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遅くなって申し訳ない……原稿と棚卸しに押しつぶされそうになっておりました
その日はもう遅いからと、明日また詳しく聞くことにしてその場は解散した。
特にジグの疲労は顕著だ。
昼の風来鮊に加えて魔女との戦い。戦闘そのものは短い時間だが、肉体と精神に掛かる負荷は相当なものになる。
夜も遅かったのでシャナイアには毛布だけ渡してロビーのソファを使わせてある。明日あたり適当な口実を付けて空いている部屋を融通してもらうとしよう。
当然だがジグたちの部屋に入れる選択肢はない。寝首を掻かれる心配もあるが、それよりも魔女同士を同じ部屋に入れておくことで起きる問題の方が恐ろしかった。
調理する間も惜しいとばかりに硬いパンと干し肉だけの夜食を摂り、倒れるように寝台へ身を預ける。
「……疲れた」
口に出すとそれまでの疲労がどっと肩にのしかかってくるような気がした。
元より楽な仕事にはならないと覚悟はしていたが、まさかここまで疲れる羽目になるとは思ってもいなかった。魔女の方は受けた依頼とは別口ではあるが。
長丁場になるのに初日からこれで大丈夫だろうかと心配になってくる。
「……戦争が起きない、か」
シアーシャの寝息が控えめに聞こえる中、ジグの独り言がこぼれる。
疲労が眠気を誘う中でも思い浮かぶのは、シャナイアの口から語られたことであった。
人が集まり魔力を活性化させるとそれを感知し、諸共を飲み込む魔獣の群れ。
善悪問わずに戦争そのものを強制的に止めてしまうその現象を、そういうものとしてこの大陸の人間は受け入れている。
だがジグにはそれがどうしても自然なものではなく、何か作為的なもののようにしか感じられなかった。有史以来絶えることのなかった人と人との争いが、魔獣というただ一つの要因だけでなくなるなどと、随分と都合の良い話ではないか。
「……戦争さえなくなれば世界は平和になるなどと宣っていた奴らが、ここに来たら何と言うかな」
皮肉気に笑いながら寝返りを打つ。
眠気が支配し始めた思考は詮無いことを勝手に考え始める。
もし自分がこの地で生まれたのならば。
あるいはもし、自分の居た大陸に魔獣が生きていたのならば。
大国同士の戦争に巻き込まれて磨り潰されるように滅んでいった故郷は残り、自身も傭兵ではなく真っ当な仕事にでも就いていたのかもしれない。
「ふっ……下らんな」
詮無いことだと、自身の想像に呆れてしまう。
ジグはそれを鼻で笑い飛ばすと、眠気に身を任せて意識を闇の中に落とした。
寝て起きれば疲れが取れるのは若い証拠だと言っていたのは、確か団長だったか。
若いせいか、それとも体が丈夫なせいか。どちらかは不明だが、激戦続きでも起きたジグの体に昨日の疲労は残っていなかった。強いて言うなら空腹感くらいか。
身を起こして伸びを一つ。体の調子を確かめると立ち上がって今日の準備をする。
ぷすーぷすーと可愛い寝息に視線をやれば、シアーシャが寝台であられもない姿を晒している。
肩紐の外れた薄手のネグリジェからは白い肌が覗いており、布越しに形のいい乳房が寝息に合わせて上下している。朝から目の毒だ。
「そっちの欲が強いわけではないんだがな……」
初心というわけでもないのに、未だに魔女の美貌に慣れることができない自分を恥じる。
前に娼館を利用してから随分ご無沙汰だ。そろそろ適当に発散しておきたいところだが……
「この街にまともな娼館があるのか?」
娼婦自体はいくらでもいるだろう。
というか、金を渡せばその辺にいる一般人でも簡単に股を開くのは想像に難くない。
だからこそ迂闊に利用できないのが困りものだ。
娼婦には大雑把に分けて二種類ある。
公娼と私娼。認可されているかいないかの違いだ。
ジグは基本的に私娼には手を出さない。公娼の方が値は張るが、病気を貰う可能性が低いからだ。
魔力のあるこちらの病気がジグにどれほど影響があるかは不明だが、試してみようという気にはならない。全身に薔薇のような発疹が広がり鼻や耳が捥げた貧乏傭兵の姿は、未熟だったジグの心的外傷となっていた。
「どっちにしろ同じか」
仮に公娼だと言われてもストリゴの管理体制ではとても信じられない。
もうしばらくはお預けになりそうだ……シアンにハリアンからの派遣を具申でもしてみようか。
うら若い女性にそんな頼みをしようという配慮のないことを考えながら、シアーシャを揺り起こす。
