ばれないように、思い切りブチって」


 それは……

 ずっと戒璃くんと繋がっていたい気持ちも、ちょっとはあるけれど。


「本当にできるなら、お願いします……」


「よしオッケー、まかせておけ! 美心が俺様達と一緒にいる交換条件だったもんな。約束、今果たしてやるよ」


「雷斗、ちょっと待ってください!」


「何? カザミ」


「念のための確認ですけど、あのことは美心に話してあるんですよね?」


「いや、どうでもいいだろ?」


「はっ、話していないのですか?!」


「意味なくね? どうせ忘れるんだし」


「そういうわけにはいきません!」


「時間ねえじゃん。ちゃちゃっとやって、教室に行かんとさー」


「番解消の掟は守るべきです!」


「ったく、わかったよ。説明めんどいから、カザミ頼むわ」


「承知しました」


 わざわざ私の真ん前に移動した風弥さん。

 真剣な視線を、これでもかというほど私の瞳に突き刺してくる。


「美心」


 凛とした低い声。

 極度の緊張に襲われた私は、無理やりつばを喉の奥に押し込む。


「あの……私に話さなければいけないこととは?」


「よく聞いてください」


「……はい」


「番関係が解消された時点で、八神戒璃のことは美心の記憶から抹消されます」


 ……えっ?


「戒璃くんと出会った日のことを、私は思い出せなくなるってことですか?」


「今日まであなたの瞳に映し続けたテレビの中の八神戒璃の姿も、彼に対して抱いた感情も、あなたの脳内から一掃されるということです」


 ……それは……イヤ……だな


 今まで何度も思ったよ。

 戒璃くんのことを忘れられたら、楽になれるのかな。

 失恋のつらさで、心が痛むこともなくなるのかなって。


 でも……

 本当に大好きだったの。

 彼以外にときめかないくらい、ずっと想い続けてきたの。


 それなのに私の思い出ボックスから、はぜたシャボン玉のように戒璃くんの記憶が一瞬で消えちゃうなんて。

 本当にいいのかなって、心の奥がザワザワ騒ぎはじめちゃった。


 今ここで即決して後悔はしたくない。

 だから……


「あの私……今はまだ……戒璃くんと番関係でいようかなって……」


 戒璃くんが週刊誌に大女優との熱愛をスクープされても、可愛い女性アイドルたちに囲まれ、ハーレム状態の写真が世に出回っても、こぶしをぎゅっと握って思い切り唇をかみしめて、失恋の痛みにひたすら耐え続けてみせるから。

 だから今はまだ……


「なぁ美心」


「はい」


「八神戒璃のこと、解放してやってもいいんじゃね?」


 えっ?


「私が……解放する?」


「それについては、私も同意です」


 雷斗さんだけじゃなく風弥さんまで、辛そうに顔をゆがめているけれど。


「2年半前のことは事故です。美心のオメガフェロモンにあてられたせいで、八神戒璃は好きでもない美心の首を噛んでしまったのでしょう」


「多分あいつは、女なんて変わりがきく使い捨てドールとしか思ってねー。でもなオメガフェロモンに誘惑されて美心の首を噛んだ戒璃に、同情しなくもないわけ。俺様も同じ立場にたたされたら、理性保てる自信揺らぐだろーし」


 ……雷斗さん。


「私たちアルファからしたら、オメガフェロモンは危険物。甘い匂いを嗅いだだけで、自分の意志とは関係なくオメガを襲ってしまうかもしれない、麻薬みたいなものなのですよ」


