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味気ない食事を続けながらシアーシャと今日の配置について話す。
彼女は昨日に続いて今日も東区の防衛兼土地整備を担当するとのことだ。
魔獣の被害は外縁部が大きいが、方角ごとに顕著な差があるわけではない。東区を重視しているのは単純に重要度の違いによるものだ。
あと数日で到着するという予定の商隊を迎えるための準備を万全にするためだろう。満足に食料自給もできない今のストリゴにとって、ハリアンからの援助は生命線となっている。たとえ他の区画の犠牲が増えようとも、これを怠るわけにはいかなかった。
「ジグさんは今日も遊撃なんですよね?」
「そうなるな。昨日の魔獣がまた来ないとも限らない以上、一定の備えはいる」
口ではそう言いつつも、実際にあの魔獣がもう一度来る可能性は低いとジグは踏んでいた。
好戦的ではあったが魔女からの威圧で撤退を選ぶ程度には慎重でもある魔獣が、二人に増えた魔女の居るストリゴへまた戻ってくるとは思えない。
それでもまだ見ぬ危険な魔獣はいくらでもいるので油断はできないのだが。カスカベの言っていた正体不明の魔獣の話も気に掛かっている。
昨日の整地作業と小型魔獣に荒らされたことを思い出したのか、シアーシャが詰まらなそうにため息をついた。
「いいなぁ……私もそっちに混ざりたいです」
「諦めろ。シアーシャの土魔術は人類にとって有益過ぎる」
彼女の扱う魔術が火や風であればその要望も通ったのだろうが。
本来かなりの人手を必要とする大規模な整地を一人でこなし、魔獣の防衛すらも可能。しかも周囲への影響を配慮した上でだ。本人の気持ちはともかく、今のストリゴにこれだけ有用な人物を遊ばせておく余裕などなかった。
「もうすぐ第二陣の支援隊が到着する。それまでの辛抱だ」
「はーい」
ぶすっとシアーシャが頬を膨らませているのを指で突いて空気を抜いておく。
ぷすーと間抜けな音を立てるのに苦笑したジグが席を立つ。普段は先に食べ終えてもシアーシャが食べきるまで待ってくれるので珍しいことだ。
「何か用事ですか?」
「ああ。奴の件で、少し話を通しておかなくてはな」
そうしてジグがロビーの方へ視線を向ける。
端にあるソファでは、真っ黒い影がもぞもぞと食堂からの喧騒から逃れるように身を丸めていた。
「現地の協力者……ですか」
大きなテーブルで書類で埋め尽くして仕事をしていたシアンは困惑気味にシャナイアに視線を向けた。まだ眠いのか頭をふらふらと左右に揺らして口を半開きにしている様は、ジグの提案に疑念を抱かせるほどの間抜けさだ。
来て数日だというのにシアンの顔には疲労が浮かんでいた。人手も物資も全てが足りない状況で街の基盤を立て直す作業の困難さはジグには想像もつかない。
多少命を危険に晒したとしても、剣を振っているだけでいい自分は気楽なものだ。そう思わせるだけの苦労がシアンの顔からは滲み出ていた。
今回の提案はそんな彼女の懸念を取り除く……とまではいかなくとも、軽減してくれるだけの価値はある話だ。
「こんなんでも魔術の腕前は相当なものでな。戦力にはなる……おい」
すぱんと軽めに頭を張ってやれば、ようやく目が覚めたのか口元の涎を拭いながら伸びをする。
シアーシャも朝が弱いが、彼女もそうらしい。
裸族や蜂蜜に強い関心を抱くことなど、二人には共通する点が所々に見受けられる。これが単なる偶然なのか、魔女という種による特性なのかは未だ判断がつかない。
魔女の生態は謎が多いので、これからも観察を続けてみようと決めるジグであった。
「ん……あぁ……おはようジグ君。それで、これはどういう状況だい?」
「彼女が冒険者のまとめ役をやっているシアンだ。街の防衛にお前を使う件について、彼女に話を通しておいた方が何かと都合がいいんでな。挨拶しておけ」
ジグに促されて金の瞳をそちらに向けると、シアンが目を丸くして呆然と呟いた。
「綺麗な人…………あっ、失礼しました」
思わずこぼしたシアンの賛辞に気を良くしたのか、まんざらでもなさそうに笑みを浮かべる。
「ふふん、正直な娘だねぇ……ボクはシャナイア。ジグ君とはそうだね……一夜の関係ってやつかな?」
「……と言ってますけど、どうせもっと殺伐とした関係なんでしょう?」
あえて勘違いさせるような、含みを持たせた物言いのシャナイアはとても淫靡な気配を漂わせていたが、シアンは冷めた態度でジグへ真意を求めた。
