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磨き終えた双刃剣を置き、次は胸当てに手を伸ばす。
重量のある双刃剣はごとりと重い音を立て、レナードが怯えるようにびくりと身を竦ませた。しかし珍しい武器に興味はあるのか、恐る恐る顔を近づけている。
「おっかねぇなあ……そいつが旦那の得物かい。こりゃまた随分なイロモノだ……なんでまたこいつを?」
「用途に応じて使い分けているだけだ。……わざわざそんな話をしに来たわけでもあるまい。何の用だ?」
鱗が数枚砕けた砂塵蛇の胸当てを確かめながら、レナードへ視線を飛ばす。
既知の友人のような気安い空気で話しかけてはいるが、彼はマフィアだ。その態度を額面通りに受け取るほどジグは楽観的ではない。
情報を集めるのもレナードの仕事なのだろう。世間話のようでいてどこか探るような会話運びには、元居た大陸で世話になったコサックに近しい雰囲気を感じられた。
剣呑なジグの視線に、背中を叩きつけられて鼻先を潰されたことを思い出したのか、レナードが鼻を押さえてぶんぶんと首を振る。
「ち、ちげぇって! この前の礼と、様子を窺ってきて欲しいってオヤジに言われたから……相手の事情探る会話は癖みたいなもんさ」
怯え混じりの彼に嘘を言っている感じはなかったが、演技や腹の探り合いと言う面で本職に到底及ばないのはカスカベの件でも痛感している。
ジグは手入れの方へ意識を戻すと視線だけで話の先を促した。
「いやさ、オヤジはきっと旦那になんか頼みてぇんじゃないかな? ここ最近、冒険者連中に旦那の評判を聞きまわって来いって頼まれたんだよ」
「それを俺に聞かされてもな。言いたいことがあるなら直接くればいい」
「その辺はほら……俺のあずかり知らぬところだし、下手に意見すると殴られるし……」
言いながらレナードは背嚢から葡萄酒を取り出すと、木栓を牙で引っこ抜いて吐き捨てる。
仕事で溜まった鬱憤を晴らさんとばかりに瓶を勢いよく呷る。尖った口の構造上、端の方から紫の液体がこぼれて床を濡らした。
一気に三分の一ほどを飲むと、汚した口を服の袖で荒っぽく拭う。
あまり上品な飲み方とは言えないが、実に美味そうに飲むものだ。
「ん」
飲みかけのそれをレナードが渡してくる。
ジグは深く考えずにそれを受け取ると、仕事に支障が出ない程度に口にした。芳醇な葡萄の香りが鼻腔を刺激し、程よい酸味と苦みが口内を満たす。
「……」
ジグが飲むのをじっと見つめてくる狐目に初めは毒を警戒したが、舐めるように舌先を触れさせたそれにおかしなところは無い。口を付けて呷ると、同じく三分の一ほどを減らして返してやる。
「美味いな。以前行った葡萄酒貯蔵庫にあった品か?」
「……ああ。まあね」
頬の白毛の一部を紫色に染めた彼が受け取った。
何事か考えているのか、わずかに語調の大人しくなったレナードが瓶を見つめている。
まさか思ったよりも飲まれて機嫌を損ねたのか?
‟お前の一口はデカい”と同僚に苦言を呈されたことのあるジグは、内心でそんなことを心配しながら胸当てを置く。損傷はあったが芯が痛んでいるようなことはなく、砕けた鱗の代わりに鉄板でも仕込んでおけば当座は凌げそうだ。
「……旦那はさ、汚いとか、思わねぇの?」
しばらく大人しくしていたレナードが口にしたのは意図の分からないものだった。
それまでのどこか軽薄に演じていた口調ではなく、どこか重くて湿度のある、ある意味でこの街に相応しい声音。
飲み過ぎたことを怒っているわけではないと分かったジグは、彼の変化に気づかぬまま意識を手甲の点検に向けていた。仕事に関することが目の前にあると、他のことにはあまり頓着しないのは彼の悪癖であった。
「うむ、そうだな……その口でこぼさずに飲めというのは酷だろう。動物のように皿に入れて舌で舐めろとは、流石に思わんよ」
手甲についた細かい傷を鑢で均しながら、どこか適当な口調で返した。
ジグ本人としては、ながら口調で適当に返事をしたつもりだった。
しかし彼の風体と低い声が与える印象は他人にそうとは取られず、どこか重みすら感じる深い言葉になってしまっていた。
付き合いが長く彼を良く知る人物……シアーシャなどであれば、ジグがなにも考えずに反射で話していることに気づいたであろうが。
ゆっくりと、返ってきた瓶をレナードが握る。
亜人である自分が口を付け、人間が口を付けて返したそれを。
「…………分かったよ、旦那。旦那の考え方は、良く分かった」
「そうか」
「近々、オヤジから話があると思う」
「うむ」
