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翌朝、ジグは仕事の報告をするためにバルジを探していた。仕事の報告は手早く済ませるに限る。
通りすがりの職員にでかい狼亜人を知っているか聞いたところ、ロビーで寛いでいるとの情報を入手した。手間が省けたのはいいことだが、呑気にしてていいのだろうか。街のことや澄人教への牽制などで相当忙しいはずだが。
「マフィアの労働環境か……俺の頃はどうだったかな」
いつの時代も下っ端が割を食うのは世の常だが、上が必ずしも楽かと言えばそうではない。
少なくともジグのいた傭兵団は仕事の交渉や他所の傭兵団との折衝などで忙しそうにしていた。雑務をこなした上で己の鍛錬も欠かさないなど、ジグにはとてもできない。
「……こういう所が、将の器でないと言われる所以なのだろうな」
体が大きくなり、腕が上がって一目置かれるようになってもジグの立場は小隊長から上がることはなかった。そのことに不満はない。あまり多弁でない上に大局的なものの見方が苦手だったこともあり、戦術は理解できても戦略は上手く飲み込めなかった。
戦争とは一部隊が勝てればいいというものではない。部隊単位での勝利は出来ても全体が負ければ意味がないのだ。
ただ目の前に立ち塞がる敵を愚直に打ち倒す……それがジグの役割だった。
そんな者を組織の上に置くわけにはいかない。
それに給料は悪くなかった。とにかく首級を上げたおかげで下手な隊長格よりも稼ぎが良いジグを妬む者がいないわけでもなかったが、”文句があるなら同じだけの手柄を上げて見せろ”と先輩傭兵たちが睨みつければ誰もが口を噤むしかない。
「冒険者は各自の担当場所を再確認してください! 間違った場所で倒しても買い取り以上の報酬金は出ませんよ!」
昔を懐かしみながらロビーへ下りると、耳に馴染んだ喧騒が聞こえてくる。準備を終えた冒険者たちがたむろし、ギルドからの指示を待っている。
まだ規模は小さいが、ここも冒険者ギルドらしくなってきたようだ。忙しいはずなのに、冒険者や職員たちの士気が妙に高い。新しいギルドを盛り立てていることにやりがいを感じている……とでも言うべきか。
ハリアンのギルドは確かに栄えていたが、ある意味では安定もしていた。規模が大きい分、一人が張り切っても目に見えた成果は感じにくい。
「戦力が足りない? 足りてる所なんてどこにもありません! そこを経験と工夫でどうにかするのが冒険者でしょうが! 足りぬ足りぬと愚痴る前にその足りない脳ミソで少しは考えなさい!!」
しかしストリゴは色々と崖っぷちの状態。自分がやらなければあっという間に流されるようなちっぽけな小舟だ。やったことの結果が目に見える形で表れる環境は時に人を大きく成長させる。
小さな体にわずかだが風格を漂わせ始めたシアンを見ていると、若者の成長は早いものだなと感じる。
「しかし……また口が悪くなったな」
「―――」
冒険者たちを前に声を張り上げる彼女へ感じたことを思わずこぼしてしまう。
すると突然シアンは誰かを探すように首を振って周囲を睨みつけ始めた。
まさかこの喧騒で聞こえたはずはないだろうが……見つかるとあまり良くないことが起きそうだ。素知らぬ顔で通り過ぎていく。
逃げるように人の間を縫ってロビーの端の方へ行く。辺りを見て探す必要はなく、彼女たちの気配の方へ向かうだけでいい。そうすれば向こうの方から図体の大きいジグに気づいてくれる。
やがて人混みの中からぴょこぴょこと跳ねてこちらを呼ぶシアーシャを発見できた。
「ジグさん、おはようございます」
「おはよう。夜更かししていないか?」
挨拶をしながら彼女の体調を確認する。尋ねてこそいるが毎日のように見ている顔なので大体の調子は分かるようになってきた。心身ともにすこぶる快調のようだ。
「昨日は鬱陶しい羽虫が居なくなりましたから。ぐっすりです」
両腕を伸ばしてすっきりしたと笑う彼女の顔色はいい。よく眠れたようで何よりだ。
しかしそれだけにしては随分と機嫌が良い。何か良いことでもあったのだろうか。
「ジグさん。後で見て欲しいんですけど、面白い魔具が手に入ったんですよ……!」
その疑問に答えるようにシアーシャが顔を寄せ、声を潜めて何があったのか教えてくれる。