「ぅぉ―――いまねるとこです!」
「……これ以上寝るのか」
寝ぼけた彼女の苦情? を受けながらもなんとか起こし、身支度を終えたら朝食を摂りに食堂へ。
ふらふらと左右に揺れるシアーシャの方向を時折修正してやりながら辿り着く。
シアーシャの冒険者カードとジグの依頼書を名簿管理するギルド職員へ見せて中へ。
こうして名簿で管理しないと二度食べようとする不届き者がいるのだとか。今は食料がいくらあっても足りない状況なので仕方のない処置だ。ジグは二人前の交渉をしていたので文句を言われる筋合いはない。
「……はっ! 気が付けばご飯が目の前に……? あ、おはようございます」
「おはよう」
まだ寝ぼけていたのか、食事の匂いで目が覚めたシアーシャに挨拶をしながら食べ始める。
激しい肉体労働を伴う冒険者用の食事は味が濃く、量も多く作られている。あくまで一般人基準だが。
ここをケチると今度こそストリゴが崩壊するのでこれに文句をいう奴はいない。
それでも食料が潤沢にあるわけでもなく、輸送するにも限度がある環境では味に期待してはいけない。
「……芋ですね」
「芋だな」
必然、主食は安価で腹に溜まるものが最優先されることとなる。
麦粉を運んで現地でパンを作るのも効率的だが、火を通すだけで食べられる芋は手軽さと言う意味でもこういった状況では強い。
芋は飢饉の味方だ。
簡単に栽培出来て、痩せた土地でも育ち、保存が容易で、栄養価が高く、連作障害が少ない。
どんなに貧困な場所でも芋だけは育つ。まさに人類の主食にして救世主、それが芋。
ストリゴでも既に一部の土地を難民の手を借りて耕し、芋を植えて飢饉に備えているほどだ。
「三食ずっと芋は飽きました……」
うんざりした顔でシアーシャが芋をつついた。
万能とも思える芋にも残念ながら弱点はある。主に味だ。
芋に限った話ではないが、同じものを食べ続ければ飽きる。単調な味の芋なら尚更だ。
平時なら味付けや調理法で工夫するのだろうが、今はそこまで手を回せる環境ではない。難民へ出す炊き出しの人手も足りておらず、調理は極力効率重視でやらなければならない。
「ふむ」
嘆く彼女を横目に、配給された食事に視線を落とす。
生産性を重視した味気ない蒸かした芋と干し肉。スープには安価な根菜と、雑にちぎった干し肉と香草の破片。ここが戦地と思えば十二分な食事ではないかとジグは思う。
しかし飽きたと感じているのは彼女だけではないらしい。周囲を見ればどことなくうんざりした顔で義務的に口に詰め込んでいる者が多く見受けられた。中にはジグのように気にした風もなく食べている者もいるが、少数派だった。
「ジグさんよく平気ですね……飽きません?」
「慣れた」
微妙な顔でちょびちょびと芋を齧るシアーシャへ、黙々と食べながらジグが返す。
故郷が滅びた時に飢餓と脱水症状で死ぬ瀬戸際の極限状態を経験したせいもあるが、ジグは同じものを食べ続けることに抵抗がない。戦時では満足な食事が得られないこともざらにあるので、傭兵の必須技能とも言える。
それでも個人差はあるらしく、死んだ顔で芋を頬張る同僚は幾人もいたが。
近頃はシアーシャもハリアンの豊富な食事環境に慣れていたので舌が肥えてしまったようだ。
他の人間なら放っておくか口に詰め込んででも食わせるところだが、彼女の体調と機嫌はストリゴ防衛の成否に関わる。
ジグは無言で腰の巾着袋を漁ると、小さな包みを取り出してそっと彼女に渡す。
「ジグさん? これは……あっ」
「他に見せるな」
小声でそれだけ伝えると何食わぬ顔で食事に戻る。
シアーシャがその包みを開くと、中から発酵臭を伴った乾酪が出てきた。
こちらを振り向いて顔を輝かせる彼女に手でさっさと食べろと合図。
「むく、美味しい……!」
蒸かしただけの味気ない芋でも御馳走に変えてくれるのが乾酪の力。
芋の熱でとろけたそれにかぶりついたシアーシャが笑顔になる。
食料自体は嵩張るので持ち歩くにも限度があるが、調味料香辛料の類ならば値段は張るが融通は利く。
「……ありがとうございます」
周囲にバレないよう小声でそう伝えてきたシアーシャ。
嬉しそうな彼女を横目でちらりと見たジグは少しだけ満足そうに頬を緩ませると、味気ない芋を頬張った。
私「プロットという業界用語をデビュー決まってから知った」
友「それ業界用語じゃなくて一般常識じゃね……?」
まったく、これだから素人さんは……




