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幾度か私が間違えてしまっているカスカベ弟の名前ですが、書籍部分等の記載を検討した結果、下記のように修正することにいたしました。
ハルト=カスカベ → アキト=カスカベ
混乱をさせてしまい申し訳ありませんが、今後はこちらで統一させていただきます。
よろしくお願いいたします。
不穏な情報に考えを巡らせていたジグの思考を、近づく足音が中断する。
巨躯が音もなく動いて扉の陰へ移動し、耳をそばだてる。軽く狭い歩幅、小柄で武装はなし、急いでいる、闘う者のそれではない。足音でそれを判断したジグが双刃剣に伸ばした手を放すと同時、部屋の扉が開け放たれる。
「アキト君! すぐにあの人を呼んで!!」
声の主、シアンは部屋に入るや否やカスカベに詰め寄り、机に掌を叩きつけた。
ジグは静かに扉を閉めながら廊下を確認したが他に人はおらず、彼女一人のようだ。急いでいたのだろうが、迂闊すぎる。
「シアンさん、一人で出歩かないでとあれほど……」
苦言を呈そうとしたカスカベだが、それより先にシアンが詰め寄った。
カスカベの襟首を掴むと両手で締め上げて詰問口調でガンを飛ばす。
「いいから言え! 吐け! 殺しますよ! あの傭兵はどこ!!」
鬼の形相で首を絞めながら話せと無茶を要求するシアン。
カスカベは締め上げられて青い顔をしながらも、シアンの背後を指差した。彼を解放したシアンが音を立てる勢いで振り返ると、丁度そこには探し人であるジグ。
ギラリと目を光らせて笑みを浮かべたシアンが大股で近寄る。
「いい所に……仕事ですよ! さぁ飛べ! 飛んでいけ!!」
「……分かった分かった。場所と状況を教えてくれ」
ぐったりするカスカベを放置してジグはシアンと部屋を出る。小走りに移動し、興奮するシアンを宥めながら状況を聞き出す。興奮していても正確に情報を伝えるあたりは流石ギルドの受付嬢と言ったところか。
問題が発生した場所は南にある廃墟群。
担当している冒険者はウルバスとセツにミリーナ、他三名。四等級のウルバスを始めとして、いずれ劣らぬ実力者達だ。そんな彼らでも手に負えない魔獣が出たということだろうか。
「南を担当している冒険者が相手をしているのは削岩竜が一匹と岩蟲が数匹」
確か以前ウルバスと出会う切っ掛けとなった魔獣も削岩竜だったか。よくよく縁のある魔獣だ。
だが妙だ。削岩竜は手強い魔獣だし、武装したマフィア程度では寄ってたかっても追い払うのが精々だろうが、ウルバスたちであれば対処できる範囲だ。あの時窮地に陥っていたのは二匹目に不意を打たれたせいであり、順当にいけば被害もなく勝てていたはず。
ジグの予想を裏付けるようにシアンが次の情報を口にする。
「現在冒険者側が優勢で進んでいますが、見張りから南方郊外に魔獣の影ありとの報告がありました。数は一匹―――風来鮊です!」
他区域の救援が到着するまでなるべく時間を稼いでください……そんな言葉と共に送り出されて早数分。ジグが現場に辿り着く頃には丁度その魔獣の姿が視認できつつあった。
事態は急を要するからと、魔獣の説明も碌にないまま送り出されてしまったが、来てしまった以上やるしかないと腹を括る。
少し先ではウルバスたちが廃墟を上手く利用しながら削岩竜を追い詰めていた。
ウルバスが削岩竜を引き付けている間にセツとミリーナが先導し岩蟲を先に処理すると、前衛三人で攪乱し削岩竜に攻撃を加えていた。
廃墟ごと吹き飛ばすような威力がある突進も当たらなければ意味がない。三人は瓦礫に上手く身を隠して狙いを定めさせないことで攻撃を躱し、確実に甲殻を削っている。
「流石だな」
ここは彼らに任せておけばいい。
問題は奴だ。
向こうもジグを認識したのか、進路を変えてきた。
赤褐色の平たい体が高度を下げ、巨大な体が影を落とす。
大きさは横に九メートル、奥行きが七メートル。
面積に対して厚さは一メートル程度と、随分アンバランスに感じる。
鏃のような体は水中を行くように空を泳ぎ、羽ばたく様子はない。時折小さく鰭を波打たせているが、あれで浮力を得ているようには見えない。かつて海にいた頃の名残だろうか。
「鮊……エイか」
今更言葉の意味を知ったジグが渋面を浮かべた。
シアンが倒せではなく時間を稼げと言った理由も頷ける。あの魔獣……風来鮊は高度こそそこまでではないが、剣の届かぬ場所にいるのだ。ジグがどれほど剣に優れようと、届かぬのでは意味もない。
そもそも注意を引くことすら難しいのではないかと思ったが、どうやら風来鮊はジグに興味があるらしい。進路を変えて向かってくる。
「さてどう来るか……」
風来鮊の高度はおよそ二メートル。届く距離まで下りてはきたが、向こうがまともに受けるとも思えない。
大きさで遠近感が少し狂っていたが、速い。馬と同じくらいは出ているだろうか。この巨体で音もなく移動する様は恐ろしさすら感じる。
相手の攻撃手段は体当たりだろうか? エイならば尾に毒針を持っているはずだが、正面からでは当てるのは難しい位置だ。
