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カークの言葉と身振りを合図にアオイが動いた。
あらかじめ用意していたらしく、報酬の入った袋をジグたちの前へ置く。
テーブルに載せられた袋は大小の二つ。
シアーシャの前に小さな袋が、ジグの前に大きな袋が、それぞれ置かれる。
アオイは小さい方を指して申し訳なさそうに目を伏せた。
「シアーシャ様には二十万……少なくて申し訳ありません。副頭取の甲斐性がないばかりに」
「……余計なことは言わなくてもいいのだが?」
アオイの謝罪にカークが突っ込んだ。しかし彼も額の少なさは自覚しているらしく、その突っ込みには鋭さが足りない。
二人の間に具体的な金額の交渉があったわけではない。それでも二十万という金額はカークが出せる最大限であった。
カークは寂しい懐に今後の節制を考え、頭痛を堪えるように眉間を手で揉んだ。
「ジグ君への報酬で私のポケットマネーはほぼ底を突いていてね……これからしばらくは嗜好品も満足に手を出せない」
言いながら、どこか恨みがましい眼でシアーシャを見るが、そんな遠回しな嫌味が通じるほど彼女は繊細な性格をしていない。
「まったく、仕方ないですねカークは。まあ今回は、私がほんのちょっとだけ強引に首を突っ込んだ面もあるので、これくらいで勘弁してあげましょう」
彼女は何の躊躇いもなく報酬を手に取る。
ほんのちょっとだけ強引、の部分でカークの眉尻が情けなく下がっている。恐らく両者の認識には二人の報酬以上に大きな差があるらしいと、ジグは悟った。
「お金は計画的に使わないとダメですよ?」
「…………そうだね、以後気を付けよう」
いい笑顔のシアーシャと、何かを諦めたように項垂れるカーク。
そして上司がやり込められて何故か嬉しそうな雰囲気のアオイ。
この場にカークの味方は誰一人いなかった。
「……うむ」
今度来るときは土産に茶葉と茶菓子でも持って行ってやろうと、一人彼を憐れむジグであった。
「話が逸れましたね。こちらがジグ様の報酬です。手付金の五十万と、成功報酬の五十万、さらに追加報酬を合わせて、百五十万です」
額にしてシアーシャの七倍以上。
よく詰めたものだと思わせるほどパンパンに膨れた袋を手に取る。
詰められた金貨のじゃらりとこすれ合う音。そんな耳障りな音さえ心地よく聞こえてしまう。
「―――フッ」
はちきれんばかりの金貨袋には、ジグとて微かに笑みがこぼれる程の重みを手に伝えてくる。
珍しく感情を見せた笑みにアオイとカークの視線が向けられた。
「……いいのか? 期間は二十日という話だったが」
ついこぼれてしまった笑みを誤魔化すように、カークへ疑問を投げかける。
懐の寒さから立ち直った、少なくとも表面上はそう装ったカークは鷹揚に頷いた。
「構わん。君は十分に役目を果たしたとも」
わずかに声が震えていたので、まだ完全には吹っ切れていないようだ。
それでも依頼主が良いというならば是非もない。
ぴったりとカークの視線が吸い付いてくる報酬を懐……には入らないので脇に置く。
この金は消耗品の購入と装備の修繕に充てた後、ある程度の額を残して換金用の宝石に替える予定だ。この分ならその"ある程度”の金額にも期待ができる。
これで諸々の報告や報酬の受け渡しは終わった。
カークが話を締めるように口を開く。
「二人とも御苦労だった。報酬の出所からも分かるように、今回の依頼は他言無用だ。冒険業としての評価には一切加算されないので、そのつもりでいたまえ」
事務的にそう伝えた後、話は終わりだとばかりにカークは書類へ目を落とした。
「ジグ様の武器が用意できましたので、一階の受付でお受け取り下さい」
「分かった」
アオイが開けた扉を通り、ジグたちは部屋を出る。
「―――ジグ君」
その背にカークが声を掛けた。
ジグが振り向くと、書類で口元の隠れたカークと視線が合う。
「奴らを手引した者が、冒険者の中にいる可能性があるのだが」
ギルド副頭取。
その立場に相応しい威厳と、凍てつかんばかりの冷たさを持った声音が室内に響いた。
彼の纏う空気にアオイが思わず身を竦め、シアーシャが微かに反応する。
言葉一つで部屋の空気を一変させた中、剃刀のような鋭さを思わせる視線でカークが切り込んだ。
「―――なにか知っているかね?」
決して大きくはない、しかし耳から離れない声。
並外れた胆力の持ち主であるアオイが表情を硬くし、シアーシャが面白そうに笑みを浮かべている。
