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穏やかな日差しと静かな風が流れるだけの室内で、久しぶりにゆったりとした時間を過ごすジグとシアーシャ。時間帯こそ違えど朝から忙しく動く二人が落ち着いた朝を迎えることは珍しい。
特にこれと言った会話もなく部屋には沈黙が流れているが、二人にとってそれは居心地悪いものではない。元からあまり口数の多い方ではないジグと話す相手のいなかったシアーシャでは、沈黙の捉え方に差こそあるが。
ことりと、静かな部屋に食器を置く音が鳴る。
「……」
無言の視線。
飲み干したスープ皿を置くジグへ、シアーシャが視線を注いでいた。
スープの感想を求めている……わけではなさそうだ。
彼女はどうやってか分からないが、ジグが満足しているかを仕草や乏しい表情から判断できるようなのだ。店で食事を摂った際にもジグが微妙な反応を示した料理には手を出さない節が見受けられる。大抵のものは文句も言わずに食べるジグの何を見て判断しているのかは不明だが。
「……」
視線は動かさずにシアーシャを盗み見ると、口をもにょもにょと動かしながら眉間に皺を寄せている。
聞きたいけれど、聞きにくい。
そんな葛藤が顔に出ている彼女は声を掛けようか掛けまいかで悩んでいるようだった。
「シ……」
「―――あの」
助け船を出してやろうか、そう思って口を開こうとした矢先にシアーシャが意を決したように声を出した。普段であればジグが手を差し伸べるまで悩んでいるはずの彼女が、自分から先に進んだのだ。
「ジグさんはどうして、あの魔女と一緒にいたんですか?」
わずかな驚きに動きを止めていたジグには気づかぬまま、シアーシャが尋ねてくる。
言葉だけ聞くと問い詰めているようにも聞こえるが、彼女の顔に浮かぶ感情は不安一色。これは変にはぐらかすよりも、どういう意図があったのかを交えて明確に伝えるべきだろう。
遅れて聞かれたことを考え、少し端折りながらもストリゴへ飛ばされてからのことを話し始めた。
「……あの魔女と出くわしたのは本当に偶然だ。こっちの大陸にいる可能性はあると踏んではいたが、実際に会えるとは思っていなかったからな」
これはジグにとっても想定外のことだった。
こちらの大陸に来てから幾度か魔女のことを調べてみたが、それらしい記述や存在を示すような伝承は何一つ残っていなかったからだ。あれだけの力を持つ存在が全く痕跡を残さずに生きていくことなど不可能だと考えていたので、絶滅しているかと思っていたのだ。
シャナイアの語る魔力を侵食するという性質が本当であれば、人に紛れて隠れ潜むことも難しい。彼女が人気のないスラムのような場所にいたこともそれを裏付けるものだ。
「奴と行動することで、魔女がどんな存在なのかを詳しく知ることができるかもしれないと思ってな。依頼という形で同行しながら探っていたんだが……魔女と気づいていたことに、気づかれていたようだ」
ついで負傷の原因はマフィアの用心棒によるものであることも伝えたが、そこにはあまり興味がないようで大した反応もなかった。
他にも色々とあったのだが、全て話していると日が暮れてしまう。
シャナイアと共にいた動機を大雑把に伝えると、シアーシャは難しい顔を少しだけ和らげた。
「そう、ですか。……もう、駄目じゃないですか。他の魔女にホイホイついて行っちゃあ」
シアーシャがどこか安心した様子で肩の力を抜いた。
置いて行かれるのではないか、彼女の仕草からはそんな不安が見え隠れしている。
やっと手に入れた味方が同類……別の魔女と行動していたのが相当に堪えていたようだ。
再会してからこっち、どこか不安定な気配が見え隠れしていたのはそのせいかもしれない。
「すまなかったな」
改めて彼女に詫びを入れると、彼女はゆっくりと首を振った。
「いいんです。邪魔者は消えたし、ジグさんも戻って来た。これで、いつも通りですよ」
「……そうだな」
何も変わらない、いつも通り。
その言葉にどこか違和感を覚えながらも、ジグは言葉少なに首肯した。
「あ、そうだ。私、カークに連絡しないといけないことがあるんでした!」
再び静かになりかけた部屋でシアーシャが立ち上がる。
彼女は何事かと腰を浮かせたジグにカークから仕事を受けていたことを説明した。
「ジグさんもカークの依頼受けていたんですよね? 一緒に報告に行きましょう」
「そうだな。今ならギルドも空いている頃だ」
時刻は既に朝と昼の間。冒険者で賑わう時間帯は過ぎている。
