283
乾いた音を立てて置かれたカップから湯気が立ち昇っている。
香り豊かな琥珀色の湖面は小刻みに波うっており、建物が揺れていることを控えめに主張していた。
「……ふん?」
ハリアンギルド副頭取、カーク=ライトは眉を軽く動かすだけにとどめ、手元の書類に意識を戻す。
危機感がない訳ではない。血の気が多い冒険者が集うギルドでは時たま起こることであり、大ごとになりそうなら報告が上がってくるからだ。忙しい身である彼がわざわざ顔を出してまで事を収める必要があるかはそれで判断すればいい。
カークが”最優先事項”と但し書きされた報告書に目を通す。
中々に興味深い内容に眼鏡の奥で彼の眼が細められた。そのまま受け取るならばかなりの厄ネタだが、上手く扱えば利益を生み出せるかもしれない。
集中して読み込んでいると、意識を乱すように扉を叩く音がした。
「……入りたまえ」
「失礼します」
ため息を飲み込んで促すと、一人の女性職員が入室してくる。
肩口で切り揃えた怜悧な顔立ちの彼女は、普通の職員なら尻込みしてしまうカークの前でも変わらない。
「アオイ君か。下の騒ぎのことかね?」
カークは書類を片手にしたまま投げやりに用件を尋ねる。
”それぐらいなら君たちで対処してくれたまえ”という空気を隠しもしないが、アオイはその程度で怯む人間ではない。
「外のアレなら無視して構いません。後ほど当事者のクランと組織に正式な苦情文をしたためますので」
「結構。そちらで対応は任せる」
流石、アオイは話が早い。
彼女がこの程度の用事でここへ来るはずがないと思っていたが、やはり本題は別にあるらしい。
書類を置いて紅茶を口に含んだカークが視線で先を促す。
「例の報告にあった巨大魔獣を討伐したとのことです」
「……ほう。やるじゃないか、ウチの冒険者たちは。それで死骸は?」
「澄人の信徒たちと揉めているようです。防衛に協力した自分たちにも権利はあるとかで」
「戯言を抜かしてくれる。厄介なモノを起こした責任を取って欲しいものだがね」
叶わぬ願いを口にしながらカークが眼鏡を拭く。
厄介ごとを起こす人間とは往々にして責任を果たさずに逃げ出すものだ。それがあの狂信者たちであれば期待する方が無理というもの。
というより、迂闊に承諾されてしまえばストリゴが奴らの教えとやらに汚染されてしまう。
少しはまともな街へ変わろうとしているあそこに妙な介入をさせたくはなかった。
「脚の一本や二本くれてやれ。それ以上を要求するなら……構わん、実力行使で持ち帰りたまえ」
「……作業の妨害が予測されますが」
「障害は排除するものだよ。それに奴らが功を山分けすることを呑んで清教都アラミスから増援を呼ぶ方が面倒だ」
如何に澄人教の僧兵であろうと数の差がある。
冒険者とマフィアが目を光らせている中で大っぴらに破壊工作は難しいはず。
「承知いたしました」
「それより、これを読んだかね? 中々に面白い報告が上がってきているぞ」
話を変えたカークが読み終えた報告書をアオイに指し示す。
彼の口調にあまりよくない物を感じ取ったアオイは怪訝そうな顔で書類を手に取る。
「これは?」
「少し前、例の魔獣から切断した脚が運ばれてきたのは覚えているだろう」
「ええ。とても巨大で、なによりウチの資料にないものでしたので」
「研究者共が随分騒いでいるみたいでな。末端ではなく内臓を寄越せとうるさいんだ」
言葉を聞き流しながら読み進めていくアオイの視線が険しさを帯びた。
「―――魔獣よりも、人間に近い構造をしているですって?……馬鹿馬鹿しい、手の平に口のついた人間がどこの世界にいるのですか」
アオイが荒唐無稽な調査結果を小馬鹿にして吐き捨てる。
それでも真面目な彼女は放り捨てずに最後まで読み進めていく。
「表面的な姿形ではなく、在り方の問題だそうだよ」