いずれにしろ目的は時間稼ぎだ。無理に相手をする必要はない。
そう判断して風来鮊の進路から横にずれる。右に動くよう見せてからの、左に跳ぶ。
風来鮊は知能がそこまで高くないのか、大きい分反射神経は鈍いのか、フェイントに引っかかって逆方向へ。これを繰り返すだけなら楽でいい……そんな思考の隙間を突くように、飛び出た影が迫る。
「―――ッ!?」
視界の端に映った影に咄嗟、双刃剣を合わせる。
甲高い音を立てて刀身に齧りついたのは一匹の砂鮫であった。鰭の下に張り付くように隠れていた砂鮫が食らいついて来たのだ。
「小判鮫付きか!」
悪態代わりに双刃剣を回し、砂鮫を振り払う。
砂鮫は地面に落ちるとそのまま地中を泳ぎ、風来鮊に追いつくと跳び上がって再び鰭に張り付いた。
次いで突進を躱された風来鮊が円を描くように身を捻り、長い尾を振り回す。
遠心力の乗った尾は風切り音を伴って横合いから頭部を襲う。
受けて反撃か、避けるべきか。
否、未だ底が見えていないこの魔獣の攻撃を受けるのは危険すぎる。
「くっ!」
転がるように身を投げ出したジグの頭上を、撓る尾が通り過ぎる。
ブレる程の速度で振り回された尾は通常のエイとは異なり、古びた鋸のような凶悪な乱杭刃が並んでいる。危なかった。迂闊に受ければ撓った尾に顔を削られるところだ。
地面を転がりながら身を起こすと、風来鮊は距離を取った後に方向転換してこちらを向いていた。
どうやら獲物に執着するタイプのようだ。食べ応えのありそうな肉を求めて噴水孔が動いている。ちなみに体の上面についた目のように見えるのは噴水孔と呼ばれる鼻に相当し、目は下面に付いているらしい。
以前ハリアンの市場で漁師に聞いた豆知識が頭を過り、苦笑しながら双刃剣を構える。
風来鮊の攻撃手段は体当たり、鋸状の尾、鰭に張り付いた砂鮫。
「手札はそれだけか? 見た目の割に芸がない」
この巨体が音もなく馬並みの速度で飛ぶというのは確かに脅威だが、これくらいならば問題ない。何より奴は好戦的な性格のせいか、それとも遠距離攻撃手段がないのか、最も優位な空という場所を手放して接近してくる。
ならばやりようはある。
風来鮊が動き出すのに合わせてジグも走る。
今の障害物がない場所から、崩れた瓦礫の散乱する場所へ。
あの魔獣は確かに大きいが、質量はそこまででもないと見た。ならば瓦礫や障害物に接触すれば少なからず速度は落ちるはず。そこを叩く。
瓦礫を避けようと空へ逃げるならそれでもいい。増援が来るまで待つだけだ。
―――そんな甘い考えの報いは、即座に己に返ってくることとなった。
ジグの感覚が激しい刺激臭を感知する。
魔術で瓦礫ごと攻撃するつもりかと身構え、回避行動のために足腰に力を籠める。
そんな風来鮊の取った行動は、変わらず突進。
高度一メートル強を維持しながらジグの狙い通りに二軒の廃屋へ突っ込み―――すっぱりと何の抵抗もなく両断した。
「……は?」
ジグの口から間抜けな声が出た。
景色がズレるように断ち斬られた二軒の廃屋は冗談のようにしか見えない。
だが風来鮊はそんなことお構いなしに突っ込んでくる。ぶつかる瓦礫や柱は大小問わず両断され、まるで障害物としての役に立っていない。
「おい冗談だろ……!?」
我に返ったジグは武器を仕舞い慌てて全力疾走。
しかし如何にジグが健脚とて、速度で馬に敵うはずもない。
結果的に、ジグはただ足場が悪いだけの死地に踏み込んだことになる。ましてや相手は障害物を無視して追ってくるのだ。あっという間に距離を詰められた。
背後に迫る風来鮊。
どう避ける? 左右に跳ぶか?
……無理だ。身構えての静止状態からならともかく、片翼四メートルを走りながら横っ飛びは出来ない。
下に潜り込むか?
これも駄目だ。懐に潜り込んだところで鰭に張り付いた複数の砂鮫に食いつかれ、足が止まったところを押し潰される。
ならば迎え撃つ?
論外だ。あの鰭に一体どれほどの威力があるか分からない。
下手をすれば双刃剣ごと真っ二つだ。仮に受け止められたとしても体重差からそのまま引き摺られてミンチになる。
右も左も下すらも、真正面も駄目。
「―――ならば残るは!」
追いつかれるまであと三歩。
その三歩に、ジグは命を懸けた。
一歩。瓦礫の少ないルートを選んでいた方向を修正。
二歩。膝丈の瓦礫に足を掛け、跳躍。
そして、三歩。正面に迫る柱を全力で蹴り、逆方向へ体を打ち出す。
「ぉおおお!!」
一歩間違えば真っ二つに両断される恐怖の中、決死の三角飛びを成したジグは風来鮊の上を取る。
―――ひゅんと、背筋の凍る風切り音を立てて鋸尾が振り上げられた。
叩きつける必要はない。両者に十分な速度が乗っている今、鋸状の乱杭刃はただ当てるだけで獲物を引き斬ることができる。跳んでいるため、まともな回避行動もできない。
今度こそ、ジグの読み通りだ。
「―――」
柱を蹴って方向転換をしたとき、既に双刃剣は抜いている。
眼前、迫る鋸尾の軌道は頭部。
まともに受ければ頭の三割を削ぎとられるだろう一撃から、しかしジグは片時も目を逸らさず、双刃剣で迎え撃った。




