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「……ほっほー。糸切奇居虫とは、また珍しい魔獣とやりあってるねジグ君」
シェスカから受け取った紡績腺を手にしたガントは単眼鏡越しに矯めつ眇めつしている。
もう片方の手は羽ペンを握っており、せわしなく何かを書き込んでいるようだ。手元も見ずに殴り書きしているが、あれで読める文章になるのだろうか。
「お怪我はありませんでしたか?」
危険な魔獣と相対したジグの身をシェスカが案じた。実に真っ当な反応に違和感を感じるのは、きっと周囲のおかしな人間に慣れきってしまっているせいだろう。
「こいつのおかげで助かった。いい腕だ」
岩喰鬼の胆石と黒曜鋼を混ぜ合わせたという合金?素材の手甲を見やる。
実際これがなかったらと思うと肝が冷える。腕が持っていかれるかと思うほどの衝撃でも壊れないとは驚きの強度だ。砂塵蛇の胸当てといい、高い金を出しただけのことはある。
感謝も兼ねてガントの仕事ぶりを褒めたのだが、彼は賛辞よりも目の前の素材に興味があるようで大した反応も見せない。
「僕の作品だから当然でしょ。そんなことより、魔具について話そうよ」
羽ペンを動かす手を止めたガントが単眼鏡を下ろして本題に移る。
書き終えた物をこちらに滑らせ、読めと顎をしゃくった。
「糸を作るなんて限定的な部位をわざわざ持って来たんだ。ある程度作って欲しい物の方向性は決まってるんでしょ?」
彫金などもこなすためか、手元も見ないで殴り書いていた割には綺麗な字を目で追う。
簡易的だがそれは魔具の図面であった。素材の特徴を書いているだけかとも思ったのだが、まさか即席の図面を描いて見せるとは驚きだ。素人目に見ても彼が如何に優秀かが見て取れる。
「当然ジグ君が使うんだから戦闘用……即効性と耐久性、あとは用途の明確性かな」
「……ああ、そうだな。魔獣は通常の糸と粘着糸を使い分けていたが、その辺りはどうだ?」
「うーん、魔具でそこまでの再現は無理かな。魔石次第だけど、片方しかできないと思う」
「なら通常の方で頼む」
細かな技術解説などもなく話も実に簡潔。
本当に、ただ仕事をさせておくだけなら彼以上の人材はそうそういないと感じさせるやり取りだ。人によってはその中身を惜しむのかもしれないが、真っ当な人間からでは出ない発想というものもある。ガントはこのままでいいのだろう。
「汎用性重視だね、了解。で、急ぎなんでしょ? いつまで?」
「二日後には発つ」
「急すぎる!!」
ぎょっとした顔でガントが苦情を口にした。
魔具を作るのがどれくらいかかるのかは知らないが、決して十分な時間でないことはジグにも分かる。
無茶なことは承知の上だが、ガント相手ならば無茶を言うのも抵抗を感じなかった。腹の立つ相手というのも悪いことばかりではない。
「できんか?」
「できるけど……割り増し料金取るよ?」
割増料金。普段なら顔を顰める言葉だが、今の懐具合ならば幾分かは和らぐというもの。
魔術が使えない分、取れる手段は多い方がいい。このところ魔獣を頻繁に相手取っていると強くそう感じる。先の化け物のことを考えると金を惜しんで後悔するのは避けたかった。
ジグは財布の入った懐へそっと手を当て、”この温もりも短かったな”と静かに別れを惜しんだ。
「それ込みで、いくらだ?」
「五百万」
「―――」
呼吸が一瞬止まり、体が強張る。
ぐっと握りしめた拳を慌てて押さえる……危ない、つい手が出るところだった。ガントも冗談が下手だ。
ジグは自分を落ち着けるように深呼吸し、シェスカに目配せをする。奴の妄言は無視して適正価格を出してくれと。
「……」
いくら何でも魔具一つでこの武器以上の額はあり得ないだろう……そんな期待を込めた視線は、シェスカがゆっくりとかぶりを振ることで打ち砕かれた。
