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お互いの口ぶりから長話になると予感した二人は先に注文を済ませると、本題に入った。
「ではお先にどうぞ。ふふふ……昨日は私が先手を頂きましたから」
屋敷で不意打ち気味に始まった素手での戦闘を口にしながら、レアヴェルが先に質問しろと促す。
戦いに不意もへったくれもないと思うのだが、そう言われれば断る理由もない。ジグは彼女に対して気になっていたことを尋ねる。
「なぜあの司祭に付き従う?」
「仕事だからです」
端的で明朗な答えはジグの好むところだ。特に仕事と言われればそれに否やはない。
だがそれは一時の間柄における話。ヨラン司祭とレアヴェルはそれなりに長い付き合いであることを窺わせる言動をしていた。免罪官にどの程度の権力があるかは知らないが、気に入らない上司から離れるために配置転換を願うことくらいは出来るはず。
そしてヨラン司祭は優秀だが、あまり信用の出来る人種ではない。
「……というのはまあ、建前ですね。実のところ、ヨラン司祭には恩義があるのですよ」
「恩義?」
あまり彼の印象からは想像できない言葉が出てきたことに首を傾げる。
弱味とか金の問題だとかならば納得できるのだが、レアヴェルははっきりと恩義と口にした。
「そう、恩義です。……私の兄が散々やらかしたことは話しましたね? ―――では問題です。本人がやったことではないにしても、とんでもないやらかしをした者の親族に罪はないと言えるほど、大司祭たちは物分かりがいいでしょうか?」
「……それが通るなら、澄人教自体の否定になるな」
なにせ彼らの教義は、大罪人の子孫である亜人を罪の象徴としているのだから。
強すぎる兄の言動でその妹たるレアヴェルがどのような扱いを受けたのかは想像に難くない。
「そういうわけです。兄が辺境に飛ばされてから、私の立場は最悪でした。……当時の私は、それら全てを跳ねのけられるほど強くなかった……いえ、きっと今も」
組織で一人孤立することの辛さはジグには分からない。ただ腕っぷしが強いだけではどうにもならず、孤独でありながらも己の信念と向き合い続けるほどの何かがなければできないだろう。
「そんな時に私を拾ってくれたのがヨラン司祭でした。当時はまだ、ただの僧兵でしかなかった私の才を見抜いて傍に置いてくれた。……もちろん彼は計算高い男です。諸々の不利益と天秤にかけ、その方が後々利益がでるからそうしたに過ぎません」
危険な思想を持つ男の妹。そんな誰もが忌避する存在を懐に迎え入れることで己の慈悲深さを周囲にアピールしつつ、優秀な駒を手元に迎え入れる。そんなところだろうか。
ジグでもそれくらいは思いつくのだ、ヨラン司祭がそれ以上の何かを得ている可能性は高い。
「でもそんなことはどうでもいいです。打算であろうと何であろうと、助けてくれたのですから。多少……結構性格が悪かろうと、少し……結構臭かろうと、恩人であることに変わりはありません。ならば私はその恩に報いる……出来る範囲で、ですがね」
小さくはにかむ彼女を見て、屋敷でヨランの口元を甲斐甲斐しく拭いてやっていた姿を思い出す。ただ利害関係で仕えているだけならば、あのような行動はとれないだろう。
言葉の節々に上司への些細な不満が滲み出ているが、それでも彼女に負の意識は感じられなかった。
「……そうか」
ジグの胸中を過るのは底知れぬヨラン司祭の穏やかな笑み。
やはり彼は油断ならない。実際にこれだけ忠実な駒を手に入れているのだから。
話が途切れた所に頼んでいた料理が届いたようだ。両手を皿で一杯にした店員が何往復もして料理を運んでいる。
しばらくしてテーブルにずらりと並べられた料理の量は、どこの宴会場かと言いたくなるような有様であった。
ジグだけではない。並べられた料理の四割ほどはレアヴェルが頼んだ物だ。
「……いやほら、食べれる時に食べておくのが僧兵の習いなんで」
テーブルに乗りきらないどころか、厨房で次の料理が渋滞している状況に視線を逸らすレアヴェル。
なおジグの記憶では同じ僧兵であったエルシアがこのような大食をしていたことはない。
「いいから食べるぞ。後が詰まっている」
「あ、はい」
同じく体を動かす者として、ジグも多少人より食べる方だ。このくらいは問題ない。
二人は意識を食に向けると勢いで三皿ほどを平らげ、溜まっていた料理が粗方並び終わった辺りで話に戻った。
「次は私の番ですね。兄とはどのような経緯で戦う羽目に? 兄もあなたも、無益な争いをするようには見えませんが……」
「大層な理由があったわけではない。やられたから、やり返した……それだけのことだ」
それまでの争いのように勘違いでもなく、仕事の立場上という訳でもなく、ただ明確に敵対した。
