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赤茶の髪に赤い瞳。眼つきは鋭さを持っているが、今は愉悦に染まっている。
着流しを纏う体は細い。しかし頼りないという印象はなく、極限まで絞られた肉体だということは先の動きを見ても分かる。今気づいたが、ジィンスゥ・ヤにしては肌の色が白い。
独特だがイサナともまた違う足捌きは彼がただ教えられたことをなぞるだけでなく、自身のやり方に昇華しているからできる芸当。
小太刀と呼ばれる二刀を引っさげてギラギラした眼でジグを見る剣客。
ジィンスゥ・ヤの誇る達人の一人。殺人衝動を抱えた異端の天才、ライカ=リュウロン。
「うんうん……僧兵か。中々どうして、悪くない斬りごたえだったね」
ライカはふるりと身を震わせるほどの興奮を紛らわすように、理性的な口ぶりで僧兵たちを見やった。
殺しを至上の愉悦とする彼にとって、最も幸福な時間であったことが窺える。
「何故ここにいる?」
背の双刃剣に手を掛けたままジグが問う。
殺気は感じられないため、まだ抜く段階ではない……が、油断もできない。
先の鮮やかな不意打ちと見事な身体操作、無駄のない太刀筋を見せられてはジグとてそうせざるを得ない。そう思わせるだけの腕前であった。
若き天才と評されるだけのことはある。
イサナとライカ。どちらが上かの判断は現状では付けられないほどに。
ジグは静かに足を滑らせて重心をわずかに落とし、しかし落とし過ぎず。
小回りと初動の速さで上を行くであろう敵と相対するつもりで自然に戦闘態勢を取ると、握りの位置を確かめながら目を細めた。
「気が変わって俺の首でも欲しくなったか?」
非合法にかけられたという賞金を思い出す。
ライカの職業は賞金稼ぎ……つまり人狩りだ。指名手配された犯罪者を殺すことで糧を得る、彼の趣味と実益を兼ねた天職。
「前にも言ったけど、僕は非合法な依頼は受けてないんだよね」
小太刀の片方を肩に載せ、ライカは口の端を吊り上げてみせる。
しかし金目的ではないと口にしながらも、彼の眼は興味深そうにジグの一挙手一投足を注視している。このまま殺し合いが始まっても何ら不思議はないと思えるほどに。
むせかえるような血臭の中、二人の視線が絡み合う。
「……」
「ま、お兄さんとやり合えるならタダでも大歓迎! ではあるんだけど……」
言葉の途中、ライカは肩を落とした。途端に霧散していく好戦的で張り詰めた空気。
顔に出さぬまま戸惑うジグを余所に、彼は表情に一抹の残念さと申し訳なさを感じさせる複雑な顔で小太刀を下した。チン、という音と共に白刃が鞘に仕舞われる。
「ちょっと前にテギネおじさんの件でウチのが随分と無礼を働いたじゃない? 性懲りもなく同じことするわけにもね……恥の上塗りは勘弁かな」
鍔に手を置いて苦笑いするライカに嘘をついている様子はない。
それを頭から信用したわけではないが、相手が先に剣を収めたのならばそれに応じるくらいの度量はジグにもある。
それに一族から疎まれてもなおその体面を気にかけ、自らの欲望より優先する彼には一定の敬意を払うべきだと感じた。
殺人衝動と破綻せず上手く付き合っていることと言い、ライカには振る舞いや言動よりも大分成熟している印象を抱く。
割と勢いで襲い掛かって来たどこぞの思春期娘よりもずっと話が分かる殺人鬼だ。
「早とちりだったようだ、すまない」
「いいさ、お兄さんにはこっちの顔も立ててもらってるみたいだし。多少は格好つけないと武人の名が泣く」
いつぞやテギネの死を伝えた時のことを言っているのだろう。ライカは自嘲気味に笑うと、ジグが武器から手を放したのを見計らって歩み寄る。
「さっきの質問に答えようか。僕がここにいるのは仕事と、頼まれごとさ」
「……頼まれごと?」
「そ。テギネおじさんの遺品、じゃなくて遺産回収。遺言届けてくれたでしょ?」
それには覚えがある。
