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 先ほどまでの喧騒からは打って変わって静まり返った広間。

 その中心で視線を交わすのは傭兵と武人。


 誰かが、安心したように息を吐く音がする。

 戦闘態勢に入ったジグに呑まれていた聴衆は、自分たちの達人が間に入ったことでわずかながら平静を取り戻していた。その様子は戦場で心強い援軍に士気を取り戻す兵と瓜二つ。


 虎の威を借るなんとやら。

 結局彼らは掲げる志とやらが違うだけで、その本質は民兵や義勇軍の類と何ら変わりない。

 興味を失った灰の眼が何の感情も見せずに彼らを値踏みする。


「……あなたの言いたいことは分かる」


 ジグの眼から何かを感じ取ったのだろう。

 自分が間に入った途端に落ち着きを取り戻した彼らを見たイサナも何か思う所があるのか、わずかに目を伏せて息をつく。


「私たちの中でも、本当の意味で武人に至れている者は少ない。実力は達人とまで言われている者でさえ、心の面では届いていない者もいる」

「ライカのようにか?」

 

 ジグが彼の名を出した途端、周囲の人間が忌々しそうに顔を歪め、イサナに抑え込まれたツヅミの手に力が入る。

 享楽的な殺人に身をやつしたライカのことは、彼らにとって未だに忌むべき出来事であった。


「どう、かな……」


 しかし例外もいる。

 イサナと族長。彼らに限ってはライカの名を耳にしても嫌悪を示すことはなかった。

 彼女は切れ長の瞳を揺らし、苦悩を表情に滲ませて口を開く。


「私も最初はそう思っていた。けどあの時、あなたとライカの話を聞いたら……彼の選んだ道も、間違っていると言い切れないと感じたんだ」


 最初から外道に堕ちたと決めつけ、話もせずに排斥されたライカ。

 頭ごなしに追放されるような形で出ていった彼は、それでも子供たちが攫われ、助けを求めた時には手を貸してくれた。


 彼は本当に人の道を外れていたのだろうか。

 己の生まれ持ったさがを受け入れ、それでも踏み外さずに自らの道を歩んでいる彼こそ、本当の意味で武人と呼べるのではないだろうか。


 あの一件からその考えが、ずっとイサナの頭にこびりついて離れなかった。

 


「私も含めて、まだまだ未熟……武人になるべく邁進中なの。期待を裏切って悪いけどね」


 さっぱりとした顔で言い切るイサナ。その表情に気負ったところはなく、己の未熟を恥じるような色がわずかに残るだけ。


 ツヅミの腕を押さえていた柄を放し、イサナが体ごとこちらに向き直った。

 拳をもう片方の手で包み、流れるような所作で頭を下げる。

 耳から垂れる白髪が美しいとすら感じられる、見事なまでの一礼。



「テギネの遺言、確かに受け取りました。彼と武勇を競い、打ち勝った比類なき武人……いえ、つわものに心よりの感謝を」


 涼やかながら鋭さを持った声で戦いを讃えるイサナ。

 彼女の態度に遺恨は感じられず、ただ勝者を寿ことほぐのみ。


 ジィンスゥ・ヤの象徴たる達人が武人として感謝を述べてしまえば、他が大っぴらに口を挟むわけにはいかない。

 不承不承と言った様子を隠しきれぬものの、それまで騒いでいた聴衆は彼女に倣って頭を下げた。

 




 ぷかぷかと紫煙がたなびくのを誰かが目で追う。


「やれやれ、寿命が縮まるかと思ったわい」


 ジグが去り、同胞もほとんどが戻っていった広間で族長がぼやいた。

 煙臭いのでやめて欲しいなと若者たちは思っていたが、年寄りの数少ない楽しみを奪うのも忍びないと我慢する。血の気が多い同胞をまとめることがどれだけ大変なのか、先の会合で良く分かっていた。

 

「シュオウ、あなたももう少し考えて行動しなさい。あの男は良くも悪くも劇物なんだから」


 イサナが額の汗を拭いながらシュオウを睨みつける。

 あわや大乱闘になりかねない非常に危険な状態だった。


 仮にジグが本気で暴れたらどれだけの被害が出るのか想像もつかない。

 流石の彼も全員を相手にして生き残るのは不可能だろうが、それは真正面からやり合った場合だ。

 かつて二度の立ち合いで見た対応力の高さは、彼が乱戦を得意としていることの証左でもある。弱い者を盾にして最大限被害を出しながら逃げに徹すれば、イサナたちがジグに追いつくのは困難だ。


