205
金がない。
何故か毎度毎度同じようなことになっているかもしれないが、ないものはない。
カークからの報酬はそれなりの金額になったが、新しい装備を二つも購入してガントに渡す素材を用意すればほとんどはなくなる。性能が良い分、冒険者の装備は非常に高価だ。
今日明日どうこうなるというほどに金欠ではないが、日々の食費や消耗品の出費を考えればあまり悠長にはしていられない。
そんな時に聞く奢りという言葉のなんと甘美なことか。
多少面倒臭い相手でも、奢りと言われれば愚痴くらいは聞いてやろうという気分にもなる。
「マスター、葡萄酒ちょうだい」
だから普段行かないような、酒と雰囲気を楽しむような店であろうと黙ってついて行く。
いかにもな店だが、冒険者も利用するのか服装には特に文句を言われなかった。冒険者の装備は高価なので、みだりに外したがらない者も多い。装備どころか腰に剣を下げることすら許されているが、ジグの武器は邪魔過ぎるので立て掛けさせてもらう。
「あんたは?」
「同じものを。あと食事を頼む」
簡単に注文を済ませると、並んでカウンターに腰を下ろす。他に客はおらず、貸し切り状態だ。
細い足の椅子でジグの体重を支えられるのか不安だったが、魔力を十分に吸って育った木を使用しているのかしっかりと受け止めてくれた。
エルシアは出された葡萄酒を味わおうとすることもなく一気に飲み干すと、仕草だけでお代わりを要求している。マスターは困ったように笑いながらも注いでいるあたり、常連なのだろう。
エルシアは何か話すことがあって呼んだはずだが、話を切り出さずに無言のまま酒を飲んでいる。ジグもあえて聞き出すような真似はせず、彼女が話し始めるのをただ待った。
しばし無言で杯を傾ける二人。付け合わせに出されたナッツをポリポリと齧る音だけが時たま響く。
ジグが二杯目を飲み干し、厨房で作る料理の匂いが漂い始めた頃、隣から酒臭い息を吐き出す大きなため息が聞こえた。
「私、冒険者失格なのかな……」
「……ふむ」
杯を眺めながらエルシアがこぼしたのはそんな独白。
思ったよりも面倒な悩みに選択を誤ったかと出口を意識してしまうが、安くはない味の酒と厨房から漂う良い香りがそれを引き留める。
人生相談など柄でないにも程がある。
「何がお前にそう思わせた?」
だがまあ、聞くだけなら聞いてやろう。愚痴とは本来そう言うものだ。
気心の知れた間柄だからこそ話せないこともある。ジグと彼女のような、関係の薄い顔見知り程度だからこそ吐ける愚痴もあるというもの。
エルシアはだらりとカウンターに身を預け、杯を持つ腕を伸ばして突っ伏す。
法衣に包まれた大きな胸が潰れて形を変え、脇の下から覗いていた。
ジグはその光景を肴に杯を呷る。芳醇な香りの葡萄酒はいつになく美味い。
「最近、温い依頼ばかりを選んでいる自分に気づいたの。報酬や等級が低い依頼って訳じゃないけど、相手が分かっていて攻略法も確立されているような、想定外の起きにくい依頼」
魔獣の強さだけが依頼の危険度と必ずしも一致するわけではない。
亜竜は強いが、どれくらい強いかが大きさや傷痕など外見から分かりやすく、弱点や行動パターンも解明されている。要求される実力は高いが、それさえ足りているのなら安定して狩るのは難しくない。
逆に蟲系の魔獣は危険度の判断が難しい。数が多いということは、それだけ特異な個体が生まれやすいということでもある。また猿狗のような例など、単純な強さだけでは測れない危険な依頼はいくらでもあるのだ。
「己の力量を弁えた仕事を受けることが悪いこととは思えんが」
「そりゃ駆け出しが亜竜に挑むってのはただの馬鹿で自殺志願者よ。でもこういう仕事しておきながら多少のリスクも呑めないってのは、ね」
冒険者という言葉に反する保守的な行動。己の生業を意識するたびに、その言葉は自らの行動を非難されているように感じるのかもしれない。
「あんたに仲間をやられた時、私は怖くなった。仲間を失うってことの本当の意味が、やっと分かったから」
エルシアは突っ伏した状態から顔だけこちらに向けた。酒で赤みを帯びた頬と艶めかしい肢体は中々に煽情的で、普段しまい込んでいる男の欲を刺激する。
「だからさ―――」
「お待たせしました」
男ならば誰もが惹きつけられてしまう誘惑を断ち斬ったのも、また別の欲。
プレートに載せられた肉厚のステーキとカリカリに揚げられたポテト。肉の上でとろけてソースと混ざり合っているのはパセリとレモンの風味薫る給仕長のバター。いわゆるステーキの上に載っているアレである。
計っていたかのようなタイミングで出された食事にジグの視線はあっさりと引き剝がされてしまう。
肉は分厚い上に大きく、こういった店で出すには不適切なほどのサイズに感じる。ジグが思わずマスターの顔を見ると"たくさん食べそうでしたので”と優雅に笑みを浮かべた。
「助かる」
一言礼を伝えると、冷めないうちに手を付け始めた。
あっという間に興味を持っていかれたエルシアが抗議の視線をマスターに送るが、彼は素知らぬ顔でボトルを磨いている。
横目でそれを見たジグはそれでようやく、さっきまでの無防備な姿は狙ってやっていたのだと気づいた。これだから女は恐ろしい。男の下心を利用して何をするつもりだったのやら。