 ……風弥さん。


 そっか。

 オメガにはアルファに襲われるかもしれないという恐怖があるように、アルファにもあるんだ。

 リミッターが外れて罪を犯してしまうかもしれないという、自分自身を信じられない恐怖が。


 今の世の中は、世界中でバース対策がとられている。

 アルファとオメガは、国から提供される薬を毎日飲む。

 そのルールも対策の一つ。

 薬のおかげで、3ヶ月に一度来る発情期は微熱程度だし、ほぼほぼベータと同じような普通の生活を送ることができるけれど。


 オメガの私が薬を飲み忘れたら。

 居合わせたアルファが薬を飲んでいなかったとしたら。

 薬が効かないくらい強力なフェロモンを放つ人間が、目の前に現れたら……


 そんな怖いことを想像したら、薬を飲んでいなかった2年半前の私は、間違いなくアルファを誘惑する人食い花で、戒璃くんはかわいそうな被害者に思えてきちゃった。


「八神戒璃を忘れる行為は、自分の過去を捨てることと同意。踏ん切りがつかないのもわかりますが……」


「美心は捨てられた悲しみから逃れられる。戒璃は故意ではない罪から解放される。どっちにとってもウィンウィンだと、俺様は思うけどな」


 ……そう……だよね。


 2年半前、戒璃くんは私のことが好きで首を噛んだわけじゃない。

 私のオメガフェロモンにあてられて、私を好きだと勘違いしてしまっただけ。

 戒璃君にとっても、私との番関係なんてない方がいいに決まっている。


 大好きな人のために、今の私にできること。

 それは……


「風弥さん雷斗さん、番の解消をお願いします!」


「八神戒璃の記憶が全て消えます。美心、本当にいいんですね?」


 戒璃くんには幸せになってもらいたい。

 彼にこびりついたオメガの汚点を洗い流してあげられるのは、私だけなんだから。


「はい、ちゃんと覚悟ができました」


 腰まで伸びるストレート髪が揺れるほど首を縦に振り、私はこぶしを握りしめた。

 推しのため!

 その合言葉を脳内でリフレインさせていれば、だいだいのことは乗り越えられる。

 2年半の間で私が身に着けた護心術。


 それをエレベーター内で実践してはみたものの……


「八神戒璃との関係が切れたら、私たちのどちらと番うか決めてくださいね」


 風弥さんがメガネの奥の瞳を光らせながら、行きすぎなほどの笑みでニヤつくんだもん。

 推しのため!なんて脳内リフレイン護心術、やっている場合じゃなかった!

 後悔が押し寄せてきて、背筋が震え出してしまいました。


 今、とんでもないことを言われたような……

 次に番う相手を決めてとか、なんとか……


「私と雷斗は特殊な双子です。美心は私たち二人を番うこともできますが、どうしますか?」


「えええ…えっと……風弥さんの言っている意味が……よくわからないのですが……」


「美心は今日から、アルファしかいないこの学園で高校生活を送りますよね?」


 しょうがなくです。

 雷斗さんに、戒璃くんとの過去を暴露されたくないので。


「ここで美心に問題を出しましょう」


 いきなり?


「誰とも番っていないオメガちゃんがアルファ学園にいると、最悪の場合、どんなことが起きてしまうでしょうか?」


「……そっそれは」


「美心がオメガフェロモンをぶっ放した途端、学園中のアルファに狙われまくりだろーな」


 そっ、そうだった! 

 重要なことを忘れていた!

 戒璃くんとの番関係がなくなったら、私はいわばフリーオメガ。

 今は番がいるし薬も効いてくれているから大丈夫だけど、番のいないオメガはフェロモンを放っただけでアルファを誘惑してしまう可能性がある。


 フリーオメガに私がなって、自分でも気づかないうちにフェロモンをまき散らしてしまったら……

 たくさんのアルファに囲まれて……

 私を好きでもないアルファたちに、首のうしろを狙われて……


 ひゃぁあぁぁっ、地獄絵図! 

 体の震えが止まらない!

 胃に穴が開きそうなほど怖すぎて、これ以上の想像は無理だよ!


