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屋敷へ帰ったウルバスはその日の報告を終えると、配給の食事を受け取るべく食堂へ向かっていた。
同じ場所を担当している仲間は先に戻って済ませているはずだ。
赤と青の毛皮を持つ娘たちは待つと言ってくれたが、腹を空かせた彼女たちを付き合わせるのも忍びない……と言うのは半分建前。
ウルバスは他人と、より正確に言うなら人間と食事をするのがあまり好きではなかった。
人間が嫌いというわけではない。もちろん好きというほどでもないが、結局は個人差の問題であり、仲のいい人間もいれば仲の悪い亜人もいる。
嫌ってくる相手を好意的に見れるほどお人好しでもないが、人間全てを憎めるほど激情家でもないというだけのこと。
ウルバスが苦手なのは気を遣われることだ。
亜人として嫌悪されていることを過度に慰められるのなんかは最悪だ。まるで亜人であることが然も残念であるかのように感じられ、情けなくなる。
他には体の構造が大きく違う自分に好奇の視線を向けるのは仕方ないにしても、横目でちらちら見られるくらいなら直球で聞いてくれた方がマシだ。
たとえそれが善意から来る気遣いであろうと、食事中くらいは細かいことを気にせずゆっくりしたい。
そういう意味ではあの二人との食事は楽だ。
遠慮なくずかずかと踏み込んできて、歯の並びまで覗き込もうとする真っ黒い毛皮の娘。
ともすれば不快に感じてしまうような距離感だが、不思議と彼女に嫌悪感を抱くことはない。彼女にあるのは純粋な興味であり、悪意の類を一切感じないせいかもしれない。
もう一人は全くの逆。
他人がどのような行動に出ても気にせず、黙々と食事をかき込む灰色の毛皮の大男。
興味がないというよりも、他者との違いを気にしてすらいないのだろう。彼は誰と居ようとも自分の立ち位置を見失うことなく、泰然としている。
決して亜人に肩入れしているわけではない。迫害するでも、距離を置くでもない。
まさしく、自然体。
無理に仲間意識を持とうとするでもなく、互いに違う種だと理解した上で保つ距離感は……不思議と心地よかった。
シアンの利用している部屋は元マフィアのボスが使用していたため、屋敷でも少し離れた場所にある。静かな廊下に空腹を訴える細い悲鳴が響いた。
「お腹空いた……」
労働を終えた後の空きっ腹を満たすべく、足を速める。
「―――」
ふと、気配を感じて足を止める。
腰の曲刀の柄に触れながら視線を走らせ、踵を上げて重心を低く。
いつでも動けるよう警戒をするウルバスの耳に、自身の存在を示すように尾で床を叩く音が届く。
薄暗い廊下の角、暗がりに紛れて赤い目だけが光っていた。
闇から滲み出るようにして現れたのは一人の同胞。
「いい勘だ。同胞よ」
黒い鱗が特徴的なウルバスと同じ鱗人。
ファミリアの長、クロコスが鋭い眼を細めた。
ウルバスは話したい相手が向こうから来てくれたことの驚きと、わずかな警戒を隠せない。
それはジグから警告を受けていたからだけではなく、クロコスの纏う空気のせいだ。
どうやらただ挨拶に来たわけではなさそうだ。
「……こんばんは。何か用?」
「そう警戒するな。俺と話がしたい、聞いた」
クロコスが害意はないと示すように腕を組み、無造作に壁へもたれかかる。
ウルバスはそれでも警戒を解かずに視線を周囲に走らせる。
確かに彼は丸腰で護衛がいる様子もない。組織の長としてはあるまじき無防備さだ。
だからこそ、安心できない。
「フフ……信用されないのは残念。だが、その警戒心はいい」
クロコスは神経質に舌を出し入れするウルバスの姿に喉を鳴らす。
彼の持つ余裕はウルバスの人柄を信用しているからではない。
