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 どこか湿度を含んだ粘度を感じる風が吹き、運ばれる饐えた匂いが鼻を突く。

 しばしば戦場とは血生臭いと表現されるが、それは最初の一日だけだ。時間が経つにつれて戦場を漂うのは血肉の腐敗臭となり、舞う蠅や湧く蛆を見ていると鮮血に塗れている方がよっぽどマシだと感じるようになっていく。


 ヒトモノ問わずに腐敗した臭いを不快と感じるのは、その場所や食物が危険だということを察知するためだろうか。しかし不快さに動けなくなってしまうくらいならば、鈍感でいられる方が長生きできるのではないか?


「「げろげろげろげろ……」」


 凄まじい臭気と凄惨な光景に胃の内容物を吐き出している者たちを見ていると、ジグはそう思わずにはいられなかった。


 あれから二日後。ストリゴ支援のために出発した一行は転移石板の力を借りて半日ほどで到着していた。非戦闘員二十、冒険者四十の総勢六十名にも及ぶ救援隊がストリゴ支援に参加している。知り合いはシアン、ワダツミから三人、エルシア一味の三人、バルトたち森の牙が四人、ハインツとリザ、ウルバスくらいか。冒険者の三割は顔見知りな辺り、自分の顔も広くなったものだと実感する。



 職員たちが着いて早々に吐き散らしているのを見ていると一抹の不安を感じないでもないが、普段こういった光景に慣れていない者ならば無理もないのかもしれない。血生臭いのには慣れている冒険者たちですら、顔を顰めたり口を覆ったりしている有様だ。


 セツとミリーナなどは臭いが目に染みるのか、それとも境遇を嘆いているのか、涙まで流している。


「この前よりも悪化しているな」

「くさいですね」


 半ば予想通りだったこともあり、ジグはストリゴの惨状に眉を顰める程度の反応しか見せない。シアーシャも臭いにこそ文句を言うが、転がっている死体の鮮度にさして思う所はなさそうだ。

 元々荒れている街だったが、度重なる魔獣の被害によりさらに拍車がかかっていた。崩れた建屋はそのまま放置され、瓦礫に混じっている黒い付着物が散見される。人か魔獣か、あるいはそのどちらもか。いずれにしろ死体の処理すらまともにできなくなっているようだ。


 道端に転がっている死体の数も増えている。

 痩せ細って損壊の激しい死体の周囲を飛び交う蠅と、腐った肉の中で蠢く蛆がそこかしこで見受けられた。

 魔獣は外から来る都合上、入り口のここが最も被害が酷い。

 生きている人間よりも死体の方が多く、生き残りもそう遠くないうちに死体の仲間入りしそうな状態。


 外側はもう駄目だ。素人目に見ても助からない外傷を負った者を助けたり、人であったかも分からない死体を弔っている余裕はない。


 シアンたちギルド職員は目を合わせることすらなく、彼らを切り捨てることを決めた。


 地獄といって差し支えない惨状が、今のストリゴであった。




「ま、まずは拠点の確保を急ぎましょう……こんな状態じゃ支援どころではありません」

 

 最初に立ち直ったのはシアンであった。ジグの経験だが、こういった環境では女性の方が強い。

 シアーシャに嘔吐物で汚れた口をすすいでもらった彼女は、鼻に詰め物をしてよろよろと立ち上がる。

 

「拠点って言っても……空き家でも勝手に使うのか?」


 ハインツが鼻をつまみながら渋い顔で尋ねる。相方のリザは平気そうな顔をしているが、目が死んでいた。


「救援要請を送ってきたファミリアの方で空いた館を提供してくれました。まずはそこに向かいましょう」


 シアンが移動を促すと、呻いていた職員たちがのろのろと動き出す。

 若い冒険者の中には死にゆく者たちを助けられないかと後ろ髪を引かれる者もいた。しかし蹲る老人の抉れた頭部から零れ落ちた眼球に、己ではどうしようもできないことを理解させられるだけに終わった。

 




