93
猿狗の群れが現れたのは以前に賞金首である蒼双兜と戦った場所からさらに奥へ行ったところだった。
高い木々が生い茂る森の中、周囲には猿狗討伐を受けた他の冒険者もちらほら見かけられた。二、三パーティーで纏まってあまり近づかず、さりとて離れすぎない距離を維持しているのはベイツが言っていた疑似的な協力関係を結んでいるのだろうか。
ジグとシアーシャはそんな彼らとは少し離れたところを動いていた。
ジグたちが離れたのではなく、他の冒険者たちが距離をとっているのだ。
「何か私達、微妙に避けられている気がしません?」
「……そうかもしれないな」
微妙ではなく露骨に避けられているのだが。ジグには思い当たることが非常に多いためその曖昧さに乗っかることにした。
ワダツミの牽制でその辺の冒険者は余計なちょっかいを掛けない。そして当のワダツミの冒険者たちは”あの二人は非常に危険だから迂闊に手を出すな”とベイツたちベテランに加え、ミリーナ・セツといった若手の優秀な冒険者が口を揃えて言うためだ。
女性かつ容姿のいいシアーシャだけならばともかく、二人に近づく冒険者はあまりいない。だが皆無という訳でもない。
「あなたたちは要注意人物としてクランメンバーに通達しているからな。一部を除いて詳しい事情を知っている奴もあまりいないんだ」
そう言いながら近づいて来たのは二つのパーティーだ。
どちらもワダツミの冒険者たちで片方はケインが、もう片方はセツがまとめているパーティーのようだ。
「人聞きは悪いかもしれないが勘弁してくれ。俺やカスカベみたいに暴走して襲い掛かる奴がまた出たら今度こそワダツミは終わりだ。関わらせないのが一番安心できる」
そう言ってケインは軽く頭を下げる。どうやら彼らがベイツの言っていた連絡役なのだろう。
彼らの事情も分かるためジグは肩を竦めてみせる。
「こちらとしては面倒がなければそれで構わないさ。それと今の俺はただの護衛だ。依頼に関する話し合いは彼女としてくれ」
「了解だ」
頷いたケインがシアーシャに向き直る。
「改めまして、ケインだ。よろしくシアーシャさん」
「セツです。よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いしますね」
この三人は顔を合わせたことがあるだけで直接何かのやり取りをしたことはなかったようだ。
簡単な挨拶が済むと仕事の連携について話す三人。
手持無沙汰のためちらりとワダツミのパーティーを見た。
彼らのパーティーは以前にもジグと会ったこともあるせいか彼を避けるような感じはしない。
ケインたちは殴り倒し、セツたちはベイツの依頼で助けたという大きな差はあるが。
目があった冒険者がジグに軽く会釈したので軽く手を挙げてそれに応える。
皆若く、拙いところもあるが年齢を考慮すれば十分に優秀だろう。
そこいらで燻ぶっている万年七等級冒険者とは顔つきも目の輝きも違う。
流石はワダツミの若手冒険者だと感心しているとなにやら視線を感じた。
そちらを見るとケインがジグを、というよりジグの武器に目をやっていた。
ジグの特徴ともいえる双刃剣を持っていないので不思議に思ったようだ。実際は他の武器で戦うことも多いのだが。
「いつもの両剣はどうしたんだ?」
「壊れた」
端的な返答にケインが目を丸くして驚く。
「あれがか?一体なにが?」
「仕事でな。どこぞの冒険者に真っ二つにされてしまった」
「おいおい……」
ケインは以前医者に担ぎ込まれたジグの武器を回収したことがある。
自分の背丈ほどもあるその武器は持つことは出来ても自分には到底振るえないほどの重量があった。当然、それに見合った頑丈さもあったはずだが。
それが破損ではなく真っ二つときた。
おまけに魔獣ではなく冒険者にやられたというのが非常に引っかかる。
「どこのゴリラ冒険者にやられたんだよ」
「本人に伝えておこう。まだ若そうな女性なんだが」
「忘れてくれ」
軽口を叩きながらそれ以上は突っ込まない。
それでも胡乱げな視線は隠せていなかったようだが。
「……心配せずとも剣だってそれなりには扱えるぞ?」
両剣がなくて戦えるのかという疑問をケインが持っていると勘違いしたジグがフォローする。
まるで見当違いのそれに苦笑いを浮かべるセツとため息をつくケイン。
「あんたがやれるって言うならそれでいいよ……」
「ハハハ……」
色々と突っ込みたいところはあるが全てを諦めたケインが投げやりにそう言う。
そのやり取りにセツが乾いた笑いを漏らし彼と入れ替わるようにジグに会釈した。
特徴的な青い髪がそれに合わせて揺れる。
「賞金首以来ですね。あの時はありがとうございました」
「礼ならベイツたちに言ってやってくれ」
自分はあくまでも依頼をこなしただけだと返すジグ。
ベイツが予想した通りの答えにセツが笑みをこぼす。