「ややや、やっぱり私……このまま戒璃くんと番のままで……」


「八神戒璃を解放してあげると、先ほど言っていましたよね?」


 ……そっ、そうだけど。


「フリーオメガになる!って宣言して、俺様らの心をスキップランランさせておいて、やっぱやめたはねーよな? 今さら戒璃と番解消しないとか言われても、聞き入れてやんねー」


 ……っ。


「私たちと美心の間に、先ほど番解消のちぎりが交わされました。口約束ですが無効にするつもりはありません。美心、もう覚悟を決めてください」


 私の前に立つ双子アイドル。

 金髪魔王様とメガネ王子様の眼圧が、異常なほど鋭すぎて足がすくむ。

 首を縦に振るしか許されないビリビリオーラを放ってくるし。

 ある意味、脅しだよね。


 どうやら私は、窮地に立たされてしまいました。

 【学園のアルファに狙われまくるか】

 【双子アイドルの番になるか】

 どちらかを選ばなきゃいけないらしい。


「俺様と番う道をもちろん選ぶよな?美心」


 右の肩に手を乗せないで、雷斗さん!


「平等に半分こは慣れっこですが、こればっかりは譲りたくありません。私だけのものになってください、美心」


 左耳に低いイケボを吹きかけないで、風弥さん!


 甘さと恐怖に追い詰められた時だった。


「バン!!」


 エレベーター内に響いた、ビクッと目を閉じてしまうほどの大きな音。

  どうやら私の顔の両横には、血管が浮き出た綺麗な手のひらが2種類いらっしゃるらしい。

 壁に穴が開いたのでは?

 背を壁につけたままキョロキョロしてみたけれど、小さい風穴すら開いていない模様。


 おしい!

 ド派手に大穴が開いていたら、エレベーターの外に逃げられたかもしれないのに……って。


 うっ、無理!

 なんか無理!


 私が火照る顔を横に向けた理由を、お答えしましょう。

 目の前から突き刺ささる4つのレイザービーム。

 その熱に、私の瞳がとかされそうになってしまったからです。


 本日二回目。

 双子アイドルからの壁ドン。

 私の背後には、エレベーターの壁がそびえたち、前には真剣な瞳を揺らす大人気アイドル二人がドドーン。


 横から逃げたくても絶望的で、二人とも私の顔の真横に綺麗な手をつき、一切の逃走ルートを断ち切っている。


 壁ドンから奇跡的に抜けだせたとしても、結局はアウト。

 止まったままのエレベーターから、外に逃げるすべはない。



「まぁとりあえずは、八神戒璃と美心の番関係をこの場で解消しましょうか」


「だな。あいつを地獄に突き落とす絶好のチャンスなんだ。逃すわけにはいかねーし」


 えっ、待って! 


「美心、目をつぶってください」


 まだ心の準備が!


「痛いことはしない。すぐに済む。俺様の顔面思い浮かべながら、心臓に手を当てて悶えてろ」


 戒璃くんとの思い出が消されちゃう。

 大好きな人との唯一の繋がりが、綺麗さっぱりなくなっちゃう。


 目を閉じさせようと、雷斗さんの乱暴な手が私のまぶたに沈む。


 真っ暗な視界の中


「……ごめんな」


「えっ?」


「こんな手荒な真似しかできなくて」


 せつなそうに震える雷斗さんの声が耳に届いたんだもん。


 彼の声に、悲しみが溶けているような気がして、雷斗さんが傷ついているような気がして


「……痛く……しないでください」


 後悔しそうで怖がっている心臓に手をあて、私は覚悟の声をもらした。



 まだ私の視界は、熱を帯びた雷斗さんの掌でふさがれている。

 どんな状況か瞳で確認することは不可能だけど、多分今、私の左右に風弥さんと雷斗さんが立っていて、私の耳上に額をくっつけているんじゃないかな?


 体が揺れるたび、彼らの鼻がしらが私の髪をくすぐってくる。

 2人の呼吸の荒さがわかってしまうのは、私の両耳が甘い吐息に包まれているから。


「美心、準備が整いました」


「八神戒璃のことは忘れても、俺様と過ごした時間は一秒たりとも忘れんなよ!」


 私の後頭部にうずめられている二人の鼻がしらが、髪をなぞるように下に滑っていく。


 風弥さんの唇だけが私の頬に行きつき、柔らかく沈みこんだちょうどその時

 ガタン!

