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長話で喉が渇いたと口にするヨラン司祭へレアヴェルが水筒を渡している。
殺気立つファミリアや暴力も辞さない冒険者たちに囲まれているのに随分と落ち着いているものだ。
「しっかし、なんて言えばいいのか……どういう神経してりゃアレをとっ捕まえようなんて考えになるんだ?」
実際にあの化け物を見た者からすれば、ハインツの言葉に同意するしかない。
あの大きさにあの異常性。動きを封じるだけでも一苦労だが、仮に動きを止めても魔術がある。人間ならばともかく、無数の触腕が持つ口による魔術詠唱など止めようがない。
「とてもじゃねぇけど、人に御せる代物には見えなかったぜ」
「ふむ……? 少し私の見解とは異なるようですが……レアヴェル免罪官?」
澄人教の高僧ともなると持ち運んでいる葡萄酒すら高級なものらしい。
口の端から香り豊かな葡萄酒をこぼしたヨラン司祭が首を傾げて傍らの彼女を見上げる。
「そのことで、私からご報告が」
レアヴェルは手拭いでそれを拭き取ってやると、見たものを説明する。
「例の魔獣ですが、当初私たちが遭遇した時よりも巨大化しています。目算ですが体長だけで五倍はあるかと。危険性も遥かに増しており、巨体による攻撃と触腕による手数は勿論のこと、複数の口による魔術詠唱まで行いました。生け捕りはまず不可能とお考え下さい」
「なんと……!? この短期間でそれほどの成長をするとは……ははは。いや、我らがご先祖様の御力には驚くより他ありませんな」
「ええ全くです。襲われた時にこの強さでしたら私共も全滅しておりました」
「困りましたなぁ」
はっはっはっと鷹揚に笑うヨラン司祭。
馬車が脱輪したくらいの困り顔をする彼にクロコスの額に青筋が浮かぶ。
直接彼らが関わっていた訳でないにしろ、同じ澄人教の不手際でストリゴに危機が迫っていることには変わりない。他人事のような態度に怒るなという方が無理だ。
今にも爆発しそうなクロコスを見かねたシアンが慌てて口を挟む。
「そ、それで……他に何かあの魔獣の情報はないのですか? 出所や経緯は分かりましたが、どんな特性を持っているとか弱点とかないんですか?」
「不明です。遺跡自体には一切足を踏み入れておらず、当然ながらどういった状態で保存されていたのかも分かりません。そもそも古代に研究されていたはずの魔獣がどうやって今まで生きてこれたのか……」
話が本当ならば、彼らはほとんどとばっちりで襲われただけだ。眠っていた魔獣を起こしたのか、それとも何かの条件を整えて作ったのかは不明だが、外部からそれを察知するのは不可能だろう。
「せめて何か情報が無いと対策も立てられませんね……」
「あの魔獣が人工的に作り出された物ならば、元となった生物がいるはずよ。それさえ分かれば対処の仕様もあるんだけど……実際に戦った人たちの意見はどうかしら?」
伝聞でしか知らないエルシアがジグたちに意見を求めた。
「脚や胴体部分は虫に近いと思うけど……」
「でも斬った感じは動物系だったぜ。甲殻じゃなくて皮と肉……骨の比率が多かったかな?」
魔獣といえば冒険者ということで真っ先にリザとハインツが感想を述べる。
後衛として全体を見ていたリザと、前衛として接触したハインツの意見はとても貴重だ。
「私もハインツ殿と同意見です。魔獣の血の色は赤でした。虫型魔獣ならば緑か黄、青いのが普通……その線はないと見ていいかと」
レアヴェルも混ざった意見交換をシアンがメモしている。条件に当てはまる魔獣がいないせいか、難しい顔のまま視線で先を促した。
「百年単位での長期の冬眠……いや仮死状態か。そんなことを出来る動物がいるのか?」
「いえ、古代の技術ならば生物を長期に渡って保管する方法があるかもしれません。あの魔獣が短期間で急激に成長したことから見ても、眠っていたというより封印されていた可能性があります」
ジグの疑問にレアヴェルが答える。
確かにこの短期間であれほど成長する生物が長期間眠っていたというのは考えにくい。であるならば生物の成長を押し止めて、かつ寿命を削らないような手段がある方が現実的なのかもしれない。そんな時間を止めるような魔術が本当にあるのかは疑問だが。
