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「うむぅ……?」
自覚している変化を伝えられたシャナイアが難しい顔で首を捻っている。
「ジグ君のそれって、ただ環境と人間関係の変化に影響されただけにも聞こえるんだけどぉ……人間って若い頃は多感で影響受けやすいんでしょ?」
「その傾向は強いな。歳をとったからと言って変化しないわけではないが」
「ちなみに今いくつ?」
「二十三」
歳を伝えるとシャナイアの動きがぴたりと止まった。
ややあってからゆっくりと、ぎしぎし音が鳴りそうなほどにぎこちない動きで振り向く。その表情は愕然と呼ぶに相応しい形に歪んでいる。
「う、そ……そんなに若かったの……?」
「驚くことか? 人間なぞお前たちからすれば老人でも若いだろうに」
「……比較対象が少なすぎて年齢感覚は人間寄りになるんだよぉ……なにさ二十三って。世間的にはまだ若造の部類じゃないかぁ」
彼女は嘆くように頭を抱えて呻き始めた。
年齢差を気にしているようだが、シアーシャ以上に長生きしている彼女にとって人間の歳など誤差もいいところだろうと思うのだが……本人が言うように人の世に紛れているとその辺りの感覚も人基準になってしまうものらしい。朱に交わればとはいうが、それが魔女という異物にも適用されるのは少し面白かった。
「……ま、まあいいや。若い男を捕まえたと思えば」
捕まってはいないのだが……まあそこはいい。
勝手に嘆いて勝手に自己完結したシャナイアは気を取り直し、他に心当たりはないかを視線で尋ねてくる。
「俺自身のことではないのだが……一つ、妙なことが起きている」
眉間に皺が寄るのを自覚しながらそれに応えた。
意識の傀儡化も懸念していたことだが、もっと分かりやすい変化は他にもあるのだ。
ジグは背嚢の横に立て掛けてある双刃剣を指した。
「あれに覚えはあるか?」
「そりゃ忘れられないさ……ボクの魔術すら斬り裂いたとんでもない名剣、いや魔剣かな? あんなものをどこで手に入れたのか、いつか聞こうと思っていたよ」
彼女はジグに追い詰められた時を思い出したのか、苦々しい表情で顔を顰めた。
そう、あの剣は魔女の魔術をも断ち斬った。
如何にジグが怪力の持ち主であろうと、それに伴った剣が無いと魔術も魔獣も斬れはしない。それが魔女の業であるなら尚更だ。だからそれを為したあの剣は相当な業物ということになるのだが……
「これはそれなりに金を掛けた品ではあるがな」
手を伸ばして双刃剣を取ると、膝にのせて刀身を覆う布を解いていく。
興味深そうに見ていたシャナイアだったが、露わになった刀身が目に入ると息をのんだ。
一見すると特別なところはない。赤黒い刀身は珍しいと言えなくもないが、武具の製作に魔獣の素材を扱うこの大陸ではそこまで特筆すべきところでもない。
好奇心に輝いていたシャナイアの目は、しかし見過ごせない違和感に気づいて真剣味を帯びる。
「……傷が、ない?」
滑らかな傷一つない刀身を撫でたシャナイアが信じられぬとばかりに呟く。
彼女の魔術と真っ向から斬り結び、異形の化け物の脚を粉砕するほどの無茶な扱いをされながらもその跡一つ見当たらないという異常事態に、驚きを隠せない。
「この武器に使われたのは血晶纏竜と呼ばれる亜竜の角だ。長い年月をかけて魔力を籠められたために安定していて、多少の魔術なら斬ることができるが……その程度でしかない」
頑丈で重量もあるが、魔女の魔術を斬るほどの性能は持ち合わせていない。
あの時も払いのけるつもりで振るったのだが、結果は予想を大きく上回ることとなった。
「じゃあ、刀身が光っていたのは……?」
「初めての現象だ。そもそも……」
「そっか、ジグ君には魔力がないから魔術刻印が刻まれていても使えない」
「そういうことだ」
仮に何かしらの仕込みをガントがしていたとしても、ジグには使えない。
グローブのように魔石を外付けする特殊な機構をしていれば話は別だが、それまで何度も使って来たのにあの時だけ起動したというのは不可解だ。
