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血晶纏竜の刀身と、風来鮊の鋸尾がぶつかり合う。
拮抗はしなかった。
赤黒い双刃剣は乱杭刃を散らしながら、尾の上部七割を斜めに斬り飛ばす。
だが全てではない。
斜めに斬られて鋭角になった尾が、双刃剣に押し負けて軌道を変えながらもジグを薙いだ。
「ちぃ!」
斬り飛ばした乱杭刃が顔を裂くのも構わず、振り抜いた勢いで体を動かして真芯をズラす。
重い金属を切れ味の悪い鋸で擦ったような耳障りな音を立て、火花を散らしながら鋸尾が胸当てを削っていく。
並の防具であれば肉ごと抉り取られていただろう一撃を、編み込まれた砂塵蛇の鱗が受け流す。黒地に黄土色の混ざった流線型の鱗は滑らかで、二枚は砕けたが他は鑢を掛けた様な傷跡を残したのみで済んだ。
「がっ!」
衝撃に肺の空気が押し出される。
この巨体と速度だけあって、中心を外したというのに凄まじい威力だ。直撃すれば防具が耐えても体が持たない。
騎馬に撥ね飛ばされた歩兵のように転がり、少しでも衝撃を逃がす。
痛みを訴える体を無視して跳ね起きると、視界の半分が赤く染まっていた。斬り飛ばした乱杭刃が飛散し、破片が頭部を傷つけていたようだ。
乱杭刃が散り、遅れて切断した鋸尾が地面に突き刺さる。
尾の芯からこぼれる青い血が地面を濡らしているが、この量では致命傷には程遠い。
「すぅ……」
ジグはそれに目もくれぬまま、息を整える。
深く切ったのか止まらない出血は熱を持っているが、反対に頭は冷えていた。
視線の先では尾を斬られた風来鮊が痛みに身を捩っていたが、やがてこちらに向き直ると威嚇するように鰭を大きく波打たせた。
随分と怒らせてしまったらしい。これまで以上に激しい魔術の匂いと共に、巨大な翼のような鰭が微振動している。
先の鋸尾と血晶纏竜の刀身ではこちらが勝ったのだから、あの鰭相手でも大丈夫……そう考えるのは駄目だろう。硬くとも細かい刃が連なる尾と、四メートル近い鰭を比較するのは無理がある。
それに一見するとあの鰭は柔らかく動いているのに、あれほどの破壊力を秘めている。先ほどから使用している魔術が関係しているのは間違いないが、どんな種類の魔術を使用しているのか素人のジグでは判断が付かない。
そして恐らくだが……アレはエイではない。
先ほど交錯した際に奴の背中を間近で見たのだが、そこに噴気孔はなかった。代わりにあったのは蜘蛛や蠍を思わせる複眼。
つまり信じがたいことだが、奴は虫や蟹に近い魔獣ということになる。
外見だけで魔獣の特徴を判断することが如何に危険か、まざまざと見せつけられた気分だ。
ジグは相手がどんな手を打ってきてもいい様に思考を切り替え、冷静に相手を見据えた。
だから気づいた。
「……?」
風来鮊の空気が変わっている。
こちらへの敵意と怒りは鳴りを潜め、せわしなく鰭を波打たせてどこか落ち着かない様子で複眼を動かしていた。明らかに何かを警戒している。己の鋸尾を斬り落とした憎きジグが正面にいながら、眼中にもない。
「何が―――」
疑問を覚えた瞬間、刺激臭。
魔術の気配に身構えるも、飛来した炎弾と氷槍が狙うのはジグではなく風来鮊。
時間差で迫る二つの魔術だが、風来鮊はこれをトンボを切って回避。
続く複数の攻撃術もひらりひらりと布が舞うようにして躱し、時に横回転を交えて鰭で切断する曲芸まで見せつける。
奴はそのまま高度を稼ぐと西の空へ飛び立っていった。
「逃げた……のか?」
ジグがどこか納得のいかない顔で、しかし追いつけるわけもなく見送ることしかできない。
夕日に照らされて悠々と空を泳ぐ巨大な魔獣。
風来という名が示すとおり、どこからともなく気まぐれにやってきた魔獣は、風に吹かれたようにどこかへと去って行った。
「ジグ! 無事?」
魔獣の行動を考え込んでいると、ウルバスが駆け寄ってくる。
削岩竜を倒した彼らが援護に来てくれたようだ。廃墟群を見ると、誘導され崩れた瓦礫で身動きのとれなくなったところを袋叩きにあった死体が見えた。ああなっては自慢の外殻もただの的にしかなるまい。
「助かった。そちらも大した怪我はないようだな」
「何が大した怪我はないですか。血だらけですよ」
そう言って現れたセツに苦言を呈される。
彼女は魔繰蟲との戦いで血塗れになったジグを思い出しているのか、その表情は硬い。身振りで座るように促され、瓦礫に腰かけると頭の傷口に回復術を掛けてくれる。
「見た目ほどではない……すまんな」
