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道を塞ぐ大量の魔獣の死体。それらを全て退けるのは中々に重労働だが、石材を運ぶのに比べれば比較的楽に済ませられた。魔獣が大きいとは言っても同じ大きさの石材よりはずっと軽い。
「あんたらは手を空けておいてくれ。こんな化け物に襲われるくらいなら体液まみれになった方がマシじゃい」
何より職人たちが協力的だったのも幸いした。
魔獣の脅威を目の当たりにした彼らは護衛の冒険者たちの手が塞がることを嫌い、積極的に働いてくれた。日頃の仕事で慣れている彼らは手際よく連携して魔獣の死体を撤去する。
魔獣の血やら体液やらの悪臭に閉口していた彼らをシアーシャがまとめて水で洗い流せば、出発する準備が整った。
ゆっくりと動き始めた輸送隊。シアーシャのおかげで荷車には損傷らしい損傷もなく、浮遊術式は問題なく起動した。もし魔獣の攻撃で魔術刻印が破損していたら……考えたくもない。
輸送隊と歩調を合わせたジグが沈みゆく夕日に視線を向ける。
「そろそろ日が落ちるな」
「本当ならもう野営の準備をするべきなんでしょうけど……」
「仕方あるまい。これだけ血の匂いをさせた場所に留まり続けるわけにもいかん」
「ですね」
血の匂いは別の魔獣を呼び寄せる。それに人魔獣問わず、死体の横で寝ることにまともな人間は嫌悪感を覚えるものだ。死体を枕に睡眠をとるような戦場を経験しているジグはともかく、この時間帯での移動に異を唱える者はいなかった。
「それにしても潜口土竜! まさかお金になる部位が全然ないとは思いませんでした……」
「……まあ、な」
肩を落として先の戦果に嘆くシアーシャに、なんともいえぬ顔で同意するジグ。
あの魔獣、なんと使える部位がほぼなかった。牙はそこそこ硬いが珍しいというほどでもなく、肉は死後数時間で腐敗を始める。そもそも新鮮な状態でも非常に臭いため食用には向かず、薬などにもならない。強いて言えば死体は良質な肥料になるらしいが、肥料のために腐ったミミズを運ぶのなど御免被る。
ならばギルドからの評価値はどうか。こういったうま味のない魔獣には大抵、高い評価値を付与して釣り合いをとろうとするものだが……
「喫緊の事態でも起きなければ評価値も付かないどころか、土壌を良くしてくれるので無闇に狩ることを禁ずるだなんて……」
そう。この魔獣の排泄物や死骸は良質な肥料となり、汚染された土壌を改善してくれる。
危険な魔獣であると同時に益獣……益魔獣なのだ。襲われたり、人里に現れて被害が出ているのならばともかく、評価値目当てに乱獲されては堪らない。音に敏感という、準備さえ整えれば一網打尽にできる性質もあり、非常時でもなければ潜口土竜を狩ることで得られるメリットを無くしているのだ。
「たまにギルドで土運びの依頼を見かけるが、こいつらの排泄物が目当てだったとはな」
ただの土運びに何故冒険者を使うのかと疑問に思っていたが、この魔獣が生息している場所に行くのならば納得だ。音に敏感という性質を使えば引き離すことは難しくないとはいえ、一般の労働者を使うわけにもいかない。
「でも、わざわざ危険を冒すほど価値のある肥料なんですかね?」
「分からん……」
「ああ、そりゃ塩害の対策のためさ」
たかが肥料に冒険者を駆り出す理由が分からずに二人で首を傾げていると、近くにいた職人が割り込んできた。実家が農夫をやっているという職人は、魔女と傭兵という農業から縁遠い二人に説明する。
「塩害ってあれですよね。海の近くだと作物が枯れるっていう……でもここは海から何日も歩いた場所ですよ?」
塩害を大雑把に説明すると、土の中に塩分が多いと作物の水分吸収を阻害されるという現象だ。
しかしシアーシャの言うように、ハリアンは比較的海が近いが密接しているというほどでもない。
「塩害ってのは何も沿岸部だけで起こるわけじゃないんだぜ? 条件が揃えば内陸部でも十分起こりうるもんだ」
「……そうか、台風だな?」
海水が大量に巻き上げられる台風であれば、ハリアンぐらいの距離でも届く。
だがジグの答えを聞いた職人は”それじゃ三十点だ”と首を振る。
「台風もあるにはあるんだが、そうポンポン起きるもんじゃない。一番多いのは地下水さ。灌漑なんかで川から水を引き込んだりしてると、地下に塩が溜まることがあるんだと。他には肥料を使って連作していると同じように作物が枯れるらしい」
