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新しい装備を身に着け、間に合わせで借りていた装備を返したジグは繁華街を歩いていた。
時刻は夕方。仕事を終えた冒険者たちが戻り始める頃合いだ。
本当なら早めの夕食と行きたいが、まだやることがあるので後回しだ。なお今手にしている大きなサンドイッチはおやつなので夕食には当たらない。
行儀悪く歩きながらサンドイッチを齧ると、眉がピクリと動いた。塩気が足りない。
岩塩は持っているが歩きながら削るのも流石にどうかと思ったので、小瓶を取り出して中身の黒い粒を振りかける。砂鮫の卵が珍味だと聞いたので、市場を回った時に取れたて四瓶と塩漬け二瓶を交換しておいたのだ。塩に漬けるだけで二倍は暴利かと思うかもしれないが、素人がやって腐らせるリスクを考えるとそう悪いものではない。
改めて食べてみると、ぷちぷちとした食感と癖のある旨味の塩気が感じられた。
美味いが人を選ぶ、まさに珍味であった。胡椒とも合うかもしれない。
「さて、誰から当たるか……」
気に入ったのか、ふた口でそれを平らげたジグが独り言ちる。
冒険者の伝手はそれなりにあるジグだが、彼らが普段どこにいるのかまでは把握していない。居場所が確実に分かっているのはワダツミとイサナくらいか。どちらも反対方向で、時間を考えると今日回れるのは片方のみ。
「どちらも望み薄なんだがな……」
ワダツミは一度ギルドからの打診を断っている。実際若手の多い彼らにストリゴは様々な面で酷だ。
ジィンスゥ・ヤとは先日少しわだかまりが出来てしまったし、イサナは同胞たちと長期間離れすぎるのを良しとしないだろう。
どちらもあまり期待できそうにはないが、強いて選ぶならばワダツミだろうか。
若手ではなく世慣れた古参の冒険者ならば何人か借りられるかもしれない。それに彼らには過去、辻斬りと勘違いされて襲われた経緯がある。多少の無理は聞いてくれるだろう。
しかしあの件を盾に頼むとなると槍玉に挙げられるのはセツとミリーナ、あとはケインとカスカベになる。カスカベはともかく他三人をあの街に連れて行くのはワダツミ的に問題な気もするが、どうするつもりだろうか。
「……俺の考えることではないか」
ジグは面倒になったので思考を放棄すると、ワダツミのクランハウスへと向かうのであった。
「いやだ!! あんな汚いところに行きたくない! ベイツさんはアタシたちが手籠めにされても構わないって言うんですか!?」
「そうです! 私たちはベイツさんと違ってあんな不潔な環境で生きていけるようには出来ていません!」
ミリーナとセツは不当な命令を下す禿頭の中年男に猛烈に抗議していた。
案の定というべきか、人身御供に差し出された二人はこれを拒否。ベイツに食って掛かっている。
「まぁそう言うなよ。お前らもこういう仕事してりゃ多少の汚れくらいは覚悟してるだろ? それに手籠めったって、お前らならそこいらの男には負けねぇよ」
若手には刺激が強すぎるとギルドの要請を蹴っていたベイツだが、勘違いとはいえ大人数で丸腰の一人に襲い掛かったという借りを持ち出されては応えないわけにもいかないらしい。あっさり二人を生贄に差し出すと決めたのだが、当の本人たちは堪ったものではないと声高に拒否している。
「魔獣の体液に塗れるのは耐えられても、人間の饐えたくっさい匂いは生理的に無理!」
「世の中広いんです! そこの化け物みたいな大男並に強い奴が襲ってきたらどうするつもりですか!」
余裕がないせいか、セツは失礼なことを言ってジグを指差す。
化け物呼ばわりされたジグはカスカベと茶を啜りながらどこ吹く風だ。
「人間かどうか疑われていますよジグ様」
「褒め言葉と受け取っておこう」
カスカベが揶揄するのを適当に返すが、あながちセツの懸念は的外れというわけでもない。
魔獣で疲弊しているストリゴの現状を見るに可能性は低いが、未だテギネのような強者がまだあの街に残っていないとは限らないのだ。如何に冒険者が並外れた強度の装備を纏っていても無敵というわけではない。
しかしストリゴ行きを頼んでいる身でそんなことを言うわけにもいかず、ジグは肩を竦めて誤魔化すしかない。話題を逸らすためにカスカベへ話を投げる。
「しかし随分と余裕だな? 足りないのは腕っぷしだけではないと聞くが」