 ジグはあの巨躯でありながら非常に素早く、筋力・持久力に至ってはまさしく人外。

 フル装備の彼へ持久走勝負を持ち掛け、ぐうの音も出ないほどの大敗を喫したのは記憶に新しい。



「も、申し訳ありません……あそこまで堂々としていたので、てっきり最期を看取ったものかと。まさか直接手を下しておきながら正面から来るとは……」

「……確かにそれを言われると弱いわね。普通頼まれたからって、自分が首取った相手の陣営に報告しに来る? 潔過ぎるでしょう」


 申し訳なさそうに委縮したシュオウの言い訳を聞くと、然もありなんと唸ってしまうイサナ。

 族長はぷかりと煙の輪を浮かべて一服しながら、誰に言うでもなくこぼした。


「それだけ儂らを……武人を高く評価してくれておったんだろうよ」

「……」

 

 イサナとシュオウが目を伏せ、不甲斐なさに耳を下げた。

 相手が礼を以って接してきたというのに、こちらの対応は随分と無様なものだ。これではどちらが無頼の輩なのか分かったものではない。

 


「……長く厄介者扱いされるうちに、被害者意識が根付いてしまったかの?」

「そんなことは!」


 武人という存在からかけ離れた物言いに反射的に否定するシュオウ。

 彼の方を横目で見た族長は煙を吐き出しながら返す。


「ないと言い切れるか? 儂らは故郷を追われ、戻る家を無くした被害者だ。だがこの街に住んでいる者たちからすれば、他所からやって来て勝手に住みついた余所者に過ぎん。この場合、誰が被害者なのかのう?」

「それは……」

「異民だ何だと不当に扱われるのが良いとは言わん。だが自分たちは被害者だから何でもしていいことにはなるまいて」


 シュオウが否定しようにも、先の光景を思い出してしまえばそれも難しい。

 抑圧された環境で気高さを保つのはとても難しい。元が高潔であったとしても、周囲から疎まれるうちに心まで歪んでしまったのかもしれない。ジィンスゥ・ヤに誇りを持っている彼にとっては酷なことだが。


「今一度、鍛えなおす必要があるわね。心身共に」


 黙って聞いていたイサナが膝を叩いて立ち上がると、捥げるかと思わせる程に耳をしょげさせたシュオウの肩を小突く。


「シュオウ、あんたも来なさい」

「イサナ様、どこへ?」

「心の強さに秀でている人の所よ。こういう時こそ教えを請わなきゃ」


 イサナたちに武を教えた師範代は、腕こそ上回ったが未だに心の強さという面では遠く及ばない。

 彼女はシュオウと連れだって家を出ると、鍛錬場へ向かって歩を進めた。

 





 族長の家を出た後。

 流石にあれだけイサナが言った後で文句を言ってくるものもおらず、何か言いたげな視線こそ感じるものの、穏やかに帰路に就いていた。それでも完全に気を抜くことはなかったが。


 ジグはしばらく歩いてから自分の言葉を思い出して皮肉気に笑うと、後頭部を掻いた。

 その脇を小さな子供が笑い声を上げながら通り過ぎてゆく。

 何とはなし子供たちを見ると、そのうちの一人と眼が合った。疑うこともまだ覚えていないような純粋な子供の眼を見ていると、不思議と居たたまれない気持ちになってくる。



「らしくないことを」



 自嘲するように呟くと、子供から視線を切って歩き出す。


 誰かに過度な期待をしたことなど、彼の人生の中でもほとんどなかった。

 ジグの評価とは基本的に行動のみで下される。その人物の人柄や容姿ではなく、何をしたか、何ができるかを判断基準として用いる。


 言葉だけ聞くと当たり前に聞こえるが、人とはどうしても気が合うか否かで評価が上下しやすく、また集団生活の上ではコミュニケーションも重要な能力である。


 能力があっても和を乱す者が弾かれるのは珍しいことではない。

 味方に求めるのは能力のみという場所の方が珍しいのだ。 


「勝手に期待して、勝手に失望されるか。言われた方もいい迷惑だろうに」


 一部に傑物がいたとて、全員がそうであるわけがない。

 こんな当たり前のことすら忘れていたとは。

 そしてそれを相手に押し付けるなど、思春期でもあるまいに。



「イサナのことを笑えんな……」


 ジグは居たたまれなさに眉を顰めると、足早に東区を後にした。

 

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― 新着の感想 ―
これ期待してたのはジグだけじゃなくてテギネもだよなあ 多分テギネは同胞のこの反応にガッカリする
自分を斬った相手に残した同胞への遺言を託し、命の危険を考えても尚殺した相手の陣営に赴き託された遺言を伝える これだけでも多少、察せると良かったんだけどね 武人の集団ではなく、武人も居る被害者意識の強…
実際彼らは「武人の誇り」だ何だと言っていたわけで、期待外れであったことは否めないよね。達人の集まりなだけにもっと戦闘民族的な感じで、強さを誇りに闘いに価値を見いだすものだと(勝手に)思っていた。ジグが…
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