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「潜口土竜!?」
千切れた胴体でのたうつ魔獣を見てバルトが声を上げ、その場から飛びのく。驚く間もなく地面から現れた個体が空ぶった口をパクパクと動かした。凶悪な見た目の乱杭歯から粘液が垂れ落ちる。
「砂鮫共が興奮していたのはこいつに追い立てられたせいか!」
飛びのいたバルトの着地音に反応し、潜口土竜が追撃する。見た目からは想像もつかないほどその動きは速い。
バルトへ向かって伸びた体を、左右から二つの影が横切る。仲間の亜人、レイフとロルフがすれ違うように輪切りにした。三分割された潜口土竜が動かない体で、それでも獲物を喰らおうと口を大きく開ける。
「ヒ……」
「奴らは音に敏感だ! 死にたくなければ迂闊に動くな!」
悲鳴が漏れそうになった職人の声を掻き消す吠え声。頭を踏みつぶしたバルトが魔獣の注意を引くように大声を出すと、自らは仲間と共に荷車を離れた。
その後を複数の潜口土竜が追っていく。
「それが最善か」
いきなり動くなと言われても、周囲どころか自分の足元に魔獣がいると気づいた職人たちの動揺は大きい。今も慌てて転んだ者に襲い掛かる魔獣をシアーシャが串刺しにしている。
職人たちを巻き込まないように魔獣を引き受けたバルトたちに倣い、ジグも距離をとる。
「シアーシャ、そっちの護衛は任せた」
「お任せあれ」
今やるべきことは少しでも護衛対象から魔獣を引き離すこと。この場は潜口土竜に対して無類の強さを発揮する彼女に任せれば間違いはないはず。
見た目や動きからも予想はしていたが、あまり知性の高い魔獣ではないのだろう。大きく足音を立てながら距離をとれば、複数の姿なき潜口土竜が追ってくるのを感じる。
「せりゃぁ!!」
同じように離れているハインツがハルバードを手に潜口土竜と戦っている。
彼はリザの援護を受けながら立ち回っていた。襲う瞬間まで姿を見せない魔獣は厄介なもので、いることが分かっていても後手に回らざるを得ない。ハインツが死角を突かれないように、木の上から広い視界で指示とボルトを飛ばすリザ。
「ハインツ、後ろ!」
「ッ、おらぁあ!」
リザの声に合わせてハインツが横に跳ぶと同時、ハルバードを振り抜いた。
頭部を捉えた斧刃が潜口土竜の口を斜めに切り飛ばす。
彼の横手から飛び出した潜口土竜を魔力を籠めたボルトが縫い留め、動きの止まった魔獣をハルバードが叩き割る。
見事な連携だ。二人組という冒険者としては少ない人数で活動している彼らだが、人数の不足が彼らの戦力不足に繋がるものではないことを示してた。
「ジグ! 一人で大丈夫なのか!?」
同じく二人組として見習うべき連携を観察していると、一人で離れたジグを気にしてか、ハインツが魔獣の血を払いながら声を掛けてくる。
大きな声だが、彼の声より近場の足音だと言わんばかりにジグへ迫りくる潜口土竜。
「気にするな」
ジグは双刃剣を緩く握ると下段に構え、姿なき魔獣が地中を泳ぐ様を想像して息を吐いた。
普段のように鋭く呼吸をするのではない。
ゆっくりと、深く。
取り込んだ酸素を体に行き渡らせるような呼吸法。
地面を掻き分けるようにして魔獣が飛び出る。
地中から躍り出たミミズの化け物は三体。合わせたのではなく、より先に食らってやろうという意思が見える暴力的な突進。
仲間同士でぶつかり合いながら殺到する魔獣が眼前に迫り―――
「一人の方がやり易い」
しかしどの牙もジグを捉えることは叶わない。
右に半歩足を滑らせ、下段に構えた切っ先が動いた。緩慢にも見える動作で先頭の一匹、その口端を引っかけた。それだけで潜口土竜は自らの進む勢いで傷口を広げ、魚の開きのようにその体の全てを晒しながら絶命する。
ほとんど自滅に近い形で始末された潜口土竜だが、決して偶然ではない。
息もつかせず残る二体が迫りくる。重心や呼吸など攻撃の直後には大なり小なり隙が出来るものだが、ジグの体勢も呼吸も倒す前とほぼ変化はない。
右、左と足を滑らせる。
正面から迫る潜口土竜の隙間を縫うように入り込む。
躱すというよりは動きを読んで、当たらない位置に身を置くような入り身。
上下一対の刃が弧を描く。轟音ではなく、軽く空気を裂くような音。
二匹の懐に入り込む動きと攻撃の動作は同時に行われている。
上刃がすくい上げるような逆袈裟の軌道で断ち。
下刃が魚を狙う水鳥のように斜めに斬り落とす。
「……!」
「す、げぇ……」
先ほどまでの力強い戦い方とは打って変わった、極限まで無駄を省いた戦技。
瞬きの間に三体を仕留めた手際の良さにリザが目を剥き、ハインツが感嘆の声を漏らす。
「―――」
ただ一人。シアーシャだけがジグの業に目を細めていた。
良い感情と悪い感情がないまぜになったような、複雑な顔で彼を見ていた。
