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「ハッ! あんたらは相変わらず、頭下げるのだけは上手いわね。でも覚えておきなさい。頭ってのはね、立場が上の人間が下げて初めて価値が生まれるのよ」
敬虔な司祭を鼻で笑い、お前の立場など大したものではないと高らかに謳うのは元澄人教僧兵であるエルシア=アーメット。
彼女は眼帯越しにも分かる侮蔑の意思を送りながら、ヨラン司祭をそう嘲った。
彼がどれだけ真摯な態度を取ろうと、見かけだけの説法や仕草など腐るほど見てきているエルシアには通じない。なぜなら彼女もかつては澄人教にあり、表面ばかり取り繕うことが達者な高僧に酷い目に遭わされてきた本人なのだから。
頭を上げたヨランがそれでも動じないのは流石と言うべきか。
彼は痛ましげな顔で法衣を纏った眼帯の女を見やる。
「……あなたが過去にどんな目に遭ったのか、察するに余りあります。その閉じられた眼、さぞお辛かったことでしょう。一人の澄人として、私にはあなたへ贖罪する義務が……」
「あーはいはい。いらないから、そういうの」
エルシアは神妙な空気に持っていこうとするヨランの言葉をバッサリと切る。
取り合う時間すらもったいないと言わんばかりな仕草に、ほんの少しだけヨランの目が細められた。
「下らない茶番はそこまでよ。あんたたちが例の魔獣を知ってるのは分かっているから、さっさとゲロっちゃいなさい。痛い目に遭う前にね」
「まさか、そんな言いがかりで我々を尋問しようと? いくら冒険者ギルドでも、これでは我々も相応の対応を取る必要がありますよ?」
ヨランは標的を個人から組織へ変えたのか、シアンにギルドの総意を問うような質問をした。
これ以上踏み込むならばこちらにも考えがあるぞと、脅しをかけたのだ。
多少やり手であろうと、所詮いち職員でしかないシアンにこの判断は荷が重いと見たのだろう。
「……不確かな情報でギルドは動けません。それが組織間との軋轢を生んでしまうのならばなおのことです」
ヨランの予想通り、そう言って険しい顔をしたシアンが下を向いた。
「ああ、よかった。流石、ギルドの職員ともなれば聡明でおられる。では今すぐにこの失礼な……」
「―――ですが」
言葉を遮ったシアンが顔を上げる。そこに浮かぶ表情を見たヨランは経験から潮目が変わったことを理解した。そしてその潮目を自分が理解できずにいることも。
「確たる証拠があるならば、我ら冒険者ギルドは危険と知りながらその情報を隠す者たちに断固たる態度を取ることを厭いません」
「……確たる証拠などと、世迷言を。ただの冒険者の言いがかりではありませんか」
嫌な予感が一秒ごとに増していく感覚にまずさを感じながら、逃げるタイミングがないか窺うヨラン。
だが部屋にいる者達は誰一人として逃がすつもりはないようで、片時たりとも視線が外れることはなかった。
「やれやれね。閉じられた眼なんて言うからもしやとは思っていたけど……あの腐れ坊主、よっぽど自分の醜聞が広がることを恐れたのね。私のことすら満足に伝えていないなんて」
言いながら、エルシアが一歩前に出る。
彼女はヨランを護るように身構える僧兵たちに構わず、その眼帯を解いた。
はらりと落ちた眼帯から覗くのは紅と黒の双眸。
魔力の流れを読み、人の思考を、未来さえも見通すと呼ばれる忌むべき凶眼。
「……バカ、な……龍眼だと……!?」
想定外の鬼札に初めてヨランの鉄面皮が崩れた。
魔力の吹き荒れるそれは本人の制御すら利かず、意思を無視してあらゆるものを読み取る。
それは如何に内心を隠すことに長けた司祭であろうとも例外ではなく、その思考をある程度見取った。
「へぇ……お金に権力……大司祭狙いかしら? ふん、分を弁えない小物らしいわね。ああ、なるほど。化け物はその立場への足がかりね? あらあら、姿まで知っているなんて……真っ黒じゃない」
「なっ!? くっ……!」
傍から見ればただの言葉の羅列に過ぎない。
しかしそれがただの出鱈目でないことはヨランの動揺ぶりから見てとれた。
一通り見たエルシアは辟易した顔で眼帯を着けなおすと、心底どうでもいい様子でシアンを見た。
「これは知ってるなんてもんじゃないわね。下手をすればこいつらが元凶の可能性すらあるわ。意図的なものか、不慮の事故かまでは分からないけど……まったく。一皮剥けば、どこに出しても恥ずかしい俗物じゃない」
「……エルシアさん、ありがとうございました」
「何か企んでいるとは思っていたが、やってくれるな人間……!」