「あーあ、なんか白けちゃったわね。マスター、私も適当なのちょうだい。通常サイズでね」
「かしこまりました」
演技がバレたエルシアは艶のある仕草を止めて、頬杖をついて不貞腐れた顔でジグを見た。
黙々と肉を平らげるジグはあえて無視していたが、半分ほど食べたところで葡萄酒を飲んで口の油を洗い流す。
「それで?」
「……え?」
突然口を開いたジグに不意を突かれたのか、間の抜けた声を出すエルシア。
ジグはポテトにソースをからめながらジト目で彼女を見やる。
「危険を冒す判断が出来なくなったお前は、これからどうしたいんだ?」
ジグは愚痴の続きを話せとナイフの先をちょいちょい動かして促す。
先ほどの落ち込んだ仕草が作られたものだったのは事実だが、悩み自体は本物のように感じられた。であるなら、食事代くらいの愚痴は聞いてやるべきだ。
エルシアはしばしポカンとしていたが、小さく噴き出すと残った酒を飲み干した。
「ちょっとビビっちゃってるのよ。今更だけど」
彼女はそう言って明け透けに悩みを口にすると、ジグの手元を見て指を一本立てる。
眼帯越しなので視線の動きまでは見えないが、一口寄こせということらしい。彼女の奢りなので断れるわけもなく、小さく切り取りソースをからめて差し出す。
雛鳥のように口を開けて待つ彼女の口元へ持っていくと、ぱくりと一口で食べられる。
味わうようにゆっくりと咀嚼し、嚥下。
唇についたソースを舌で舐めとったエルシアは、マスターが厨房に下がったのを確認すると眼帯をずらした。漆黒に沈む紅い眼球が姿を現す。
「何かいい方法ないかしら?」
途端に漏れだす魔力。以前聞いた制御できているわけではないとの言葉通り、数舜先の未来や考えを見通す魔術が暴発している。しかし今それを発動したところであまり意味はない。
先を見た所でジグはステーキを食べているだけだ。皿の上から減った肉を見ることに意味はなく、ジグの思考割合を覗いた所で仕事と金、シアーシャのことで大半を占めているつまらないものしか見えない。
突然そんなことをする理由が分からなかったので、意図を問うように彼女の龍眼を見た。
紅黒の凶眼と灰の瞳がしばしの間交わる。
何も起きぬまま数秒が経った。
ジグの視線の意味は分かっているはずだが、エルシアは黙したまま答えようとはしない。
「なんだ?」
仕方がないので肉を食べるのを中断して口を開いた。
「……別に。偶には人と目を合わせてみたかっただけよ。あんた本当にブレないのね。覗き甲斐がないわ?」
マスターが料理を運んできたことでその場は流れる。
つまらないとばかりに眼帯を戻すエルシアだが、その割に機嫌が良さそうだ。ジグがやや金欠なのを悟られでもしたのかもしれない。
「で、どうなの?」
魚のソテーをつつきながらエルシアが話を戻す。
ジグは魚もいいかもしれないと考えながら、彼女の悩みをまとめた。
「臆病になったのを治したい、だがそれは自分の命ではなく仲間に対するもの……この認識でいいか?」
「ええ。私一人なら多少の無茶は気にしないわ」
「一人でやればいい……では駄目なんだな?」
一応の確認としてエルシアに尋ねてみるも、当然とばかりに頷かれる。
「仲間の身が心配だから一人でやりますだなんて、酷い侮辱だわ。信用していないと言っているようなものじゃない」
彼女は言った後、リスクの低い依頼ばかりを選ぶ自分の行動はそう言っているも同義だと肩を落とす。面倒臭い奴だ。
ジグは最後の肉を食べ終えるとマスターに葡萄酒を頼みながら、良いことを思いついたとばかりに口の端をわずかに吊り上げた。無論、エルシアからは見えない方で。
「今のままではお前の懸念はいつになっても晴れることはない。こんな仕事をやっていて仲間が傷つくのが嫌だなんて虫のいい話だ」
「それは……」
バッサリと切って捨てられたエルシアが眉を顰める。しかしこれを認識しないと先に進まない。
「手段は二つ。一つは適度な依頼を数こなして自信を付けることだが……これはもう失敗しているな」
経験は実力と自信に繋がる。
しかし元々優秀だったエルシアたちは苦境は経験していても挫折は少ないはず。挫折が死に直結しやすい冒険業では無理もないことだが。いずれにしろ今更危険の少ない依頼を多少受けた所で変わらないだろう。
「もう一つは?」
「……明日、ギルドに行って俺の名を出して例の依頼を受けると伝えろ。今のお前たちにぴったりの仕事を見繕っておいてやる」
「なにそれ、どういう事? 怖いんだけど」
「その恐怖を克服するための試練だろうが! 心配するな、ギルドがお前のような三等級冒険者に怪しい依頼を回すはずがない。ましてや俺はただの傭兵だぞ? 妙な依頼や詐欺をすれば追われるのは俺の方だ」
「それは、そうだけど……」
どこか躊躇いがちなエルシア。まだまともな判断力が残っているようだが、ジグといいペースで酒を飲んでいただけあってその思考は鈍い。ちなみにジグは酒に強く体の大きさもあり、そうそう酔わない。
この感触、あと一押しだ。
ジグは失望したように鼻で笑い、やれやれと首を振って言い放つ。
「ここまで言われて及び腰か。頭が腑抜けならその下にいる奴も底が知れる」
言葉を無くして憤怒の顔をするエルシアに、ジグは人知れず勝利を確信するのであった。
エルシアの龍眼で心を読める能力は脳内メーカー並みの精度を誇ります。




