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仲間の大多数に加えて頼みのボスも倒されれば、如何に復讐心の強い仇猿とて撤退を選ぶ。
これだけの目に遭っても力を蓄えてまた報復に現れるというのだから、面倒な魔獣なのは間違いない。
逃げようとした仇猿の背を、飛来した双刃剣が貫いた。胸から刀身を覗かせた仇猿が三歩よろめき、倒れ伏す。
「これで終わりか。やれやれ、初っ端からこき使ってくれる」
死体に足を掛けて双刃剣を引き抜きながら、ジグは一息ついた。
町中にこれだけの魔獣が現れるなど、まともな状態ではない。いちいち数えていなかったが、大体二十前後は斬った。囮役をしてはぐれを主体に狩ってこれだ。全体で二百は下らない数がいたはずだ。
魔獣を退けた冒険者たちが歓声を上げているのが聞こえ、そちらに顔を向けた。
「……何やってるんだアイツ」
仇猿のボスを倒したのはエルシアたちらしい。一抱えもある首を捥ぎ取って銀棍の先にぶっ刺して掲げているエルシアが何やら吼えている。大変お行儀が悪い。仮にも聖職者の衣を纏っておきながら、蛮族のような振る舞いをするのはいかがなものか。
返り血に塗れた蛮族仕草を見た仲間がドン引きしているのに気づいているのだろうか。
「……まあいいか」
本人が満足しているのならば、野生に帰るのも一つの手段だろう。
武器の血を拭ったジグは肩を竦めると、避難した住民たちの下で手を振るシアーシャの方へ向かった。
さて、先の仇猿戦において冒険者たちの動きは三つに分けられる。
エルシアたちを始めとした積極的に殲滅に動いた者。
魔術主体のため非戦闘員の護衛に付き、治療や防衛に動いた者。
そしてそのどちらにも参加せず、戦っているフリ……とまではいかなくとも、消極的な戦闘だけを行って時間を稼ぎ、事態解決を他者に任せていたモノ。
彼らは借金や軽犯罪などの事情があり、ギルドの強制徴兵を受けた冒険者だ。
全員が全員そうとまでは言わないが、出来るだけ危険なことからは遠ざかりたい……彼らの動きからはそんな思考が透けて見える。
当然ながら自ら望んで来た者たちとの士気の差は比べるべくもなく、逃げ出さないだけマシという程度の連中。
しかし得てして、そういった連中に限って自分の権利や主張にはうるさいものと相場が決まっている。
「あなたたち、何のためにここに来たと思っているんですか!」
「うるせぇ! 俺たちだってちゃんと戦ってる! 三等級みたいなバケモン基準で考えんな!」
ジグが戻ると、そこではシアンと卑屈な顔つきの冒険者たちが怒鳴り合っていた。
シアーシャを見れば、心底呆れた顔で処置無しとばかりに首を振っている。
「何の騒ぎだ?」
今にも喧嘩でも始めそうな様子のシアンは置くにしても、他の職員まで眉間に皺を寄せているのは珍しい。刀身の汚れを拭き取っていると、シアーシャが労をねぎらうように汗を拭い、外套を外して血で汚れた部分を水で洗い流してくれる。
「あの人たちは皆が戦ったり仕事をしている中で、ほとんど見ているだけだった人たちですね。武器だけ抜いて突っ立ったままだから、てっきり予備戦力か何かだと思ったんですけど……ただのサボりらしいです」
「……ほう?」
サボりと聞いたジグの双刃剣を拭く手が止まる。
彼にしては珍しくその声には苛立ちが感じられ、細めた目には剣呑な光が宿っている。
「手負いの仇猿を嬲るような戦いで引き延ばしておいて、どの口が言いますか! 腰の剣は飾りですか? 対処すべき危険から逃げるなら冒険者など辞めてしまいなさい!!」
シアンの一喝に卑屈な男を始めとした者たちが怯んだ。
一応は荒事に携わる冒険者相手によく言ったものだ。本気で怒っているのか、普段キャンキャンと子犬のようにジグに突っかかるのとは訳が違う。
小柄なシアン相手に一瞬でも怯んだのを恥じたのか、男ががなり声を上げる。
「ッ……このアマぁ! 調子乗ってるとぶち殺すぞ! だいたいこんな糞みたいな街、滅んじまったほうが世のためになるってもんだ!!」
(確かに)
もっともな正論に思わず頷いてしまい、目が合ったシアンに鬼の形相で睨みつけられ慌ててそっぽを向く。しかし彼女は逃がしてくれず、ツカツカと靴音も激しくジグの下へ。
憤怒の顔をしていたシアン。ふと、その顔から力を抜いた。
過度な怒りは疲れるものだ。大きくため息をついた彼女はジグを見上げ、依頼主としての顔でそれを口にした。