ここまで丁寧に対応してきてくれた彼女がジグを騙すとは考えにくい。信じがたいことだが、適正価格という事らしい。
思えばこのグローブも割引込みで百二十万ほどだったか。より強力な魔獣の素材を、他に仕事もある職人を丸二日拘束して作らせたのならばそこまで法外な額でもないのかもしれない。
むしろ突然やってきて二日掛けて作れと言われても金額次第で受けると言ってくれるのだ。本来であれば門前払いされてもおかしくないところを常連ということで甘く見てもらえるのを感謝しなければならない。
ガントが太い指には似つかわしくないほど器用に羽ペンを弄びながら、動きを止めたジグを見やった。
「どうするの? 僕も他に仕事あるから早く決めて欲しいんだけど」
払えない額ではない、ないのだが……稼ぎの大半は消し飛ぶ、そんな額であった。
「…………分かった。それで、頼む」
苦悩の末に重い息と共にジグが吐き出した言葉は、様々な諦めが混じったものであった。
店を出たジグは空を見上げる。長く滞在したわけでもないのに随分と疲れた気がする。
頬を撫でる風が妙に冷たく感じるのは何故だろう。
「……切り替えるか」
だがいつまでもくよくよしてはいられない。
今回の仕事を受けたのはもちろん依頼主であるシアーシャの意向もあるが、ジグも少なからず興味がある。
例の魔獣……魔女と同じ気配を漂わせる異質な化け物。
アレが祖先の持つ技術の産物だというのなら、魔女とどういう関係があるのか調べる必要がある。祖先の技術を求める澄人教の動きを追っていれば、いずれは辿り着けるはずだ。
ギルド側はストリゴの二の舞を警戒しているようだが、ジグはその可能性は低いと見ていた。
そもそも澄人教は昔から祖先の遺物を探し回っていたのだ。あれだけの被害が過去に複数出ていれば化け物の目撃情報がもっとあるはず。ヨラン司祭たちは運悪く当たりを引いたと考えるのが自然だ。
万が一、あれが魔女を素にした実験動物だというのならば、技術と知識ごと根絶やしにする必要がある。シアーシャたちだけでなく、ジグの安眠のためにも。
だが解せないこともある。
如何に優れた祖先と言えど、魔女を易々と捕まえて実験動物にできるとは思えなかった。
仮にもしそれが出来たとして、それだけの力があって出来上がるのがあのような大量殺戮生物というのはどうにもお粗末な結果に思えてならない。
「渡りに船……地獄行きだがな」
魔女の情報が探れてギルドから報酬も出る、そういう意味では今回の依頼は一石二鳥だ。
ジグはそう考えてから、自嘲気味に笑った。
「……理由を付けるのが癖になったな」
今まで依頼を受ける時に考えることは危険度と見合った報酬か否かだけだった。
それが今や先のことを考え、あるいは自らの好奇心に従って動くことが増えてしまっていた。
本来シアーシャを護るためであれば魔女のことについて調べる必要はない。
安全な人の来ないであろう田舎に彼女を押し込んでしまえばいいだけだ。わざわざ危険なことに首を突っ込む必要などどこにもない。
それにシアーシャもこの地に馴染んできた。もはやジグの助けなど必要ないと言えるほどに。
当初の依頼内容を加味しても十分達成したと判断してもいいはずだ。
今やジグの護るべき対象はシアーシャの身ではなく、彼女の意思を尊重することに変化してしまっていた。
シャナイアの口にしていた魔女の侵食という言葉が脳裏を過る。
今更ジグの意思が操られているかもなどとは思わない。しかし自身に起きている変化は間違いなく魔女と接触してから起き始めたことだ。環境の変化だけでは説明がつかない。
今の自分を元の大陸にいる者たちが見たら、なんと口にするのだろうか。
「俺は……どうしたいんだろうな」




