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まあ、冗談だ。
仮に護衛となる人間を付けても一日中側に居続けられるわけもない。
ストリゴにいる住民は常に犯罪が選択肢に上がる生活をしており、奪われる方が悪いと言わんばかりに子供は盗み、老人は騙す。老若男女が危険人物足りうるあの街にシアンのような普通の女性を連れていけば、一時間と掛からずに金銭その他諸々大切な物を失うだろう。死なずに娼館で売られていればマシな部類だ。
「うん、許可しよう」
「―――嘘、でしょう……??」
だから丁度通りかかったカークへシアーシャが頼んだ時も冗談くらいに考えていたし、まさか彼が首を縦に振るとは思ってもいなかった。
子犬系の可愛らしいシアンの顔立ちが、飼い主に捨てられたかのような絶望に染まる。
流石にそれはマズいだろうとジグが腰を浮かす。
「待て、いくら何でも彼女は……」
「いや助かった、ストリゴへ出張してくれる人員探しには私も苦労していてね。ウチもある程度身を護れる人員はいるのだが、皆あれやこれやと理由を付けて断られていたのだよ」
ジグの言葉を意図的に遮ったカークがニタニタといやらしい笑みを浮かべるが、その眼は笑っていない。小刻みに首を振るシアンの肩に手を載せ、力強く握る。
「い、イヤぁ……!」
嫌がる若い女性に中年男性が危険な眼つきで迫る光景は見るに堪えない。ともすれば強姦の現行犯のようだが、この場にシアンを助ける正義感の持ち主はいなかった。
カークはギラギラした眼で哀れな子羊の出荷を決定する。
「―――まさか自ら志願してくれる職務意欲旺盛な者がいるとは……いや、最近の若い者は根性がある。次の査定を楽しみにしておきたまえ!」
カークに獲物を絶対に逃がすつもりがないことを悟ったジグは説得を諦め、助けを求める視線から目を逸らした。組織に生きるとはそういう事だと思って諦めてもらう他ない。
高笑いをしながら退室するカークと崩れ落ちたシアン。
後味の悪い場面から顔を背け、この状況を作り出したシアーシャを見る。
彼女は黒髪を揺らし、嬉しそうな顔で項垂れたシアンの肩を叩いた。
「大丈夫ですよシアンさん、私もジグさんもいますから!」
シアーシャの表情に裏は感じられない。心底からシアンと共にストリゴでも仕事が出来ることを喜んでいるように見えた。
どうやら騙し討ちのような依頼をしてきたシアンに一杯食わせたのではなく、ただ単に一緒に行きたかっただけのようだ。問題はシアーシャにとって危険でない場所でも、シアンにとっては死地になるという認識が薄いところだが。
「……そういうことだ。悪いが付き合ってもらうぞ」
自業自得。そう切り捨ててしまうにはあまりに不憫だが、もう決まってしまったことだ。
誰からも助けを得られないことを理解した彼女は、静かに崩れ落ちた。
詳しい日程は後程連絡するという話を最後にギルドを出る。
「では私たちも準備しましょうか。ハリアン以外に行くのは楽しみです。この前はほとんど見られませんでしたから」
あんな街でも遠出は楽しみなのか、シアーシャが声を弾ませた。
この大陸に来てから訪れたのは名もない小さな農村とハリアンのみ。森に閉じこもっていた彼女にとって、違う街や文化を見ることは世界が広がったように感じるのだろう。
「俺はガントの所に用事がある。悪いが先に必要な物を揃えておいてもらえるか?」
「はい、任せてください! ジグさんに教わった旅に必要な物リストは頭に入っています!」
そう言ってシアーシャは繁華街へ必要な物を買い出しに向かった。
依頼で遠出をすることもあるだろうと考え、彼女には必要最小限に荷物をまとめる術をある程度仕込んでいる。
もっとも、長距離移動をする上で最重要かつ最重量の厄介な荷物である水を魔術で用意できるので、そう難しいことはなかったのだが。
この後はガントの所で準備を整えた後、知り合いの所に顔を出す必要がある。