頭は血が出やすいので大袈裟に見えているだけだが、そのままにしていいはずもないので治療してもらえるのは有り難い。手持無沙汰なミリーナが手拭いを濡らして顔の血を拭いてくれる。
「いえ、こちらこそです。また助けられましたね」
「仕事だ」
「そう言うと思いましたよ」
呆れた顔でセツとミリーナが顔を見合わせる。
ウルバスまで揃って苦笑いをしている状況に微妙な居心地の悪さを感じたので、話を逸らす。
「……それにしても厄介な魔獣がいるものだ。事前にここで対処できたから良いものの……あれが居住区画まで突っ込んできたら、止めきれんぞ」
実際、かなり危うい状況だった。
音もなく飛行し、馬並みの速度で障害物を無視して移動する風来鮊。
アレを並の防御術で止めることは不可能に思える。もし人の多い場所に現れたら、あの凄まじい切断力を持つ鰭で建物ごとまとめて撫で切りにされていてもおかしくはない。
大きいので気づきやすいのが救いだが、万が一見張りが見逃していたらと思うとぞっとする。
日がある内に現れてくれたのは運がいいというべきか。日暮れ前に退散したところを見るに、案外と夜目が利かないのかもしれない。
ジグが口にした状況を想像したのか、セツとミリーナが青い顔をして冷や汗を流す。
「本当に。ここで止められて良かった……あ」
ウルバスの声も心なしか震えていたが、その視線が止まった。
彼は慌てた様子で地面に突き刺さった風来鮊の尾を持ち上げて袋に詰めると、他の冒険者に頼んで氷を出してもらう。どかどかと中に氷を入れていき、しっかりと口を閉めた。
それからウルバスはジグに頭を下げる。
「勝手にやって、ごめん。こうしないと、すぐに腐るから」
「それは構わんが……」
そんなものを何に使うんだという、疑問の視線。
確かに硬いし切れ味もあるが、ジグの双刃剣と打ち合ったことであまり状態が良くない。あの鰭ならばともかく、この乱杭刃と尾を武器や魔具の素材にするにしても微妙なように見える。
「兄貴が言ってたんだけど、あれは研究対象なんだって」
疑問に答えてくれたのはミリーナだった。
彼女は血を拭き終えた手拭いを懐に仕舞うと、地面に垂れた青い血を指した。
「あの青い血が薬として優れた効果を持っているんじゃないかって、研究者の爺さんたちが騒いでる」
「もともと発見例が少ない魔獣は素材の有用如何に関わらず、研究対象として高値が付くことがあります。何が有効活用できるのかも分からない魔獣でも、調べることで思わぬ発見があることは過去にも例がありますので」
やや曖昧なミリーナの説明をセツが引き継ぐ。
治療が終わった彼女は別の怪我がないか、一通りジグの頭部を調べた後に離れる。
「特に風来鮊は決まった生息域を持たない、名前通り風来坊のような魔獣ですから。偶に死体が見つかるのが精々で、新鮮な検体は非常に稀なんです。死体もすぐに腐敗するので、あまり詳しいことは分かっていませんし」
「……だろうな。それにあの強さだ。生きて帰れるだけ運がいい」
あのまま続けていたら勝てたかと聞かれたら、厳しいと答えるしかない。
一戦交えた結果、一方的にやられることがないのは分かったが、向こうはその気になれば手の届かない場所まで飛べる。空から何かしらの遠距離攻撃を仕掛けられたらなすすべもない。平原でそれをやられ続けたら如何に体力自慢のジグでもいつかは死ぬ。
「……あ、もちろんこれはジグのだよ?」
無言で尾の入った袋を眺めていたせいか、ウルバスが勘違いして差し出す。
苦笑しながらそれを受け取り、立ち上がる。
「行くの?」
「ああ。こっちの戦力は十分そうだからな」
ウルバスたちは強い。彼らならば余程のことがない限り問題ないし、問題が起きても増援が来るまで耐えられる。
他の魔術師たちが死体から素材を剥ぎ取ろうと四苦八苦していたが、力が足りずにウルバスたちへ応援を求めている。
戻ったらついでに削岩竜の素材を運搬する手配を頼んでおいてやろう。
シアンたちに報告しようと歩き出したジグだが、ふと手にした袋を見て立ち止まる。
調査対象として良い値段になるそうだが、ジグ一人であれば役に立たないと判断して放置していたものだ。彼らは気にしないだろうが、タダで教えてもらったのをこれ幸いと懐に仕舞うのはどうにも据わりが悪い。
「こいつの情報、感謝する。今度一杯奢らせてくれ」
袋を軽く上げて彼らに感謝を伝える。
ウルバスはちろりと舌を出し入れして困惑気味に左右を見ていたが、やがておずおずと頷いて手を振った。
「……うん。楽しみにしてる」




