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「ちっ……」
頭上から振り下ろされる凶爪を呆然と見上げることしかできないアオイへ、ジグは咄嗟に右手の魔具を向けた。たかだか二十メートルもない距離が随分と遠く感じる。
間に合わない。頭の冷静な部分と経験がそう告げている。
正体不明の脅威相手にシアーシャの身を最優先していたため、離れた場所にまで意識を向けなかったことが原因だ。油断ではなく優先順位を付けて切り捨てたと言ってもいい。
ジグは糸を射出しながらも、数瞬後に訪れる彼女の死を予想した。
「―――させるかぁあ!!」
アオイに降りかかる死の未来を覆したのは古き傭兵ではなく、若き男の決意だった。
赤毛が踊り、死線に身を晒す。
自らの命も顧みずに突っ込んだアランが、どんな威力や仕掛けがあるかも分からぬ魔獣の攻撃に割り込んだ。踏み込みの勢いのまま長剣を抜き放ち、体を回転させて全身のバネを利用した渾身の斬り上げ。
振り下ろされた爪と長剣がぶつかり合い、甲高くも重い音が響き渡る。
激しいぶつかり合いにより、両者の周囲を漂う霧が払われるほどだった。
「これ、しきで!」
歯を食いしばりながら握られるアランの長剣と魔獣の爪はがっちりと組み合っており、すんでのところで受け止めていた。
「アランさん……!?」
遅れて我に返ったアオイが名を呼ぶも、アランに応える余裕はない。
自身が足手まといにしかならないと気づいた彼女は、迷いなくその場から逃げ出そうと踵を返す。
そこにジグの放った糸がようやく到着した。
「っ!?」
「よくやったアラン」
彼が体を張って稼いだ時間がアオイの命を繋いだ。
痛い思いをして学んだ機能を利用して張り付いた糸を巻き取る。気を抜いていればジグすら動かす強力な牽引力だ。軽装の女性一人くらい難なく……どころか馬車に撥ねられたかと思うほどの勢いで飛んでくる。
悲鳴を上げながらすっ飛んでくるアオイを外した外套で受けて適当に転がした。打ち身くらい出来ているかもしれないが、優しくしてやる時間はない。
「シアーシャ」
「はいはーい。馬車と住民はお任せあれ」
シアーシャが詠唱して両手を打ち鳴らすと、馬車を護るように土の壁がせり上がる。
逃げる農夫たちへ向かう霧を土の盾が打ち払った。重い衝突音が鳴り、見えぬ何かが吹っ飛んだかのように畑を大きく揺らした。泥で汚れて浮かび上がった輪郭はアランが相手取る魔獣と同系統であることを示している。
大きな図体をしている割に機敏で、すぐに体勢を立て直した魔獣は土杭での追撃を躱して姿を隠す。
「あなたも手伝うんですよ」
「えぇ……めんどくさいなぁ」
馬車の中から土の腕に襟首掴まれてつまみ出されたシャナイアが魔術を行使。
巨大な影の刃が現れ、霧の煙幕を断ち切った。霧は魔力で作られているらしく、小さくなった方から霧散していく。霧の中には複数の魔獣が潜んでいるようで、耳障りな悲鳴が木霊した。
ジグたちは見えないが、魔獣が自分で生み出した霧の中で視界が利かないとは思えない。これ以上霧が広がるのを防いでくれるのは有難い。
これでいい。二人に任せておけば大局面での優位は揺るがない。
ジグたちに求められるのは局所的な勝利……要所を護ること。
「つまり」
ジグの目前、霧が尾を引きながら迫る。
真正面から肉薄すると同時、剣の間合いに入る一歩前で突然霧が拡散した。
右か左か、はたまた上か。
均等に散った霧からは魔獣が移動した方向を読み取ることはできない。攻め手を隠し、虚をつく知能まで持ち合わせているようだ。
ジグの眼が捉えるのは見えぬ相手の姿ではなく、下。
隠しようもない大地に刻まれた足跡。
「いつも通りだ」
痕跡から敵の跳んだ方向を先読みしたジグは臆することなく前へ。
漂う霧を抜けた先で、限界まで肩を引き絞った体勢の魔獣を捉える。
霧を利用して攻撃方向を惑わせると見せかけ、実際は一歩下がっていたのだ。