 止まっていたエレベーターが揺れた。

 体が斜めに傾くほどの大きな横揺れ。


 ダンスで体感を鍛えているであろう双子アイドル様は、壁に手をつき転倒を防げたが……

 さすが私。

 バランス感覚が乏しいだけのことはある。

 3人の中で私だけが、ドスン!

 豪快に尻もちをついてしまった。


「美心、大丈夫か?」

 お尻の骨に突き刺さるような激痛が、ズズズと走る。

 涙が出そうなくらい痛いのは事実。

 でも今は、体の痛みなんて気にしている場合じゃない。


「もっもう、つがい解消の儀式は終わったんですか?」


 私と戒璃くんの繋がりが消え去ってしまったのか、確認しないと気が済まなくて。


「残念ですが……」


 ……あっ。

 そっ、そうですか。

 アルファとオメガの番関係を切るって、こんなにあっけないものだったんだ。

 シャボン玉がきらめく公園で戒璃くんと出会った、あの日のこと。

 二度と思い出せないってことだよね?


 私を見つめながら囁いてくれた、ハートがとろけそうになるくらい甘い言葉たち。

 その中のどれか一つでも、『思い出宝箱』の中に忍ばせておきたかったのに……


 ……って。


 え? ……覚えていますけど。

 2年半前のこと、かなり鮮明に。


 トゲトゲしていた戒璃くんが、だんだんと心を開いてくれたことも、お互いの指に張りついたシャボン玉を見つめて「おそろいだね」って二人で微笑んだことも。

 大好きが募りすぎて爆動していた、私の心臓の暴れっぷりも、首を噛まれた時の甘い痛みも。

 最愛なる人の瞳に映った、幸福感に満ちた私の笑顔も……なにもかも。


「覚悟を決めていいただいたのに、申し訳ありません」


「それじゃ……」


「トラブルのせいで美心と戒璃の関係は、まだ切れてはいません」


 ほー、そうなんだ。

 よかったぁ。


「ったく、アイツ。暴走するのはライブだけにしろっつーの」


 ん? あいつ? ライブ?


「雷斗、なんでこんな時にエレベーターを揺らすのですか! 儀式が終えられなかったじゃないですか!」


「はぁ? なんで俺様を責めるんだよ!」


「……えっ? 雷斗が儀式中に、力加減間違えたのが原因なのでは?」


「ちげーし」


「では、エレベーターのこの暴走っぷりは……」


「犯人はアイツしかいねーわな」


「まっ……まさかっ!」



 壁に片手をついたまま立っている、風弥さんと雷斗さん。

 ひたいに絶望線がびっしり入っているように見える。

 まるでとんでもない化け物に襲われる直前のよう。

 勇ましくこぶしを握りしめながらも、二人の瞳は不安げに泳いでいて、極度の緊張と覚悟が二人の表情から見て取れるけど……一体、何が起きているの?


 エレベーターの中に流れる、穏やかとは言えない重苦しい空気。

 尻もちをついている場合じゃない。

 立ち上がろうと私は床に手をついたのに……


「美心、バカっ!」


「立ってはダメです!」


 焦り声をあげた二人が、座ったままの私に覆いかぶさってきた。

 私を守る騎士(ナイト)のよう。

 絡めた腕に力を込めている。


 きつく締め付けられている痛みが、背中に走ったころ


「ひゃっ!」


 エレベーターの床が、グワンと波打つように跳ねた。



 その後、三秒ほど襲われた激しい横揺れ。

 これで終わりであってほしかったのに、エレベーターの暴走は止まらなくて、私たちが乗ったまま箱が急降下。

 猛烈なスピードで下がったかと思ったら、こんどはいきなりの急停止で、微動だにしないほどのピタリ。


 私たちは飛ばされそうになりながらも堪え、平穏状態に戻ったけれど……

 今のはなんだったの?