「そもそもあんな顔の魔獣は見たことがない。目と口のある場所から触腕が生えているくらいなら蝸牛や蛞蝓が当て嵌まるが、奴らとは似ても似つかんしな」
ハインツの言葉を最後に一通り意見が出尽くしたのか、部屋に沈黙が下りた。
「……これ以上は時間の無駄になりそうですね。あの魔獣の脚はハリアンで解析に回しているので、それの回答を待ちましょう。あれだけ大きな脚を落としたのですから、すぐにまた襲い掛かってくる可能性は低いと判断します」
化け物は恐るべき再生能力を持っていたが、無尽蔵ということはあるまい。もしそうならあの場で逃げる必要すらなかったはずだ。
「後手に回るのは避けたいですが、街を護るのが第一条件である以上致し方ありません。見張りを倍に増員して警戒を強化しますので、皆さんはいつでも出られるように準備を怠らぬようお願いします」
シアンは立ち上がって冒険者たちを労うと、ヨラン司祭とクロコスを順に見た。
「エルシアさんとお二人は残ってください。これからのことでまだ話があります」
他の冒険者たちが退室していく中、レアヴェルがヨラン司祭を見た。
彼は目配せだけでそれに応え、次いでシアンに向かって頷く。
「よろしいですとも。私もここまで話した以上、もはや隠し立ては致しません。それに皆さんとはご協力した方が良い結果を得られそうだ」
「黙れ豚。元はと言えばお前の組織が引き起こした不始末だろう。落とし前は付けてもらうぞ」
クロコスがマフィアの長としてケジメを要求する。
身ぐるみ剥いでやろうと意気込むクロコスにヨラン司祭はすっと近づく。
無防備に距離を詰めてきたヨランに警戒を強めて拳を握るクロコスへ、司祭は穏やかな笑みを浮かべたまま囁いた。
「ははは。この件が上手く片付けば大司祭の道も近い。その暁には最大限の便宜を図りましょう。そう、例えば……」
クロコスはほんの僅か、一瞬だけ、彼の笑みに悪魔を見た。
「―――亜人の街を作るとか」
誰にも聞こえぬほど小さく囁かれた言葉にクロコスは目を見開き、握り締めた手を自身の爪が抉るのを感じた。
「さて、面倒なことになったな」
最早口癖になったのではないかと感じる台詞を言いながら、ジグは部屋に戻る。
流石に少し気疲れした。怪我はないが、未知の化け物との戦闘は少なからず精神を摩耗させるものであった。
澄人教共が首を突っ込んできたときには一波乱来る予感はしたが、こういった形での物とは思わなかった。形は違えど、やはり関わると面倒な集団である。
「……古代文明か」
あまり現実味のない言葉を口に出してみる。
ジグの感覚から言えば、古い時代の文明が現代の最新技術よりも上を行くのが当然という感覚はあまり理解ができない。かつていた大陸ではそう言った話を聞いたことはなかった。
栄えていたのに滅んだ。
言葉にしてみると簡単だが、一体何が原因で滅んだと言うのか。
戦争が起こせず、人間同士の争いがないとなれば、後は魔獣くらいしか思いつかない。
しかし魔術的にも大きく発展していた過去の時代であれば、魔獣程度の脅威で滅ぶというのはどうにもしっくりこない。
もっと何か大きな問題があったのか、それとも存外大したことの無い積み重ねによるものか。
「……」
現実逃避じみた考えを振り払う。
目の前の脅威から目を背けるとはらしくない。だがそうしたくなるくらいにはあの化け物は恐ろしく、勝ち筋の見えない相手でもあった。
一人では不可能だ。
シアーシャとならば可能性はある。
シャナイアを含めれば現実的な勝ち筋が見えてくる。
そのぐらいの相手。
勝ち目のない相手ではない。
自分だけならばいい。しかしシアーシャを危険に晒してまで挑む相手かというと、疑問が残る。
冒険者たちとは縁もある。彼らを置いて退くという選択に全くの抵抗を覚えないわけでもない。
それでもこのまま戦い続けるべきか否か。
「……護るべき者がいるというのも、難しいな」
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