暗にお前も候補だぞとジグが横目でカスカベを見る。たとえギルド職員でなかったとしても、学のある人間は貴重であり、少しでも確保したいはず。
しかし彼は余裕たっぷりな笑みを浮かべると、茶を啜り湯気で眼鏡を曇らせながらはっはっはと笑った。
「私にはワダツミの会計その他諸々を管理する仕事と責任がありますから。ストリゴにいてはそれもできないですし、あの二人では出来ませんから」
剣を振るばかりが能ではなく、腕っぷしだけの人間ならばいくらでも代わりが利く。
カスカベは己のクランにおける重要性と、代わりが利かないことを余裕の根源としている。
だがどうやら曇っているのは眼鏡だけではなかったらしい。
「ああ。そのことだが、しばらくお前の姉が面倒見てくれることになってな。カスカベには現地でギルドの手伝いをしてもらうことになった」
「―――え?」
結果から言うと、抗議する人間が三人に増えた。
「邪魔したな」
ジグが暴れた時よりも激しい喧騒を背にワダツミを後にする。
表向きには平気な顔をしていても流石にギルドの要請を無下にするのは問題があるらしく、もともと一人か二人は送る予定だったとか。ベイツが行こうかと悩んでいたところ、カスカベ姉のアオイから打診があったので快諾、カスカベ弟のハルトを派遣することが決定していた。
アオイならば能力的に申し分なく、信頼という面でもギルドの職員でありクランメンバーの親族なので問題ないと、二つ返事でこれを了承。
そこへ大きな借りのあるジグからの要請があったので、さらに二人の生贄……もとい協力者が派遣されることになった。
「存外、なんとかなるものだ」
腕のいい冒険者を二名確保、悪くない滑り出しに無言で頷くジグ。
歳の近い女性冒険者であればシアンも安心できるだろうと、望外の成果に満足したジグは宿へと足を向けた。もう遅い時間だし、これ以上の成果は望めない。
宿に戻る途中で食事を済ませてしまおうと考えるが、少し出遅れたせいでどの店も一杯だ。酒場が多い通りなのもあり、滞在時間も長めと来ている。依頼中は簡単なもので済ませていたので今日は店の気分だったが、仕方ないと立ち並ぶ屋台に目を向ける。
「―――」
獲物を品定めするようなジグの視線に気づいた屋台の店主たちに緊張が奔った。この街で屋台を出していてジグを知らぬ者はいない。いつ暴食の限りを尽くすのかと身構える店主たち。
「あら、あんたは……」
しかしその歩みを止める声が横合いから掛けられた。
声の方へ目を向けると、銀の女がいた。
月明かりを受けた銀の髪は静謐な輝きを放っており、神秘的な空気を醸し出している。
ゆったりとした法衣に身を包みながらも、起伏の大きい肉感的な肢体は隠しきれておらず、女の色香を漂わせていた。
眼を覆う眼帯の下に凶眼を隠し持つ女、エルシア=アーメット。
彼女は外見が持つ雰囲気とは裏腹に、気だるげな様子で不機嫌な口調のままジグに近づく。
「……なるほど、四人目の贄か」
「は? ニエってなんのこと?」
「いやこちらの話だ。それで、何か用か?」
他の冒険者と違ってエルシアとはあまり関わりがない。以前戦闘したのも勘違いといえばそうだが、あれは二人の間で手打ちという話が済んでいる。銀棍を質に入れて十分な利益も得られたというのもある。
「あんた、随分派手にやってるみたいね」
エルシアは眼帯越しの視線でジグを下から見上げる。女性としてはやや高めな身長だが、頭一つ半高いジグ相手ではどうしても差があった。
「大人しく出来るような仕事でもあるまい。違うか、冒険者?」
「ふん、傭兵が言ってくれるわね……でもその通りよ」
挑発的な物言いに反発したのは一瞬。すぐにエルシアは顔を伏せ、自嘲気味に吐き捨てた。
しばしそうしていたエルシアだったが、突然顔を上げるとジグの腕を掴……もうとして避けられる。
「……なんで避けるのよ」
「なぜ腕を掴む」
「逃がさないために決まってるでしょ。一杯付き合いなさい」
クイッと親父臭い仕草をしながら外套を掴まれた。
少し考えたジグは屋台の方を見る。こうしている間に夕食時のピークは過ぎ、いくつかの店は畳み始めていた。今からジグの胃袋を満たせるほどの食事は得られないのは間違いない。
半分その誘いに乗ろうかと気持ちが揺らぎかけていたところにエルシアがトドメの一言を告げる。
「奢りよ」




