222
気を取り直したシャナイアが髪の毛を払う。
あんな環境にありながらも彼女の髪は美しさを保っており、魔術の光を浴びて艶めいた紫紺の髪が靡いていた。
「ここでは戦争を起こすと、どこからともなく魔獣が集まって来る。そのせいで戦争が起きない……いや、起こせない。ここまではいいねぇ?」
「ええ。実際に見たことがあるわけではありませんけど、あの人間同士が大人しくしているからには本当なんでしょう」
元居た大陸を思い出したのか、シアーシャが何とも言えない顔で肩を竦めた。
元の大陸で長いこと戦争が起き続けていることを知っている彼女にとって、人間が戦争を起こさないのには余程の事情があるはずだと理解している。諸共を食い荒らすほどの魔獣の群れが押し寄せてくるというのは納得のいく理由だった。
「どの程度の規模になると現れるんだ?」
「さぁ? 戦争だってそんなにぽこぽこ起きるもんじゃないし、実際に試して確認する訳にもいかないしねぇ……加減を間違えたら土地を奪うどころの話じゃなくなっちゃうよ」
ジグが気になったことを尋ねてみるも、予想通りの返答があるだけだった。
無理もない。仮にもし合計千人までなら大丈夫だとして、馬鹿正直に五百人だけで戦争が起きるわけもないのだ。真面目に検証する方がおかしい。
「ではなぜ魔獣が集まってくるんですか?」
「そこさ。強さこそ違うけど、魔獣だってただの生物に変わりはない。人間を襲わない奴もいれば、別の魔獣と縄張りをめぐって争うこともある。それがどうして、人間の戦争に首を突っ込んでくるのか……疑問に思わないかい?」
「……まどろっこしい。さっさと結論を言え」
ジグが持って回った言い方をする彼女を急かす。
「そう逸らないでよぉ。物事には順序ってものがあるのさぁ」
彼女はニタニタと笑みを浮かべながら足を組み、白いふくらはぎを見せつけるように持ち上げた。
しかしジグの視線は冷ややかになるだけで、彼女の思った効果はなかった。
「……いいじゃないか、もうちょっとくらい話させてくれても」
冷たい視線から目を逸らし、不貞腐れたシャナイアがそっぽを向く。
いつぞやのシアーシャといい、魔女というやつは説明したがりなのだろうか。普段の少し間延びした言葉遣いも説明の時は鳴りを潜めているほどだ。
ちらりとシアーシャの方を見ると、知識欲が刺激されているのか身を乗り出していた。
ジグとしては早く結論を聞きたかったが、依頼主が乗り気ならば是非もない。
ため息をつきながら顎で続けろと話の先を促すと、パッと笑顔になったシャナイアが得意気に語り始めた。
「おほん……基本的に魔獣が人を襲うのには食べるため、縄張りから追い出すため、気まぐれ、などの理由がある」
「気まぐれは理由になるのか?」
「なるさ。賢い魔獣なんかは雌にフられた腹いせに人間を襲うこともあるらしいよ? 少なくとも、本来の性質を無視した原因不明の魔獣大集合よりは、余程納得できるとは思わないかい?」
腹が減ったから殺す、腹がいっぱいだから見逃す。
機嫌が悪いから殺す、機嫌が良いから見逃す。
その二つに違いはないと彼女は語る。
なるほど道理だ。
気まぐれが服を着て歩いているような魔女が言うと特にそう感じる。
「むっ、なにやら失礼なことを考えているねぇ?」
「さてな。……それで、魔獣が本来の性質を無視してまで集まるのは何故だ?」
彼女の追及を軽く流して先を促す。
さして気にもしていないのか、シャナイアは頬杖をついて空になった小瓶を手にした。
「考え方の問題さ。魔獣が本来の性質を無視しているんじゃない。他を無視してでも集まる理由がある……そう考える方が自然さ。そして魔獣と普通の生物が決定的に違うのは何かって話になるとぉー?」
シャナイアが言葉尻を伸ばし、まるで教師のようにこちらの答えを待つ。
「魔力ですか」
「まぁ、そういう訳だね」
つまらないと言った風にシアーシャが嘆息する。
ある意味想像通りの答えに拍子抜けしたといった感じなのだろう。
ジグも口には出さないが同じ感想だ。元居た大陸とここで大きな差と言えば、それくらいしか思い浮かばない。
「魔獣は多くの人間が集まることによって生じる魔力に呼び寄せられている。感知距離に限界はあるけど、周辺一帯の魔獣が殺到するくらいには広いはずさぁ」
「だが待て。それでは大きな街が襲われないのはどう説明する?」