 不気味な闇に迷い込んだような得体のしれない恐怖が、私のキモを冷やしてくる。


「美心、ケガはないか?」


「怖かったですよね。巻き込んでしまい申し訳ありませんでした」


 私の前で立膝をつく二人。

 心配そうに私の顔を覗きこんでくる。

 から元気でもいいから声を弾ませなきゃ。


「守ってくれたおかげでケガをしませんでした。ありがとうございます。お二人は大丈夫でしたか?」


「あっ……はい……」


「……まぁ、今んとこはだけど」


 なんとも歯切れの悪い返事。

 ステージで堂々と歌う、大人気アイドルとは思えない自信のなさ。


 今のって、エレベーターの故障ですよね?

 遊園地の落下アトラクションよりもスリリングでしたよ、アハハ。


 なんて笑いを起こしたかったけれど、私は空気を読んで言葉を飲みんだ。

 冗談が似合わない緊張感が、エレベーターの中に充満している。



 二人がすっと立ち上がった。

 まるで騎士のような勇み顔で、エレベーターのドアを見つめている。

 そして私に背を向ると、コソコソと何かを話し始めた。


「……はぁ……気づかれてしまいましたね」


「美心がこの学園に転入してくること、あいつに話してねーのにな」


「番のオメガフェロモンを、嗅ぎとったってことでしょうか」


「こんなに 離れてんのに? 戒璃と美心が運命の番同士かもって調査書に書いてあったけど、事実なのかよ」


「それはないでしょう。運命の番なら女遊びなんてせず、美心だけに極甘な求愛行動をとるはずですから」


「あいつにはマジでイラつく。美心を捨てて傷つけたくせに、今さら番づらしてんじゃねーよ」


「同感です。竜巻で学園内全ての木をなぎ倒したいほどの強い怒りが、抑えられません」


「美心のオメガフェロモンなんて、キスできるほど近くにいても俺様たちは感じ取れねーのに。都合のいい時だけ番の特権使いやがって」


「雷斗、ドアが開く前にエレベーターを上に動かしてください」


「バカ、言われる前からやってる!」


「全く動いていないじゃないですか!」


「無理なんだって。アイツがすげー力でエレベーターを操ってきやがる。ドアを閉めっぱなしにするのがやっとなんだよ!」


「取りあえず二人で、この危機を乗り切りましょう」


「美心を守れるのは、俺様達だけだからな」


「オメガ姫を破壊神に奪われなければ、私たちの勝ちです!」


「アイツと美心の番解消は、そのあとゆっくりやればいいか」


「ですね」



 長いこと二人は小声で何かを話している。

 私に聞かれたくない話かな?

 会話内容を知りたい願望を押し殺し、しゃがんだまま二人を見つめてみた。


 辛そうに唇をかみしめながら、会話を閉じた二人。

 急にエレベーター内が無音になって。

 気まずい空気がドヨードヨーンで


「あの……」


 私は立ち上がり、背後から恐る恐る声をかけてみた。



 振り返った二人。

 私と視線が絡むなり、ハッっとなったように目を見開き、すぐさま作り笑顔を顔面に張りつけたのが、気になるけれど……


「美心には怖い思いをさせたな」


「……いえ」


 エレベーターの暴走中、私は二人に守ってもらっていましたから。


 幼稚園児の不安をぬぐい取るときのような優しい風弥さんの瞳が、私の瞳だけを見つめてくる。

 その隣では雷斗さんは、焦りながら制服のブレザーを脱ぎだした。


「俺様のかぶっとけ!」


 ひゃっ!

 急に視界が遮られちゃったけど。

 私の頭を覆うように、雷斗さんのブレザーをかぶせられちゃったけど……なぜ?


「美心、そのまま聞いてください。ドアが開いたら、私たち3人でエレベーターの外に出ます」


「ぜってー俺様のブレザーで顔を隠してろよ! 外見んじゃねーぞ!」


「でっでも、これじゃ前が一切見えなくて……」


 歩ける気がしなくて……


「大丈夫だ。俺様と風弥でオマエの腕を引っ張ってやるから」


「私たちがいいと言うまでは、ブレザーから顔を出さないように、何があってもです、絶対にです。いいですね」


「美心、返事!」


 ブレザーの薄暗闇の中、雷斗さんの力強い声が飛んできて


「はっ、はい!」


 わけもわからず、私は優等生並みの凛声を吐き出しちゃった。


 ブレザーで視界がふさがれていても、エレベーターのドアが開いたことくらいはわかる。

 左右から私に絡んでいる腕たちは、まだ私に「前に進め!」の合図は出してはいない。

 ドキドキなまま足を固めている私に違和感を植えつけたのは、異様なまでにハイテンションな雷斗さんの声だった。


「おっ会長じゃん。おっは~!」


 エレベーターの外に、この学園の会長さんがいるんだ。

 返事はないみたい。

 無視されちゃったのかな?