結果を聞いたシアンが深い深いため息をつき、クロコスが今にも爆発しそうなほどの怒気を放っている。亜人が街の中枢に食い込むのが気に入らないので首を突っ込んできたのかと思ったら、それどころではない化け物を引き連れてきたのだから無理もない。
しかしヨランはその間に動揺を収め、冷めた目つきでエルシアを観察していた。
「なるほど、ひと昔前に僧兵の中から特別な眼を持った子がいたと聞いたことはあった。報告では訓練中の事故で死んでいたはずだが……まさかこうして落ち延びて冒険者などになっていたとは。流石に想定外だったよ」
こちらが素なのだろう。
それまでとは打って変わって、酷く冷たい目つきのヨランにそら見たことかとエルシアが肩を竦める。
「やっぱり坊主とか碌でもないわね。それで、その発言は認めるという意味でいいのかしら?」
「認める? 何を馬鹿なことを……」
彼女の言葉をヨランは鼻で笑うと、酷薄な目だけはそのままに穏やかな表情に切り替えてみせた。
「珍しい眼だ、確かに驚いたよ。……しかし、君の判断でいくらでも内容を変えられるような言葉に何の信用が置けるのだね? どこに物的証拠がある? 発現例の少ない特殊な眼の能力など誰も立証出来はしないさ。そんな不確かなものを根拠に動けるほど組織とは甘くないのだよ」
余裕の態度を崩さないヨラン。
彼の言う通り、エルシアの能力では何の証拠能力もない。言っていることをただの詐欺師とどう区別がつくのか、余人には判断できないのだ。
そんなことは本人が一番理解してる。
「あっそ。じゃああの魔獣の脚をハリアンへ分析に回した後に中央に送るわね。あんたの政敵にご丁寧な抗議文までつけて」
「なっ……!?」
そして今度こそ、本当の意味でヨランの化けの皮が剥がれた。
澄人教本山での権力闘争は激しい。誰もが限りあるポストを狙って足の引っ張り合いに勤しんでいる。そんな所に司祭の不祥事が明るみに出ればどうなるかは想像に難くない。
だがそれらよりも、ヨランはアレの脚を確保したということの方が衝撃だった。
「あ、ありえん! あの魔獣はそこいらにいるのとはモノが違うんだぞ! たとえ一等級であろうと万全の準備を整えなければ太刀打ちできるはずが……!」
「ならあんた御自慢の僧兵に聞いてみれば? そこの赤いのは現場に出てたんでしょ」
言われて今気づいたようにヨランが赤法衣の僧兵を見た。今度は取り繕う余裕もない。
ヨランの目線での問いかけを受けた彼女は、これまでのことにさして関心を示さぬままただ小さく頷いた。
「なんと、一体どうやって……?」
信じられぬ事実にヨランの層になった顎が揺れている。
それを愉快そうに眺めたエルシアが一歩前に出る。
「ま、そういうわけよ。観念して洗いざらい吐きなさい」
「くっ……誰が!!」
焦りを浮かべたヨランの前で二人の僧兵が錫杖を構えた。
物理的な安心感を得られたことで少しだけ余裕を取り戻したヨランが口角を上げる。
「それ以上近づけば怪我では済まんぞ。過酷な訓練から逃げ出した軟弱者が現役の僧兵に勝てると思わぬことだ。……それに、そこの彼女は免罪官だ。この言葉の意味が分からぬほど愚かではあるまい」
「馬鹿な。こんなところに何故免罪官が……!」
告げられた事実にクロコスとバルジが目を剥いた。
彼ら亜人たちにとって免罪官の名が持つ意味は重く、その腕前には畏怖と呼ぶに相応しい感情すらある。そしてそれは元僧兵であるエルシアにとっても同じだ。
「へぇ……随分と余裕あると思ったら、まさか免罪官まで連れているなんてね。たかだか布教の一団に免罪官とは、また随分ときな臭いじゃない」
ちらりと視線を向けた先では赤法衣の免罪官が佇んでいる。
他二人の僧兵と違って構えてもおらず、戦意も見せていない。にもかかわらず、エルシアの眼は眼帯越しに彼女の底の知れなさを感じ取った。
一歩、後ずさりする冒険者たちにヨランが笑みを深くする。
「私の行動にはそれだけの価値がある。余人が口を挟まぬよう、弁えなさい」
「ヨラン司祭」
「数の差程度でどうにかなると思わぬことだ。私に指一本でも触れてみろ? 全員血の海に」
「ヨラン司祭」
「海に……なんだね?」
話の腰を折られたヨランが免罪官の方を見た。
流れが自身に向いたことに気を良くしていたのか、少しだけ不満そうだ。
「我ら僧兵を持ち上げてくれるところに大変心苦しいのですが」
赤法衣の免罪官は少しだけ申し訳なさそうに頬を掻き、困ったような顔で傍らで腕を組む男……ジグを見上げた。他が少し距離を取る中、彼だけは立ち位置を変えず手を伸ばせば肩に届くくらいの距離を保ったままでいた。
「私ではこの男を抜けません」




