第五話 草間信吾
草間信吾はニ歳のとき、芦原健太や松井愛子、一色真美と同じ住宅街に引っ越してきた。四つ並びの建売住宅の左から二番目、黒色の屋根の家である。
信吾も他の三人と同じく、引越してすぐに保育園に預けられた。
信吾には年の離れた兄がいた。いつも陽気で、ポジティブな性格で、転校してもすぐに学校の人気者になっていた。信吾の両親は、信吾にも兄と同じように明るい性格に育ってほしかったが、そうはならなかった。
信吾は基本的には寡黙でおとなしいタイプであったが、口を開けば難しい言葉を並べ立て、大人を言い負かすことも少なくなかった。信吾本人は疑問に思ったことをただ純粋に尋ねているつもりであっても、相手にとっては逃げ道を残さない袋小路に追い詰めるような詰問のように感じることも多く、喧嘩に発展することも多かった(よく健太が仲裁に入った)。
このような状況が頻発し、問題視した学校に親が一度呼び出されてからは、些細な物事については口を挟まなくなったが、それでも自分がどうしても納得できない物事については、相手が子どもでも大人でも、例え親や先生であっても、譲ることはなかった。また信吾が譲らないときは、相手に非や間違いがあるケースが殆どであった。
小学生のときは、口だけ達者な生意気なやつという周囲の評価だったが、中学校に上がってからは、生徒たちに不人気な学年主任の先生をこてんぱんに論破したことなどが作用し、次第に肝が据わったやつという評価に変わっていった。女子の中では、隠れ信吾ファンも増えていった。
世界が未曾有の大混乱に陥った際には、信吾達は幼馴染の四家族で死者や機械人形から逃げ回ることになったが、最後まで生き残ったのは、正解を掴み取る信吾の論理力や直感力を信じた四人(信吾、真美、健太、愛子)だけであった。
ーー地区長の中野による聞き取りは、三時間にも及んだ。一時間にも満たない出来事の顛末を、長時間かけて説明しないといけない効率の悪さに信吾は辟易としたが、できる限り表情には出さないようにして、事の詳細を丁寧に説明した。
健太が死者に噛まれてしまったこと、その状態の健太を置き去りにしてしまったこと、合流した愛子の身体に大きな穴が開いていたこと、人型の機械人形に遭遇したこと、その機械人形に愛子を預けてしまったこと、再会する約束をしていること、真美が目の前で宇宙生物に連れ去られたこと、一つ一つをゆっくりと状況がわかるように説明した。
中野は信吾の供述を一句も漏らさずに調書に書き留めていった。
「信吾、すまんな。大人たちの中には、お前のことを疑っている人間もいてな。第一防衛線の本部を単独で突破した相手に、愛子の治療を約束させるのは不可能なんだとさ」
「俺が、機械人形を手引きしたというんですか。一体何のために」
「さあな。ただみんな疑心暗鬼になってる。二年間も保たれた平穏が一瞬の内に崩れ去って、今まで一度も交渉出来なかった相手が向こうから接触しに来た。懐疑心が膨張する理由は揃ってるよ」
信吾は腑が煮える心地であったが、それ以上は言い返さなかった。
「中野さん、お伝えできることは全てお伝えしました。俺は一秒でも早く、健兄と真美を探しに行きたい。愛姉を迎える準備だってしないといけない。これ以上拘束するのはやめてください」
中野は頭の後ろで手を組みながら大袈裟に上体を後ろに逸らし、その格好のまま信吾を制した。
「信吾、焦る気持ちはわかる。三人を救いたい気持ちもわかる。だが、おまえ一人で何ができる。おまえは人よりなんでもできるやつかもしれないが、一人でなんでもできるわけじゃないぞ。それに、焦らずとも打って出ないといけない状況にすぐになる。健太や真美を探すのはそのときでも遅くない」
「打って出るってどういうことですか。この最終防衛線の中に立て籠もるんじゃないんですか」
「いや、そうも言ってられなくてな。今、最終防衛線の中に東地区の生き残りと西地区の住民が避難した関係で、混乱がピークに達している。避難民が寝泊まりする場所も確保できていないし、暫くはもつだろうがじきに食料も逼迫しだすだろう。この内側の環境だけでは、とてもじゃないがこの人数を支えきれない」
「第一防衛線の内側が死者に覆い尽くされる前に、奪還しようということですか」
「ああ、その通りだ。中央地区の連中は先を見越してか、物資を共有することに慎重になっている。前から協力的ではなかったが、今はもっと露骨な感じだ」
この最終防衛線は、元々この地域の住民がつくったものであった。死者や機械人形の侵攻から地理的に最も遠いところに位置していた結果、強固な防衛線を築くだけの時間があった。次第に東や西の方角から生き残った人々が流れ着くようになり、最終防衛線を囲うようにもう一つ防衛線を築いた。それが、第一防衛線であった。
この地域の住民は最終防衛先生の中央地区に、東からの移住者は第一防衛線の東地区に、西からの移住者は第一防衛線の西地区にと、自然に住み分ける形になっていった。
警備は全地区で共同して行なっていたが、食料や物資の確保はそれぞれの地区で独立して行っていた。地区の代表者による会議は定期的に行われていたが、住民たちの交流は殆どなかった。
学校施設が設けられたのは、地区の分断を危惧した有志によるものであった。18歳以下の若者たちを集めて交流させて、今後の地区間の行き交いが活性化するのを願って開校された。
「じきに、中央地区からの物資供給は無くなるだろう。食料を巡って争いに発展するのは目に見えている。そうなる前に、第一防衛線を取り戻さないとな。敵が一つ増えちまう」
「中野さん、俺も部隊に加えてください。健兄や真美を、自分の足で探したいんです。あと、もし可能なら次の会議に俺も参加させてください。あの機械人形については、思うところがあります。説明する機会を与えてください」
願い出る信吾に対して、中野は信吾の目を真正面から見据えたまま返答した。
「一つ目の要望は、おそらく通る。通したくはないがな。ただ守るだけならまだしも、攻めて取り戻すには人手がまるで足りん。今まで除外されていた18歳以下や40歳以上にも、おそらく声がかかるだろう」
中野は続けた。
「二つ目の要望は、俺次第だな。俺としては、大人の厄介ごとの渦中におまえを連れていきたくはない。だから時間をかけて聞き取りもしている。ただ、おまえが自らの言葉で経緯を説明して、おまけに打開策でも提示してくれるというなら、正直助かる」
信吾は、中野の言葉に食い気味に反応した。
「推測の域は出ませんが、おそらく機械人形は戦闘を目的としていない。その相手に正面から戦うのは得策じゃないです。それに、愛姉が生きている可能性だってまだゼロじゃない。自分の目で確認したいんです」
信吾は「三人を取り戻すためなら、どんなものだって利用してやる」と胸の中で言葉を続けた。
中野は急に押し黙った信吾にこう伝えた。
「わかった。一時間後に今後の対応を決める会議がある。そこにおまえも出席しろ。発言する機会はつくってやる。但し、おまえの味方をするというわけじゃない。話を聞いた上で、冷静に判断させてもらう。結論を出すのは、あくまで大人側だ」
「わかりました。説得します。してみせます」