 一番被害の出ている外周部に比べると、中心部方面は比較的マシだった。

 なにしろ悲鳴や子供の泣き声が聞こえる。つまり声を上げられる程度には余裕があるということだ。外周部にはその余裕すらなく、死者か死を待つ者のみとなり果てていた。


 聞こえてきた声に前を行くシアンが顔を上げ、次いで首を傾げる。


「……悲鳴?」

「魔獣に襲われているみたいですね。どうします?」


 住民を護っている亜人と取っ組み合う魔獣を見ながら、ギルドの意向を伺うシアーシャ。

 一瞬遅れて事態を理解したシアンが甲高い声を出す。


「きゅ、救援に向かってください!! 早く早く!」


 荒事の経験がないのか、焦った様子で指示とも言えない指示を出している。余程慌てているのか、身長差からジグの背を叩こうとして尻を叩いているのにも気づいていない。

 来て早々の害獣駆除だが、依頼主の言うことならば従う他ない。ジグは出番が来たとばかりに肩を回すシアーシャの肩を叩く。


「混戦で魔術を使うわけにもいくまい」


 彼女の攻撃では保護対象ごと吹き飛ばしかねない上に、建屋への被害も大きい。救援という立場上、数少ない無事な建物をこれ以上壊すわけにもいかない。


「俺が行こう」


 言うが早いか、身を屈めると地を蹴った。突然靡いた外套がシアンの顔を打つ。

 ジグは走りながら双刃剣に巻いた布を解く。布に隠された赤黒い刀身が露わになり、斬るべき敵を映しだした。


 砂埃を巻き上げて猛進するジグの背に二つの声が追従する。


「手伝うよ」

「及ばずながら」


 活発な声と涼やかな声。

 赤と青の髪を靡かせる二人の冒険者が鏃のようにジグの後ろを駆ける。


「市街戦は突発的な遭遇や待ち伏せに注意しろ。声掛けを怠るな」


 冒険者は基本的に街の外で魔獣と戦う。街の防衛戦にしても、ここまで入り込まれた状態での戦闘は稀のはず。


 ジグは二人に市街戦の注意事項を簡潔に伝えると、勢いそのままに双刃剣を眼前の魔獣に叩き込んだ。痩身の猿のような魔獣は突風のような横撃に対応できず、胴体を一文字に斬られた。上半身と泣き別れした下半身が倒れ伏す。


「ハッ、ようやく救援のお出ましとはな! 随分とお早いお着きなこって!!」


 取っ組み合っていた魔獣が上半身だけとなったのに気づいた亜人が死体を放り捨て、吐き捨てた。

 助けられておいて悪態を吐いたことにセツたちが眉間に皺を寄せるが、これだけの悪環境でいつ来るかも分からない救援を待っていたのならば無理もない。


 普段ならば適当に謝罪の一言でも口にして仕事を片づけるところだが、ジグはあえて挑発的な言葉を投げながら振り向いた。


「ほう。押っ取り刀で駆けつけたのだがな……そうか、不満か」


 ジグは斬り抜け様に外套で受けた血を払う。

 重い音を立てて振り払われた血が地面を散らし、飛沫が亜人の足に掛かった。


「……ゲぇ!?」


 自慢の毛並みを汚されたなら、普段の彼なら激怒しただろう。舐めた口を叩く相手を殴打し、引き裂いていた。

 しかし相手の顔を見た彼の胸中を占めるのは八割の恐怖。狐顔が歪み、尖った鼻の周りに獣特有の皺が寄っている。思い出すのは四メートル近い高所から叩きつけられた背中の痛みと、丸刈りにされそうになった尻尾の怖気。


「ならばその不満、尻尾ごと引き抜いてやろう」

「旦那ぁ!!?」


 

 ―――そして、二割の安心感。


 

 狐の亜人、レナードは安堵と恐れの入り混じった泣き笑いのような顔でうわずった声を上げた。




「助けられたお姫様かよ」

「大の男がこんな情けない声で鳴くんですね」



 若い女性二人が辛口な評価を下しながら魔獣と対峙する。

 痩身の猿型魔獣……仇猿あだざるが吠え、柔らかそうな肉目掛けて飛び掛かった。

 異様に長い両手を振りかぶり、鞭のようにしならせて叩きつける。


 応じる二人の動きは対照。

 ミリーナが鋭く距離を詰め、勢いが乗り切る前の右腕を翳した長剣で受け止め、

 セツが軽やかにステップを踏み、勢いが乗って軌道修正が出来ない左腕をサーベルでいなす。


「軽い!」

「単調です」


 ミリーナが長剣を押し上げて仇猿の体勢を崩し、セツが円運動の要領で背後を取る。

 跳ね上げ様に振るわれた長剣と、回転の勢いを乗せたサーベル。

 両者を前後から振るわれた仇猿の首が飛び、遅れて体が崩れ落ちた。


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― 新着の感想 ―
ジグ×レナードのケモナーBLが始まってしまう(´・ω・`)
「戦った事がある奴と共闘するシーンはアツい」 これを何度も味わいすぎて体の表面温度が太陽と同じになっちゃった
セツとミリーナ、この娘達も独身ですよね。
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