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大変お待たせして申し訳ありません……
コロナと溶連菌のダブルパンチで死にかけておりましたが、無事復帰しました!
出発してから三時間ほど経った。今のところは魔獣の襲撃もなく、見晴らしもいいので護衛の緊張も少なくやれている。
石切り場は既に抜け、まばらな木々が生えるだけの道を移動していた。
「……ま、平和でいいことです」
拍子抜けという表情を隠しもしないシアーシャが、つまらなそうに小石を蹴った。
あまり褒められた態度ではないが、口にしないだけ成長しているとも言える。
石材という荷物の都合上、野盗の類が襲ってくることはまずないし、魔獣が好き好んで襲ってくる理由もない。本来であれば比較的安全な輸送依頼なはずなのだが。
「……」
ジグは護衛についている亜人たちを盗み見た。
気を張っているのか、周囲を警戒する視線は険しい。神経質に何度もあちこちを見ており、毛が逆立っている。一度襲われたから、という理由だけでは説明がつかないほどの緊張感を纏っている彼らを見ると、気を抜く気にはなれなかった。
ちなみに彼らが襲われたのは砂鮫と呼ばれる小型の魔獣らしい。
地中を泳いで移動する魚型の魔獣で、鋭い牙と尾びれを持っている。土の魔術で障害物を分解して砂中地中問わず素早く移動し、集団で獲物に食らいつく。非常に優れた嗅覚を持っており、徒歩半日以上の距離からでも血の匂いを嗅ぎつけて来るのだとか。
しかし彼らは非常に憶病でもあり、本来の獲物は小型の動物や魔獣の死体だ。血の匂いで興奮でもしていなければ人間を襲うことは稀だという。死肉を求めて森や山を回遊する砂鮫は森の掃除屋とも呼ばれている。
「腕の肉をがっつりいかれたらしい。狼の毛皮ごと喰い破るとは、小型魔獣と侮れんな」
セブの容態を聞いた時は思わず顔を顰めてしまったものだ。ジグも今まで様々な傷を負ってきたが、喰われた経験はない。自分の肉を食われるとはどんな感覚なのだろうか。
「狼肉って美味しいのかな……」
不穏なことを口にしたシアーシャだが、ジグはその問いに対する答えを持っていた。
「意外とイケるぞ」
「え、食べたことあるんですか……?」
流石に狼は食べたことがなかったのか、興味半分食欲半分といった様子でシアーシャが聞いて来た。
ジグは昔、戦争で訪れた地で現地民と物々交換した時を思い出して頷いた。
「癖はあるが、食べられない程でもない。進んで食べたいとも思わんし、牛や豚の方が美味いがな」
「なるほど……セブさんに言っちゃだめですよ?」
彼が狼型の亜人であることを気にしたのか、妙な気の回し方をするシアーシャ。
どこかおかしい彼女の気の使い方に、思わず笑ってしまう。
「どうかな。俺は猿を食べる奴がいても……引きはするが、同族を食われたと怒ったりはせんよ」
「あー確かに。……魔獣だけど、蜥蜴肉って結構美味しいんですよね」
猿と人間を同一視する人間はいないが、亜人たちはどうなのだろうか。ウルバスに人間が蜥蜴肉を食べることについてどう思っているのか、今度聞いてみよう。
そんな雑談をしながら歩いていると、徐々に日が落ち始めていた。
夕方には早いが日中のピークは過ぎた、そんな曖昧な時間帯。
「来たぞ!!」
そんな時に魔獣たちはやってきた。
襲撃を告げる怒号と指笛が木々の間に木霊する。
それに狼狽えながらも、職人たちが衝撃で荷車が制御を失わないように掛け釘を打つ。
「砂鮫の群れだ! 百はいる!!」
先行していた斥候役のリザが戻り、魔獣の種類と規模を報告する。
それを聞いた職人たちがどよめき、冒険者たちは無言で表情を硬くした。
魔獣自体の脅威度は大したことがない……が、数が多い。
また相手の速度が速いため、全てに対処するのは難しいという問題があった。冒険者が自分の身を守るだけなら問題はないが、戦闘の素人である職人たちを守り切るのは難しい、そういう手合いだ。
「見えたぞ! 防御術用意!!」
ハインツの声に進行方向を見れば、木々の合間を小さな影が跳び交っている。
地中から跳ねた砂鮫の姿は、海を泳ぐ鮫とは似て非なるものだった。
螺旋状の歪な頭部と小さな眼。土色の体に鋸状に生えた歯は、そこだけ不気味に白く目立っている。兎くらいの大きさをした体は跳ねるたびに回転しており、着地の際に抵抗なく地中に潜っている。