彼女を尻目に、カークは既に頭に入っている内容を改めて読み上げる。
それは彼女に聞かせるというよりも、自分が言っていることのおかしさを口に出して確認したい……そんな考えがあってのことだった。
「人と魔獣の決定的な差は何か。見た目、知性、言葉、いくつも上げられるだろうが、それも決め手とするには少し物足りない。猿狗や三面鬼などは見た目も近く、頭もいい。我らに解せないだけで吠えることで意思疎通しているかもしれない」
窓に近づいて外を見た。
観客が円形に囲む中で二人の冒険者が対峙している。
二等級冒険者イサナ=ゲイホーンと、三等級冒険者ベイツ=ラゲート。
武器を抜かない分別くらいは残っているらしく、両者は徒手空拳で真っ向からぶつかり合っている。体格と経験で勝るベイツに対し、速度と技量に優れたイサナ。二人は周囲の野次を受けながら、そこいらの酔っ払いとは別次元の喧嘩をしていた。
本気の殺し合いではない。
だが気に入らないことがあった時にこうしてぶつかる姿は、縄張り争いをする魔獣とさして変わらないようにも見えた。
「その上で、人と魔獣で明確に違うと唯一言い切れること―――それが魔術だ」
素早く、独特の歩法で距離を詰めるイサナの左頬を勘に任せたベイツの拳が捉えた。
しかし彼女は咄嗟に殴られた方へ首を振って芯をずらした。腰の入った一撃をすかされたことでわずかにベイツの身体が泳ぐ。擦られた長耳から一筋の血が流れる。
勝機を捉えた翠眼が見開かれ、ぎらりと光る。
イサナは殴られた勢いに逆らわずに体を回転させ、最小限の動きで生じた隙を刺す。
「―――シィ!!」
相手の攻撃をも利用した必殺の返し技、回転肘打ちがベイツの太い首へ炸裂。
破城槌で門を叩いたような腹に響く重低音がギルドの窓硝子を揺らした。
「……か、は」
一瞬の静寂の後、ベイツの身体がぐらりと前のめりに倒れ伏す。
肩で息をするイサナが口の端から流れる血を拭い、拳を突き上げた。
割れんばかりの喝采がギルドを包み込み、二人の健闘を讃えている。
カークはそれを見届けると、視線に気づいてこちらを見上げたベイツの相棒であるグロウをひと睨み。
バツが悪そうな彼を置いてアオイへと顔を向けた。
「人は必ず魔術に詠唱を要する。どれだけ優秀な魔術師であろうとそれは変わらない……その点、魔獣は別だ。彼らは魔術を身につけるのではなく、あって当然の機能として扱う。自らの手足のように、意志一つで」
それが人と魔獣との違い。
同じ生物で、同じ魔力を扱いながらも異質……いや、むしろ多数派は魔獣の方だ。
数多の種が違う魔獣が一様に魔術に詠唱を必要としないのに対し、人類だけが言葉を用いて魔術を成している。人類だけが、魔術に対して一つの壁を隔てている。
―――そして
「詠唱したそうじゃないか、例の魔獣は。理解できない言語で、複数の口によるものだが……本来魔術の行使に詠唱が不要な魔獣にしては、些か不可解な行動だとは思わないかね?」
「……」
とっくに読み終えていたアオイは、しかし報告書から目を離せなかった。
カークの顔を見るのが恐ろしく、どこかに間違いがないかと無意識に読み返していた。
「もし……もし、そうだとしたら……」
「変わらないとも」
声を震わせる彼女の言葉を遮り、カークは冷めた紅茶を一息に飲み干す。
そう、変わらない。
仮に奴の正体が人間に近いものであろうと、人に害をなすのであればそれは駆除対象だ。
その血肉が役に立つのであれば骨の髄に至るまで利用し尽くす……それが冒険者なのだから。
「我々のすることは何も変わらない」
死骸を基に秘密を解き明かし、有効な攻撃手段と有用な活用法を導き出す。
同じような敵が現れた時に誰でも対処できるように。そしてその体をより人類の役に立てるために。
遅れて申し訳ない……流行りのインフルに罹患しておりました。




