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「これからどうします?」
ギルドを出ると、シアーシャが今日の予定をどうするか聞いて来た。
時刻は昼を少し過ぎた頃。今更冒険業というわけにもいかず、さりとて休むには早すぎる時間帯になっている。
「俺は少し寄る所がある。その後昼食にする予定だが、来るか?」
「行きたいんですけど、取り寄せていた魔具が届く日ですので……」
彼女も彼女で色々と動いているようだ。買いたい魔具のために資金を貯めていると言っていたので、そのことだろう。ジグも装備の修繕などがあるので、あまり悠長にもしていられない。
残念そうに肩を落とすシアーシャと別れ、ジグは一人東区へ向かった。
ここへ来たのはいつ振りだろうか。
独特の建屋が所狭しと立ち並ぶ東区の奥地。
道行く住人はやはり独特な民族衣装に身を包んでおり、特徴的な笹穂耳をしている。
ジグは久しぶりに訪れたジィンスゥ・ヤを見回し、記憶にある物との違和感に首を傾げた。
「……少し、雰囲気が変わったか?」
街並みなど目に見える部分が変わったわけではなく、ではどこが変わったかと聞かれると言葉にできない、そんなわずかな変化。
強いて言うならば住人の雰囲気が変わったように感じる。以前までの彼らが身に纏う空気はどこか卑屈というか、言葉にできない劣等感のようなものを滲ませていたように思う。
住人の空気とは案外バカにできないもので、たとえ同じ場所でも負の感情と正の感情を持っているのとでは受け取る感覚も大きく変わるもの。
「ふむ」
彼らの変化が気になったので注意深く住人を見ながら歩いていると、背後に複数の気配を感じた。押し殺した足音と息づかい、何より細い道で複数の人間が固まることで空気の流れが変わっている。
複数人でありながらこの距離まで接近を悟らせないあたりに、彼らの力量の高さが感じられる。
ジグは気づいた素振りを微塵も見せず、ごく自然に意識と重心を戦闘に備えて向こうの出方を待つ。
こちらに近づく相手は不意打ちをするつもりはないようで、ある程度距離を置いてから声を掛けてきた。
「失礼、そこの方。少し話を聞かせてもらいましょうか」
発する空気は言葉ほどに穏やかではない、聞く者を威圧するもの。
呼ばれて今気づいたとばかりに声の方を振り返ると、そこには武装した数人の男がいた。
その中で先頭にいるくすんだ白髪を後ろに撫でつけた糸目の男が、ジグの顔を見て驚きに眉を動かす。
「大柄で武器を持った、不審な男がいると連絡を受けたので来てみれば……あなたでしたか」
「久しいな。シュオウ、だったか?」
ジィンスゥ・ヤの腕利きであるシュオウとは、以前に子供攫いの事件の時に面識があった。
向こうもそのことを覚えていたのか、仲間に身振りで戦意を収めさせる。
「それで、本日は何用でこちらに?」
代表して前に出たシュオウは、双刃剣の間合いから一歩離れた所で足を止めた。腰の刀にこそ手を掛けていないが、いつでも抜けるように自然体を保っている。
こちらを警戒しているのか、普段から余所者に対してそうなのかは判別がつかない。
どちらにしろ話が通じるならばそれでいいかと、ジグは用件を切り出す。
「族長に用がある」
「ほう……どのような?」
素直に通すつもりはないのだろう。細い眼をさらに眇めたシュオウが警戒するように軸足を動かした。
彼の警戒は正しい。ジグという傭兵がどんな依頼の元に動いているか分からない以上、敵だった場合のことを想定して行動する必要がある。
余所者を迂闊に通すイサナが不用心過ぎるし、会ってしまう族長の器が大きいだけだ。
今回に限り、その警戒は見当違いではあるが。
「同胞の遺言を伝えに来た」
「……同胞ですか。しかし遺言とはどういう……?」
言葉の裏を探るように、訝し気な顔のシュオウ。
半信半疑な様子の彼だったが、次にジグが口にした言葉に驚きのあまり細い目を見開いたのだった。
「十文字槍のテギネ」
事前に通達する必要があると言われてしばらく待たされた後、案内されたのは以前にも来たことがある族長の家。
ジグの前をシュオウが、その後ろを他の男たちが、挟むようにして移動している。
案内というより監視のように感じる物々しい雰囲気だが、実際その通りなのだろう。まるで引っ立てられる重罪人のようだなと、他人事のようにジグは肩を竦めた。
「……」