どうやら新しい玩具を手に入れたようだ。監視していた僧兵たちが持っていた特殊な魔具を鹵獲したらしい。
わずかに魔力の匂いを感じたので何か魔術を使っているのは気づいていたのだが、特殊な魔具を使っていたようだ。監視していた者が好んで使うものと言えば、姿を消す類の魔具だろうか。
「お店でも見たことないやつです。いいモノ貰っちゃいました」
「貰ったというのかそれは?」
「細かいことはいいじゃないですか。彼らにはもう必要ないんですし」
「……それもそうか」
色々と疑問はあるが、死人に必要ないという意見には同意だ。ありがたく頂戴することにしよう。
今日はジグも含め全員が仕事だ。担当区域は違うし、相変わらず遊撃だが。
シアーシャは変わらず東区を担当するようだ。多少は上向いてきたが、未だストリゴはハリアンからの支援物資を生命線としている。二つの街を行き来する商人たちを守るのは最優先事項だ。そのためならば多少ほかの区域から犠牲が出ることもやむ無し……クロコスとギルドはそう判断した。
「気をつけろよ」
「はい。ジグさんこそお気をつけて……今日は不覚を取らないでくださいね?」
「やれやれ、一本取られたな……善処する」
珍しく冗談めかして皮肉を言うシアーシャへ小さく笑みを返し、その背を見送る。
「へいジグ!」
姿が見えなくなったところで掛けられた声。それに応じて振り返った頃にはいつもの無表情に戻っている。ジグは奥のソファーで偉そうに腰かけて手を挙げるバルジの方へ歩き出した。
大柄なバルジがどっかりとソファーに背を預けていると中々に貫禄がある。後ろにレナードが控えていると一端の長を務めていても違和感がないほどだ。
「旦那、ちっす」
「昨日の今日でちょい早ぇかとも思ったんだが……その顔は、何か掴んだって感じだな?」
「ああ。依頼の件だが、進展があった……どうしたんだその怪我?」
早速仕事の話をしようとしたジグが、バルジの様子を見て眉を顰めた。
彼は満身創痍……とまではいかないが、体のあちこちを負傷していた。綺麗な毛皮がところどころ荒れており、爪が何本か欠けている。瞼は腫れ上がり視界を半分塞ぎ、尖った鼻もやや曲がっているのか鼻声だ。毛でよく見えないが、ところどころ青痣を作っているのか動きもぎこちない。
「敵襲か?」
「いってて……いやなに、ちょっと喧嘩だ。襲われたとかじゃなくて、一対一の殴り合いよ」
「殴り合い? お前相手にか?」
バルジは亜人の中でも大柄だ。そして体の大きさに頼り切った戦いをせず、実戦で磨いた技術も身につけている。ジグも一度痛い目にあわされたことがあった。相手が複数だったり武器を使うならともかく、素手での殴り合いでそうそう後れを取るとも思えなかった。
同じ狼亜人のバルト辺りだろうか。
「人間も侮れねぇな」
信じがたいことに思わずレナードの方を見る。
彼は恐ろしいものを見たかのように髭を震わせて頷いた。
「マジだよ旦那……あいつ、バルジの兄貴と殴り合って笑ってやがったんだぜ? 冒険者ってのはみんなああなのか?」
「相手は冒険者か」
「おうよ。銀色の毛並みした、イカレた女だったぜ……ああいうのを、羊の皮被った狼って言うんだろうな」
「…………」
一気にジグの眼が半目になった。
休みの日のはずとはいえ、あの馬鹿は体力を温存しなければいけない立場で何をやっているのだろうか。
「おいおい! 勘違いしてもらっちゃ困るが、ちゃんと勝ったぜ? 流石に二連敗は許されねぇよ……ま、武器ありでやったら殺されるのは俺だろうけどな」
ジグが半目になったことに何を勘違いしたのか、慌ててバルジが弁明する。
呆れているのはそこではないのだが、説明するのも馬鹿らしいのでため息一つついて諦めることにする。
「……その馬鹿はどうしてる」
「俺様の黄金のヘッドバットで仲間に運ばれてったぜ? ありゃ今日一日動けねぇな。心配すんな、後を引くような怪我はさせなかったさ……っ!?」
ひん曲がった鼻を誇らしげに指で擦ったバルジが痛みに悶絶している。
最近面倒な状態になったので逃げていたのだが、こんなことになるなら少し相手をしてやるべきだったのかもしれない。
「まあ、いい……そんなことより、依頼の報告をするぞ」
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