それなりに忙しいので、あまりゆっくりしているわけにもいかないのだが……
背に感じる淀んだ空気にちらりと後ろを見れば、この世の終わりのような顔でぶつぶつと独り言を呟いているシアンがいた。
彼女は気分がすぐれないと土気色の顔で同僚に告げて早退し、ジグたちの後ろで幽鬼のように立ち尽くしている。
「遺書……遺書を書かなきゃ……」
「……早まるな。少しでも人数を集めて仮拠点に常駐する冒険者を確保すれば、そうそう滅多なことは起きない」
ジグの責任ではないが、シアーシャが原因で巻き込んでしまった彼女に思う所がないわけでもない。精神の安定を保てるよう多少なりともアドバイスをする。
治安が悪いと言っても、所詮は栄養状態の悪い一般人やマフィアが精々。鍛えた冒険者相手に太刀打ちできる者はほとんどおらず、多少薬で痛覚をトばしていても問題なく対処できる。
しかし彼女は光のない目でジグを見上げると、へっと鼻で笑った。
「素晴らしいアイディアですね? 受けてくれる人がいないという欠点に目を瞑れば」
ストリゴ行き……ストリゴ送りは相当シアンの精神に負荷を掛けたようだ。
やさぐれた口調で吐き捨てる姿には普段の明るい受付嬢の面影はない。
半ば自暴自棄になっている彼女に、さてどうしたものかと頭を悩ませたジグだが、ふと今日の依頼を共にこなした冒険者を思い出す。彼、いや彼らならばとある情報を与えれば動いてくれる可能性はある。
「シアン」
「なんですか? 私が娼館に売り払われたら買ってくれます? でもあなたのじゃ大きすぎて入らないかもしれませんね」
「……」
ジグの頬を一筋の汗が伝った。大分キている。
普段のシアンからは想像できないほど下品な言葉は、それだけ追い詰められていることの証左か。ジグも傭兵なので品のない相手には慣れているが、まともな人間がこうも変貌してしまうのには一抹の不安がある。早いところ彼女を落ち着けなければ。
「……落ち着け。依頼を受けてくれそうなやつに心当たりがある」
その言葉にへらへらと薄暗い笑みを浮かべていたシアンの表情が変わる。
真剣な表情で先を促す彼女にジグがとある情報を話した。
「いいか? あの街は良い意味でも悪い意味でも力と金が物を言う。それさえあれば種族すら問わない。そしてストリゴで今最も力のあるマフィア……ファミリアの構成員はほとんどが亜人だ。後は分かるな?」
「……その辺りをアピールしつつ亜人の冒険者に依頼を頼めば、今より住みやすくなるかもしれないと考えた方たちが受けてくれるかもしれない?」
「確実にとは言わんがな」
ハリアンがストリゴに絡むと決めた以上、街の環境改善は最重要課題だ。労働者が腰を据えて仕事をするには、安定した食料供給とある程度の安全は欠かせない。
冒険者ギルドが出来て今よりも治安が良くなるならば、そして街の有力者が同じ亜人であるならば。そう考える者は少なからずいるだろう。彼らが移住先への下見を兼ねて依頼を受けてくれる可能性は十分にある。
それに亜人や異民は仲間意識が強い。それが生来の気質なのか、迫害される者同士での支え合いのためなのかは不明だが。
「俺の方でも声を掛けてみる。貸しのある奴らだ、何人かは動くかもしれん」
「……ありがとうございます。すみません、お見苦しいところを」
希望が見えてやっと正気に戻ったのか、シアンはバツが悪そうに頭を下げた。
亜人たちの境遇を利用するようなやり方のためか、まだ表情に苦いものは残っていたが。
シアンには八つ当たり気味に毒を吐かれたが、腹を立てる程でもない。刃物が出てこないだけ可愛いもの。
どのみち二人だけでは回らないのは目に見えており、借金で無理矢理働かされる奴らでは戦力も戦意も疑問が残る。そういう意味では自分たちのためでもある。
「こいつの面倒を見てくれた礼だ」
ジグはそう言って踵を返すと、双刃剣を背にその場を後にした。
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