「全く同じことをベイツさんに言われましたよ」
「……奴らしいな。相方はどうした?」
今日はもうひとりの赤い方は見当たらない。
「今日は別の依頼をこなしています。別に普段から一緒にいるわけではありませんので」
「そうか。最近朝のランニングではよく見かける」
「あなたの影響でしたか……少し前から毎朝走っていると思ったら」
相棒があの騒動からマメに走り込みをしているのは知っていた。
理由は深く語らなかったし自分も聞かなかったが、あの時の戦いが関係しているのは間違いないだろう。
自分もあの後しばらく剣の訓練を重点的にやっていたからよく分かる。
「……走るのって効果的なんですか?剣を強くなりたいのなら、剣を振っていたほうが効率的に感じるのですが」
「さてな。だが剣は行き詰まることもあるかもしれんが、体力はやっただけ伸びる。無駄になることはないさ」
「そう、ですか」
セツは話しながらジグの様子を窺う。
顔色を含め体調が悪そうなところは見受けられず、どこか動きづらそうにしているようにも見えない。
それを確認すると胸をなでおろした。
「良かった。あの時の傷は後を引いていないようですね?」
「どの傷の事だ?……ああ、背中の傷か。あの先生、ドレアさんだったか。彼の腕が良かったようでな」
快調だと肩を回してみせる。
その様子に安堵すると同時にジグの言い回しに眉を顰める。
「……あなたそんなにしょっちゅう怪我しているんですか?」
「先日は肋骨が砕けて横っ腹を縦に横にと景気よく掻っ捌かれたな。内臓がこぼれなくてよかった」
腕を組んでそう頷くジグ。
以前の賞金首騒ぎの時からそう時は経っていない。だというのに重傷を何度も負っていて、なおかつ元気に仕事をこなしているジグの姿はセツやケインからすると異常そのものであった。
引いている二人の視線がすっとシアーシャに向いた。その視線の意味に気づいた彼女は顔の前で手を左右に振る。
「私はそんなに頑丈じゃありませんからね?流石にジグさんと一緒にされるのはちょっと……」
困り顔のシアーシャを見て安堵する二人。
「ま、まあ仕事に支障がないならそれでいいんですけど……それはともかく、今日はよろしくお願いします」
離れていく二つのパーティーは声が届く程々の距離で横に展開すると索敵を始めた。
それを見届けてからしばらく進むとシアーシャが何かを見つけてしゃがむ。
「魔獣の痕跡がでてきましたね。そろそろ接敵するかもしれません」
彼女は地面に落ちた糞に気づいて上を向いた。
その視線を追ってみるが頭上には木々から伸びた枝葉が視界を遮っているだけで魔獣の姿はない。
だが注意深く見ると表面に引っかき傷や不自然に折れた枝がいくつか見つけられた。
どうやら魔獣の縄張りに入ったようだ。
ジグは長剣の握りを確かめながら今一度装備の確認をする。
手甲と脚甲を締め直し新しく買い直した防具に加えて追加で購入した投擲用の手斧の留め具を外しておく。
「猿狗の主な攻撃手段は確か……」
「噛みつき、引っ掻き、殴打。ただの獣と同じですね。あとは石を投げてくることもあるとか」
「投石とは厄介だな」
ジグがそう呟いたのにシアーシャが振り返る。
「ただの石ころですよ?」
「シアーシャにとってはそうかもしれんが、投石は立派な脅威だぞ。古来より戦争で使われてきた由緒正しい戦法だ」
相手の間合いの外で戦うのは戦争の基本だ。
弓や魔術と違ってこれといった訓練も必要がなく誰でもできる。非常に手軽でコストも必要なく、拳程の大きさの石を投げるだけで十分に人を殺しうる凶器となるのだ。
(こちらの人間には防御術があるからそこまでの効果はなさそうだがな)
人間と同じほど上手く投擲できるとは思わないが魔獣の膂力で投げられる石は脅威と考えたほうがいい。
まあ、大地を意のままに操れる彼女にとってみればまさに豆鉄砲もいいところなのだろうが。
「ふぅん、そうなんですね。ところでジグさん?」
「なんだ?」
頭上にも気を配りながら歩いていたジグが何の気なしに問い返す。
前を歩いていたシアーシャは後ろ手に腕を組みニコニコしたまま振り返ってジグの顔を覗き込む。
「賞金首って、何のことです?」
「……」
ジグは無言で視線を泳がせた。
そういえばあの時は賞金首に手を出さないように受付嬢のシアンにキツく警告をされていたのだ。
シアーシャは泣く泣くそれを諦め、ジグもあまり無茶をして困らせるものではないと諭した記憶がある。
だというのに自分は賞金首にバッチリ関わっていたのを先ほどのセツとのやり取りで気づかれてしまった。
「後で詳しく聞かせてくださいね?」
「……うむ」
ニコニコとしているシアーシャの感情はまるで読み取れない。
ジグは無言で重々しく頷くと、そのことを頭から追い出した。
後のことは、その時の自分に頑張ってもらおう。