225
上からの許可は下りたが、見知らぬ顔が突然現場に向かうわけにもいかない。
ジグは食堂で北区を担当している冒険者を探すと、シャナイアを連れて顔合わせに向かった。
半数は知らない顔だったが、ハインツとリザがいるので話を通すのも簡単に済んだ。
「では、しっかりと励めよ」
「やだなぁジグ君。ボクが君との約束を破るわけないだろぉ?」
北区担当の冒険者たちに事情を説明してシャナイアを預けると、彼女にしっかりと釘を刺しておく。
昨日のことなどなかったかのように振舞う彼女に、ジグは眉間をぴくりと動かした。
「笑えん冗談だ」
真顔のままふざける彼女の頭を片手でむんずと掴み、ゆっくりと持ち上げていく。
華奢とはいえ大人一人を軽々と持ち上げる光景に他の冒険者が若干顔を引きつらせた。
ジグはぷらぷらと揺れる彼女に顔を近づけると、腹に響く低い声で恫喝する。
「お前が約束を守っていたのならば、今の状況はない……違うか?」
「ご、ごめんなさいぃ……わ、割れちゃう! 頭割れちゃうから下ろしてぇ!」
ミシミシと頭蓋骨が上げる悲鳴にシャナイアが必死でジグの手をタップしている。
ジグは彼女を掴んだままハインツとリザを始めとした冒険者たちに頭を下げた。
「見ての通りふざけた奴だが、魔術の腕は一流だ。精々こき使ってやってくれ」
「お、おう……なあ、その娘ぐったりしてるけどいいのか?」
ハインツがだらんと動かなくなったシャナイアを心配して声を掛けるが、こういう手合いに情けは無用だ。何しろストリゴ住みなのだから、死んだふりくらいはお手の物だ。
しばらくそのまま放置すると我慢の限界に達したのか、突然じたばたと暴れ始める。
呆れた顔でそれを見たリザが肩を竦める。
「どんな奴でも戦力が増えるなら今は有り難いよ。でも大丈夫? 結構男所帯だけど……」
リザの懸念は至極もっともであった。
北区担当は彼女を除いた他の冒険者は全て男だ。仲間もいて自衛もできるリザならばともかく、見るからに後衛専門のシャナイアでは強引に襲われた際に対処できないと感じるのだろう。
シャナイアの容姿は女慣れした者の多い冒険者でも刺激が強い。
現に幾人かは鼻の下を伸ばすか目を奪われており、リザがハインツの脛を蹴っ飛ばしている。
「先に言っておくが、こいつは見てくれはいいが手を出すのはお勧めしない。止めはせんが、死んでも責任は取らんのでそのつもりで頼む」
「そんなに凄いの?」
「俺よりはな」
今度こそ本当にぐったりとしたシャナイアをリザに引き渡しながら男たちに警告する。
ジグはあまり真剣には受け取られないだろうなと考えていたのだが、彼らは思いのほか真面目にその忠告を受け取ったらしい。顔を引き締めるとシャナイアから一歩距離をとった。
「……? まあ、慎重なのはいいことだ」
本人は気づいていないが、数々の異常な魔獣事件に関わってきたジグは傭兵でありながら冒険者たちの話題に上がることが多くなっていた。
また到着初日に魔獣の群れへと真っ先に突っ込んだ斬り込みに加えて、昨日の特異な魔獣撃退などの戦果は噂話だけしか知らない冒険者たちの中でも一定の評価を得ていたのだ。
ジグは他者にいくら舐められようと気にしないし、自身の評価にも頓着しない。
しかし彼が積み上げてきた仕事への姿勢と成果は決して彼を裏切ることはない。
徐々に、しかし確実に。周囲の評価は変わっていたのであった。
屋敷のロビーの端。目立たない場所で目立つ図体を丸めて外した装備を点検しているジグがいた。
冒険者たちが各担当場所に向かって行く中、ジグのやることと言えば一人屋敷で待機するだけ。
遊撃と言う名目だが東と北に魔女が配置された以上、ジグが気にするべきは西と南だけでいい。というより、魔女の手に負えない魔獣が出てきたらジグが加わったところでどうしようもない。
この前のような異質な魔獣がそうそう頻繁に現れるはずもなく、ウルバスたちもバルトたちも冒険者としての実力は確かだ。多少の余裕は出来たと考えていい。
呼ばれるとすれば仇猿のように群れを成す魔獣が押し寄せてきて単純に手が足りない状況だろうか。
はっきり言って暇だ。しかし連日カスカベの所に押しかけて仕事の邪魔をするのも気が咎める。
崩壊間際の窮地を脱したことでギルド職員の忙しさはピークに達している状態だ。全体作業の指示と進捗確認、物資の在庫と不足している物の手配などなど、やるべきことは多岐に渡る。
‟事務方を怒らせると後が怖い”
昔からそれをよく理解しているジグは余計なことをせずに装備の手入れに専念した。
特に武器の確認を念入りに行う必要がある。
気になっているのは風来鮊の鋸尾との激突に加え、シャナイアの魔術を幾度も斬りつけた刀身部分だ。
頑丈かつ魔術にも強い血晶纏竜の頭角だが、流石に相手が悪い。
よもやまたしても武器買い替えか?