「地下水は分かるが……肥料に塩分は含まれていないんじゃないか?」
「俺もそこまで詳しくは知らねぇけどよ。どこでやっても同じような現象が起きたから間違いないと思うぜ? で、潜口土竜が糞したりほじくり返した土は不思議と塩分の取り除かれたいい土になるんだと」
「へぇー……農業って結構大変なんですね」
二人で職人の知識に頷く。こういった方面にトンと疎いため、初めて聞くことばかりだ。
興味深く聞き入る二人に気をよくしたのか、職人は鼻をこすって得意気に笑った。
「まぁな! あんたらに助けてもらっておいてなんだが、食いもんあってこそ戦えるってのを忘れないでくれよな」
冗談めかして言われた二人は顔を見合わせると、同時に小さく噴き出した。
「ああ、いつも実感しているよ」
「ですね」
それからしばらく移動し、いよいよ暗くなってきた頃に急ぎで野営の準備を始める。魔術で照らせるとはいえ視界が悪くなることに変わりはない。外での作業が多いためか、手慣れた様子で職人たちが天幕を張る。
各自で簡単に食事を摂りながら、冒険者たちで見張りをだす順番を決める。
輸送隊の前後で二人、荷車の上で全体を見る役が一人の計三人を都合する。
「どう分けましょうか?」
「我らは多少夜目が利く。見渡せる位置に置くのが賢明だろう」
「よっしゃ、それ採用だ。じゃあバルトたちは荷車の上を頼むぜ」
「他は皆前衛だし、私とシアーシャさんは別々にしましょう」
保存の利くパン片手にシアーシャ、バルト、ハインツ、リザの順に意見を交わしていく。
ジグたちはもちろん、リザとハインツも亜人に対する嫌悪感は持っていないようだ。スムーズに見張りの人員と交代時間を決めていく。
「しっかし、相変わらずこのパンはかてーな……」
時折硬いパンを齧り、職人たちが厚意で分けてくれた塩気の濃いスープを啜る。
ハインツたちやシアーシャがパンの硬さに負けてスープに浸している傍ら、ジグとバルトたちがボリボリと噛み砕いていく。流石は狼の亜人というべきか、岩のように硬いパンでも気にせず咀嚼している。
「……」
だがどこか落ち着かない様子で、三人ともが自分たちの天幕の方を気にしていた。尾が神経質に地面を叩いている。
「ふむ」
ジグが手にしたパンを齧る。バキリという食べ物なのかと疑いたくなるような音がした。
顎の丈夫な亜人ならば平気で食べられるだろう。普通の人間でも、汁物に浸せば何とか食べられるだろう。だが怪我をして体力が落ち、更に熱でも出始めたのならば……いかに亜人でも辛いかもしれない。
昼間に見た時はそこまで悪いようにも見えなかったが、容体が悪化しただろうことはバルトたちの態度からも見て取れる。荷台に積まれた砂鮫の口はお世辞にも綺麗とは言えなかった。
「ジグさん」
そう考えたジグが腰をどうすべきか悩んだところで、袖を引かれる感覚。
横に座る彼女を見れば、吸い込まれるような蒼の瞳と目が合った。夜空の星々すら霞むような深い瞳は、ジグに何かを訴えかけている。
シアーシャが何を言いたいか気づけないほど、ジグも鈍くはない。
「バルト」
「むっ?」
声を掛け、腰のポーチから取り出したものを彼に放る。
優れた動体視力を持つ彼は、意識が逸れていてもしっかりとそれをキャッチした。受け取ったのは小ぶりな包みと琥珀色の液体で満たされた小瓶。
狼の嗅覚が豊かな小麦と甘い蜜の香りを感じ取る。
弱っていても食べられる柔らかいパンと栄養満点の蜂蜜の組み合わせは、今まさに彼らが欲しいものであった。
バルトが驚きに目を丸くして顔を上げると、ジグがシアーシャの頭に手を置いて苦笑する。
「うちの姫様が、あいつの毛並みを心配しているぞ」
「っ、恩に着る!」
頭を下げるのもそこそこに天幕に引っ込んでいくバルトたち。
彼らを眺めていると、リザがこちらを見て少し意外そうに口を開いた。
「あなたって、意外と甘いね」
「……さて、どうかな」
見当違いな評価に曖昧に返す。
バルトたちに渡した乾パンと蜂蜜は決して安くはない、金のある商人たちが買うような高価な携帯食料だ。非常時の栄養確保のために用意したとっておきというやつだ。
少なくともジグは渡すつもりはなかった。
別にこれを渡さなかった程度でセブが死ぬことはないのだ。少し我慢すれば街に着いて医者に診てもらえる。栄養が不足して体力が落ち、怪我の完治に時間が掛かるぐらいで済む。
だからこれを渡したのはシアーシャの意思だ。
他人を気遣うことを覚えた彼女の意思を尊重してやりたかった。ただそれだけだ。