多くの魔力が集まる場所を感知しているのなら、一定以上の人口を持つ街が存在すらできないことになってしまう。だが実際はハリアンを積極的に襲う魔物はあまりおらず、むしろ資源のためにこちらから出向いて倒しに行っているほどだ。
「ただ居るだけなら問題ないさ。でも戦いとなると魔力を放出してぶちまけるだろう? それが魔獣誘因の根本的な原因になっているとボクは見るねぇ」
「……大量の人間が一斉に魔力を活性化させることで、それを感知した魔獣が呼び寄せられてしまったと?」
シアーシャの推測に小瓶を逆さにしたシャナイアが物欲しそうにジグを見る。
随分と蜂蜜が気に入ったらしいが、生憎持っているのはその一瓶だけだ。もっとも、高価なので一瓶丸ごとやるような真似はしないが。
ジグが首を振ったのを見て肩を落とすシャナイア。
「そ。まるで蜂蜜に群がる蟻のように、魔力におびき寄せられたのさぁ―――そういえばぁ、ちょっと前にとんでもない魔術がぶつかったことがあったね!」
「……」
邪気塗れの笑顔に、無言で表情を硬くしたジグが視線を横に向けた。
それまでの余裕のある顔から一転、額から汗を流したシアーシャが口元を強張らせる。
「もしかして、私のせいだったり……?」
「もしかしなくて、そうだねぇ。ボクも同罪だけど……まぁいいじゃないか。ちょっと人間死んだくらいで気にしすぎだよぉ?」
「一緒にしないで下さい! あなたのような無職と違って私には立場があるんですよ! 私のせいだとバレたら降級されちゃうかも……」
あたふたとするシアーシャと、不思議そうに首を傾げるシャナイア。
同じ魔女でも人の世で生きることを決めたシアーシャと、世捨て人同然のシャナイアでは認識に大きな違いがある。
知らなかったでは済まされない、とんでもない大罪だ。一般的な認識ならば。
しかしジグにそれを責めることは出来ない。彼女に助けられたのもそうだが、魔女同士の戦いで加減をしている余裕はなかったはずだ。
「言わなきゃバレないしへーきへーきぃ。魔獣が集まる原因は一般的には不明だからねぇ……状況からなんとなく気づいている人はいるかもしれないけど。どうせ試すわけにもいかないし、その機会もないからバレやしないってぇ」
気楽な口調でシャナイアが悪魔のように囁いた。
確かに彼女たちがやったという証拠は何もないのだ。見た目は恐ろしく美しい人間であるし、まさかたった二人で魔獣を呼び寄せる程の魔術を行使したと誰が想像できようか。
「それに戦争と同じだけの魔力が発生して魔獣が来ていたら、こんなもんじゃすまないはずさぁ。どうせゴミ溜めみたいな街なんだしぃ、今回は運がなかったと思おう」
「……たしかに」
シアーシャも落ち着きを取り戻したのか、汗を拭って‟バレなきゃ平気”とぶつぶつ唱えている。
彼女のことは置いといて、ジグは気になっていることを聞く。
「本来の群れより規模が小さいというのは本当なのか?」
「よく知らないけど、戦争って何日も続けるものなんだろう? ボクらが戦ったのはほんの数分だからねぇ……それもジグ君たちの人数で処理できるくらいしか来ていないとなると、本来の群れよりかなり規模が小さいと見ていいよ」
「それを聞いて安心したよ」
望む答えが聞けてホッと胸を撫で下ろす。
ただでさえ現状が苦しいからシャナイアの力を借りようとしているのだ。これ以上の魔獣が押し寄せてくるなど冗談ではない。
それに魔力に引き寄せられるということは、ある一定のラインを越えると泥沼化する可能性もある。
大量の魔獣に対処するため大量の冒険者を投入し、魔力を存分に使って戦うことで更なる魔獣をおびき寄せる……想像もしたくない悪循環だ。
そう考えると最悪の事態は避けられたのだろう。
「でもかなり強力な魔術がぶつかったから、ただの戦争よりも遠くまで届いた可能性はあるねぇ……もしかしたら各地で魔獣が騒ぎ出したくらいはあるかも。魔獣の生息域に影響を与えたのは間違いないかなぁ」
安堵したところにこれだ。
下手をすれば大陸の魔獣勢力図に影響を与えた可能性を示唆され、さしものジグも顔色を悪くする。
「……シャナイア」
「なんだぁい?」
「このことは他言無用だ。いいな?」
いたずらっぽく笑みを浮かべた彼女は組んでいた足を戻し、前かがみになってジグを下から見上げた。
「ふふん……蜂蜜一瓶で手を打とう」
シャナイア「はちみつください」




