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昼前頃の人が少なくなったギルドを訪れたジグたちは受付に向かう。
すると、二人に気づいた職員は用件を切り出す前に向こうから声を掛けてきた。
「カーク副頭取がお待ちです」
「そうか、邪魔をする」
来る途中に誰かから見られていると感じたが、やはり先ほどの視線はカークの物だったようだ。
こちらに気づいた彼が話を通してくれていたのだろう。
職員の案内で二階へ上がり、執務室へ。
以前と比べて何故か扉だけが新しくなっていたが、誰かが壊したのだろうか。
「こちらへ」
職員が開けた扉に入ると、彼はそのまま下へ戻っていった。
書類仕事の最中だったのか、飾り気のない部屋には書類と紅茶の匂いが立ち込めている。
「よく来た。座りたまえ」
奥の大きな仕事机にはカークが腰かけており、その脇には秘書のようにアオイが佇んでいた。
彼がソファに座るように促したので、ジグとシアーシャがそれに従った。
「まずは、二人の無事を祝おうじゃないか。特にジグ君は御苦労だったね」
「本当ですよ。カークのせいで私の冒険業が遅れちゃったじゃありませんか」
「……そうだね、それに関しても申し訳なく思う」
どう考えてもカークのせいではないのだが、シアーシャに視線を向けられたカークが謝罪をする。
らしくもなくこちらを気遣うような口ぶりのカークに眉を顰めた。
常に用件から切り出す彼らしくない、迂遠な言い回しだ。体調でも悪いのだろうか。
「言い訳になるが、まさか相手が禁術紛いの転移術まで持ち出してくるとは思っていなかった。伝えた危険度に著しい差異があったことを詫びさせてもらおう」
なるほど、そういうことかとジグが納得する。
確かにカークから受けた依頼は当初、刃蜂の巣を攻撃した者を調べることだった。もちろん調査にも危険があることは承知の上だったが、ここまで話が大きくなるとはカークも想定していなかったはずだ。
「当初の依頼を大きく超えることになった報酬についてはもちろん、後程相談させてもらおう。だが今は、先に事情を説明してくれるかな?」
言ってからカークの視線がちらりとシアーシャの方に向けられた。
恐らくストリゴに飛ばされた件でシアーシャとカークの間に何かのやり取りがあったのだろう。
折よく出された紅茶を一口飲む。
相変わらずいい茶葉を使っているが、以前飲んだものに比べると少しだけ香りが弱い。
(カークが淹れた方が美味いな)
そうは思っても口にはしない程度のデリカシーはジグにもある。
カップを置き、一呼吸して口を開く。
「承知した」
そうしてカークに、例の件を命じた者たちと、ストリゴであったことの一部を話した。
日数にしてみれば大したことはないが、非常に濃い時間であった。
要所を話し、時折挟まれるカークの質問に答えていく。言葉にするとそこまで長くはないもので、茶を一杯飲み干す頃にはおおよその報告は終わってしまった。魔女であるシャナイアの部分を丸々抜き取っているせいもあり、そこまで時間は経っていない。
「そして俺が起きた時……ストリゴは二つに割れていた。地割れにも見えたが、明らかに自然にできたものではない。大規模な爆発でもあったみたいに周囲は丸ごと吹き飛んでいた。街の三割はそんな有様だったよ」
「そう……か」
それまで刃蜂事件を指示した犯人など淡々と聞いていたカークだったが、ストリゴで起きた惨事を耳にすると流石の彼も言葉を詰まらせた。
「一体、何が起きたんだ?」
至極真っ当な疑問だ。だがそれだけに答えにくい。
あれだけの大規模な惨事をどう誤魔化そうとも、嘘くさく感じてしまう。
「……俺は直接見ていないから分からんが、カララクの連中は大量の魔具をかき集めていたようだ」
「それらが暴発したと?」
「魔具に関しては素人だ。断言はできん……が、それだけが原因であそこまでにはならないと思う」
虚偽の報告をすることに後ろめたさを感じながらも、表情は動かさず曖昧に濁す。
カークは無言で口元を覆うように手を当てて考えている。何を考えているのか気にはなったが、迂闊に口を挟めばボロが出てしまいそうなので黙るしかなかった。