それこそがシアンが向ける疑念の矛先をガントに逸らした理由でもある。
「俺を侵すシアーシャの……魔女の魔力が何かしら関係しているんじゃないか?」
「……その可能性はかなり高いねぇ。元となったのが魔力を注いで成長させた水晶体ってのも意味深だ」
ジグに魔力がなく、この武器に何らかの仕込みがされていないのであれば、他に原因は考えにくい。あの時に起きた現象には高確率で侵食した魔力が関係しているはずだ。
原因が同じ魔女であるシアーシャの魔力によるものならば、シャナイアの魔術を斬れたことやあの化け物に通用したことにも納得がいくというもの。
「ふん……確かに魔力の操作はまだ甘いところはあるけど、量と純度だけは大したものだったしね」
「……?」
彼女は不満そうにしてはいるが、そこだけは認めてやると言わんばかりにそっぽを向いて鼻を鳴らした。
ジグは魔女二人がぶつかり合った際のことは意識を失っていて見ていない。比較対象がいないので分からなかったが、彼女の口ぶりから察するに同じ魔女から見てもシアーシャの魔力は一目置くほどらしい。
「君の体にある魔力がどう働いているのか、正確なところはボクにも分からないけど……一応の見立てでよければ、聞く?」
「頼む」
即答する。正直言って藁にも縋る思いだ。
迷いのない返事を聞いたシャナイアは楽し気に口角を吊り上げると、ぴょんと立ち上がって離れた。
時を同じくしてジグももう一人の異物……シアーシャの気配が近づいてくるのを感じ取る。
「ジグ君の若さも考慮すると、やっぱりその変化は環境や人間関係の違いによるものと考えるのが自然だねぇ。現状を聞く限りだと、君の身に侵食による傀儡化は起こっていないと判断する」
その言葉を聞けたジグは安堵の息を隠しもせずに漏らした。
一番知りたかった事実と、自分が間違っていなかったという他者からの客観的な評価に強張っていた力が抜けていくのを感じた。
勿論、まだ確実に大丈夫だと決まったわけではない。これからも自身の判断に何かしらの異常がないか注意は必要だろう。しかし他ならぬ魔女のお墨付であれば多少は信じてもいいだろう。
「まぁこれから先も同じ意識を保てるかまでは保証できないけどね」
「十分だ」
異大陸の人間は狂わされてしまい、元いた大陸の人間では魔女に対して本能の段階で拒絶反応を起こす。これまで起こりえなかった未知の症例なのだ、完全な保証など誰にもできない。
ならば自分は一体何なのだろうか。
感覚が鈍い訳ではない。魔女の異質さ、本能が訴える危機感は今も変わらず感じている。
それに対して平然としていられるのは、命と精神を擦り減らす戦場に長く居過ぎた弊害なのかもしれない。既にどこかしら壊れているからこそ、魔女の侵食にも変わらず居られるのだろうか。
「相談に乗ってくれて助かった」
詮無い考えを振り払い、くるりと反転させた刷子をシャナイアに渡して礼を伝える。
彼女は少しだけ名残惜しそうな眼をしていたが、シアーシャの足音が聞こえてきた辺りでそっと掴んだ。
ジグは手を放そうとしたが、刷子が引かれる様子がないことに気づいて視線を向ける。
「……ねぇ」
いつもの粘度を感じない、細い声に違和感を感じながら視線で先を促す。
金の瞳は長い紫紺の幕に隠されて見えないが、こちらを捉えているのだけは分かる。肉食獣の視線に敏感な獲物が気づくように。
「―――次は、いつやってくれるの?」
懇願の体を取りながらも、醸し出す空気は脅迫や恫喝そのものだ。圧倒的強者の願いとはそれだけで弱者を威圧し、脅かすものとなる。
無関心であればいい。
だが彼女たちの強い関心を向けられる相手は否応なくこれを味わうことになると、ジグはよく知っていた。これこそが孤独である要因の一つなのだと悟りながら。
「そうだな……働きに応じて適宜、とだけ言っておこう」
ジグたちが元居た大陸の人間は魔術の匂いを誰でも感じ取れます。
しかし魔術を知らないのでそれと結び付けられず、次に活かす前にお陀仏となります……無情。




