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なんと「つぎラノ文庫部門」5位を取ることができました!

いつも応援ありがとうございます!

 いつの時代も、人は炊事の煙を見ると本能的に安心できるものだ。治安の著しく悪いストリゴでもそれは変わらない。

 もちろん完全に気を抜くような者はいない。それでも屋台の周辺で粗末な食事を摂っている彼らの顔は、普段よりも少しだけ和らいでいるように見える。

 多少の喧嘩騒ぎや刃傷沙汰は当然起きているが、彼らにとってその程度はまさしく茶飯事さはんじ。食事の順番争いから始まった殴り合いが殺し合いに発展していくのを、丁度良い余興代わりに眺めながら食事をしている。

 

 素人同士でも死に物狂いで殺し合えば、それなりに沸くものだ。

 ヤジが飛ぶ中、勝敗はあっけなく決まった。片方がナイフを突き立て、もう片方が地に伏した。勝者が敗者の背を踏みつけて勝ち誇るように嗤っている。出血で聞こえているかも怪しい相手に、品の無い罵倒をこれでもかと浴びせ掛ける。


 そして見物していた第三者が、その後頭部を石で殴った。加減なしに振るわれた石は鈍い音を立て、殴られた男は糸が切れた人形のように静かに倒れる。

 薬の乱用で黒ずんだ顔をした男は倒れた二人の懐を手早く漁ると、財布だけを抜き取って去って行った。残された二人は身ぐるみを剥がされ、ゴミのように道端に転がされる。まだ息はあるが、そう長くはないだろう。



 そんな住民たちの憩いの場も、もうすぐ終わりを迎える。

 




「クンクンクン……むむっ」


 鼻をヒクつかせたシアーシャは、きょろきょろと辺りを見回して誰かを探している。


 シアーシャたち一行は目撃情報を元に屋台通りへ来ていた。

 酒場で搾り上げた(・・・・・)者の話によると、先日大男がこの辺りで揉めていたのを見たらしい。それ自体は珍しいことではなく騒ぎ自体もすぐに収まったが、ジグの体格が記憶に残っていたのだろう。武器も持っておらず、金のありそうな身なりでもなかったので放置したとのこと。




 場違いな身なりと作り物めいた容姿をしたシアーシャへ周囲から向けられる奇異の目。視線はすぐに卑しく好色なものへ変わると彼女の肢体をなぞり、男たちは滾る劣情に喉を鳴らした。


「何か見つかりそうかい?」


 その視線を遮る様にノートンが立てば、口惜しそうに眼を逸らされる。鎧を着込み大剣を背にしたノートンに表立って立ち向かうほど度胸のある者はいない。


「うーん……」


 何とも言い難い顔をしたシアーシャが唸りながら腕を組んだ。まるで良いモノと悪いモノを同時に見つけてしまったかのような、複雑な表情。


「ジグさんの匂いがします」

「……そう、なのかい?」


 突然妙なことを言い出した彼女に、困惑したようにノートンが聞き返した。

 既に慣れた、というより鼻が馬鹿になってしまっているが、ここの空気は最悪だ。酒や薬に加え、ドブや吐瀉物、更には死臭まで混ざっている。

 この状況で何かを嗅ぎ分けられるような鼻など、ノートンは持ち合わせていない。



「はい。とても……とっても濃厚な血の匂いがします」


 

 しかしシアーシャは確信を持ったようにそう言い切った。

 彼女の口の端が歪んだ笑みになっているが、本人に気づいた様子はない。ノートンは溢れる狂気を間近で見て、とんでもないモノに目を付けられているであろうジグを無言で哀れんだ。


 

 次にシアーシャは引き攣るような笑みを引っ込め、不快そうに眉を顰めた。

 それと同時に、ぞわりとノートンの背筋が粟立つ。 


「でもそれだけじゃなくて、とても不快な臭いもするんですよね……生臭くて、悍ましい……あぁ、本能的に腹が立ってくる……!」



 まるで不快な虫の産卵でも見てしまったかのような、限りない嫌悪感を滲ませるシアーシャ。

 感情の昂りに呼応した魔力がわずかに髪の毛を浮かび上がらせ、立ち昇るそれは生物の本能的な恐怖を煽る。


「―――っ」


 ノートンはその感情の矛先が自分に向いていないのは分かっているのに、息を呑んだ。気づけば右手が愛剣の柄を握っていて、気のせいでなければその手は微かに震えている。彼だけでなく、仲間も既に臨戦態勢になっている。

 自分たちが何に恐れを抱いたのか、それすら自覚せぬまま敵を探すように視線を巡らせた。

 

