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 客と店員。

 買う側と売る側。

 

 両者間に生まれるのは基本的には金銭での取引であり、斜に構えた言い方をすれば”金だけの関係”というやつだ。

 それでもお互いに人間同士であるならば会話が生まれ、円滑な人間関係とは時に金銭だけでは測れない様々な利点をもたらす。


「ようこそいらっしゃいました。本日は何をお求めでしょうか?」

「手甲を……」

「手甲ですね? ジグ様が以前購入した際にお聞きしたご要望を参考に、僭越ながら私がリストアップしておきました。もちろんこの中から購入するのでも構いませんが、形状や素材をお選びいただけばオーダーメイドすることも可能です」

 

 だから店員であるシェスカの機嫌が良いことは決して悪いことではないはずだ。

 たとえこちらが一言口にしただけでずらりと手甲だけのリストが渡されたり、そのリストがジグの求める要点を実によく押さえているものだったり、参考金額が妙にこちらの懐具合を把握しているものだったりしてもだ。


 

「……む」

「胸当てですね? こちらに現在当店の在庫からジグ様の要望を満たす素材をリストアップしておきました。もちろん魔力を通さずとも使用できる物ばかりです。人手と材料は揃っておりますので、この中から選んでいただければ時間を取らずに製作が可能ですよ」


 唸ったジグの手に更なるリストが追加された。


 いや、そういう意味の”む”ではない。

 そう言おうかと思ったが、迂闊なことを口にしてこれ以上リストを出される可能性が頭を過ってしまい、無言でこくりと首肯する。胸当てを買おうとしたのは事実なのだ。


 シェスカは丁寧な対応ながら、妙にやる気の感じられる目でジグに詰め寄って来た。


「先ほども言いましたが人手のことなら気にしないで下さい。ガントの手は空けておりますので」


 正確にはまたしても需要の無い魔具の設計図を書いていた彼の要求素材を、全て蹴って空けておいたのだが。

 事情を知らないジグがそこまで読み取ることは出来ないが、ガントが何かしらシェスカの圧力を受けていることくらいは察せられる。そこにさして同情しようとは思わないのがガントの人柄というやつだろう。

 

「……」


 ちらりとシェスカを見ると、突き刺すような圧を感じる視線。別に非難されているわけではないのだが、この手の視線はあまり経験がないのでどう対応していいのか分からない。

 ジグは無言で書類を持ち上げてその視線をカットした。紙越しでもこちらを見ているのが分かるが、意識しないように努めて文字を頭に入れる。


「ほう」


 そうして口から漏れたのは感嘆の声。

 半ば逃げるように目を通したリストだったが、思わず目を引くほどに綺麗にまとまっていた。

 素材の強度や重量、弱点などが一目で分かるようにまとめてあり、更には価格比などが細かに記載されている。

 

 手間と時間が十分に掛けられた、見事な見積書であった。

 単なる生活の糧としてこなしている仕事では、これを作ることはできない。形や内容こそ違えど、シェスカの仕事へ掛ける情熱が良く伝わってくる。

 

 書類を少し下げると、期待に満ちたシェスカと目が合った。


「流石だな」

「恐縮です」

 

 ジグが笑みを浮かべて短く称賛の言葉を贈れば、同じく不敵な笑みで彼女が一礼。

 出来る女性特有の自負と、それを鼻に掛けない慎み深い態度。仕事に打ち込んでいる彼女は生き生きとしており、ただ外見が良いだけの女性とは一味違った魅力がある。


「ではこちらへ。鍛冶師の意見も交えて詳細を詰めましょう」

 

 自然な所作で先導するシェスカについて行くジグ。

  

 なるほど、わざわざ指名されるほど人気があるのも頷ける。

 性欲で店員を判断するのもあながち間違っているとは言い切れないものだ。


「……俺も、まだまだ青いな」


 男性店員の言っていたことを理解したジグは、滑らかな曲線を描いている腰へ行きそうになる視線を剥がして嘆息した。


 






「―――で? 僕の要求した素材をぜぇんぶ却下して、しかも今の作業を中断してでもジグ君の装備を作れって?」


 何人もの鍛冶師が槌を振るい、熱加工する魔具を使う工房の中は相も変わらず熱気で満ちている。申し訳程度に置かれている冷却用の魔具が白い息を吐き出しているが、人と物の生み出す圧倒的な熱量の前には悲しいほど無力だ。