シアーシャは立ち上がると、空になった鍋を持って部屋の外へ。
「少し待っていてください。後始末したら出発しましょう」
「ああ。……シアーシャ」
「はい?」
鍋を片手にドアノブへ手を掛けた彼女へ声を掛ける。
「御馳走様」
美味かったとスープのお礼を言えば、彼女は花開くような笑顔ではにかんだ。
「お粗末様です」
「―――寒気がする」
「はい?」
アオイは突然上司が言い出したことに疑問符を浮かべた。
報告していた書類から顔を上げてカークを見る。いつも通りの鋭い眼光と隙のない上司が、ティーカップ片手に顔を顰めている。
彼の持つティーカップからは湯気が上がっているが、まるで冷たい風に吹かれているかのようにその手は震えていた。
「風邪でもひいたのでは?」
「……かも、しれないな」
らしくもなく弱気になっている上司にアオイはため息をついた。
「しっかりして下さい。仮に風邪でも今は休んでいる場合じゃないんですから」
「分かっている……昨晩、ジグ君たちが戻って来たようだ」
すぐにいつも通りの調子に戻ったカークが真面目な顔になり、それにつられてアオイが表情を引き締めた。
「刃蜂の件ですか。それにしても外部の人間を使うとは、思い切ったことをしましたね?」
ギルドの醜聞調査を外部の人間に頼ったことが漏れれば、ギルドをよく思わない人間たちに隙を見せることになる。事情にもよるが、自分たちの尻拭いを他人に頼るような組織は侮られ、足元を見られる。
アオイの責めるとも褒めるともつかない声音に、カークが渋い顔で鼻を鳴らす。
「……仕方あるまい、身内が信用ならんのだ」
ティーカップの水面を眺めるカークの言葉には忸怩たる思いが滲んでおり、それを察したアオイも口を噤む。
ジグの調べで浮かび上がったのは確かにストリゴだ。彼らが絡んでいるのは間違いない。
だが実行犯となると話は変わってくる。刃蜂の巣周辺は常に冒険者が多数おり、それ以外の人間がいればどうやっても目立つ。不審人物の目撃情報もなくマフィアが事を起こすのはとても無理だ。
つまり裏で糸を引いたのはストリゴ絡みの人間だが、冒険者の中にもそれに通じている者が必ずいるはずなのだ。それが誰か分からない以上、冒険者も信用できない。
「その点においてあの二人は感情論抜きで、間違いなく関係がないと言い切れる。方向性は違えど、あれほど目立つ二人にそんな繊細な真似が出来るはずがない」
「そうでしょうか? ジグ様は仕事であれば躊躇なくギルドにも敵対しそうですが……」
珍しく評価しているカークに、アオイは疑問を感じた。
聞き及ぶジグの評判と直接やり取りして垣間見えた性格を考えれば、彼を安易に味方と判断するのは非常に危険に思える。
思い出すのは弟のアキトが以前に言っていたジグへの評価。
以前ジグはワダツミを襲った犯人と間違えられ、無手の状態で私刑に遭わされたことがある。しかし彼はその時に向けられた刃の禍根を一切感じさせずに仕事を請け負い、淡々とこなして見せたと評価していた。
だがそれはとりもなおさず、逆も起こりえるということを理解しているのだろうか。
それまで旧来の友のように振舞っていようとも、仕事で敵対すれば容赦なく斬り捨てる……それが自分に向けられることはないと、誰が言いきれるだろうか。
その程度の事、この陰険眼鏡が理解していないはずがない。
「君の言いたいことは理解している。確かに彼は有用だが、危険な面もある。まさに諸刃の剣と言える存在だ」
ティーカップの紅茶を飲み干したカークが席を立ち、窓に近寄る。
書類仕事で疲れた眼を労わる様に外の景色を見ると、丁度件の人物の姿が見えた。まだ遠いのではっきりと見えたわけではないが、あの大きな影と長い髪の広がるような影は間違いないだろう。
「だが君が思うよりも、あの男は不器用だぞ?」
皮肉気に口の端を釣り上げたカークの言葉にアオイが首を傾げる。
「そう……でしょうか? とてもそうは見えませんでしたが……」
アオイの記憶にあるジグの姿はギルドでの態度も、存外に人脈が広い所も、いかにも熟練といった雰囲気だ。とても不器用には見えない。
怪訝そうなアオイの顔に、まだまだ若いなと内心で評価したカークが外へ視線を戻す。
大男の影はもう一人の女性と歩調を合わせて歩いていたが、ふとその顔を上に向けるような仕草をした。
きっと、カークの視線に気づいたのだろう。
たまたまこちらを見ただけという可能性もあるが、なんとなくカークはそう思った。
「そう見えるのは、あの男が積み上げた経験で動いているからさ。―――存外、根は不器用な男だと私は睨んでいるがね」




