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事前にシェスカがまとめておいてくれたとはいえ、装備の作成には時間が掛かるものだ。ガントたちと装備の交渉を終えて外に出た頃には日が傾きかけていた。
「そろそろシアーシャと合流するか」
夕食の約束をしていたのもあるが、相談しなければならないこともある。
ジグは懐からガントから渡された要求素材のメモを取り出す。
これらが入手できる依頼を優先して受けてもらうようにシアーシャに頼み、それでも揃わない場合は伝手を使って用意する必要がある。
伝手に関しては問題ない。白雷姫と名高い二等級冒険者様を始め、ジグには複数の高位冒険者に様々な貸しがある。多少の無理は聞いてもらえるはずだ。無論、自分で揃えられるならばそれに越したことはないが。
ちなみに手甲は数日要するが、胸当ては明日には用意できるらしい。随分早いが、ガントの睡眠時間を犠牲にすれば問題ないとのこと。ジグとて今回はそれに申し訳なく思う必要もない。
それに追加で外套を新しいものに変えていた。
ジグの脱いだ外套をシェスカが無言で見ていたのでどうしたのか聞くと、遠回しに臭いと言われてしまったのだ。
洗ってはいる……いるのだが、人間だけでなく魔獣の血を頻繁に浴びるジグの外套は何とも言えぬ血生臭さを放っていたのも事実。顔に血を浴びると一時的に視界を失うため、外套で受けることが多いので致し方ないことだ。
血生臭いのをいちいち気にしていたらこの仕事はやっていけないが、好んで臭くなってるわけでもない。ちょうどボロボロだったのでいい買い替え時でもあった。
新しい外套は撥水性の高い魔獣の毛皮を使用しているもので、暗めの緑をしており目立つこともない。耐火性も高く低級の炎魔術くらいなら凌げるが、通気性が悪く熱がこもるので暑い場所での使用は避けるように言われている。外套は直射日光を避ける意味でも使用するのでやや汎用性は落ちたが、普通の外套も買っておけば問題はない。
「さて……シアーシャは、と」
ジグは彼女が寄ると言っていた店の方角へ足を向ける。
ハリアンは人口が多く、居場所が分かっていたとしても特定の個人を探すのは中々に骨だ。だが彼女に限ってならば話は違う。
こちらの人間には分からないようだが、魔女という生物の異質さは多少離れた程度で薄れるものではない。おおよその方角さえ分かれば、それを辿るのは難しくはないのだ。
この性質ゆえに向こうの大陸では魔女が人里に紛れることができなかった。たとえ魔女と出会ったことがなくとも、その存在をお伽噺程度に捉えていたとしても、関係ない。生物としての本能に訴えかけてくる危険性はそれらの理屈を飛び越えて恐怖を呼び起こすものだ。
大体の居場所さえ分かれば、後はシアーシャの方からジグを見つけてくれる。
頭一つ二つ抜けているジグの身長は遠目からでも目立つ。ジグが個人を見つけるのは難しいが、他の誰かがジグを見つけるのは容易であった。
「まあ、大抵は面倒ごともセットなんだが……」
いつぞやイサナに捕まって面倒な人探し……人攫い探しをした記憶を思い出して苦い顔をする。
そうして街を歩いていると、ジグの感覚が慣れた異物を検知する。人ごみに紛れていようと分かる、強力な魔獣にも似た存在感。
見えぬ膜が迫ってくるような感覚を頼りにそちらを見れば、案の定人をかき分けてシアーシャが現れた。
「わっ! 良く気付きましたね。こんなに人だらけなのに気配って分かるものなんです?」
これだけ人がいる中でどうやってと彼女は不思議そうにしている。
蒼い目を丸くし、雑踏の中でも不思議とよく通る透き通った声。
「お前は特別だ」
特別異常だから気づく。その後半を端折って言えば、シアーシャは少し驚いたような顔をした後に相好を崩した。
彼女の顔を見ると微妙に違う意味にとられたような気がしないでもないが、わざわざ訂正するのも面倒なので話を変える。
「それが頼んでいた魔具か?」
彼女が手にしているのは手の甲から前腕を覆うような革であった。一見防具のようにも見えるが、それにしては少し頼りない。あれでは短刀を防ぐので精々だ。
