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取り調べ……もとい聞き取り調査が終わってみれば昼時になっていた。
話の流れでシアンと共に食堂に向かって配給を受け取ると、別々の席で食事を摂る。
妙な勘違いをされると困るという、実に女性的な気の回し方をしているのが印象的だった。周囲の女性陣にはない考えで、気を悪くするどころか感心してしまったほどだ。気遣いとは相手のみならず、自身や周囲に向けて行うものということか。
「気遣いが出来てこそ一人前の大人……そうは思わないか?」
「何の話かしら。それより聞きなさいよ」
「……」
ジグにしては珍しく嫌味たらしく言ったのだが、全く通じていない。顔の半分近くを眼帯で覆っていると面の皮まで厚くなってしまうらしい。
銀髪と眼帯が特徴的なエルシアは、今日一日は動けないだろうというバルジの見立てとは裏腹に元気に歩き回っていた。突然断りもなく正面に座って食事を始め、口を開いたかと思えばこれである。
「あんたの言っていた狼亜人、かなりやるじゃない。武器なし切り札なしの殴り合いとはいえ、負けるとは思わなかった」
眼帯の端から覗く青痣を撫でたエルシアは楽し気にそう語る。まだ全快とはいかないようだが、大した回復力だ。流石は三等級冒険者と言ったところか。
彼女は配給のパン粥を掬って上品に食べた。艶めいた唇をぺろりと舌が舐める。こういった仕草だけを見ているとそれなりなのだが。
「他にはいないの? 腕の立つ奴は」
「……血気盛んなのは結構だが、立場を弁えろよ。俺たちは街の防衛を任された身だ」
”万全に保っておくのも仕事だ”と口にする代わりに匙を口に運ぶ。
体を動かす者のために作られたパン粥は一般的なそれより塩気が強い。まだ仕事があることを見越して消化に良い粥を選んでいることも含めていい仕事だ。少ない物資を上手くやりくりして回していることといい、ここの調理担当はよく気が回る人物のようだ。
「裏方が如才なく役割を果たしているのに、本命の俺たちが弛んでいてどうする」
「……悪かったわよ。少し考えが足りなかった」
少しだけ語気を強めたジグの物言いに、エルシアはバツが悪そうにそっぽを向いた。
最近少しおかしいと思っていたが、本人にも自覚はあったようだ。ここに来る前に酒の席で言っていた、臆病になっているという件が関係しているのかもしれない。
「……何かあるのか?」
ジグは小さく息をつくと、居心地悪そうに毛先を弄り出した彼女に尋ねる。
本来であればそんな悩み事に乗る義理はない。だが丁度いい人手だと騙すように焚きつけたのはジグなので、多少の責は感じないでもなかった。
「……少し、ね。私が澄人教を抜けた原因にも関係しているんだけど」
珍しく口ごもるエルシアを急かさず、ただただ匙を動かして待つ。
彼女はしばらくパン粥をかき回して悩んでいたが、やがてため息と共に重々しく口を開いた。
「当時のお偉い様に……犯されそうになって」
その答えはある意味で予想していた可能性の一つだ。
腐敗した宗教の行く末とは大抵が金欲、権力欲、そして肉欲と相場が決まっている。特に肉欲は最も手軽に済ませられる欲であり、その被害は多岐に渡る。洗脳した相手を支配する快楽は得難いものらしく、これに手を出していない宗教の方が珍しいくらいだ。
初めは彼女の持つ龍眼が理由で抜けたのかとも思ったが……以前ヨラン司祭を追い詰めた際に言っていた醜聞という単語が気にかかっていた。心を見通すと言われる目を恐れた者が遠ざけるために追い出したにしては妙な言い回しだ。
それにまあ、黙っていれば美人なのは事実。
今のように擦れてしまう前の幼い彼女も器量が良かったのは想像に難くない。
「ふむ、分からんでもない」
「分かるな!」
「冗談だ……まさか、その時の司祭が奴なのか?」
「違うわ。もっと醜悪な、豚みたいなやつ」