よく考えてみればこの地に来て初めてだったかもしれない。仕事ではなくジグ個人として、敵対した相手を殺したのは。
「融通の利かない兄のことです、教義関係の理由でしょう?」
「ああ……確か、亜人の―――っと」
亜人の呼び名と言いかけたところで慌てて口を閉じる。
一応彼女も澄人教の免罪官なのだ。見逃せない線引きというものはあるはず。
しかし彼女はそれだけで察してしまったようで、苦いものを食べたかのような表情をしている。
幸いなのはそれが即戦いへ移るほどの禁句ではなかったことだ。
「うわ、もしかして亜人の正式名称ですか? そりゃマズイ……というか、どこでその名を? それ関係の書物は大昔に焼き払われたので、もうほとんど文献にも残っていないはずなのに」
「……」
さらりと焚書を済ませている辺りに澄人教の根深さを感じる。言論統制弾圧はお手の物か。下手をすれば反抗する村を焼き払っていてもおかしくない。
「とある筋からな……」
ジグは人知れず冷や汗をかきつつも、万が一を考えて適当に濁しておく。もしこれでウルバスたちが皆殺しにでもされたら詫びようもない。
「そう警戒せずとも、私は兄と違ってそこまで狂信的ではありません。澄人教に籍を置いているのだって、親がそうだったからというだけの理由ですので。なんか上手いこと出世できたし給料もいいのでいますけど、食うに困ったら即抜ける程度の忠誠心ですよ?」
信徒が聞いたら激怒しそうなことをあっけらかんと言ってのけるレアヴェル。
なんとも、兄と比べて随分と平凡な娘だ。腕が立つのだけは似ているかもしれないが、その内面はそこいらの村娘に近いものがある。これではヤサエルが僻地へ飛ばされた後の針の筵に耐え切れないはずだ。
もしかしたら、ヨラン司祭は彼女のこういった部分に気づいていたのかもしれない。
もぐもぐとひよこ豆の煮込みを口に運んでいる彼女を見ると毒気が抜かれる気分になるが、それでも彼女はその手で多くの障害を排除してきたジグ側の人間だ。気を抜くべきではない。
「免罪官の力量について聞きたい。お前の兄が飛び抜けて強いのは分かったが、平均的にはどのくらいだ?」
いずれにしろ次はこちらの番だ。
彼女の組織への帰順意識が低いのであれば、少し突っ込んだ内部情報を要求しても通るかもしれない。目下、澄人教で最も警戒すべき免罪官の腕前を知っておきたい。
もしヤサエル級がごろごろいるというのであれば、ジグは尻尾を巻いて逃げ出すことも辞さないつもりであった。運良く勝てたが、あんなのばかりが免罪官なら命が幾つあっても足りない。最悪シアーシャの魔術で拠点ごと地の底に埋めることも視野に入っていたが、どうやらそうでもないらしい。
「ちょっと。素手だから呆気なく負けましたけど、武器ありならあそこまで簡単にはやられませんからね?」
侮られたと感じたのか、両手に骨付き肉を持ったレアヴェルが威嚇するように構えた。
徒手空拳は単なる力以上に体格差体重差が物を言う。レアヴェルは女性にしては高いが、体の厚みを考慮するとジグとの体重差は倍近いはずだ。魔術無し武器無しでは勝負にならない。身長二メートルのジグとまともにやり合えるヤサエルが異常なのだ。
「分かっている。あの場に一人、眼帯を着けた女がいただろう。奴を基準にしてくれ」
「……ああ、あの僧兵崩れの。ふぅん……筋は悪くはなかったですけど、免罪官には一歩足りないですかね。何か奥の手があれば、引っかかりそうではあるんですけど」
骨付き肉をくるくる回しながら、思案気に彼女はエルシアを評した。
彼女の腕前でも免罪官には届かない辺り、やはり平均値はかなり高いようだ。奥の手として十二分な龍眼を考慮すれば、アレを使用したエルシアより少し下がるくらいだろうか。
龍眼使用の負荷を考えるとエルシア以上、イサナ以下と言ったところか。
冒険者の上澄みと同等な者が複数いると考えると、やはり免罪官とは油断できるような相手ではない。
「一応聞くが、お前はどのくらいだ?」
もののついでにと尋ねてみれば、レアヴェルは顔の表情を抑えて口元に微笑みを浮かべた。
目元口元は笑っているはずなのに、眼は少しも笑っていない……そんな表情。
「―――試してみます?」
腹の底が見えない、実力者の貌。
店内の温度が下がったかと錯覚するほどの凄味すら感じる。
流石は免罪官、大したものだ……鼻の頭にソースが付いていなければだが。
魔女と傭兵六巻下、本日発売です!
加筆部分にはジグの師匠たちが活躍しておりますので、是非!
※なお書籍版の加筆部分は幕間や裏話、投げっぱなし伏線等々、本編の大筋には絡まないお話です。読まなくても大丈夫ですが、読むとWEB版の更新をより楽しめる方式となっております。