「俺たちにとっても大きな意味がある話だ。是非、聞いてやってくれ」
「成程」
真剣な言葉と適当な返事は悲しいほどに交わらず、しかし誤解が生じていることにも気づけない。
点検を終えた装備を身に着けながら、‟飲まないならくれないかな”なんて思いながら葡萄酒に目を向けているジグの視線の意味など、彼には知る由もなかった。
「ん、グっ!」
レナードが握り締めた酒瓶を一気に飲み干す。
酒のせいか、何かに感じ入ってか。禿げた頬を赤く染めた彼は立ち上がると、興奮気味に牙を剥いて笑った。
「旦那! あんたおっかないけど、会えてよかったぜ。じゃあな!」
意気揚々と、機嫌よく尻尾を揺らしながら去って行くレナード。
靴音も高らかに屋敷の扉を開け放つ彼を見送ってから、ジグはぽつりと口にした。
「……結局、なんだったんだ?」
土がうねり、凹凸の激しい大地が平らに均されていく。
身の丈ほどもある土の腕が巨大な瓦礫をかき集めるさまは、巨人の工事現場を思わせる。
「いやはや、本職の魔術師とは凄まじいものですな。長いこと剣を信じて腕を磨いてきましたが、この光景を見るとそっちの道を選んだ方が強く成れたのかもしれないと、揺らいでしまう」
補助程度だが同じ土魔術を扱うタイロンが苦笑いをして頭を掻いた。
長い経験を活かして大剣を巧みに扱う三等級の彼をしても、そう言わしめる程の魔術行使。
「あの娘、本当に七等級なの……? 二等級魔術師だってこんな芸当出来ないわ」
見渡す限りに広がっていた瓦礫は片づけられ、荒れ放題だった大地は大金を掛けて整備された道と遜色ないほどだ。
この作業が始まってからエルシアは眼帯越しに見える光景が信じられず、幾度もずらしては龍眼で確かめていた。忌々しくも頼もしい龍眼で見てわかったのは、夥しいほどの魔力が惜しげもなく使用されていることだけ。
それすらも彼女の全力ではなく、時折近づいてくる魔獣ですら片手間に対応してのけた。
「……あの男を従えている時点で並じゃないのは分かっちゃいたが、流石にこれは……」
二刀を下げたザスプが苦々しい顔で腰の得物に手を当てた。
天才と称されていた彼だからこそ、自身を大きく超える本物の天才を前にして言葉もないようであった。
人外に片足を突っ込んでいるとまで言われる三等級冒険者たち。
彼ら全員の畏怖を向けられる本物の人外であるシアーシャは、終わりの見えてきた整地作業に歓喜の声を上げた。
「やぁぁああーっ、と終わりそうです……広い範囲を均すのって意外と大変なんですね……」
やれやれとばかりに肩を回した彼女はため息を漏らした。
魔力はまだまだあるし、魔術を行使するだけならこのまま何日でもできる。しかし力尽くで出来ない作業とは存外に気を遣うもので、肩が凝る難行であった。
基本的に、魔術で作り上げた物は長持ちしない。
どれだけ魔力を籠めて何かを作ろうとも、術者の制御を離れてしばらく経つとボロボロと崩れ去ってしまうのだ。
だから残る何かを創るには未だに人の手が必要で、魔術はその補助に過ぎない。もっとも、補助に過ぎないと言ってもその効果は絶大なのだが。
だから整地ひとつとっても、魔術で直接操作して地面を平らにするのではなく、魔術を使った別の何かで間接的に整える必要があった。
本来ならばこの後に砂利や石を敷き詰めて街道にするのだが、今はその余裕がない。もっと街が復興して、余裕が出てきてからとなる。満載にした荷馬車が通るには少し安定を欠いているが、これ以上は高望みというものだ。
「よっ、御苦労さん! 姉ちゃんすげぇな」
「あんたのおかげで随分楽をさせてもらったぜ。今度奢らせてくれ!」
傍から見れば異常とも言えるシアーシャの魔術。
しかし現場で仕事をしている者からすれば、それが危険かどうかはどうでもいい。終わりの見えぬ瓦礫撤去を前にして絶望していた者たちからすれば、彼女はまさしく救世主であった。
「え? は、はあ……」
戸惑うシアーシャに構わず、作業員たちは口々に彼女をほめそやした。
「大したもんだぜ。おまけに美人だ!」
「うちの倅に紹介させてくれねぇか?」
「バカ、てめぇんところの冴えない小僧にゃ釣り合わねぇよ!」
「ちげぇねぇ!」
「…………」
不特定多数から向けられる好意的な視線に慣れていないのか、シアーシャは恥ずかしそうに黒髪を指でくるくると弄るだけであった。
自分のやりたいことのために冒険者になったシアーシャだが、こうして誰かに認められるのは決して悪い気分ではなかったのだ。
なんでだ、なぜかレナード君が間接キスに興奮しているように見えてきましたね……?