首を振って否定したエルシアが嫌悪に顔を歪ませた。
あれも十分、豚と表現して差し支えないと思うのだが……件のお偉い様は随分と自堕落な見た目をしているようだ。
「でも、その時のことが忘れられなくて……法衣を着たお偉い様にちょっと苦手意識が、ね」
「ふむ……」
幼い頃に感じた恐怖は尾を引くこともあるという。
勝気な彼女が当時を思い出して怒るのではなく、どこか寒気を感じているかのように身を抱いているあたり、結構な恐怖だったのだろう。
ヨラン司祭に対して随分と攻撃的だったのも、怯える心の裏返しだったのかもしれない。
「まあ、なんだ―――強く生きろ」
「……もう少し言い方はないわけ?」
適当な励ましに、エルシアが眼帯越しでもジト目であることが分かるほどに非難がましい声を出す。
そう言われても、傷ついた女性の励まし方などジグは知らない。そういうのはライエルなど他の話せる傭兵仲間の役割だったのだ。
「弱かったのは過去の話だろう。今のお前なら負けることはあるまい」
「そりゃそうだけど……こういうのは気持ちの問題なのよ、へたくそ」
正論を言っても仕方がないのは分かっているのだが、ジグには他に思いつく言葉がない。
さてどうしたものかと言葉を探していると、肩を竦めたエルシアは食べ終えた食器を手に立ち上がった。
「いいわ。聞いてもらっただけでも多少は気が楽になったし……それにあんたの言う通り、過去の嫌な記憶に振り回されて仕事に支障をきたすようじゃまだまだよね」
「……そうか」
ひらひらと手を振って去るエルシアを見送る。
結局何一つ気の利いた台詞を言えなかったが、本人が満足しているのならそれでいいのだろう。一人で内に抱えず誰かに話すだけで気持ちの整理がつくこともあると、団の誰かが言っていた。
「悩みね」
気が晴れたエルシアに倣い、敢えて口に出す。
ジグにだって悩みはある。何を食べようという下らない悩みから、財布事情などの切実なものまで。
その中でも目下、最も悩んでいる……というよりも懸念していることが一つだけあった。
掌を見つめ、かつて言われた言葉を思い出す。
あの日から一度として忘れたことはない、彼女たちの持つ特性を。
「……侵食か」
侵し、食べる。
語感だけでもあまりいい症状に使うものでないことは分かる。それが人間に対して使われる際、一体何を意味するのか……確かめる必要がある。
侵食の症状自体はシャナイアに捕まった時に説明されていた。
”側にいる者の魔力を侵し、思考を侵し、心を侵す。そうして徐々に魔女のことしか考えられないように書き換えていく。制御するしないの問題じゃない、本能みたいなものさ。理由はボクも知らないけど、そういう生き物なんだ”
恐ろしい能力だ。ある意味では魔女の戦闘能力よりも。
対処しようのないその性質により周囲の人間を狂わせていく、病原体のようなものだ。
だがジグにその自覚症状はなく、また彼女自身もその傾向が見られないことを不思議そうにしていた。恐らく魔力がないことが関係しているのだろうが……だからと言って何の異常もないと信じ切れるほど、ジグは楽観的にはなれなかった。
魔女であるシャナイアが一目見ただけで気づくほどに進行しているのだ。言動に表れていないからこそ、その侵食は根深いものだと考えられる。魔力がないことがいい作用を生むものだと誰が言い切れるだろうか。魔力がないゆえに耐性がなく、取り返しのつかない部分まで侵食されていないとどう証明する。
誰もが気づけないほどに操られ、違和感のない傀儡になっている可能性だってないとは言い切れない。
先程シアンの矛先をガントに逸らしたのもそれが原因だ。
ジグ本人ですら気づけない変化が起きていた場合、気づいた者たちに何をされるか分からない。
「……確かめねば、な」
真実を知るのが恐ろしくて後回しにしていた。
だが誤魔化し続けるのも限界だ。今の自分が過去の自分と違うかどうか……知らなければならない。