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魔女と傭兵三巻、発売中です!
ジグが傭兵になった日のエピソードなどなど、全体の3~4割に及ぶ加筆もあるのでぜひどうぞ!
なお、原作改編ではなく不足分追加のみの加筆となっておりますので、ご安心ください。
「クソ、どこに隠れやがった……?」
悪態をつきながら男が周囲を見回していた。
周りの人間は二人の殺し合いに賭けているのか、一合剣を交えるたびに沸き立っている。
大剣使いに守られた美女。カララクの構成員に課せられた仕事はそれを探すことだ。
当然テギネ一人で来たわけではなく、彼以外にも数十人が派遣されていた。この宿屋に来たのはそのうちの一部隊に過ぎない。
初めはテギネと戦うジグの隙を突こうとしていた彼らだったが、早々に手出しできる次元ではないと理解させられた。攻撃を指示しておいた仲間もそう思ったのか、邪魔をする様子もない。
あの大剣使いの始末はテギネに任せて女を確保すればいい。こんな街で美しい長髪を維持できる者などそうは居ないので、探すことは手間取らないはず……だった。
しかしいくら探せど、そんな女は見つからない。裏口も含めて出入口は全て固めているはずなのにだ。広めの宿屋ではあるが、これだけの人数で探して見つからない程ではないはず。
「おい、まだ女は……あ?」
訝しんだ男が仲間に声を掛けようとして、気づく。
いつの間にか、客に紛れて女を探していた仲間が見当たらない。
「っ、くそ! おい、誰か……ぐっ!?」
慌てて声を出そうとした男の喉元に何かが絡みついた。男は咄嗟に振り払おうと掴むが、その腕にも何かが巻き付く。万力というほどに強い力ではないが、幾本も巻き付いたそれは容易に引き剝がせるものではない。
「がっ、ぎぃ……!!?」
バタバタと藻掻く足すらも押さえつけられ、身動き一つとれなくなる。
首が締めあげられ、痛みと酸欠による苦しみが襲ってくる。だが不思議なことに、いくら自分が締め付けられているとはいえ、周囲の人間が誰一人この状況を気にも留めていない。
酸素の供給を止められた脳の思考が鈍っていくにつれ、そんなことも気にならなくなっていく。遠くなる意識の中、少女の嗤うような声がどこか遠くで響いていた。
「さぁて、と。これで全部かな?」
最後の邪魔者を始末したシャナイアが詰まらなそうに金の瞳を眇めた。部屋の端にはそうして片付けたカララク構成員たちの死体が雑に重ねてあるが、誰もそれに気づいた様子はない。死体があればその懐を漁るこの街の住民としては、ありえないことであった。
シャナイアは紫紺の髪を払いながら宿の中央で行われている殺し合いに目を向けた。
そこではジグの大剣がテギネの肩口を捉えたところであった。間合いを取り、睨み合う二人の間に張り詰めた空気が漂う。
「……ふふふ」
思わずといった様子でシャナイアが声を漏らす。彼女の視線は汗を流すジグの顔から腕へ動き、傷口から流れる血へ吸い寄せられる。赤い血が目に入った彼女は無意識のうちに舌で唇をなぞっていた。
まるで獲物を見つけた獣のような目でジグを見つめていたシャナイアだったが、突然その顔を曇らせた。
「……くさい、くさいなぁ……品のない獣みたいな魔力の気配がするねぇ?」
不快そうに眉を顰めた彼女は宿の扉……その先を見るように顔を動かした。そこに何がいるのかを確信しているかのように、歯を剥き出しに警戒しながら。
■
ジグとテギネ。
二度目の斬り合いは痛み分けとなった二人だが、どちらも退く気はないとばかりに濃密な殺気をぶつけ合う。
腕の裂傷と肩の粉砕骨折。怪我の度合いでいえば後者の方が重い。
普通ならそう判断するところだが、テギネから漂う回復術の匂いはその常識を覆すに足るものだ。すぐさま完治とはいかないだろうが、時はジグに味方しない。時間が経てばテギネの肩は治り、回復術の使えないジグは出血で動きが鈍る。
なればこそ、動く。
ジグが重心を前に移し、大剣を下段に構えて上体を動かさずに前に出た。
強い踏み込みではなく、軽いステップ。巨体を生かした歩幅の差は、それだけでテギネを大剣の間合いに捉えることを可能とする。
「ちぃ!」
テギネは未だ癒えぬ左肩の痛みに顔を顰め、下がりながら牽制するように突きを放つ。
彼は懐に入られた場合でも対処できる技を達人の名に恥じぬ程度に修めてはいるが、槍が至近距離を苦手とする事実が変わるわけではない。“対処できる”と“得意な距離”とでは天地の差がある。
ジグが持つ組み打ちの練度をその身で味わった以上、懐に入れるのを極力避けようとするのは道理。
距離を取って時間を稼ぎ、肩を治して万全の体調で迎え撃ちたい。そんな消極的な思考が透けて見える、堅実な一手。相手に勝ったからと言って、自分が再起不能になっていたのでは意味がない。
だがそれは逃げの思考だ。この後があることを前提とした……もっと言うならば、自分が勝つことを前提とした保身染みた思考。
