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その場は解散となり、各自が移動と戦闘の疲れを癒すために部屋へ戻って行く。
基本的に冒険者は一日の働きに対して二、三日休息を取るものだ。今回のように連日の出動、あるいは待機を求められることは稀なので、休息は十分に取る必要がある。
魔獣という、本来人間が敵うものではない脅威に対して立ち向かうのは心身に相当な負荷を掛けるもの。肉体面は分かりやすいが精神面は疲労している自覚がない分、注意が必要だ。連日冒険業に勤しんでいた者が表面上は普通にしていても、ある日突然壊れることは……偶にある。
「次の出動までしっかりと休んでください。食事は三十分後。一階に食堂がありますので、なるべく早めに来てくださいね」
なお食事は配給制となっており、ギルド側が全額持ってくれるのも依頼の条件となっている。これは報酬金以外の面でも人を集めようという狙いもあるのだが、下手にストリゴで食事をして体調を崩されても困るというのが本音だ。最悪、シアワセになれる隠し味に病みつきになり戦力外になることも考えられる。
そうなってしまうくらいならばギルド側で用意した方が結果的に費用も手間も少なく済む……そういう判断を今のストリゴを経験してきたジグが伝え、カークが決めた。
「食費も込み……良い響きだ」
情報料として配給倍増しを取り付けたジグは人知れず頬を吊り上げる。
外食や酒などの嗜好品は個人の裁量に任せられているが、体調管理も依頼の内であることをギルド側も明言している。腹を壊して戦えませんとなった場合には違約金が発生するので、余程の馬鹿でなければ無茶をしようという輩もいないだろう。
「また会ったな、傭兵」
屋敷を歩きながら部屋に戻ってシアーシャと食事にするかと考えていると、曲がり角で声を掛けられる。半ば予想していたが、思ったよりも早く声を掛けられたなとそちらを見れば、案の定二人の亜人が待ち構えていた。
「よぉ、あの時は世話になったな。ったく、挨拶もなしにいなくなりやがって」
クロコスに続きバルジが気軽に文句ともつかない悪態をつく。
そういえば彼らとは情報交換と装備を整えた後、一度も顔を合わせぬままハリアンに帰還していた。色々あってそれどころではなかったというのもあるが、一声ぐらい掛けるべきだったかもしれない。
「そっちは随分大変だったようだな。念願のストリゴ指導者になれた気分はどうだ?」
「……フン。たくさん死んだし、たくさん見捨てた。形振り構わず他所の街に助けも求めた……明日をも知れぬ酷い有様だが―――悪くない」
疲れを滲ませた顔で、それでもクロコスは組織の長として弱音を吐かなかった。
ジグでは考えも及ばぬ重圧と責任が彼の肩には圧し掛かっているはずだが、弱さを見せては喰われる。ストリゴで長く生きた黒い鱗人はそれをよく理解していた。
皮肉気に口元を歪めたクロコスは赤い瞳でジグを見る。
「正直言うと、お前たちが来たの、驚いてる」
「ダメもとで出したから本当に来るとは思ってなかったんだが……色よい返事が来たときは耳を疑ったんだぜ?」
尖った鼻先をポリポリと掻きながらバルジがぶっちゃける。
このままではストリゴが滅びると察した彼らは近場の街に手当たり次第に救援要請を出したが、返事があったのは二つだけらしい。そのうち一つが口汚い言葉の拒否であったことを考えると、ハリアンの返答が如何に予想外であったのかは想像がつく。
「最初は希望持たせて、無視するつもりかと思った」
「……流石にそこまで悪辣ではないだろ」
用心深すぎる彼らにジグが苦笑するが、二人は真顔なのを見て口を閉ざした。
本当にハリアンが嫌がらせのためだけに良い返事をした可能性があると思っていたらしい。
「少し前にアグリェーシャがちょっかいを掛けたと聞いたからなぁ……あいつら過激だし、結構無茶やったろ?」