テギネが死の間際、これまで貯めた金を同胞に届けて欲しいと頼まれたのだ。
結局あの後に魔女二人の大戦争が始まってしまったのでそれどころではなかったため、ジィンスゥ・ヤに遺言として届けたのだったか。
「そうだったな」
「律儀だよねぇ。少しくらい懐に入れても誰も気づかないし、文句も言わなかったと思うよ?」
茶化すような口ぶりだが半分以上本音も混ざっている、そんな眼でライカが言った。
その指摘をジグは否定しない。
敵だった人間の遺言など聞き届けてやる義理などどこにもないし、殺されたのならば奪われるだけだ。テギネも、そしてジグもそれは覚悟しており、戦う者として当然のことだと認識している。
実際初めてイサナと殺し合った際、ジグは彼女を始末して財布を頂くつもりであった。諸々の事情があってそうはならなかったが。
「かもしれんな」
「なら、どうして?」
ジグは重ねられた問いになんと答えていいのか分からず、口を閉ざしてしまう。
今更綺麗事を言うつもりはない。
いい戦いだったからだとか、好敵手と認めたからだとか。そんな聞こえの良い理由ではなかったはずだ。互いに自らの事情で敵と戦い、障害を排除する……それだけの関係だった。
「……分からん。そういう気分だったんだろう」
答えの出ない疑問を濁すような返答しかできなかった。
しかしライカはそれで満足できたらしく、機嫌良さげに小太刀の柄頭をトントンと指で叩いた。
「そっか……僕もいつか、そう思える相手と斬り合ってみたいものだね」
どこか寂し気な色を瞳に浮かべながら、彼はそう呟いた。
「しかし遺産回収とは言うがな、この有様で見つかるのか?」
何とも言えず湿った空気を変えるためにジグが水を向ける。意図を察したライカは少し大げさな困り顔で後ろ頭を掻いて見せた。
「いやそれが大変なんだよ。見ての通り地図なんて役に立たないくらいに荒れ果ててるでしょ? 宿の名前だけじゃ探すのも一苦労でさ」
テギネがどのような書き方をしたのかは覚えていないが、渡された紙には簡素な内容しか書いていなかったはず。今のストリゴは詳細な地図があっても難しいというのに。
「だろうな。目星はついているのか?」
「一応、塒だった場所は見つけたんだけどね……誰かに持ち出された後だった」
「……それは」
想定していた事態に思わず口ごもる。
あの騒ぎだ。火事場泥棒の一つや二つは起きるだろうと思ってはいたが、テギネの遺産も例外ではなかったらしい。
「その代わりと言っては何だけど、運のいいことに犯人の目星はすぐについたんだ。で、それが僕の受けた仕事と関わってくるわけさ」
にたりと笑みを浮かべるライカに仕事の内容と持ち出した相手を察する。
「マフィアか」
彼は返答の代わりにジグの背後に顎をしゃくった。
暗闇に目を凝らすと、廃墟の陰に幾人もの死体が横たわっているのが見えてきた。ジグが嗅ぎ取った死臭は彼らのものだったようだ。
「ある筋から依頼があってね。他所に被害を及ぼす腐った街を復興する機会が巡って来たんだけど、やっぱり腐るには腐るだけの理由があってさ。建て直すうえでどうしても落としきれない汚れを掃除して欲しいんだって」
汚れ……少しずつ街の機能を取り戻していくストリゴを良しとせず、元の暴力で押さえつけ強者が弱者を搾取することを求める者たち。
「街が復興するまでの間ならろくに法整備もできていないだろうし、死体は襲ってきた魔獣のせいにしちゃえば誰も文句は言わない……そんな素晴らしい環境、放っておくわけにはいかないよね?」
ライカの赤い目が爛々と輝く。
悪人限定だが殺し放題、稼ぎ放題。彼のような人間からすればこれ以上ない最高の狩場だ。
街の復興を望む誰かとやらが、汚れ掃除にライカのような人間を使うのは実に理に適っている。そしてそのような容赦のない判断を出来る人間に、ジグは心当たりがあった。
「趣味と実益と、ついでに頼まれごともこなせる一石三鳥の最高の仕事だよね、お兄さん?」