「アレの矯正を依頼します。やり方は任せます」
「別料金だぞ―――損耗はどこまで許容する?」
損耗と聞いたシアンが表情を歪ませる。やるせなさと、悲しみと、それ以外の何か。切り捨てることに慣れ、抵抗の少ないジグではそれ以上の感情を読み取れない。
「……なるべく、少なく」
「了解」
それだけ告げると、彼女の肩を叩いてすれ違う。
シアンは俯いたまま、肩を震わせるだけだった。使えない戦力一つ切り捨てるのに感情を動かしすぎているのは短所だが、人としては正しい。
シアンが退いたことで勝ち誇ったような顔をしている男にジグが近づく。
彼は二メートルにも及ぶ巨躯と威圧的な風貌に内心怯んだが、冒険者は舐められたら負けだと思っているのか挑発的な声を出した。
「あぁ? なんだよてめぇは?」
ジグをよく知らぬ者には誤解されることがある。
彼は温厚だと。
「いや、そのツラ知ってるぜ。新人共に何言われてもやり返さない木偶の坊がいるってよ」
無用な暴力を振るわず、罵倒の類にも感情的な反応を示さない。
だがこんなご時世だ。彼の対応は理性的というより、弱腰と取られてしまうのも無理はない。
「建前や言い訳は不要だ。……お前、戦う気はあるのか?」
「あるわけねぇだろ! 借りた金返すの遅れたぐらいで、こんな糞みてぇな仕事を無理矢理押し付けやがって……冗談じゃねぇぞ!!」
その必要がないから、彼は力を振るわないだけ。
「―――そうか」
そして今、必要になった。
「や」
‟やんのかてめぇ”という男の言葉は、意味のある音になる前に口の中へ叩き返される。
左のジャブで男の鼻を潰したジグは続けざまに右のストレートを放つが、男の展開した防御障壁に阻まれた。初撃は貰っても咄嗟に動ける辺りは腐ってもストリゴに回せる冒険者か。
「で、めぇ!」
鼻血で汚れた顔で男が殺気立つ。
だが腕はともかく心が戦う者のそれではない。喋る暇があったら動けばいいものを。
ジグは防がれた右手でフック。またも障壁がそれを防ぐように展開するが、
「がっ!?」
大袈裟な右を囮に、左のアッパーが障壁を掻い潜り男の顎を打ち上げる。
男の持つ魔具の防御障壁は全身を覆えるほど出力が高くない上に、接近戦で詠唱する余裕などあるはずもない。折れた歯が口からこぼれ、揺らいだ意識が体に後ろへたたらを踏ませる。
しかし逃げることは叶わない。
足の甲を踏みつけ、動きを止めたところに再びの右フックが今度こそ男の頬を捉えた。
骨の軋む音を立てて拳がめり込み、拳の形にへこんだ男の顔が左に飛ぶ。
その先で待ち構えるのもまた、左のフック。
右へ左へ、また右へ。
往復フックが男の頭を毬のように弾き、打つ。
男も腕に障壁にと何とか防御を試みるのだが、フェイントを織り交ぜたジグのラッシュが男を捉えて逃がさない。左の拳を防げば右の拳が、頭部を護ってガードを固めれば胴に拳が突き刺さる。
「ひゃ、ひゃめろ! いだっ、いだいいだい!!」
タコ殴りにされ泣き言を上げるが、まるで聞こえていないかのようにジグは容赦しない。
加減した拳は意識を奪うのではなく痛みを与えることに重きを置き、気絶しそうになる男を痛みで起こす。ついには倒れ込もうとするのすら許さずに男の髪を掴んで引き上げ、なおも右に左にと男の顔を張り飛ばす。
ひとしきり暴行の限りを尽くしたジグが男を放り捨てる。
男の顔は別人かと思うほどに腫れ上がっていた。歯が砕け鼻は折れ曲がり、目が開けぬほどの青たんを作っている。見えない服の下も打撲や骨折と酷い有様で、回復術込みでも一週間はまともに動けないだろう。
ジグは声もなくその光景を見ていることしかできなかった冒険者たちの方へ向く。
グローブを着けた拳からねちょりと血の塊が滴っている。
「貴様らは懲罰部隊だ」
一歩踏み出す。
男の返り血で濡れた、しかし何の感情も映さないジグの表情に、冒険者たちが喉を鳴らす。
「本来豚箱に叩き込まれてしかるべきところを、ギルドの恩赦で挽回の機会を与えられているに過ぎん。そんな貴様らが恩を忘れて戦闘放棄、あろうことか敵前逃亡に及ぼうとしている」
もう一歩、前へ。
無意識にそれに応じて下がる冒険者たち。
「その救いの手を自ら撥ね退けるというのならば……是非もない。戦わない兵など、危険に挑まない冒険者など不要だ」
役目を果たさないならばどうなるのか、その答えをジグが踏みつけ、最後の警告を出す。
「もう一度だけ聞く―――戦う気のない奴はいるか?」




