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翌朝からはジグも日課を再開していた。
体の傷はもとより、その回復に伴って消耗した体力も完全に戻った。勘を取り戻すというほどの時間は経っていないが、それでも剣を手にしていないと落ち着かないのは彼の性分か、師の教育の賜物か。
そんなわけでジグは朝も早い時間から、体の調子を確かめるように双刃剣を振るっていた。
子供の頃から幾度となく繰り返した鍛錬。武器が変わって体の使い方が変わったとしても、やることにそう大きな変化があるわけでもない。
「ッ!」
音にならない鋭い呼気と共に放たれる無数の斬撃。赤黒い刃が幾筋も空を裂き、剣圧が草木を揺らしている。
その刃をぴたりと止めると、ジグは正面に仮想敵を描いて構える。
「スゥ……」
呼吸をしながら思い出すのはテギネの槍捌き。鋭さと柔らかさを兼ね備えた変幻自在の槍。
これまで大小問わず無数の修羅場を潜ってきたジグをしても、あれほどの槍使いはそうは居ない……ただ一人、かつての師を除いては。
彼とテギネ、どちらの槍が上だろうか。もう一度やれば、果たして勝てるだろうか。
想像の相手にいくら剣を振れども、その答えは出ない。
それでも二人の槍の冴えを思い出せば、自然と双刃剣を握る手にも力が入る。
「ふっ!」
いつにも増して熱の入った一振り。
戦いに絶対などない。実力の伯仲した者同士であれば猶更だ。そんな当たり前のことを分かっていながらもどちらが強いかに拘ってしまうのは、きっとそれが自分のことではないからだろう。
己を鍛え上げた師と、己が鎬を削り合った末に打ち破った強敵。
どちらにも肩入れしたくなり、しかしどちらが上だと決めても不満が残る。
意味のない比較だ。だからこそ気になるのかもしれない。
つらつらと思い浮かぶ思考を締めの一刀で鍛錬ごと切り捨てる。顎から垂れる汗はいつもより多かったが、ついぞ答えは出なかった。
「―――何の用だ」
いつの間にか、宿の壁に一人の男が背を預けていた。
崩した着流しにくすんだ赤茶髪。赤い瞳と鋭い犬歯は血に飢えた肉食獣を思わせる。
男は腰の二刀に片手を置き、滑るような足取りで近づく。
「やぁお兄さん、久しぶり。相変わらずいい腕してるね」
ジィンスゥ・ヤの異端児、ライカ=リュウロンは挑発的な態度を隠しもせずにそう言った。
「お前か……」
挑発的とはいっても、こちらに殺意があるわけではない。ジグの腕を試したくて仕方がない、そんな様子が滲み出ているようだ。
どこかの誰かさんとよく似た空気だが、とりあえず敵ではないと判断したジグが汗を拭う。双刃剣は手放さぬままだが。
完全には警戒を解かないジグを見たライカは何が面白いのか笑みを浮かべた。
「邪魔しないように静かにしてたんだけど……あまり意味はなかったみたいだね」
本音を言えばあまり気分のいいことではない。ジグのいた場所では迂闊に人の鍛錬を覗く行為は論外だ。命の取り合いが日常である戦場に置いて、心血を注いで鍛え上げた業を盗み見るような行為は最悪殺されても文句は言えない。
しかしこちらではそれが非常識なことであることも理解している。
違和感に顰めそうになる眉を我慢し、何でもないことのように流す。
「……気にするな。人がいる程度で集中を乱していたらやってられん」
「ごもっとも。聞いたよ、テギネおじさんをやったんだって?」
ライカは赤黒い双刃剣を興味深そうに見ながらそう言った。
その口ぶりに含むところは無く、彼は仇討ちの類にはまるで興味がなさそうだ。
「で、どうだった?」
「何がだ?」
「なにって、決まってるじゃないか。強かったかい? どんな最期だった?」
身を乗り出したライカは、まるで土産話をねだる子供のように目を輝かせている。
彼にとっては生死よりも、どう生きてどう死んだかの方が大切らしい。
「お前は奴の槍を見たことがないのか?」
「テギネおじさんは僕が小さい頃に出稼ぎに行ったままだったからね。当時の僕じゃ、あの槍は捉えきれなかったんだ」
ライカは昔を懐かしむように目を細めた。
「はぁ……一度でいいから、本気のおじさんと死合いたかったなぁ」
彼は心底残念そうに肩を落とす。
一見するとただの戦闘狂で、実際その通りだ。
しかしライカは殺したジグを恨むでもなく、憎むでもなく、そういうものとして流した。
そんな彼の姿は、昨日感じた落胆をほんの少しだけ軽くしてくれた。
