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「フラれちゃったか、残念」
同じ考えだと思っていたシアーシャから同意を得られなかったノートンが残念そうに肩を竦める。
確かに昔の彼女であれば頷いていたかもしれない。
その変化は成長と呼ぶべきだろう。
「ま、いいか。それよりもジグ……僕と取引をしないか?」
「取引だと?」
それが本題なのだろう。
ノートンは傍らの死体に足を乗せて頷いた。
「僕がこいつらを手引したことを黙っていて欲しい。その代わり―――シアーシャさんの異常な力について誰にも公言しない」
「……」
(見られていたのか)
舌打ちしたくなるのを堪えながら考えを巡らせる。
実際の等級以上にシアーシャが魔術に秀でていることを知っている者はそれなりにいる。それ自体はそうおかしなことでもなく、魔術を幼い頃から練習していたと言えばどうとでも誤魔化せる。
だがアレは駄目だ。
天を穿ち、地が裂ける、まさに天変地異。
どう考えても人の所業ではないアレを見られてしまっては誤魔化しようがない。シアーシャもこの地に来てからあまりに大規模な魔術の使用は避けていたが、同じ魔女相手ではその加減も難しかったのだろう。
「僕もちょっと彼女は普通じゃないなとは思っていたんだけどね。まさかあそこまでとは思わなかったよ」
「……」
そう言っている間だけ、ノートンの口調が上ずっている。
無理もない。魔獣が魔獣らしい力を身に付けているのであればともかく、人間の姿をしている生物が理外の力を持っていることの恐ろしさは筆舌に尽くしがたいものだろう。
「シアーシャさんが何者なのか、あんな力をどこで身に付けたのか……気にはなるけど、そう言った部分も詮索しないと約束しよう。ただ僕のことを黙っていてくれるだけでいい」
悪い取引ではない。
あまりに信じがたいこととは言え、三等級冒険者の言には一定の信頼が置かれる。
全員が鵜呑みにしなかったとしても疑いの目を向けられればやり辛くなるのは間違いない。
だがカークから受けた依頼に虚偽の報告をすることになる。
どんな状況でも依頼が絶対だ、などと融通が利かないことを言うつもりはない。過去にもあまりに聞いていた話と違う内容をやらされた時には放棄することもあった。
今回はどうだろうか。
結果として釣り上げた魚が大きすぎただけで、頼まれた範疇ではある。しかしこなした内容を考えれば提示された額はとうに上回っているような気もする。
「推察だが、ジグが受けた依頼は刃蜂の巣を突ついた張本人を探すことだろう? それならば指示したのはカララクの首領……こいつだし、実行犯も教えられる。もう死体だけどね」
悩んでいる様子のジグを説得するためか、ノートンは詳しく犯行手順を説明し始めた。
「僕はあくまでも唆して手引した人間……つまり仲介人さ。カークの依頼には反さないと思うんだけど、どうかな?」
「……お前の口を封じる手もあるが?」
手荒い手段を提示して反応を見るが、彼は予想通りだと言わんばかりに笑みを浮かべるだけ。
「仲間を街の外に退避させている。僕が戻らなければ……そういうことさ。―――だからこっちににじり寄るのはやめてくれないかな?」
「えー……?」
ジグの提案に無言で一歩前に出ていた彼女が不満そうに振り返って指示を仰ぐ。
首を横に振ってやれば、仕方ないとばかりに元の位置に戻っていった。さっきはああ言っていたが、直接自分の行動を妨害する相手には容赦するつもりはないのだろう。
牙を収めたシアーシャに冷や汗を流しながらノートンが息をつく。あの爪痕を見て平気な顔をしているとは大したものだと思ったが、流石に直接向けられるのは恐ろしいようだ。
いずれにしろ選択肢はないに等しい。
追いかけて全滅させようにも相手は三等級。馬に乗って複数が本気で逃げに徹すれば、いかにシアーシャとて多少は取り逃がしてしまうだろう。そうなれば疑いの目どころではなくなってしまう。
「分かった、取引に応じよう。だが少しでも漏れた時は……」
「冗談じゃない、あんなことができる相手と敵対するなんて御免だよ。それに僕はまだ冒険者でいたいんだ。そのためならなんだってする」
