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夜も更けた頃。
屋敷や街から炊事の煙が消え、暗闇に包まれる時間帯。
街を照らしていた魔術灯は先の地割れで機能不全を起こし、無事だった物も魔獣に破壊されたストリゴでは夜の闇が深い。即席の灯りもまだ満足に配置できておらず、一部の要所を除いて街は暗闇に包まれている。
「……目標に動きあり」
そんな星の灯りだけが頼りの場所で蠢く者たちがいた。
日中の白い法衣は人目を忍び闇へ溶ける黒へと趣きを変え、堂々と胸を張っていた姿勢を低く目立たぬものへ。
複数の僧兵は二つの班に分かれて屋敷の一室を見張っていた。
近場に潜み魔術で話を盗み聞く者たちと、遠見の魔具を使って全体を把握する者たちに別れての監視だ。
魔具を見ながらの報告にまとめ役の僧兵が声を潜めて情報を求める。
「どっちの魔術師だ?」
「いや、大男の方だ。武器を手にして部屋を出た……ロビーへ向かっているな。恐らく外出する」
「……哨戒か。奴の担当時間と場所は?」
振り返って仲間の僧兵に聞くが、目元だけが露出した頭巾を横に振られる。
「不明だ。どうも奴は別口で雇われているせいか、他の冒険者とは異なる動きをしているみたいだが……あの女職員が資料を厳重に管理していてな、盗み見れなかった」
「チッ……まあいい。他の冒険者の動きから大体の時間は分かる」
舌打ちをしながら視線を戻す。大男は既に屋敷から出ており、目視でも確認できる場所に移動していた。いくら奴が独自の仕事をしているとはいえ、そうすぐに戻ってくるようでは仕事にならない。甘く見積もっても半刻は稼げるはずだ。
「どうする? 今なら魔術師だけだ。連れ去るくらい造作もないぞ」
「逸るな。あの魔獣の足取りが掴めるまではここに滞在する。迂闊に問題を起こせば機を逃すぞ」
彼らが追いかけている魔獣は古代の祖たちがその御業を以って作り上げた。その力は通常の魔獣など及びもつかない程に強力だ。
信じがたいことだが、あの二人の魔術師はそれを撃退したという。それほどに力のある魔術師であれば何としてでも手に入れたい。
いかに優秀な魔術師であろうとも弱点はあるもの。強さとは一面的なものだけで決まるのではなく、場面場面における適材適所こそがものを言う。
とりわけ強力な魔術を扱う者ほど体術へ精通していることが少ない。幾度かの監視であの二人が近接戦闘に秀でているわけではないことは確認できた。であれば詠唱という手間がかかる魔術師など僧兵たちで如何様にもできる。
しかし今は表面上とはいえ冒険者やマフィア共と協力体制を敷いている。
他の街中でならばともかく、冒険者の数が限られて管理されている現状で拉致でもすればすぐ騒ぎになってしまう。目的達成のためには慎重に動く必要があった。
「冒険者共があの魔獣を倒す、ないし捕獲できれば良し……消耗したところで隙を見て奪い取るだけだ。もし負けるようであれば魔術師を攫って冒険者や亜人共を盾にしながら撤退し、機を見計らって仕掛ける」
彼らの目的は信徒を増やすことでもなければ、ましてやストリゴを護るためでもない。
祖の偉大なる発明を手中にし、その教えと英知に触れるためだ。そのためならば他は全て些事に等しい。
「男の方はどうする? なんでも傭兵という話だが……始末しておくか?」
「ふむ……ただの傭兵風情がギルド側やマフィアとの交渉に顔を出しているのは引っかかるな」
本来傭兵とは冒険者にもなれず、マフィアにも受け入れられないようなはみ出し者を意味する。どこにも属さないではなく、どこにも属せない半端者……それが傭兵だ。その実態は無頼漢やゴロツキと同じであり、力を頼みとしながらも冒険者には遠く及ばず、マフィアのように裏稼業を仕切れるほどの度量もない。
そんな人間が曲がりなりにもギルドに雇われているというのは違和感がある。何か理由があるはず……どころかある方が自然だ。
「……傭兵という立場は偽装か?」
「ああ。遠目に見ても隙がない……恐らくあの魔術師を護るためにギルドが手配したのだろう」
本当の立場がギルドの調査員辺りであるなら、方々に顔を出しているのにも納得がいく。