周囲を固める男たちはジグの一挙手一投足を注視し、何か妙な動きがあればすぐにでも取り押さえられるように備えている。だが警戒している割に武器を預けろとまでは言い出さない。あれこれ注文を付けてこちらが臍を曲げて帰ってしまうことを恐れているようだ。
それだけテギネの名がジィンスゥ・ヤにとって重い意味を持つことの証左でもある。
通された広間には既に報告を受けたジィンスゥ・ヤの重要人物が半円を描くように腰を下ろしていた。
中心に座しているのは落ち着いた顔の族長。そういえば誰もが肩書で呼ぶせいか、未だに名前を知らないなと今更ながらに気づいた。
族長の左右には二人の老人が各々含みのある視線をジグに向けていた。
右にいるのは子供くらいなら視線で殺せそうな険しい顔の老人。
顔に刻まれた深い皺は彼が族長にも劣らない老体である証拠だが、老いてなお盛んとばかりに強い意志を持つ視線をジグに注いでいる。
左にいるのは穏やかな顔つきの老婆。
態度や雰囲気、座っている場所から考えると彼女も老齢のはずだが、顔の皺は反対にいる老人と比べても随分浅い。老婆は人を安心させるような微笑みを浮かべてジグに興味深そうな目を向けている。
ジグは経験的に老婆の方が面倒そうな相手だと悟ったが、顔には出さないまま視線を動かす。
三人の老人たちの脇には護衛も兼ねてか、白髪の女剣士イサナが控えている。
鍛錬をしていた最中に呼ばれたのか、褐色の肌に汗が浮かび紅潮していた。
目が合った彼女は呆れたような顔で"あんた今度は何をしたの?”とでも言いたげな顔で耳をピコピコ動かしている。相変わらず歳の割に落ち着きがない女だ。
ここにいる者の態度は大きく分けて三通り。
敵意を隠しもしない者、それを諫めようとする者、成り行きを見守る者。
案内していたシュオウとその仲間が入り口付近に陣取ったのと合わせて、族長が口を開いた。
「良く参られた、傭兵よ」
「歓待に感謝する、御老体」
族長に手で座るよう勧められたが、ジグは首を振ってそれを断った。
あまり悠長に腰を下ろしていられる空気でもないし、いつでも抜ける態勢でいたかった。
「すまんの。本当はもそっと密やかに迎えるつもりじゃったが……」
皮肉交じりな言葉と立ったままのジグに、さもありなんと苦笑いで返す族長。
恐らく族長はこの件を内密に聞くつもりだったが、どこからか嗅ぎつけられたのだろう。
ジィンスゥ・ヤといえど、完全な一枚岩というわけではないらしい。
「それで、今日の用向きは、テギネの遺言を伝えに来たとのことだが……詳しく聞かせてくれまいか?」
回りくどい話を好まないジグに配慮してか、族長が本題に入る。
遺言という穏やかではない単語にジィンスゥ・ヤの面々がざわつき、動揺が走る。
それが収まるのを待たず、ジグは懐から小さな紙片を取り出して見せる。
「それは?」
「死の間際に奴から渡されたものだ。これまでに稼いできた金の隠し場所が記されているらしい」
"らしい”と口にしたのが気になったのか、それまで黙っていた険しい顔の老人が口を開いた。
「貴様、中を見ていないのか?」
「末期の頼みを盗み見るような趣味はない」
「金の亡者たる傭兵風情が、武人を気取るか?」
侮るような挑発に族長他数名に緊張が走るが、言われた本人は涼しい顔だ。
「人の死など腐るほど見届けてきた。今更、一人の遺言に興味など湧かんよ」
そう言い切ったジグの眼には何の感情も浮かんでいない。
敵も味方も等しく死が訪れるのが戦争であり、死してなお尊厳すら失われるのが戦場だ。
テギネの遺言はその他大勢の一つに過ぎず、たまたま伝える相手を知っていてその機会があったというだけの話。
武人気取りなど、勘違いも甚だしい。
「……」
返答を聞いた険しい顔の老人はそれきり口を閉じ、それ以上何も言わなかった。
族長は眉間の皺を深くし、シュオウに目配せする。
意図を汲んで近づいてきたシュオウがジグから紙片を受け取り、族長に手渡す。
紙片の大きさから察していたが、あまり多くは書いていなかったのだろう。
族長はすぐに読み終わると、大きなため息をついて視線を宙に漂わせた。
「―――馬鹿者が」
テギネと族長にどのような関係があったのかは分からない。
短い言葉だが、その一言には多くの感情が籠められていることが察せられた。
様々な感情を吐露した一言にジィンスゥ・ヤの面々が俯き、また黙祷を捧げる。
厳かな空気が広間に満ち、故人の死を偲ぶ者たちの息づかいだけが耳に届く。
だがその中の一人が、沈黙を破った。
「―――テギネ様を殺したのは誰だ?」
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