「オッ、オマエ何よ、今日は一日オフなわけ? 会長様が朝から学園にいるとは、珍しーじゃねーか!」


 雷斗さんの声が余裕なく上ずって聞こえるのは、気のせいかな?


「誰? その子」


 雷斗さんでも風弥さんでもない声。

 あれ? 

 この地をはうような冷たすぎる声は……


「この子は私と雷斗の最愛なる人です。ねー雷斗!」


「ああ、カザミの言うとおりだ。俺様達がすっげー可愛がってる癒し姫」


「キミたち双子の恋人?」


「ええ」


「本当に?」


「なんで俺様達が、会長に嘘つかなきゃいけねーんだよ!」


「顔を見せて」


「こいつの可愛い顔、他の男に見せたくねーんだけど」


「私たちが誰を愛でようが、誰に海よりも深い愛情を注ごうが、この学園の生徒会長様には関係のないことかと。雷斗、エレベーターを降りますよ」


「おう! 行くぞ、虹子(にじこ)


 にっ……にじこって……


 あっ私の偽名か。

 了解しました。

 ここは虹子のふりをして……

 ブレザーで顔が覆われているまま、腕の引っ張りにつられるようにエレベーターを降りて……


 なんてこの状況をスルー出来ないよ!!

 待って、私は知ってるの。

 雷斗さんでも風弥さんでもない男性の、凛とした低音ボイスを。


「んじゃ会長、またな~」


「虹子さん、行きますよ」


 風弥さんと雷斗さんに腕を引っ張られ、つられるように足を動かしてはいるけれど。


 あの人の横を私は通り過ぎたのかな?

 ブレザーで鼻が覆われているのにも関わらず、脳をとろけさせるような甘い匂いが嗅覚をくすぐってきた。


 オスっぽさもあり、極甘でもある魅惑めいた香り。

 嗅覚だけじゃない。

 私の全神経が、彼のフェロモンを恋しがっているのがわかる。


 この私が甘い声を聴き間違えるはずがない。

 魅惑の香りを嗅ぎ間違えるはずがない。

 今、すぐそばにいるってことだよね。


 私の最推しが!

 最愛なるアルファ様が!


 まっまさか……

 彼が生徒会長を務める高校に、私は転入してきちゃったってこと?


 聞いてないよ。

 そんなの想像もしていなかったよ。

 アルファしか通えない高校なんて、この国にはたくさんあるんだから!



「うっ、うわっ!」


「っ、たぁ……」


 雷斗さんとカザミさんの、悲鳴めいた声が上がったと同時、引っこ抜かれたように私から離れていく雷斗さんと風弥さんの腕。


 また二人のうめき声みたいなものが聞こえ、何かが壁に豪快にぶつかるような音が響いたけれど、私は気にしてなんかいられない。


 なんの支えもなくなった私の体は、ブレザーが掛けられたまま後ろに倒れていき、ワイルドなフェロモンがまとう力強い腕にギューッと抱きしめられた。


「オメガの巣作りは、番の匂いにのみに沼る現象でしょ?」


 えっ、なにか言ってる?