「ストリゴの方で、何かあったのやもしれんな。同時刻に突然、雲が晴れたという報告が入っている。その晩は星も見えないほど曇り夜だったはずなのに、まるで穴が空いたかのように雲が晴れたらしい」
「……天災の類か?」
「分からんが、無関係と決めつけるには早かろう。そちらは私の方で調べる」
"だから君が気にすることではない”と言外に告げるカーク。
「話は分かった。カララクはほとんど自滅のような形で大損害を受け、それを見逃すほど他のマフィアは甘くない。遠からず奴らは身包みどころか、生皮まで剥がされることだろう」
その言葉が比喩ではなくそのままの意味だろうことは、ストリゴを知った今なら分かる。
マフィアに限らず、あの街で弱みを見せた者は遠からず食い物にされる。
「次に台頭しそうな組織はどこなんだ?」
「私もそこまで詳しくはないが、今最も有力なのはファミリアではないかな。亜人が頭を張っている唯一の組織だ」
出てきた名前は聞き覚えのあったものだ。
「あそこはまあ、他に比べると大分マシらしいが……長年抑圧されてきた亜人が一大勢力になることでどんな混乱が起きるのかは想像もできない。この話は外に漏らさないように」
「分かった」
ストリゴの亜人は別に構わない。あそこには亜人も人間もない無法地帯だから大した影響もない。
だがそのことを知った他の街に住む亜人がどう動くかが読めないのだ。もし今の街に大きな不満を持っていた場合、合流しようと考えるかもしれない。
ストリゴの悪名は各地に響いているはずだが、それでも同胞がトップならば今よりは良くなるかもしれないと考える可能性はある。
そうして集まった亜人が徒党を組み、自分たちを排斥していた人間へ反抗したら?
大規模な争いが起きると魔獣の群れが現れるせいで、この地では戦争が起きない。
しかし一定の規模さえ超えなければ破壊活動ができないわけでもない。この間の刃蜂騒動のように。
無用な争いは避けるに限る。カークが言いたいのはそういう事だ。
「それで、君が戦ったカララクの用心棒……ジィンスゥ・ヤというのは間違いないのかね?」
「本人もそう言っていたがな。耳が長く、褐色の肌。独特な民族衣装と、なによりあの腕前……間違いない」
ジグの報告を聞いたカークが顔を顰めてため息をついた。
「……それも合わせて黙っておいてくれたまえ。最近やっとジィンスゥ・ヤと問題を起こす頻度が減ってきたところなんだ。やっと消えかけた火種を再燃させたくはない」
多数の冒険者に被害を出した刃蜂騒動を指示したカララク。その用心棒を異種族がやっていたとなれば、せっかくの小康状態が悪化しかねない。
「一つだけ、いいか?」
「なんだね?」
それまで基本的に諾と返していたジグが口を挟んできたことにカークが不思議そうにする。
ジグは無意識に胸に近い肩口……テギネの槍が貫いていた場所へ手をやりながら目を細めた。
「ジィンスゥ・ヤに……同胞には奴の死を伝えたい。遺言を預かっている」
ジグの頼みを聞いたカークは少しだけ顔を横に向け、アオイと無言で視線を交わす。
「……」
アオイが小さく頷いたのを確認したカークは顔を戻すと、静かに頷いた。
「許可しよう。ただし、他の誰にも公言しないこと」
「誓おう」
言葉少なに、しかし岩のように重い約束を交わす。
短い付き合いだが、ジグとカークの間ではそれだけで十分だった。
それに満足したカークはそこでようやく肩の力を抜いて息をついた。
「ああ、そうだ。ジグ君の武器を預かっている。赤黒い刀身の両剣だが、間違いないね?」
両剣使いなどそうは居ないが、一応の確認としてカークが尋ねる。
「本当か!」
珍しくジグが声を上げて腰を浮かせた。
実は飛ばされてからずっと気がかりだったのだが、誰に聞けばいいのか分からず困っていたのだ。
今までの稼ぎをつぎ込んだ武器を無くしてしまったら、あるいは取られてしまったらと思うと気が気でなかった。
「う、うむ。カティアというバザルタの関係者から連絡があってね。こちらで人をやって回収しておいたんだ」
「そうか……助かる、本当に」
ジグは心底からほっとした様子で息をついた。
彼の珍しい姿にカークとアオイが目を丸くしていたが、咳払いをすると話を進める。
「後で持って来させよう。さて、色々ととんでもない話になってしまったが……報酬の話に移ろうか」