ジグが力任せに戦う狂戦士などではなく、技も磨いた歴戦の傭兵なのは疑う余地もない。しかしその戦法は巨躯を活かした豪快かつ激しいものが多いのも事実で、それがジグの強みでもある。あのような、柔らかく相手を受け流すような戦い方をしたことはない。
ジグの戦いを剛と評すなら、柔とでも呼ぶべき対極の業。
免罪官、ヤサエル=バーロン。
かつてもっともジグを追い詰め、その命に片腕をかけるまでに至った強敵。
「単調だな」
四方から跳びかかる魔獣に合わせ、ジグの双刃剣が柔らかく宙を滑る。
真下からの襲撃を半身に逸らした体と、動作に合わせて袈裟に振り下ろした上刃で斜め斬りに。吹き出る血の雨を外套で防ぎながら、後ろへ。
左右からの挟撃を腰だめに構えた双刃剣の腹で円を描くように流せば、突っ込んできた別の個体に衝突して動きが止まる。隙を晒したところをまとめて斬り伏せ、足音で誘導。
「ほら、次はこっちだぞ」
爪先でトントンと犬を呼ぶように呼びかける。
反応して背後から襲い掛かる一匹に刀身を喰わせ、あえて切り裂かずに釣り上げる。口から頬を貫かれた潜口土竜が痛みにのたうち、呆気なく引きずり出される。地を叩く振動に反応した仲間が続々と喰らいつき、長い体があっという間にボロボロにされていった。
仲間の死体を取り合い潜口土竜たちが綱引きを始める。複数の長い胴体が右に左にと躍る様は、風にそよぐススキのようだ。
揺れるススキの間をジグが滑り、双刃剣が螺旋状の軌跡を描く。
通り過ぎた後を草刈りのように落ちていく潜口土竜たちの死体が埋め尽くした。
かの免罪官を彷彿とさせる動きで、ジグが次々に魔獣を屠っていく。
「……熱心なのは、いいことなんですけどね」
あの男の影がちらつくような戦い方にシアーシャが微妙な顔で頬を掻く。
ジグが強くなるのは嬉しいが、その理由がアレのおかげというのはあまり受け入れたくはない。
それを忌々しく感じる反面、あらゆるものを吸収して強くなろうとするジグを止めるのも違うと分かっているシアーシャは、何とも言えぬ顔で苛立ちを魔獣にぶつけた。
「あいでぇ!?」
「おっと、失礼しました」
八つ当たり気味に生み出した土の杭が勢い余って職人のお尻を突いてしまった。
半泣きで苦情を訴える職人に謝りながらも、彼女の意識はジグに向いていた。
「こんなものか」
最後の魔獣から双刃剣を引き抜いたジグが周囲を見渡す。
流石と言うべきか、シアーシャの守る輸送隊の被害はなし。一人尻を押さえて悶えているが転びでもしたのだろうか。後はジグの投げた砂鮫を受けた男くらいか。
人だけでなく荷車まで完全に守り切るのは彼女でなければできなかっただろう。
ハインツとリザも目立った傷はないようで、かぶった魔獣の血を水で洗い流している。
バルトたちはどうかと引き連れていった方へ視線をやると、丁度戻ってきたようだ。魔獣の血で毛皮を赤く染め上げた狼の亜人は中々に迫力があり、職人たちがわずかに怯えを見せる。
そのことに気づいたバルトが指示を出すと、レイフとロルフが互いに魔術で水をぶっかけて血を落とし始めた。
「すまん、思ったよりも引き付けられなかった」
バルトが豪快に頭から水をかぶって血を洗い流すと、ジグの周りにいる潜口土竜の数に気づいて耳を落とす。バルトたちは半数は引き付けるつもりだったが、実際に釣りだせたのは精々三割といったところだ。
「いや、輸送隊の一番近くにいたやつらを引き受けてくれただけでもありがたい」
かぶりを振ったジグが彼らの動きの速さに感謝する。あの場で彼らが最も早く動いたおかげで被害が少なかった側面もある。ジグは精強で、シアーシャは強力だが、冒険者としての経験はまだまだ浅い。
「そう言ってくれるとありがたいよ」
苦笑いしたバルトが犬のようにブルブルと体を震わせて水を乾かしている。
精悍な狼の顔をしているのに、犬のような仕草に妙に愛嬌を感じてしまう。こういう仕草は亜人でも動物でも同じなんだなと益体もないことを考える。
「さて……もうひと仕事だな」
水を払ったバルトが渋い顔で魔獣の死体を足で転がした。
苦みの強い彼の言葉にハッとして周囲を見て、ジグは己の失敗を悟る。
辺り一面は巨大のミミズ魔獣の死体で溢れかえっており、その巨体も相まって足の踏み場がない。荷車を動かすには死骸を片付ける必要がある。
酷い匂いを発している魔獣の死体を退けるのは、ある意味倒すよりも大変かもしれない。
「……すまん、別の場所に誘導して倒すべきだった」
今更それに気づいて顔を顰めるが、後の祭りだ。
さっきは職人たちを守ることを優先していたとはいえ、もう少し考えて動くべきだったかもしれない。
人間と比べて魔獣の死体は大きく重い。同じ感覚で処理すると看過できない手間が発生することもあるのだと、進路を埋め尽くすほど大量に転がった魔獣を見て反省するジグであった。