ノートンはきっぱりと言い切った。
彼の言葉に嘘はないのだろう。彼は理想の冒険者像のためなら本当になんだってやる。
だからきっと、このことをバラしてそれを維持できるなら躊躇いなく話す。理想のためなら道理や道徳を捨て去れる彼なら。
だがまあ、シアーシャの力をバラさないと理想の冒険者像が崩れる……なんて場面は想像もつかない。
そういう意味では一定の安心はできると言っていい。
「契約成立だね。そうと決まれば、早いとこ街からおさらばしよう。ジグ、馬は乗れるね?」
「……ああ」
どこか釈然としないものを感じながらも、彼の言う通りにする以外に道はない。
目先の問題を意識しすぎて優先順位を間違える愚を犯すわけにはいかなかった。
ストリゴは混乱の真っ只中にあるため、それに乗じて抜け出すのは特段難しいことではない。
怪我人を見て人命救助よりも火事場泥棒を選ぶほどの民度の低さだ。この状況で今更ジグたちを気にするような者はほとんどいなかった。
仲間を助けているのはほとんどがマフィアのような人種で、それだけ見ると彼らの方が人道的に見えないこともない。しかしこの街の住人をここまで余裕がなくなるほどに追い詰めたのは他ならぬマフィア自身なのだ。
先導するノートンについて行き検問所に辿り着くと、まばらに残っているだけの兵なのかゴロツキなのか分からない連中を手早くのして外へ出る。
ノートンの仲間と合流すると、馬に乗って移動を始める。
「どこへ向かうんだ?」
道中で倒れた馬車から拝借した食料を胃に収めながらジグが尋ねると、ノートンは周囲を警戒しながら馬を寄せる。
「フュエル岩山さ。あそこの転移石板を使う」
「なるほどな、道理で来るのが早いわけだ」
「裏技さ。だけど公には今回みたいな使用は禁じられているから、人目のある時間帯には戻れないけどね」
今から馬で移動すれば深夜を過ぎるくらいだろうか。早朝前の一番人気がない時間帯なので都合はいい。このままもう一晩待つことになれば空腹が限界を迎えそうなので助かる。
「シアーシャ」
二人乗りの前に座るシアーシャに声を掛ける。
手綱を持つジグの両腕の中にすっぽりと収まっていた彼女は、びくりと肩を竦ませた。
「どうした?」
「あ、や、えーと……すみません。ジグさんがいろいろ気を遣ってくれてたのに、結局バレちゃって……」
随分おとなしかったので何かあったのかと思ったが、ノートンに力がバレたことを気にしていたらしい。なんだかんだ、ここまで隠してこれたのはジグの尽力によるところが大きいのは彼女も理解しているようだ。
それきり彼女は口を閉ざし、ぱかりぱかりと馬が歩く音だけが静かな夜に響いている。
ジグは何と言うべきか思案し、しかし出てきたのはつまらない言葉だけだった。
「そのことは……もういい。過ぎたことを気にしても仕方がない。結果的には黙っていてもらえそうだしな」
「でも……」
何かを言い募ろうとしたシアーシャの言葉を肩に手を置いて止める。
手綱の片方だけ放された馬が不満気に鼻を鳴らしていた。
「それより、手間を掛けたな。すまない」
「え?」
突然謝罪の言葉を向けられたシアーシャが面食らったように振り向いた。
夜闇にあっても輝きを失わない深い蒼が、ジグの灰の瞳を映し出す。
「護衛という立場にありながら依頼主の手を煩わせてしまった。不甲斐ない」
「いえ、そんな……私の方がいつも迷惑かけて……」
ジグの心底からの謝罪にシアーシャが戸惑ったようにしている。
それでもこれは言わねばならなかったけじめだ。依頼主の手を煩わせる護衛など、言語道断である。
そしてこれは、感謝だ。
「ありがとう、シアーシャ」
あの時彼女が来なかったらどうなっていただろうか。
それを考えると感謝の言葉は自然と出てきた。操られていようといまいと、それだけは変わらない。
感謝の言葉を受けた彼女は驚いたように目を丸くした後、微笑んだ。
不思議とその笑顔には魔性の魅力はなく、ただの娘のような自然な笑みだった。
「……はい、どういたしまして」
ただ一言それだけ告げると、シアーシャは目を閉じ、頭をジグの胸に預けた。