「―――いいだろう」
だからジグは静かに語った。
テギネという武人の強さと、その最期を。
「……そっか。テギネおじさんらしいな」
全てを聞き終えたライカが呟く。彼は寂しさとも、悲しさともつかない顔で空を見た。
傭兵であるジグには彼らの、武人の感覚は分からない。生き死にに対する捉え方が違い過ぎるからだ。
「……おっと。いけないいけない、忘れるところだった」
しばらくそうしていたライカは何かを思い出したようにこちらを振り向く。彼の口調は先ほどまでの表情を感じさせない、さっぱりしたものだった。
「昨日、イサナたちと鉢合わせしてね。聞けば、未熟な同胞が随分と迷惑を掛けたらしいじゃないか……いや、お恥ずかしい」
「……気にすることはない。俺が勝手な期待をしていただけだ」
「まあ、そのお詫びってわけじゃないんだけど、ちょっと耳に入れておきたい話があってね」
頭をがりがりと掻きながら、意味ありげな顔でジグを見る。
「お兄さん―――賞金首になってるよ」
なんでもない口調で、バッサリと告げられた。
一時、ジグの動きが止まる。
きっかり三秒固まってから、何でもないかのように水筒を呷り水分を補給する。微妙にこぼれたのは彼の動揺の表れか。
それを面白そうに眺めていたライカの方へ顔を向け、聞き返す。
「……なに?」
「賞金首だよ」
ライカの即答。どうやら聞き間違いではないらしい。
さしものジグも自分がお尋ね者になっていたと言われては多少は動揺する。
「待て、俺は法を犯すような真似は……」
やっていない、と言いかけて口ごもる。
ご禁制の戦闘薬、マフィアとの依頼、冒険者の殺害といった罪状が脳裏を過る。
「……バレる様には、やっていない」
「うん、お兄さんの日頃の行いがよく分かる反応をどうもありがとう」
ジグの反応に苦笑しているライカ。そんな彼を見てジグも冷静さを取り戻した。
仮にもし犯罪者として追われる身になったのならば、真っ先に賞金稼ぎが来るのはおかしい。まずは憲兵が来るのが筋だ。彼らを殺害、あるいは逃走し、その追跡を振り切った者に対して賞金が掛かるのが順番として正しい。
だがライカとて嘘を言いに来るほど暇ではないはず。
どういう意味だと視線で問う。
「ごめんごめん、言い方が悪かったね。この場合の賞金首って言うのはさ、個人的な事情で始末してほしい人が出してるんだ。犯罪者として指名手配されてるわけじゃない」
「……私怨か」
つまりジグに死んで欲しい誰かが、非正規の手順で無差別に殺害依頼を出した……そういうことだ。
「恨みを買う心当たりは……って、聞くまでもなさそうだね」
「まあ、な」
こんな仕事だ、恨みを買うことなどいくらでもある。敵対する可能性のない相手を探す方が早いくらいだ。
「それで、お前はその賞金首を狩りに来たのか?」
「まさか。こんな非正規の違法依頼なんて受けたら、それこそ本当の賞金首になっちゃうよ。ただそういうのを気にしない輩もいるから、一応注意しに来たんだ」
「……そうか」
賞金稼ぎは犯罪ではない。国が犯罪者として定め、賞金を懸けた者を殺すことは罪には問われない。
しかし非正規の依頼となれば話は別だ。そもそも正規の手順を踏まない賞金首など、ただの殺人依頼と何ら変わらない。受ける方も頼む方もまともな人間ではなく、いざ依頼を達成して報告に行ったら依頼主に始末されるなんてこともあるのだ。
その代わり賞金は法外に高いのが多く、金に困った者が手を出すことがよくある。ちゃんと賞金が払われる確率は……誰にも分からないが。
殺人嗜好を持つライカだが、その辺りの流儀は弁えているようだ。彼には彼なりの流儀があり、それに則って殺しをしている。修羅道を行きながらも道を踏み外していないことは敬意すら抱く。
「ま、お兄さんなら大丈夫だろうけど」
本当にそれだけ言いに来たのだろう。ライカは背を向けると歩き出していた。
ふと気になったジグは彼に問う。
「いくらだったんだ? 俺の首に掛かった金額は」
ライカは背を向けたまま肩越しに指を四本立てた。
四十万か、四百万か、はたまた……
彼は想像に任せると言わんばかりに黙したまま笑みを浮かべ、太陽と入れ替わるように街の陰に消えていった。
明日2024/08/31に秋葉原ゲーマーズ様にて私のサイン会が開催されます。
少ないですが当日券もございますので、よろしければご参加いただけますと幸いです。