掛けた費用を思い出して青ざめた顔をし、祈るような心持ちで刀身を確かめる。
「……ん?」
指先の違和感に声を漏らす。
いや、刀身を撫でる指先に違和感はないのだ……それがおかしい。
もう一度確かめるようにゆっくり撫でるも、返ってくるのは滑らかな感触だけ。
「どういうことだ?」
顔を近づけて目を眇めるが、血のような結晶に映るのは自分の顔だけ。
あれだけの激しい打ち合いをしたというのに刀身に傷がつかないはずはない。
特にシャナイアの黒い繭を打った一撃は、下手をすれば罅すら入っていてもおかしくないはずの力を籠めたはずだ。
だというのに武器には損傷らしい損傷はなく、赤黒い刀身にはまるで新品同様の輝きすら感じられる。
「そういえば……」
昨日の夜。シャナイアとの戦いの最中、この武器は薄っすら光っていたような気もする。
あの時は魔女との戦いで余裕もなく、彼女の魔術と打ち合った魔力残滓か何かかと気にも留めていなかったが……
「……ガントに聞いてみるか」
とりあえずは後回しにしておく。
理由は不明で少し気味が悪いのは事実だが、武器に傷がないのは悪いことではない……はずだ。
そして気味の悪さと四百万ならば、ジグは前者を許容することを選ぶ。
「実は生きているとか言い出さんだろうな……?」
得体の知れない、しかし頼もしい武器に一人問いかけながら布で磨いていく。
金属製ではない武器であろうと、手入れには油を染み込ませた布を使うというのだから不思議だ。本格的な研ぎなどでは魔石を削り出した際に出る粉などを使う時もあるらしいが、個人で手入れをするときならばこれで十分らしい。
結晶はともかく、以前使っていたのは蟲の角だったのだが……
そんなことを考えながらキュッキュと音が出るまで布を動かすことしばし。
背後から誰かが近づいてくる気配に気づいたジグは、磨いた刀身で背後を映す。鏡のようにとまではいかなくとも、輝きを取り戻した刀身は背後を見る程度なら十分だ。
「よっ旦那! 何してんの?」
刀身が映し出すのは一人の亜人。
「見ての通り、手入れ中だ。抜け毛を落とすなよ?」
ジグは出来栄えに満足いったのか、声の主を見もせずに布を刀身に巻きつけていく。
馴れ馴れしい声を掛けてきた狐亜人、レナードが断わりもなく向かいに腰を下ろした。
「心配ご無用! 俺の毛並みはいつでも完璧だ……と言いてぇところだけど、流石にちょっと荒れ気味だぜ……」
刀身に布を巻いたジグは武器を置くと、しゅんと耳を伏せたレナードを見やる。
過酷な環境にいたせいか、抜け毛こそないものの確かに荒れているところが見受けられた。それでも最低限の手入れをされているのは流石と言うべきか。
余程人手が足りなかったらしく、彼も前線に駆り出されていたらしい。
頬に走る傷跡は真新しく、まだ治りきっていない部分は毛が生えていなかった。
「ほう、男前になったじゃないか」
「あ? ああこれね……こういうのは俺の美学とは違うんだけどな」
レナードが禿げた部分を恥じるように撫でてため息をついた。
口ではそう言っているが、街を護るために体を張って負った傷跡は誇らしさすら感じられるものであった。
どんな形であれ、自らの役割に対して真摯な者にはジグは少しだけ甘かった。
この前聞いた失言をなかったことにしてもいい……そう思えるくらいには。