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戦力が増え、魔獣の被害が減り、食糧が届いた。
起こったことだけを上げるといいことずくめに聞こえるが、現実はそこまで甘くはないと誰もが気づいている。
原因不明の魔獣襲撃、狙ったようなタイミングで現れた澄人教、不気味な沈黙を保つファミリアたち。
深い事情までは知らずとも、今この街が緊張状態にあることは容易に察することは出来る。それが真実でも、あるいはただの偶然であろうとも。
窮地を助けた見返りとして鉱物資源を始めとした利権を得ようとしているハリアンや、その依頼を受けて稼ぎに来た冒険者たちも例外ではない。見て見ぬふりをしているだけで。
冒険者の中でも亜人たちは妙に浮足立っており、澄人教徒を意識しているのが分かる。
排斥されてきた側としてただ彼らを嫌悪しているだけではない、不気味な空気だとジグは感じた。
「……ひと騒ぎ起きるか?」
こういった空気には覚えがある。相手を意識せぬよう努めて視線を逸らしているこの感じ。
まるで上からの指令で謀がバレないよう、必死に平静を保つ一般兵を見ているようじゃないか。
かつてこの感覚を覚えた時には、ジグたちの傭兵団は大軍相手に囮として殿を務めさせられることとなった。何の通達もなしに突如として正規兵を引き上げた将の手によって。
長年の経験と空気だけでそれを察知していた団長たちが動いていなければ、あの時にジグは死んでいただろう。
ジグは昔を懐かしむように目を細めると、赤子の頭ほどもありそうな芋をねじ切るように二つに割った。割れた芋からふわりと立ち上る湯気が食欲を刺激する。
「あれが初めてだったな。ふざけた依頼主をこの手で殺したのは」
「……ねぇ、どうしてボクを見てそんな独り言するの?」
「いや別に」
もそもそと芋を食べていたシャナイアの文句を無視し、食堂へ視線を巡らせた。
流石はマフィアというべきか、時折出入りしている者たちは比較的うまく隠しているようだ。彼らは騙し騙されのやり取りには慣れている。
しかし魔獣相手が専門の冒険者にはこういった腹芸は個人差が大きく出る。
バルトやレイフにロルフ辺りはすました顔で食事をして腹の底を見せない。
歳の差か、経験の差か、あるいはその両方か。
しかし誰も彼もが上手いとは限らないものだ。
ジグは周囲を見渡すうちにそう言ったことが苦手としている二人を見つけ、標的とする。
神経質になっているのか、それともジグの視線の圧に気づいたのか。
どことなく落ち着かない様子のセブ、噓の苦手なウルバスと目が合った。
「「……?」」
ジグは二人に対し、ニコォと凶悪な笑みを浮かべて見せた。
お前たちが何かを隠しているのを知っているぞと、言外に含ませた表情。ジグらしからぬ感情が乗ったそれにはかなりの圧力があり、横にいるシャナイアが驚いて喉に芋を詰まらせている。
「「……っ!?」」
厳めしい顔の巨漢が浮かべるそれに身を竦ませた二人は挙動不審に視線を泳がせた後、そそくさと食堂から去っていった。バルトたちがやれやれと首を振っているあたりに彼らの苦労が偲ばれる。
「……ふむ。あの二人にまで知らせているとなると、毒殺や暗殺の類ではなさそうだな」
セブとウルバスの態度を観察していたジグはそう推察する。
てっきり澄人教を懐に入れてからまとめて始末する算段かとも思ったが、どうやら違うようだ。
いくら冒険者の戦力をあてにできるとはいえ、あの二人は明らかにそういった分野に向いていない。土壇場で尻込みしてしまうような者に計画を話したりはしないだろう。
芋を喉に詰まらせてじたばたしているシャナイアに呆れ顔のシアーシャが水を渡してやっている。
「ぐっむ…………び、びっくりしたぁ……急におっかない顔しないでよねぇ。なに、亜人たちのこと?」
「うむ。何か企んでいるのは分かるのだがな」
渡された水で流し込んだ彼女が複雑そうな顔でシアーシャへ礼をする。
まだ付き合いの浅い彼女はジグが突然妙なことをやりだすのに慣れていないようだ。
「澄人教が気に入らないんじゃないですか?」
至極当然のことを言うシアーシャはいかにして今日の芋を乗り切るか顔を顰めている。行商人から買った香辛料は味気ない食事を豊かにしてくれるが、決して安い品ではない。毎日の朝食に使用するのを躊躇わせるくらいには。