「俺以外のオスに臭いをつけられるなんて、許せないんだけど」


 私の耳は特殊だ。

 大好きな人の情報を、すべて収集するように出来あがっている。

 でも顔にかかったブレザーのせいだと思う。

 視界がゼロで、声がボソボソすぎて、内容までは聞き取れなかったんだ。


 私の腰に男らしい片腕が巻き付いた状態で、勢いよくはぎ取られた雷斗さんのブレザー。


 宙を舞うブレザーを目で追いかけていたはずなのに、あっ……絡まっちゃった……

 いつのまにか私の瞳も心も、大好きな人に独占されていた。



 視線がほどけない。

 彼の瞳の熱に捕らわれているから。


 視線をほどきたくない。

 瞬きすらしたくない。

 夢から覚めてしまうのが怖いから。



 大好きな瞳に見つめられ続け、私の心臓が不器用に荒ぶる。

 うまく息が吸えず、呼吸が乱れてしまうのは

 嬉しくて、しんどくて、幸せで

 逃げたくて、苦しくて、現実だと思えなくて

 いろんな感情が絡まって、私のハートを惑わせてくるせいだろう。


 なぜ私を抱きしめながら、せつなそうに瞳を揺らしているの?

 2年半前に一度だけ会った私のことなんて、忘れているんじゃないの?


 教えてよ。

 どんな気持ちで私を見つめているのか。

 あなたの心の中を私にさらけだしてよ。


 お願いだよ……戒璃くん!!


「うっ……くっそー、マジで腹痛てーし」


「雷斗、強烈な足刀(そくとう)をくらっていましたが大丈夫ですか? 内臓が破裂していませんか? ……うっ」


「俺様の心配してんじゃねー! 風弥だってお腹蹴られて、エレベーターの壁に叩きつけられて、起き上がれないくせに!」



 エレベーターの中にこだました、辛そうな2種類の声。

 途切れ途切れの弱声で、会話内容までは聞き取れなかったけれど、ハッと現実に戻るには十分な刺激で、私は慌てて戒璃くんの腕の中から抜け出した。

 そしてゆっくりゆっくり、エレベーターの中に視線をずらしてみる。


「……えっ?」


 なぜ雷斗さんと風弥さんが、エレベーターの中で倒れているの?

 予想外の光景が瞳に映り、ギュッと固まる私の全身。

 目がこれでもかってほど開いてしまった私は、驚きと恐怖で足が動かない。


 風弥さんは仰向けで、雷斗さんはうつ伏せ状態。

 激痛を堪えるように歯を食いしばり、手でお腹を押さえている。


「や~が~み~か~い~り~! きさま~~!!」


 呪い殺しそうなほどの敵意を瞳に込め、戒璃くんに突き刺した雷斗さん。

 壁に手をつき、なんとか立ち上がろうとしているけれど、膝が伸び切る前に力尽きてしまったんだろう。


「っ……ちくしょう!」


 金髪を振り乱しながら、再びエレベーターの床に倒れこんだ。


 はっ!

 なんで私は、突っ立っったままぼーっとしているの? 

 痛みに悶えている人たちが目の前にいるんだよ。

 一刻も早く、雷斗さんと風弥さんの手当てをしなきゃ!


 足からほどけていく恐怖の呪縛。

 私はためらうことなく一歩目を踏み出した。

 続けて二歩、三歩。

 使命感が宿った四歩目の足で、エレベータの床を踏みしめるところだったのに……


「ねぇ? 双子アイドルの恋人って本当?」


 凍りつきそうなほど冷たい声をこぼした戒璃くんに、肩を掴まれ


「同じエレベーターに乗っていたってことは、一緒に住んでるの?」


 怒りが燃えたぎる鋭い視線を、真上から突き刺されてしまい


 ……えっと

 ……この人、こここ、、、怖っ!!


 混乱で何も考えられなくなった私の足はピタッ。

 到達しようとしていたエレベーターの床には、着地できませんでした。


「オイ、戒璃! 汚ねー手で美心の肩掴んでんじゃねーぞ!」


 床に這いつくばり私たちの方に片手を伸ばす雷斗さんの声は、ドスがききまくり。

 声が乱暴に暴れまくっている。

 でも戒璃くんは全く動じない。


「やっぱりこの子の名前が虹子というのは、キミたち双子のウソか」


 鋭い視線を、雷斗さんと風弥さんに突き刺している。

 まるで怒りに支配された、残虐な皇帝のように。


「美心、八神戒璃に騙されないでください!」


 風弥さん、お腹をかばいながら立ち上がろうとしないで。

 痛いなら無理しないで。


「この男はな、地球を破か……」


「雷斗、それ以上は言ってはダメです!」


 雷斗さんの怒鳴りを、風弥さんが慌てて止めたけど……なぜ?