「ああ、まあ確かに……騒ぎにはなったな」
危険な戦闘用ドラッグをばら撒いての現地調達。
その全能感と中毒性に魅せられた者は表にも裏にも少なからずおり、手駒としてバザルタとぶつかった。危ういところで阻めたとはいえ、人と街を腐らせる毒は冒険者にも被害が及んでいた。それらを加味すれば彼らの懸念はそこまで的外れでもない。
真っ当な神経をしていればストリゴに関わろうとはしないだろう。口汚く拒絶した街も、過去にストリゴからの干渉で被害を受けたことがあるのかもしれない。
「それにもし本当に来るとしても、ここまで早いとはな」
「……支援隊集め、お前が尽力したと。シアンに聞いた」
狙いは何だと、口にはしないがクロコスの尾が疑心に揺れている。
組織をまとめる立場である以上、猜疑心を捨てるつもりはない。だが窮地にある今、相手の不興を買うような真似もしたくない。そんな葛藤で揺れているのが透けて見える。
「そう構えるな。人集めも仕事の内だから、さっさと済ませただけだ」
実際ジグはクロコスたちを助けようと考えて行動したわけではない。シアンが人員集めに困っていたから、更なる報酬のために伝手を当たった……それだけのことだ。
よくあることだ。過去幾度も蹂躙され、滅んだ街を見た。そして自身もその憂き目に遭ったことのあるジグには、街が滅ぶことに対して何の感慨もない。
「……恩に着せる気はない、と?」
「着せるさ、依頼主にな」
頼んだのが依頼主なら、やったのも依頼主のため。
であるならば、その行動の結果得られる評価利益は依頼主に与えられてしかるべきもの。それに対する報酬を受け取るのは依頼主からというのが筋だ。
ジグはそれだけ告げると、話は終わりだと歩き出す。視界の先にある扉から、見覚えのある黒い髪が覗いていた。
「おい、話は……」
「気になるなら、職員どもに信用できる護衛を付けてやれ。……ああ見えて、この街で相当不安がっている」
「……分かった。手配、しておく」
去って行く傭兵を難しい顔でクロコスが見送る。
類稀な体躯を持つ背中は、大柄なバルジで見慣れているはずの彼をしてもなお大きい。
「……読めん奴」
「そうかね? オヤジは難しく考えすぎだぜ」
相手の裏や言葉の真意を探ることを主として会話をするクロコスだが、感覚派であるバルジの直感を軽視しているわけではない。この二つは相容れないが、状況次第で活用すればいいだけだ。
それでも訳知り顔で言われるのは腹立たしいので、尾でバルジの足を叩いて先を促す。
「ああいうタイプは基本、額面通りに受けとりゃいいのさ」
「……それだけ、か?」
あまりにも端的、というより雑な対応にクロコスが首を傾げて舌を出し入れ。
「おうさ。ホレ、見ろよ」
バルジが指した方を見る。屋敷の廊下、先の傭兵が一人の女と会っていた。
遠目からでも分かるほどに靡く美しい黒髪が特徴的な、蒼を基調としたワンピースの魔術師らしき冒険者。彼女の傭兵に接する距離感は近いが、恋人や愛人と表現するにはどこか違和感がある。
彼女は傭兵が着ている外套に鼻を寄せ、何やら文句を言っているようだ。彼は困ったように頭を掻きながら何かを弁解し、二人で歩いていく。
傭兵が、首だけ振り向いた。
隣の女に見えないよう、さり気なく頭を掻いていた右手を動かす。
背の双刃剣を軽く握り、肩越しに一瞥。
「―――ッ」
底冷えするような感覚と走る寒気にバルジの毛が逆立つ。
撫でつけるような一筋の殺気にクロコスも揺れていた尾がぴんと張り、上を向いた。
視線を感じたのはほんの一瞬。
しかしその一瞬に籠められた意味は、幾百の言葉よりも雄弁に語っていた。
「…………な?」
緊張から膨らんだ毛で顔の輪郭が変わったバルジが撫でつけている。
「…………ウム」
硬い声で唸るような返答をするのが精一杯。
冷や汗とはこういう時にかくのだろうなと思いながら、クロコスはそれを見送るのであった。