確かにあの群れをこの人数で凌ぐのは難しい。何人かは肉を食い千切られるかもしれない。
「シアーシャ、壁で止められるか?」
「たぶん……でも何匹かは漏れちゃいますよ?」
土ならば彼女だろうと尋ねてみると、やや不安げな返答。壁を作っても下を抜けられる分には保証できないといったところか。
「合図で壁を頼む。直前まで敵の位置を見たい」
だが、それぐらいはこちらの仕事だ。
粗方の掛け釘を打ち終えて荷車を固定した職人の肩を叩くと、親指で上を指す。
「荷車に乗れ。真下から食いつかれては守り切れん」
「わ、分かった!」
石材で満載の荷車を下から喰い破るほどの魔力も咬合力も、砂鮫にはないはず。
慌てて荷車に登り始めた職人たちを尻目に、双刃剣を抜いた。
幸い荷車に刻まれている浮遊術式は強力なようで、職人たちが乗っても問題ないくらいの積載量を持っていた。
「シアーシャが正面を壁で塞ぐ。俺たちは下から潜ってくる奴を対処するぞ」
「了解!!」
ハインツが答え、バルトたちが無言で剣を抜く。リザは近接戦闘ではあまり役に立てないので、木の上から魔術とボルトでの支援を選んだ。
跳ねる砂鮫たちとの距離が近くなっていく。尖った頭部と鋭い牙が肉を穿たんと迫りくる。
一直線に向かってくる魚影はまるで槍兵と対峙しているようで、掌にじっとりと汗が浮かんできた。
魚の群れが泳いでいるのを見たことがあるが、その進行方向にいるのがこれほどプレッシャーを感じるとは思わなかった。
「やれ」
砂鮫たちとの距離が三メートルを切った時、合図を出す。
防御術特有の鉄のような臭いが辺りに充満した。
シアーシャが術を解放すると、津波を思わせる土の壁がせり出した。
突如として現れた土の壁に砂鮫たちが止まり切れずに激突していく。
奴らは普段、土の魔術で地面を柔らかくして地中を泳いでいる。しかしこの時ばかりはそうはいかなかった。ただの壁に過剰なほど籠められた魔力差がそれを許さない。
結果、砂鮫は頭から壁に突っ込むこととなる。砂鮫自体の体は大きくもなく、耐久力が特別高いわけでもない。突き刺さった衝撃で気絶したり、運悪く首の骨が折れてしまった個体もいるようだ。
ダーツのように壁に突き立った大量の砂鮫。しかし全てが壁で防げるわけではない。
後に続く砂鮫は先頭が壁に激突したのを見るや、より深く潜って壁を潜り抜けた。
無事に死の壁を突破した砂鮫は勢いよく地面から飛び出ると、先ほどまで獲物がいた場所目掛けて食いつかんと牙を剥く。
「よく来た。死ね」
そんな言葉と共に、赤黒い一閃が砂鮫の胴体を殴打した。
刀身の腹で払いのけるように引っ叩かれた砂鮫は、真横に吹っ飛んで木にぶつかり、破裂した腹部を晒す。
その一匹だけではない。
続々と飛び出す砂鮫の群れを、ジグは淡々と処理していった。
時に双刃剣の上刃で弾き飛ばし、そのまま体を回して下刃で二匹まとめて叩き潰す。
時に手甲で叩き落とし、眼前に迫る砂鮫をボールのように上へ蹴り飛ばす。
ジグだけではない。
ハインツがハルバードで薙ぎ払い、バルトが長剣と盾を活かして堅実に打ち払う。
リザの爆発ボルトが壁向こうの砂鮫をまとめて吹っ飛ばしていた。
「ひ、ひぃ!?」
それでも何匹かは掻い潜ってしまう個体もいる。
牙を剥いて飛び掛かる砂鮫の凶悪な顔に職人が悲鳴を上げて目を瞑る。せめてこの腕だけは持っていかせはしまいぞと、体を丸めて。
しかしいくら待てども覚悟していた痛みは来ない。
恐る恐る目を開けると、石材がひとりでに浮かび上がり砂鮫を文字通り食い止めていた。
「ちょっと借りますね」
蒼い瞳の美しい冒険者がそう言うと同時、荷車の石材のいくつかが浮かび上がった。
まるで意思があるかのように何個かの石材が彼らの正面に移動すると、そのまま静止する。その向こうでガツンガツンと乱暴なノックが立て続けに鳴り始めた。
「やば、ちょっと削れちゃったかも……まあ命と比べれば安いものですよね」
艶やかな黒髪を靡かせた彼女はそう言って一人納得すると、職人たちへ目配せしてきた。
今まさに石材に食いついてビチビチしている砂鮫を前にして、否と言えるはずもなかった。
11月下旬発売の五巻には一万字近くにもなる追加エピソードを収録しておりますので、お楽しみに。