そして体長と同じだけ長い腕と爪を活かした貫手で、霧の外から串刺しにする腹積もりだったのだろう。
迷いなく霧を抜けて一直線に向かってきたジグに動揺しているようだ。
落ち窪んだ眼の、酷く痩せた獏を思わせる顔が間抜けに歪んでいる。
「生兵法だな」
距離を詰められた魔獣が咄嗟に貫手を放つが、意と間を外された攻撃など恐るるに足らず。
一歩横に逸れて軌道に刃を置いてやれば、自らの膂力で腕を縦に裂く羽目になる。
石畳を引っ搔いたような耳障りな悲鳴を上げる魔獣に構わず双刃剣を振り抜いたが、魔獣が痛みに身を引いたせいで浅い。すぐさま双刃剣をもう片方の腕へ突き刺して動きを封じる。
霧を出しながら滅茶苦茶に暴れ、必死に下がろうとする魔獣へ向かって右手の糸を射出。
牡鹿の角へ張り付いた糸を巻き取りながら、勢いに逆らわず自身も前へ踏み込む。
角を引っ張られて前のめりにつんのめる姿は、処刑人に首を差し出す罪人さながら。
ジグは糸で繋がった右手を引きこみ、引き絞った左手を構えて異形の頭部を迎え入れる。
「ふっ!」
鋭い呼気と共にかち上げられたアッパーカットが魔獣の頭部を捉え、同時に起動した衝撃波がその力を解放。ぐにゃりと歪んだ鼻を中心に、魔獣の顔面が吸い込まれるように崩れながら天へと舞いあげられた。霧と頭部が消し飛ばされ、残った角だけが乾いた音を立てて転がる。
頭部全損という確実な致命傷。
なれどジグという男は石橋を叩いて崩す。
「はぁ!!」
衝撃波の反動も抜けきらぬうちに体を反転。逆の手で刺さったままの双刃剣を引き抜き、前のめりに倒れ込む魔獣の胴体をすれ違いざまに斬り抜ける。
胴体と両腕が同時に切断されて地面に転がった。万が一生きていようと、反撃の芽を潰す……そういう攻撃だ。
残心を取り、確実に死んだことを確認してから周囲に目をやる。
突然の奇襲だったが流石は高位冒険者たちだ。口ぶりからして彼らも見た事がない魔獣のはずだが、皆上手く対処している。
シアーシャとシャナイアの広域魔術により馬車はもちろんのこと、住民への人的被害もほとんど出ていない。
「……やれやれ、退屈せんな」
嘆息したジグはまだ残る魔獣たちへ対処するため、駆けだした。
長剣と爪が火花を散らして競り合う。
アランは歯を食いしばりながら腕に力を籠めた。
窮地にあったアオイを退避させ、シアーシャたちが馬車を護ることで目の前の敵に集中できるようになった。
「ぐっ、くそ……!」
しかし目の前の爪を押しのけられない。
踏み込みと体捌きで初撃は何とか受けてみせたが、アランは力自慢の剣士ではなく技と魔術を交えて万能に戦う魔剣士。真っ向勝負は不得手だ。
相手は大型とまではいかないが膂力に優れ、見上げるほどの高さから振り下ろされる一撃は重い。
質量ではなく鋭さを武器としているのが救いか。これが拳槌の類であったなら押し潰されていたかもしれない。
徐々に押し込まれる爪に焦りが募る。
迫る爪が赤髪に触れた頃、助けが来た。
「無茶をする!」
そんな楽し気な声と共に鋭い剣風がアランの頬を撫でる。
反対から斬り上げられた大剣が魔獣の爪を打ち上げ、二人分の力を受けた魔獣は堪らず下がった。
「……けど、嫌いじゃないよ。君みたいな若者の無茶は」
「ノートンさん……ありがとうございます!」
三等級冒険者、ノートン=ウィルサー。
彼は危険な相手を前にしても一歩も退かず、むしろ心躍らせるように笑って見せた。
両刃の大剣を軽々と構え、黒みがかった重鎧を身に着けているとは思えない立ち姿には、積み上げ続けたものにしか得られない凄みが感じられた。
「まだいけるかい?」
「もちろんです!」
実力は伴わずとも気概で負けたくない。いつかその背に追いつきたい。
アランはその一心で全身に力を漲らせる。
「そうこなくては」
若い冒険者の野心溢れる瞳を見たノートンは満足げに頷いた。
やはり冒険者はこうでなければ。危険を前に戦意を滾らせ、前に出るものこそが冒険者と名乗るに足ると。
二人の戦意に中てられた魔獣が鳴き、霧を噴出しながら両手の爪を振りかざして走り出す。




