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「……っ、」
テギネの死を見届けたジグが堪らず膝を折る。薬で抑えていてもダメージの溜まった体は正直だ。大剣を支えにしてへたり込むことだけは避けたが、すぐには動けそうもない。
震える手で緊急時用に用意しておいた薬瓶を取り出す。魔力をよく吸った植物からとれる粘液を加工し、軟膏のような効能を持つ塗り薬だ。高価だが、今出血を止めないと命に関わる。
嵩む出費と重い体に眉を顰めながら薬瓶の栓を開け、
「―――いやぁ素晴らしい戦いだったよぉ」
声より先に気づいた正体不明の魔術の匂いにジグが反応する。
だが反応しただけだ。疲労と負傷で動きの鈍った体は平時の二割も動かない。
突如として影から這い出てきた複数の黒い触手は、半端に立ち上がったジグの手足を拘束し大剣を奪って遠ざける。
ジグを拘束した魔術の使用者……シャナイアはニタニタと笑みを浮かべながらゆっくり歩み寄って来た。
「つーかまえたぁ」
彼女は普段と変わりなく、本心を悟らせぬ眼のままに無邪気に喜んでいる。
「……何の真似だ」
ジグは力を籠めて拘束の強度を試すが、魔女と力比べすることの愚かさに気づかされるだけに終わった。黒い帯のような触手は今の体では……いや、仮に万全であっても抜けるのは不可能だと確信できるものであった。
問われたシャナイアは足を止めてジグの視線を正面から見返した。
仮にジグが手を伸ばしたとしてもかろうじて届かない間合いをきっちり確保している。
「何の真似……と言われてもねぇ? ボクはボクの目的を果たしているだけさぁ」
口の端を釣り上げたシャナイアが指を鳴らすと、さらに湧き出た触手がジグに迫る。反射的に抵抗するがその程度で解ける拘束ではなく、傷口から漏れる血が多くなるだけだ。
「暴れると傷が広がるだけだけだよぉ。何も取って食おうってわけじゃ……いや、そうでもないかな?」
首を傾げながら物騒なことを口にするシャナイア。
近づいた触手はジグの体を探る様に這い回り、傷口に先端を寄せると魔術を行使した。淡い光を受けてゆっくりと塞がっていく傷と、代わりに失われていく体力。
一通り小さな傷を塞いだ触手は次に肩口に深々と突き刺さる槍へ。貫通した部分を硬質化させた黒い帯で切り落とす。ジグの剛剣を受け止められるほどの得物を、まるでバターのように扱っていることに背筋が冷える。彼女がこの場でジグの命を奪うことなど、まさしく赤子の手をひねる様なものだろう。
ジグは触手が肩から引き抜く槍の痛みを無言で耐えながら、この場から逃れるすべを考えた。
「……痛みに呻くジグ君の顔も見たかったんだけどぉ?」
予告なしで勢い良く引き抜いたシャナイアが満足いく反応を得られなかったことに口を尖らせている。それでも不満そうな顔で傷を治していく辺り、この場で殺すつもりはないのだろう。
「それにしても本当にいい戦いだったよ……こんな場末の宿屋で繰り広げるには惜しいくらいさ。待った甲斐があった」
「……おい、もう十分だ」
肩の傷が塞がり応急処置は十分に済んだというのにシャナイアは回復術を止める気配がない。
内側はまだ治りきっていないので無駄なわけではないが、完治させるまで回復術を使えばしばらく動けなくなるほどに消耗することになる。
「おい!」
しかしジグが声を掛けても彼女は無視し、回復術を掛け続けた。治る傷と反比例して消耗していく体力。魔女が持つ底なしの魔力で続けられる回復術には終わりがない。
「順当にいけばさっきの槍使いにするつもりだったんだけど……いろんな手は試してみるものだねぇ。土壇場で君ほどの凄腕が転がり込んでくるとは、ボクもツイている。顔も好みだし」
ジグは既にテギネとの戦いで消耗している。彼女が術を止めた頃には自分で立っていられぬほどにまでになっていた。
拘束された、というよりはシャナイアの魔術に支えられている状態のジグは話すのもやっとという様子で声を絞り出す。
「……お前、は」
「ボクの目的はねぇ、ジグ君。強い人を探すことなのさ」
抵抗する力なく項垂れたジグに近づいたシャナイアが手を伸ばす。顎を手で持ち上げ、憔悴した灰の瞳を覗き込みながら舌なめずりをする。ゆっくりと顔を近づけてジグの耳を鼻先で撫でるように密着した彼女は、誰も知りえぬはずのことを口にした。
「―――君は、魔女を知っているね?」
その言葉に反応しなかったのは失われた体力のせいが半分で、頭のどこかでは彼女が気付く可能性に思い当っていたからだ。
「……さぁ、な」
「隠しても無駄さ」
彼女は再びジグの目を覗き、全てを見透かしていると言わんばかりに笑った。