「―――」
カークに戦う力はないはずだ。
だがその身に纏う空気には、ジグの師に近しいものを感じさせる何かがあった。
「……知らないな」
端的にそれだけを伝える。
言い訳はいくつも思いついたが、それ以上何かを口にする気にはなれなかった。
迂闊なことを口にすることさえ躊躇わせる空気がそこにはあった。
「そうか、ならいいんだ」
カークが身振りで退室を促すのに従い、部屋を出る。
少しだけ重い足取りで一階へ下りる途中、シアーシャが身を寄せてきた。
「気づかれましたかね?」
囁くように彼女が口にするのは、先ほどのカークの質問のこと。
ジグは少し考え、憶測だがと前置きして話した。
「何かしら感づいてはいるかもしれないが、それが何かまでは掴めていないだろうな。そうでなければ、あんな揺さぶりをかける必要はない」
ノートンたちとの取引に気づいていたのならば、わざわざこちらにそれを伝えずに調べればいい。
恐らくカークは、本拠地まで行って裏で糸を引いている存在に気づいていながら、こちらの出した情報が少ないことに違和感を持ったのだろう。
情報をあまり話せなかった理由は主に魔女関係のせいなのだが、そのことを知らない人間からすれば隠し事があるように感じるのも無理はない。
それを聞いたシアーシャは安堵したように息をつく。
「そういうことでしたか。それにしても……」
シアーシャが機嫌良さそうに口の端を釣り上げて笑みを浮かべた。
侮っていた相手が思わぬ反撃を見せてきたことに気を良くしているようだ。
「カーク、やるじゃないですか。少し見直しましたよ……あんな顔もできるんですね」
戦う力を持たない、本当の意味で脆弱な人間。
だが彼は今まで戦ってこなかったわけではない。彼の戦場で、彼のやり方で、ここまで生き残って来た。
それを実感させるには、先のやり取りは十分すぎるものだった。
「♪~」
ご機嫌なシアーシャが鼻歌を歌っている。
魔女は意思にせよ、力にせよ、強い者を好む生き物なのかもしれない。
一階に降りるとすぐに受付に向かう。
ジグの武器のことを話すとすぐに対応してくれた。
「副頭取から話は聞いております。こちらでよろしいですか?」
受付の奥の部屋から刀身に布を巻かれた双刃剣が運ばれて来た。
重量があるため台車に載せられた双刃剣がガタゴトと揺れている。
「助かる」
待ちきれないとばかりに迎えたジグが、双刃剣を手にした。
見るからに重い武器を片手で持ち上げたジグに職員が驚いているが、本人はそれどころではなかった。
頼もしい重量感に安堵しながら刀身に巻かれた布を解く。姿を現した赤黒い刀身は禍々しいばかりの威容を放っており、ドス黒い血を思わせる。
ジグが刀身に目を凝らし、状態を手で触って確かめた。
あの時は刺突剣使いを始めとした何人かを斬ったが、その後ストリゴに飛ばされてしまった。
どんなに素晴らしい武器でも手入れを怠れば劣化するのが常であり、手入れを怠る傭兵など誰も雇ってはくれないと師に叩き込まれてきた。
手入れもせずに双刃剣をそのまま放置してしまったのがずっと気がかりだったのだ。
幸いギルドの方で手入れをしてくれていたようで、刀身は汚れ一つなく綺麗なままだ。
「手入れまでしてくれたのか……すまんな」
「お礼でしたらシアンに言ってください」
持ってきた男性職員へ礼を伝えると、意外な人物の名前にジグが眉を動かす。
「彼女が?」
シアンからはどちらかというと嫌われているかと思っていたのだ。
ジグの行動をギルド職員から見た際、そう思われるのも無理はない。冒険者にもならず、しかし冒険者の真似事をする面倒な存在。将来有望な冒険者であるシアーシャと常に共に行動し、冒険者同士での勧誘の妨げにもなっている。
自分の行動がギルド側にどう映っているのかを自覚していただけに、シアンの気遣いに驚きを隠せなかった。
「それは誰かから命令されてのことか?」
「まさか、どう見ても彼女には向いていない仕事じゃないですか。それに自分から言いだしたことですので、嫌々やったようにも見えませんでしたよ?」
なおのこと深まる疑念にジグは首を傾げたが、大方シアーシャのご機嫌取りか何かのためだろうとそれ以上考えるのをやめた。
今は新しい武器が無事だったことを喜ぶとしよう。
戦いの最中に壊れるならばともかく、手入れ不足で劣化するなんてことがあっては泣くに泣けない。
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