その立ち居振る舞いは見間違えようもない実力者のものであり、仮にこの場でウルバスが襲い掛かっても逃げおおせるだけの腕はある……その自信の表れでもあった。
ただのマフィアにあるまじき腕前にこの街の異常性が際立つが、向こうに戦うつもりがないことは確かなようだ。曲刀の柄から手を放してこちらにも戦う意思がないことを示すが、上げた踵と落とした重心はそのままに。
クロコスはそれすらも良いとばかりに頷いて笑みを深める。
「この街を見て、どう思う?」
突然の質問にウルバスは戸惑うが、真剣なクロコスの表情を見れば応えぬわけにもいかない。
わずかに目を伏せ、この街に感じたことを思ったままに伝える。
「……酷い街。汚いし、命が軽いし、いつでも他人の弱味ばかり狙っている」
碌でもない街だ。たった二日見ただけでもそう思えるくらい、この街は酷い。
そんなごく当たり前の感想を口にしたウルバスだが、クロコスは尾を揺らして黙したまま語らない……否、先を促している。
―――それだけではないだろう? と。
「……でも、平等だ」
ずっと感じていたことを口に出してみれば、思っていたよりもしっくりとくる。
この街では亜人に対する隔意や軽蔑はない。
それは決して善意や博愛精神からくるものではなく、もっと悪意的なものだ。
弱者は食い物になって当然であり、奪われる方が悪い。
そこに亜人も人間もなく、あるのはもっと直接的な力関係のみ。分け隔てのない悪意はある意味で平等であり、公平だ。
そういう意味で言えば、今のストリゴでは亜人が上に扱われているとすら言えるだろう。
これまで魔獣の脅威から守ってくれていたのは間違いなくファミリアを筆頭とした亜人たちであり、それがハリアンの冒険者たちに代わったところで今までの貢献がなくなるわけでもない。
人間が亜人に感謝して上に扱う。
それはこれまでどんな街に行っても見られる光景ではなく、比較的亜人差別の少ないハリアンであってもあり得ないものであった。
「なにを、企んでいるの?」
ウルバスの口から出るのは疑問の言葉。しかし内心ではその答えに気づいている。
それこそあり得ないことだと、ずっと目を逸らし続けてきたから。
クロコスはゆっくりと頷くと、寄りかかっていた壁から離れてウルバスに近づく。
彼は深い緑の鱗が覆う肩に手を載せる。ずっしりとした、見た目以上に重い手だと、そう感じた。
そして彼は真剣な顔で己の願望を―――野望を語った。
「俺はこの街に、亜人の街を作りたい。手を貸してくれ、同胞よ」
日が落ちたストリゴは不気味なほどに静まり返っている。
時折聞こえる獣のような声は盛っているのか、それとも薬でもキめているのか。いずれにしろ、現実から目を背けるように逃避行動に走っていた。満足な寝床も用意できず、魔獣の脅威に怯えて身を固めるこんな状況では無理もないが。
夜でも魔獣の脅威は消えてなくなるわけではないが、それでも昼間と比べれば随分少なくなる。
魔術の灯りが仄かに照らし、不気味に静まる夜のストリゴ。
「……交代には早くないか?」
そんな中、ジグは一人夜の街へ足を踏み入れていた。
各所に設置された見張り場で、眠そうな顔をした男がジグに気づいて警戒混じりの声を上げる。
「あんたは確か傭兵の……驚かせないでくれ」
魔術灯に照らされたジグの顔を見た男が安堵した様子で腰の剣から手を放した。
「こんな遅くに何か用か?」
「驚かせて悪いが、ただの哨戒だ。昼に色々あったからな」
「……この時間に哨戒があるとは聞いていない」
「俺は冒険者ではない上に、依頼主からは遊撃を仰せつかっている。依頼を遂行するのに必要だと思ったことをさせてもらうだけだ」
疑問はありつつも、一定の理解を示した男が鼻で息をつく。
ジグは彼に害意がないことを示すと、南区……その奥へ視線を向けた。