「いい判断だ」と、満足げに頷く戒璃くん。

 ピリついた刺々しい空気を入れ替えるように、両手をパチン。


「は~い、生徒同士の朝の親睦会はここまで!」


 さっきまでの怒り顔はどこへやら。

 急に大人気バンドのボーカルらしい、さわやか笑顔を振りまき始めた。

 サラサラな髪も、小鳥と戯れる王子様のように弾んでいる。


 なっ、なぜに?

 戒璃くんの声が、スキップランランの楽し気ボイスに変わったけど……


 あっ、戒璃くんがエレベーターの中に入って行っちゃった。

 床に倒れている雷斗さんと風弥さんの前で、しゃがみこんじゃった。

 アイドル顔負けのキラキラ笑顔を輝かせながら。


「朝から大人気アイドル君たちと話せて、有意義な時間を過ごせたよ」


「戒璃、気持ち悪い笑顔向けんな! なんだその不気味なまでのキャラ変は!」


「俺を睨まないで。本当に嬉しいんだよ」


「嬉しいって何がだよ!」


「音楽番組で一緒になっても、カメラが回っていないところでは、キミたち双子は俺たち89盗(はくとう)と目すら合わせてくれないでしょ?」


「私も雷斗も89盗の3人が大嫌いですからね。極甘王子ぶって人をあざむく偽善者集団」


「ひどい言われようだなぁ。キミたちに無視されっぱなしは悲しいなって、いつも心を痛めているんだ」


 さっきまで残虐皇帝のような冷たい目で双子を睨みつけていた人とは思えないほど、親し気にふるまう戒璃くん。


「だから今朝は俺と絡んでくれてありがとう」


 テレビで見る王子様スマイル全開で、双子アイドルに笑顔をまき散らしている。


「それ、私たちへの嫌味ですか? エレベーターを操って、勝手に絡んできたのはそっちじゃないですか!」


 戒璃くんがエレベーターを操った?

 まさか……そんなことできないよね?


「あっ、もうこんな時間だね」


 腕時計をチラ見して立ち上がった戒璃くん。


「遅刻したら大変、双子アイドルくんたちは先に校舎にどうぞ」


 1階&閉まるボタンを押し


「キミたちが乗っているエレベーターを、1階まですすめてあげるから」


 床から起き上がれない双子たちに極甘ウインクを飛ばすと、エレベーターの外に出てきた。



「オイ、コラ!」


「待ってください!」


 雷斗さんと風弥さんの叫びを閉じ込めるように、しまっていくエレベーターのドア。


 けが人を放ってはおけない!

 二人を早く保健室に連れて行かなきゃ!


 閉まりかけのドアに無理やり腕を挟み込もうと、私はコンクリートを強く蹴ったのに


「行くよ」


 冷たい声を吐き出した戒璃くんが、私の手首をギュッ。

 まるで自由を奪う手錠のよう。

 きつくきつく私の手首を握りしめてきた。


 エレベーターのドアが完全に締まり、静かになった地下駐車場。

 車はたくさん止まっているが、私たち以外は誰もいない。


 早く風弥さんと雷斗さんのところに行かなきゃ!

 そう思うのに、戒璃くんの手をふり払えないのは……

 --私のことを怒っているの?


 戒璃くんの顔からは一切の笑みが消え、眉も目尻もするどく吊り上がっていて、全身から放たれる残虐皇帝なみの威圧的オーラに私の心がうろたえてしまいっているから。


 結局私は、無言の戒璃くんに引っ張られるまま地下駐車場内を突っ切るように進み、『職員専用』と書かれたエレベーターに押し込まれたのでした。






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