―――白刃が眼前掠めるような死地で見せて良いものではない。
「な、にィ……!?」
迫る十字槍。ジグはその矛先をあろうことか、左肘で跳ね上げた。下段に構えた大剣を逆袈裟に斬り上げる動作で、テギネの十字槍を逸らしてみせた。
無茶な行動の代償として二の腕を縦に裂く傷を負うが、既に服用している薬と覚悟でその痛みを飲み込む。
そして代償があるなら利益もある。
最小限の動作で逸らした十字槍を掬い上げるように斬り上げた大剣は、槍の柄を叩いて大きく弾き上げた。武器の質の差か、咄嗟に槍を手放したテギネの判断のためか、槍を破壊するまでには至らない。
それでも、ジグを前にして天井に刺さった槍を引き抜く間などありはしない。
左腕から少なくない血を流しながら追いすがるジグへ、サーベルを抜いたテギネが応戦する。
斬り上げた大剣を返し、首を狙った横薙ぎを受け止める。峰に片腕を当てて全力で踏ん張ってもなお止まらぬ勢いに、後ずさったテギネが苦悶の声を漏らして必死に耐えた。
「ぐっ、この……命が惜しくねぇのか!?」
至近で鍔迫り合うジグへテギネが吠え、一歩間違えれば腕を落としていたであろう凶行に正気を問う。
ジグは痛みで開いた瞳孔で、おかしいのはお前だと言わんばかりに鼻で笑った。
「寝言を。これは殺し合いだぞ?」
言葉と同時、つま先を砕かんとする踏み込みをテギネが一歩下がって躱す。
大剣とサーベルでは武器の重量もあり、二人の腕力差も大きいためまともな鍔迫り合いにはならない。
テギネは下がりながら、押し込まれる勢いを体捌きで一歩引くように流す。後は泳いだ相手の首筋を薙いでやればいい。力任せに押し込んでくる相手などそれで終わりだ。
だがそれで仕留められる相手ならば、テギネの肩は砕けていない。
ジグは即座に左手を放し、大剣の柄でサーベルを受け止める。
これもまた、一歩間違えれば指が無くなる危険な行動だ。
「お前ほどの相手を殺そうというのだ。命など惜しんでいられるか」
確実に殺す。
何の感情も感じさせない灰の瞳は、それだけを雄弁に語っていた。
「……っ!」
間近で目の当たりにし、肌で感じる殺意に目を見開くテギネ。
意思の間隙を突くように、ジグの空いた左手が唸る。
拳を握り、テギネの胴を狙ってのボディブロー。
「―――っ!」
軽装とはいえ鎧の上から殴られた程度、テギネの鍛え上げた肉体に通りはしない。
だがジグの纏う気迫から、あるいは仕込みのあるグローブを警戒してか。それを必殺に足ると判断したテギネは身を翻す。
直後、彼の鼻先数ミリを衝撃が走り抜けた。
耳が痛くなるような豪風を伴ったそれは宿の壁をぶち破り、そのまま抜けていった。
わずかでも避けるのが遅れていたら終わっていたであろう威力。
無残に砕け散った胸鎧にテギネは肝を冷やす。
衝撃の反動で追撃に移れないジグを尻目に、テギネは天井に刺さった槍を回収して距離を取る。
「チッ」
奥の手が凌がれたジグは舌打ちしながら、衝撃波で崩れた体勢を立て直した。
あえて装甲の硬い胸鎧を狙った打撃。防御が厚いという相手の慢心を狙った一撃は、しかしテギネの勘の良さから避けられてしまった。
手傷も増え、隠し玉も気づかれた。
状況は徐々にテギネの方へ傾いていると言っていい。
―――それでもテギネは、自分が優位であるとは欠片も思えなかった。
「シッ!」
何かに突き動かされるようにテギネが鋭い刺突を繰り出す。
回復術を掛けているとはいえ砕けた肩には少なくない痛みがあるはずだが、その鋭さは最初のものと比べても遜色ない。
対してジグは大剣を右肩口から左肩口へ持ち変える。持ち変えると言っても大剣の向きはほとんど動かさず、構えを左右反転させるように脚を動かしていた。
そうして正面から迫る槍を大剣の腹で逸らす。
結果テギネの体勢は突きを放った直後のものとなり、ジグは防御したにもかかわらず動く前と体勢が変わっていない。構えが左右反転しただけだ。
最小限の動きで敵の攻撃をいなし、自分が優位な状況を作り出す返し技。
やっていることといえば単純で、一歩前に出ながら構えを反転させているだけのこと。
だが往々にして、極意や奥義とはそんなものなのだ。
「‟秘奥は基本にあり”ってかぁ!」
一歩間合いを潰されたテギネだが、それで手が鈍るような鍛え方はしていない。十字の刃でジグの横腹を引き斬ろうと槍を戻す。
背後から迫る刃を受けようとするジグだが、槍はするりと大剣を避けてテギネの元へ。奇襲と見せかけてのフェイントで再び突きの準備を整えた。
これが最後だ。
それまでとは打って変わったテギネの顔を見たジグは、決着の時を悟り大剣を握る手に力を籠めた。
https://www.youtube.com/watch?v=o_B9o2oDqSI
魔女と傭兵の新PVが公開されました!
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