「魔力の少ないジグ君にいくら魔術を掛けても反応がない時点でおかしいなぁとは思っていた。ま、その時は特別な魔装具でも持っているのかと思ったんだけどね。蒼金剛の硬貨なんてものまで持っていたし」
言いながら彼女は触手に探らせていた蒼金剛を詰めた袋をジグの懐から抜き出す。
「だから何度か魔力を強めて掛けていたんだけど、ジグ君まるで反応しないんだもん。自信無くしそうになったんだよぉ……でも」
袋を後ろに放り、背を向けた彼女が一歩離れる。
その時にようやく気付いた。あれだけいた野次馬が、一人もいないことに。それどころかテギネの死体すら消えている。
「君がもう魔女に喰われていたのなら……ボクといて平気なことにも説明がつく」
「……魔女に、喰われるだと?」
目の前の異常事態すら気にならなくなるほどの、聞き逃せない言葉にジグが顔を上げた。ぼやける視界に映った金の瞳は興味深そうに細められている。
「おやぁ、知らないのかい? ……まぁ、こんな半端な喰い方してる魔女だしねぇ……いいよぉ、お姉さんが教えてア・ゲ・ル」
シャナイアが吊るされたジグにしなだれかかる。体全体をこすりつけ、まるでマーキングでもしているかのようだ。
「ジグ君は魔女がどうやって繁殖すると思う?」
「……雄の個体と生殖行為をするんじゃないのか」
それは生物が繁殖するうえで当然の行為だ。
しかしシャナイアは声を押し殺してくっくと笑う。物を知らぬ子供を相手するように、言い聞かせるように耳元で語る。
「魔女にはね、魔女しかいないんだよ。雄の個体なんて存在しないのさ」
「馬鹿な。ではどうやって……」
「―――魔女からは、魔女しか産まれない。たとえどんな種族と交わろうと、魔女の胎には必ず魔女が宿る」
驚いて言葉も出ないジグの動揺を感じ取り、シャナイアが声を出さずに粘度の高い笑みを浮かべた。まるで何も知らない処女に卑猥な知識を教え込むかのように、ねっとりと話し出す。
「魔女はねぇ、子を成すときに異種の雄を探すのさ。魔女しか宿らないとは言っても誰でも良いってわけじゃぁない。強い雄の精を注げば、それだけ強い子が産まれる。魔女の膨大な魔力に耐えうる器という意味でも、ボクたちは強い雄を求める」
言葉を切ったシャナイアはジグの体を小さな手で撫でまわし始めた。服の隙間から入り込んだ手つきはジグの肉体を品定めするように丹念だ。
「そしてこれと見つけた雄を攫って、犯す。魔女は子供がデキにくいから……何度も何度も、確実に子を成すまで」
説明しながら昂っているのか彼女の声音が熱を帯び、手つきがより激しさを増す。
「……攫う必要性を感じないな。お前の容姿があれば喜んでついて行く男はいくらでもいるだろう」
ジグとて不能ではない。疲れた体のどこにこんな力が残っていたのかと思うほどに血が巡り、体が熱くなっている。それを誤魔化すように浮かんだ疑問をぶつけた。
「あはっ! 嬉しい事言ってくれるねぇ……でも駄目なんだ。ジグ君も分かっているだろう? 魔女とそれ以外じゃ違いすぎる。亜人や人間に関わらず、魔女と長期間一緒にいれば遠からず狂ってしまう」
「……なんだと?」
確かに魔女は異質な存在だ。この大陸に来てから様々な異種族や魔獣といった存在を見てきたが、それでも魔女という生物は頭一つ抜けておかしい。
だがそれでも、狂ってしまうというのは初耳だ。シアーシャという魔女と行動を共にし始めてそれなりに経つが、狂ってしまったというほどの変化を見せた者はいない。彼女の美貌に狂わされた、という意味合いではいないこともないが、シャナイアが口にしたのはそう言う意味ではないだろう。
(それにその言い方では、既に自分は―――)
「魔女の魔力は他者を侵す」
恐ろしい考えが浮かんできたジグに構わず、彼女は続けた。
「側にいる者の魔力を侵し、思考を侵し、心を侵す。そうして徐々に魔女のことしか考えられないように書き換えていく。制御するしないの問題じゃない、本能みたいなものさ。理由はボクも知らないけど、そういう生き物なんだ」
話を聞いていくうちに体の熱が一気に引いていくのを感じる。それまでの昂ぶりが冷や水を浴びせられたかのように萎んでいく。極上と言える女に密着されながら、その温もりを何一つ感じない。
「侵食が個人に向いている内はいい。だけど完全に侵しきって、それが周囲に向けば……弱い個体は、耐えられないだろうねぇ」
不思議な感覚だ。彼女の言葉をどこか遠くに聞きながら、一言一句を聞き逃せない。これだけの寒気を覚えたのはいつぶりだろうか。
「だからボクもあんな所にいた。選んだ雄の一匹ですら力で奪い、操り人形にする……魔女とは生まれながらにして、孤独な存在なのさ」
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