「異常は?」
「ない……今のところは。知ってると思うが、俺たちじゃ魔獣に対処できんからな。これ以上先にはいけないよ」
彼は己の力不足を嘆くでもなく、つまらなそうに煙草に火をつけ瓦礫に腰かけた。
それまで人間相手に暴力を売りに生きてきたマフィアが、本物の脅威を前にすれば手も足も出ないことに歯痒く感じているのかもしれない。
「そうか。では少し見てくる」
「おいおい、あぶねぇぞ? 夜行性の魔獣だっているんだ」
「戻らなければ異常があったということだ。上にそう伝えてくれ」
ジグは一方的にそれだけ言うと、見張りの返事を待たずに闇の中へと足を踏み入れていった。
南区は比較的廃墟がマシな形で残っており、そのせいで魔術の光が届いていない。
魔術を使えないジグにとって、暗い夜道を照らすのは星の灯りだけ。
こちらの大陸の人間は夜目があまり利かない。それに気づいたのは割と最近の話だ。
初めは慣れと個人差程度の話かとも思ったのだが、傭兵団にいた頃の仲間と比較しても明らかに暗闇に対する見え方に差があった。
これが魔力の有無に起因するものなのかは不明だが、魔術の代わりというには頼りない。
身体能力や感覚に優れていると言えば聞こえはいいが、ジグの感想としては夜目が利くより灯りを生み出せるほうがずっといいし、便利だ。
「……ない物ねだりか」
この地に来て何度考えたか分からないそれに、案外自分は女々しいのかもしれないと自嘲気味に笑う。それくらい魔術の利便性はジグにとって魅力的なものであった。
詮無いことを考えながらも、ジグの顔は真剣だ。
見張りの男に語った言葉に嘘はない。彼は依頼を遂行するためにここへきている。
だが遂行する依頼とは、ストリゴを護るためのものではない。
それよりも先、ジグが長期に渡り護っている彼女の依頼を果たすため。
そのために考えられる脅威には、事前に対処する必要がある。
人など及びもつかない力を持つ魔女である彼女をも、害しうる存在を。
「……」
訪れたのは古い教会。
荒れ果てた街に建てられた場違いな建物。それは未だ朽ち果てず、かつてこの地に教えが存在していたことを示している。
浮浪者が住みついてもおかしくないここには、しかし何の気配も感じられない。
常人より遥かに鋭いジグの感覚を以てしても、だ。
―――あの時と同じ様に。
ジグは並んでいる長椅子の中心を通り抜けると、祀られている石像の前へ。
石像の背後には満天の星が広がっており、降りそそぐ星明りが朽ちた教会に神聖な空気を醸し出している。
首を捥がれ、祈る手もなくした像を前に足を止めると、懐から蒼く光る硬貨を取り出した。
「いい夜だな」
誰にともなく独り言ち、親指で硬貨を高く弾く。
乾いた金属音を立てて夜空に飛ぶ硬貨は、
「―――ああ。逢瀬にはぴったりの、いい夜だねぇ」
そんな声と共に、小さな白い手に受け止められた。
硬貨に混ざる蒼金剛が触れたことで、組み上げられた魔術を分解していく。
濃い霧が風に吹かれるように、闇がほどけて流されていく。
風に靡くは紫紺の長髪。
緩く波打つそれは無造作に伸ばされているだけなのに、不思議と魅力を損なうものではない。
真っ白な手足は細く、触れれば折れてしまいそうな危うさすら感じさせる。
夜闇に輝く金の瞳は独特な光彩をしており、妖しく人の眼を惹きつける。
「まさか、また会えるなんて思っていなかったよぉ……ジぃグくぅん?」
修道服に身を包んだその女―――魔女シャナイアは蟲を思わせる瞳を爛爛とさせ、石像の上からジグを見下ろした。
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今後とも「魔女と傭兵」をよろしくお願いいたします。