「男の方に二人……いや三人つけろ。予想が正しければただの哨戒ではなく誰かと密会している可能性が高い。正体と、どこの所属なのかを調べるんだ」
指示に声無く頷いた僧兵が音を立てずに姿を消す……比喩表現でなく文字通りに。
暗部としての汚れ仕事もこなす彼らには特殊な魔具が配備されている。遠見の魔具だけでなく防音の魔具を改造した足音を消す魔具や、彼らの纏う黒い外套もそうだ。
完全に姿を消すという幽霊鮫とまではいかないが、偃刃豹の毛皮で繕われた外套は輪郭を誤魔化し夜闇に紛れるくらいはできる。
彼らが動いたことを確認した男は別の魔具を取り出し、部屋の近くで聞き耳を立てている別動隊に連絡を取る。希少な鉱石を媒体とした共鳴管と呼ばれる魔具は離れた場所との声のやり取りを可能とする。特殊な固有魔力波を持つ鉱石は共鳴した音を離れた場所にも伝えることができ、時間差と距離に制限こそあるものの非常に有用な魔具だ。
「男の方が離れた。今なら近づけるぞ」
近くに潜んでいる僧兵は魔術を利用した盗聴が役割だったのだが、マフィアが利用していた屋敷だけあって思いのほか防音性が高い。そのため声を荒げたりすれば聞こえるのだが、通常の話し声を聞き取ることが困難だった。
もっと近づけばその限りではないのだが、彼は偶然一度見かけた傭兵を警戒してそれ以上の接近を禁じていた。ただの勘だが、あの部屋を見ているとどうにも胸騒ぎが収まらない。
「気のせい……ではないのだろうな」
じっとりと滲んだ汗を拭う。こういう時の勘は嫌に当たるのだ。
男は妙な喉の渇きを覚えながら、盗聴班の様子を見るべく設置された筒状の魔具を覗き込んだ。
「……?」
男は思わず眉を顰めた。遠見の魔具に映る光景がおかしい。
魔具はあの部屋をしっかりと映しているのだが、どうしたことか上下逆さまに見えてしまっている。どうやら透鏡が傾いてしまっているようだ。
大男を尾けていった僧兵が去り際にぶつかっていたのかもしれない。
まったく。夜でも見える高い品なのだから、もっと大切に使ってほしいものだ。
嘆息しながら男は魔具を調整しようと手を伸ばし―――
「……あれ?」
どうしたことだろう?
右手を伸ばしているはずなのに、どうして左手が動いているのだ?
それに魔具に触っているはずなのに、手の感覚が随分と鈍い。夜は冷えるが、まだそこまでの体を冷やしているわけでもないのに……随分と寒い。
「あぇ? お がしぃ……な、」
声が うまくでない。
まるで したが からまってしまったようだ。
のどが ぐるしい。
―――だれか となりに いる ?
「しぃー」
きれいな おんな。
くろい かみの。 くちにゆび あててる。
しずかに……そう、よるだ。 しずかに しなきゃ。
静寂と闇が辺りを包み込む。
虫すら鳴かぬ完全なる静寂はとても静謐で―――とても不自然だ。
「ふぅ……」
倒れた男から視線を外し、シアーシャは胸を撫で下ろす。
「こういうやり方は初めてでしたが……意外としぶといんですね、人間って」
まさか、頭を半回転させても声を出せるとは思わなかった。
少し驚いてしまったし、困ってしまった。
だって声を上げられたら、他の冒険者たちの迷惑になってしまう。
日々の仕事で疲れている彼らの眠りを妨げるのは本意ではない。だって彼らは大切な仕事仲間だ。
幸い、一生のお願いは無事に聞き届けてくれた。そこだけは彼に感謝してもいい。
「こうして面白そうな魔具も頂けたわけですし……うん、この出会いに感謝ですね」
にっこりと満面の笑みを浮かべたシアーシャはふと思い出し、先ほど男が使っていたのを見よう見まねで覗いてみる。
「あっちも終わったみたいですね」
魔具で見えた光景……部屋の近くで随分と小さくなった僧兵たちを影が包み込んでいる。
まるで包丁で野菜を切ったかのような奇麗な断面をしており、一見すると魔術で殺された死体には見えない。
シアーシャはため息をつき、仕方がないなと肩を落とした。
「やれやれ……年上のくせに教えることが多くていけませんね。あんなやり方じゃ臭いじゃないですか」
腰に手を当てて嘆息するシアーシャ。
彼女の後ろで、四つの死体が音もなく柱に埋め込まれていった。