「これはですね……なんと懐炉ならぬ、腕炉です!」
「かいろ……温石の類か?」
ジグは懐の炉という言葉から似たようなものを連想する。寒い時期は熱した石や砂を布で包んで懐に入れて凌いだものだが、似たようなものはこちらの大陸にもあるらしい。
しかしジグは素朴な疑問をシアーシャに投げる。
「魔術を使えるのに、わざわざ魔具を作る必要があるのか?」
そう、魔術を使えば火を熾すことなど容易い。直火なので調節は難しいだろうが、手間暇かけて魔具を使うことの意味が分からなかった。隠密行動中に火を使えない状況くらいだろうか。
ジグの疑問にシアーシャはあまいですねと指を立てて首を振る。
「確かに魔術を使えば火を出すのは簡単です。しかし出し続ける、となると話は変わってきます。例えて言うなら……常に特定の筋肉に力を入れ続けるようなものでしょうか。歩く時も食べる時も戦う時も寝る時も常に意識し続けなければいけません」
「なるほど……確かに労力としては大したことはないが、気力と集中力が削がれるな」
移動時くらいならば問題ない。だが戦闘中は論外で、体と心を休める食事時や睡眠時にまでそれを維持するのは困難だ。できるが、その他の行動に著しく集中力を欠いてしまうだろう。暑さにしろ寒さにしろ、一時だけ凌げばいいというものではないのだから。
ならば一度魔力を注いでしまえばしばらく稼働する魔具を使用する方が効率的というわけだ。
「荷台も同じですね。常にそっちの術式を意識しながら戦うのは……やれないことも無いですが、毎日なんて気疲れしちゃって無理です」
「楽をするために疲れては本末転倒というわけか。それなら確かに納得だ」
常に意識を割かねばならないことの面倒さは今更語る必要もないだろう。
寒さは体の動きを鈍らせる程度の話ではなく、体温の低下はまさしく命を削ることと同義と言っていい。寒ければ体を維持するための食料と水分を余計に消耗し、体の動きが鈍ればそれだけ命の危険が増す。冬の雪中行軍で最も多くの兵を殺したのは雪だと嘯く将もおり、間接的と言えどジグもそれを否定する気はない。
いざ戦いになるという時に指がかじかんで剣が握れないでは笑い話にもならない。それどころか凍傷で指が捥げたなどということもある。雪中行軍を経験した兵の手足の指が揃っていないことはザラにある話だ。
森に棲んでいたシアーシャも暖をとることの重要性をよく理解していた。
話しながら店を物色していると、シアーシャが袖を引く。彼女が指す方を見ると、魚料理を出す店があった。女性だからか森生活が長かったからか、シアーシャは肉よりは魚料理が好きだった。生はまだ駄目らしいが。
ジグが頷くと、シアーシャが嬉しそうに手を引いて店に入る。
空いた席に座って適当にいくつか頼む。その適当の量に店員が驚きながら奥に引っ込んでいくのを見送った。
置かれた水で口を湿らせる。
「はい、じゃあこれ」
「む……?」
そうして料理を待っていると、彼女は買ったばかりの魔具をジグの方へ手渡してきた。
「私からのプレゼントです。いつもありがとうございます」
贈り物だと言われて、彼女の顔を見た後に腕炉を見る。初めから自分のために作られたものだと、彼女には大きすぎるそれを見て今更気づいた。
「……いいのか?」
なんと口にしたものかと悩んだ末に出たのはそんな言葉。駄目なら最初から買わないし、そもそもシアーシャには大きすぎるというのに。
「もちろんです。……私の護衛が、いざという時に寒くて動けないのでは困りますから」
そう冗談めかして笑う彼女が早くとこちらに差し出す。
ジグはまるで壊れ物を扱うように魔具を受け取る。
贈り物をもらうなどいつ以来だろうか。ジグとて貰ったこと自体はある。一人前と認められた際に師から譲られた短剣や、団長に手ずから付けられた徽章などだ。
だが今手にしているこれは、過去貰ったどれとも違うような気がする。
その違いを上手く言葉にすることが出来ない自分の不器用さを、ジグは疎ましく思った。
「……ありがとう」
かろうじて絞り出したのは、そんな陳腐な感謝の言葉だけであった。