「俺に依頼をしておきながらそれを反故にした奴だ。舐めた真似するから殺そうとしたんだが……こいつの力は今のストリゴに役立つ。精々、タダでこき使ってやろうと思ってな」
「そんなとこだろうと思いました」
「……話が早いな」
意外なほど物分かりの良い反応に肩透かしを食らった気分だ。
出会った当初であればシャナイアの話を真に受けて不潔だなんだと糾弾してきただろうに、随分とこなれた対応を見せるようになった。
「あなたがどういった行動原理で動いているのか、私なりに理解しているつもりです。それに……」
シアンはそこでそっと遠目をした。
「ここに来てから色々見ましたから……正直、もう不潔だとか不純だとか、どうでもよくなっちゃって……」
「……そうか」
比較的平和な場所で仕事をしていた彼女にとってこの街は刺激が強すぎたようだ。人の命が雑草よりも簡単に失われていく異様な環境は一人の価値観を変えるのに十分過ぎたということか。
たった数日で随分と老け込んだ顔を見せるようになったシアン。
彼女がここに来ることの一因となったジグとしては、なんだか居たたまれない気持ちになるのであった。
気を取り直した彼女が頷くと、書類に埋もれた防衛配置図を掘り起こす。
「話は分かりました。あなたの推薦であれば実力は間違いないでしょうし、今は身元が云々などと四の五の言っていられる状況じゃありません。すぐにでも働いてもらいましょう。報酬に関しては……」
「いらん。違約金代わりの強制労働だ。外部協力者である俺の独断行動として、仕事の評価に反映してくれればいい。その代わりと言っては何だが、食事の配給と空き部屋を一つ融通してくれないか? こればかりは金だけではどうにもできんからな」
飢えを凌ぐのが精一杯のここでは金があっても売買など成り立たず、離れた場所にいてはいざという時に連絡がつかない。
シアンはジグの要請を許諾しながら、先ほどより幾分明るい顔で配置図をトントンと指で叩いた。
「手配しておきましょう。シャナイアさんには……そうですね、北区を担当してもらいましょう。上手くすればあなたの負担も小さくなるはずです」
「助かるよ」
魔女を配置できれば一区画を防衛する戦力としては十分過ぎる。
そして東と北を任せられればジグも遊撃として東奔西走する必要がなくなる。移動の消耗が少なくなるのは体力的にも時間的にも大きな利点だ。
細かに書き込まれた配置図を見たシャナイアが呆れ混じりの息を吐いた。
「……本当にこんな街を護るつもりなんだねぇ。おかしなことをするもんだ、」
‟人間って”
口にせず飲み込んだ言葉の意味を知るのはジグのみ。
横目で見たシャナイアと目が合った。
皮肉気に歪められた金の瞳が何を思っているのか、ジグには想像することしかできない。
強大な力を保有し個で完結している魔女には、助け合うことの利点が理解できないのかもしれない。たとえそれが利害関係からくるものであろうと。
「ああ、そうでした。今朝がた連絡がありました。支援物資を積んだ商隊と護衛の冒険者が到着するまであと四日です。大変なのは重々承知していますが、それまで何とか持ち堪えてください」
ストリゴまでの距離は大体七日から十日は掛かる。
転移石板を使用すれば一日足らずで移動できるが、あれは大量の物資や人員を運ぶのには向いていない。時間を掛ければ出来ないことはないが、それではハリアンに溜まっている依頼が停滞してしまう上に、冒険者たちの生活にも支障が出てしまう。
「四日か。早い方だと言うべきなんだろうが」
昨日一昨日を鑑みると、あまり余裕のある日数とは言えない。シャナイアから聞いている魔獣の特性を考慮すればなおのことだ。
それを知らないながらシアンも同意見のようで、険しい表情をしている。
「……そうですね。場合によっては多少の犠牲も許容するつもりです」
意識してなのか、少しぎこちなさの残る冷たい口調でシアンが言った。
彼女の言う許容の意味が誰にとってのものなのかは、今さら口にする必要もないだろう。
「そうならないことを……祈っていますが」
無言で首肯したジグが背を向ける。
彼女がそう決めたならジグが口を挟む余地はない。雇われ傭兵は自分の仕事をするだけだ。
ジグの後に続いたシャナイアがくるりと振り返って悪戯っぽく笑った。
「願うのは良いけど、祈ることはお勧めしないよぉ」
初めて会った時にも使っていた、似ているようで違う言葉。
言葉としての意味は同じでもそこに籠められた意図は違うという、彼女の意思が感じられる物言いであった。