 慣れているのだろう。ガントはそんな中でも涼しい顔で図面を引いており、突然やって来てそれを中断させられたことに不満を露わにしていた。


 鍛冶師である彼の握力で握られたペンが見るも無残な姿になっている。


「その通りです、ガントさん」


 並の女性であれば怯むであろう職人の不愛想さを全開にしているガントだが、それで退くようではエルネスタ工房ではやっていけない。


「まずジグ様と手甲に使う素材を決めていただいて、材料が届くまでの間に胸当てを作ってしまいましょう。採寸は今更必要ありませんね?」


 堂々たる態度でリストを図面の上に放り、邪魔な製図道具を脇に避けて話を進める。

 眉をヒクつかせてそれを聞いていたガントだったが、シェスカに無言の苦情は意味がないことを理解した彼は曲がったペンを放り投げて頭の後ろで腕を組む。


「はぁーあー。欲しい素材は却下されるし、やりたい仕事は妨害されるし、なぁんかやる気なくなっちゃったなー」


 そう言って投げやりに椅子に腰かけると、背もたれに寄りかかって足をぷらぷらさせている。遊んでいる時に親の手伝いを命じられた子供のようなへその曲げ方だ。


「ガントさん!」


 ガントのあまりな態度にシェスカが諫めるも、どこ吹く風だ。

 いつもは彼女に怒られるとすぐに尻尾を丸める彼にしては珍しく、そっぽを向いたまま無視している。どうやら本気で怒っているようだ。

 怒鳴り散らすのではなく拗ねるところがなんとも彼らしいが、いい歳をした中年が拗ねている光景ははっきり言って見るに堪えない。


 彼は腕は良くとも交渉が非常に大変な人物だと聞いてはいた。これまでは多少腹の立つ物言い程度にしか感じてこなかったが、なるほどこれは酷い。

 太い指先で髭をくるくると丸めて遊び始めたガントと、何か殴る物はないかと手ごろな鋼材を探し始めるシェスカ。このままでは装備の相談どころか、医者を呼ぶことになるかもしれない。


 ジグは武器を外して立て掛け、外套を脱ぐと手近な作業台の上に放った。

 そうしてガントの前に立つと、彼は胡乱げな眼で見上げてくる。彫金などもこなす彼の手先は器用なもので、三つ編みにされた髭が揺れている。


「……なにさ」


 普段であれば装備の使用感などを聞いてくるガントだが、今の彼は不機嫌極まりないようだ。

 座っている状態の彼からすれば正面に立つジグはかなりの威圧感があるだろうに、臆した様子もなく睨みつける。


 ジグは左胸の端、肩口に近い部分を指で広げる。そこにはテギネに刺し貫かれた跡があった。


「先日の仕事でここをぶち抜かれてな。死にかけたよ」

「ハハッ、ウケる。君本当に人間? 胸を刺されたら流石に死んだ方がいいと思うんだけど」


 いつも以上の強烈な冗談は、それだけ怒っていることの裏返し。

 しかしその分、いつものガントが口にする無神経な発言に比べると些か切れ味が鈍く感じる。

 ジグはさして気にもならなかったので無反応だったが、何かを通り越したのか背後に見えるシェスカの顔からスンっと表情が消えたので慌てて笑い飛ばす。

 

「まあな、悪運はあるらしい……だが、お前の作った装備を使っていれば負わなかった傷だ」

「下手糞なおだて方だね」

「何とでも言え。必要なものを得るためなら何でもやる、それだけだ」


 皮肉ったガントが、直球を返されて黙る。慣れぬことをしてでも自分の腕を求めている、それが分かったから。


「……だが、確かに俺には向いていないようだ」


 ジグは肩を竦めると、リストを避けて下に置かれていた図面を読む。彼らしい神経質な字が紙の中に所狭しと書き込まれている。鍛冶の知識などほとんどないので小難しい数字などは分からないが、何が必要かくらいは読み取れる。


 曲がっていないペンを手にすると、記憶の中にある物と一致したところに印を付けていく。

 一通り確認したそれをガントへ渡す。


「印を付けた素材はこちらで用立てる。残りは自分で交渉しろ」

「いいのかい?」


 窺うようにガントが聞いてくるが、そこには隠しきれない期待に溢れていた。

 ジグは腕を組むと、大した手間でもないと鼻で笑ってみせる。


「お前を世辞で動かすよりは楽な仕事さ」


ジグのおかげで稼がせてくれているんだから、それくらいやってやれと思うかもしれません。

しかし真っ当な感性では交渉できないからこそ、ガントは問題児なのです。

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― 新着の感想 ―
個人営業の鍛冶師ならアリかもしれんが 給料取りの鍛冶職人としてだと腕が有っても 首切りの理由に十分な態度ではあるな ホント、太客のジグという需要無しでは 雇用切られて放逐、の一歩手前ではある 退職金…
[良い点] 腕が立つ鍛冶師=偏屈はあるあるだから仕方ないね。まぁ不機嫌なままで微妙な仕事されるよりは、気持ち良く仕事してもらって良品作って貰う方が良いかな。これからもここを利用するでしょうしね(印つけ…
[良い点] 傭兵稼業の中で難癖付けて払いを渋る奴はいくらでも居ただろうし、要求を満たせば(いささか趣味に走るけど)全力で働くガントは嫌うほどではないんだろうなあ…
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