「それにしては随分すんなり受け入れたと思ってな。結果が同じだとしても、ひと悶着もないというのは不自然だ。……ハリアンでのことを思い出せ。奴らと亜人の問題は根深いぞ」
万が一を考え、最後は小声で付け加えておく。
もちろん彼女が言うように連中を意識しているだけという可能性もある。だが宗教周りの面倒ごとを嫌う冒険者はともかく、ファミリアまでもが大人しくしているのは解せない。いくら組織だったマフィアといえど、裏の人間は激情家が多い。ここまで静かなのは何か理由があるはずだ。
「しかし、ふむ……」
ジグは言葉を切ると、遠目に見かけた司教とかいう男の姿を思い出す。
離れた場所からもわかるほどにだらしなく弛んだ腹や、冬でも暖かそうな三重の首肉。
およそジグの知る立派な僧侶像からはかけ離れている彼が、澄人教のお偉いさんだという。
とある地方宗教では僧の魚を含めた肉食や肉欲、飲酒や蓄財などを禁じ、それら「生臭いモノ」へ手を出す者を生臭坊主と呼んで厳しく罰したとも聞いたことがある。
澄人教がどういった戒律なのか詳しいわけではないが、基本的に宗教とは秩序・道徳を説いて民衆を導く、あるいは操作する役割を持っている。ごく一部の例外を除き、酒池肉林を是とする類の教えではないはずだ。
それが正しい正しくないかはさておき、ハリアンで見たヤサエルやその信徒は教えに対して敬虔であったと記憶している。
「糧の過ぎた大樹の辿る道など得てして決まっているものだが……」
一足先に食事を終えたジグは、芋を頬張る二人の魔女を見やった。働きの褒美に買ってやった蜂蜜を芋にまで掛けているシャナイアへ、シアーシャが信じられないモノを見るような目を向けている。
もしこの想像が正しければ、事は思っているよりも単純ではないのかもしれない。
「……ぐぇっぷ」
耳障りな音が快眠を妨げる感覚に苛立ち交じりのげっぷを吐く。
腹いっぱいに食べたところに酒を飲み、いい気分で寝ているところを邪魔をされるのは何とも不快なことか。
「えぇい、うるさい……入りなさい」
無視して寝ようとするも規則的に叩かれる音は鳴りやむ様子もなく、愚痴を言いながら仕方なしに中に入るよう命じる。
扉を開けて姿を現したのは赤法衣の僧兵だ。ぴしりと伸びた真っすぐな背筋と、片時も手放さない錫杖が滑るように部屋に入ってくる。
足音も立てず錫杖の先に付いた遊環すら鳴らない足捌きは、腕に自信のある者なら思わず注視してしまうほどの練度だ。
しかし武に疎いヨランからすれば、居るはずなのに気配も音もしない不気味な女だな程度の認識でしかない。僧兵たちが日々高めている腕も、彼の立場からすれば便利な駒でしかなかった。
「何用ですかな?」
ヨランは意識を切り替えると、先ほどまでの眠たい態度など微塵も感じさせずに穏やかな様子で接する。
この変わり身の早さだけは大したものだ。
(寝起きの文句が聞こえていたことも、口臭交じりの酒臭さも考慮しなければ、ですが)
内心で考えたことなどおくびにも出さず、赤法衣の彼女はフードを目深に被ったまま軽く頭を下げる。
こんなのでも相手の顔色や内心を読み取る能力だけは侮れない。司教という立場はそれくらいできねば維持できない、権力闘争の末に勝ち取った立場なのだ。
「ハリアン支部への支援要請を出していた者が戻りました」
要件を伝えた途端、ヨランの額を脂汗が伝った。心なしか体も震えている。
彼が汗をかくと部屋が臭くなるので、そんなに緊張しないで欲しいなと彼女はひっそりため息をついた。
「そ、そうか……して返事は?」
「それが……」
動揺を押し殺した声で投げかけられるも、赤法衣の護衛はわずかに口ごもった。
それだけ信じられぬ報告が上がってきたのだ。この話をヨランに上げる前に、自身の目で確かめたくなったくらいには。
「何か問題かね? まさか、司教の要請を断ったとか……」
「いえ、違います……落ち着いて聞いてください」
命令を断られる苛立ちが恐怖を少しだけ上回ったのか、いつもの調子を取り戻したヨラン。
「―――ハリアン支部は乗っ取られました。現地の有力な信徒はその全員が行方知れずとなっており…………免罪官、ヤサエル=バーロンは死亡したと推測されます」