 いや、本当は気づいていたのかもしれない。だが歴戦の冒険者である彼らは、ただ一人の小娘に怯えていることを認めることができなかった。



 結果的に彼らは周囲を警戒してしまった。動揺のために、自分たちが警戒していることを隠しもせず。

 ただの偶然とはいえ、事情を知らない襲撃者からすればそれは“不意打ちに気づかれた”と取るだろう。


 そこで退くか、強引にでも行動に出てしまうか。彼らが選んだのは後者だった。

 


「ぐっ!? 敵襲!」


 後ろから響く仲間の声でノートンは我に返った。

 背後を見れば、斬りかかられた仲間の魔術師がギリギリのところで片手剣の刃を短杖で受け止めている。刃は首筋に当たっていたが、魔獣の鱗で編んだ帷子に阻まれていた。三等級冒険者が魔獣へ立ち向かうための装備は、マフィア程度の持つ武器で壊せるものではない。

 だが余裕があるわけでもなかった。帷子が大丈夫でも、首の方はそうもいかない。鉄の剣で強かに殴られれば、骨が折れて死ぬだろう。


「ぎゃあ!?」

 

 すぐに別の仲間が抜剣し、腕を斬り落とす。

 悲鳴を上げたマフィアが退くよりも速く、返す刃で肩口から腹部までを断った。


「武器を抜け! そこら中にいるぞ!」


 斥候を務める仲間が叫ぶ。接近に気づくのが遅れている内に囲まれたのか、険しい顔つきだ。


 シバシクルの面々が鈍いという訳では無い。ストリゴの住民は“隙がある方が悪い”と言わんばかりに物取りや通り魔、人攫い等々、犯罪に抵抗がない。極端な話、住民全員襲撃者とも言える状態なのだ。

 そんな中で明確に狙ってくる相手との区別を付けるのはほぼ不可能だ。



「くそっ!」


 ノートンは悪態をつきながらシアーシャの前に出ると、向かってくる住民なのかマフィアなのか分からぬ相手を斬り捨てた。薄紫色をした幅広の大剣は、防御した長剣ごと敵を上下に切断する。



「近づく奴は全員斬れ!」


 ノートンが下半身だけの死体を蹴り飛ばして指示を飛ばす。仲間と、なにより住民に良く聞こえるように声を張り上げる。

 わざと派手に殺し、寄らば斬ると宣言した。力を誇示したことで、金品狙いの追い剥ぎたちは割に合わないと距離を置く。ついでで襲うには明らかに手に余る相手だからだ。


 巻き込まれてはたまらないとノートンたちを中心に離れていく住民。それでも完全には退避せず、終わった後での死体漁りのために遠巻きに見ているところが実にこの街らしい。そうして浮かび上がってきたのは武装したマフィアたちだ。

「厄介だな」


 ノートンは背中に下げておいた兜を被りながら表情を硬くする。

 血の滴る大剣を見せつけるように構えているが、相手の戦意が下がる様子は微塵もない。これだけ治安の乱れている街で虚仮威こけおどしは通用しないということだろう。


 装備は駆け出しの冒険者よりは良い物を着ている程度だが、マフィアにしては整い過ぎている。

 何より数が多い。五十人は下らないだろうか。数に任せて集られれば、如何に腕や装備が良かろうと為す術も無く押し潰されてしまう。


「……広範囲魔術でまとめて吹き飛ばす。時間を稼いでくれ」


 首の打撲を手当てした仲間の魔術師が小声で提案したのに頷き、ノートンが比較的良い装備をしている者に声を掛けた。


「これはまた、随分手荒い歓迎だけど……僕たちに何か用かい?」

「カララクと承知の上で手を出した馬鹿野郎が、どの口で言ってやがる!」


 ノートンに答えたその男は三日月刀シミターを手に、血走った目で殺気を振りまいた。

 禿げた頭部には入れ墨ではなく魔術刻印が刻まれており、似合わない首飾りを着けている。恐らく魔具だろう。


「誤魔化したって無駄だぜ? 大剣使いと、そいつに守られた極上の女……そう何人もいる組み合わせじゃねえよなぁ……まあ、間違ったところで大した問題じゃねえがな。どっちも嬲り殺しにするだけだ」


 笑みを浮かべた禿げ男が一歩、前に出る。

 それに合わせて周囲のマフィアたちもじりじりと包囲を狭め始めた。


 ノートンがちらりと後ろに目線を送るが、詠唱をしている仲間は首を振った。広範囲に及ぶ強力な魔術は詠唱に時間が掛かる。できる限り急いでいるようだが、恐らく間に合わないだろう。近づかれた状態で下手に使えば、こちらも巻き込まれかねない。


(これだけの人数差……こちらの犠牲も、覚悟しなければならないか)


 彼我の戦力差を測ったノートンが険しい顔つきで大剣を握る手に力を籠めた。

 ノートンか斥候役であれば逃げおおせることくらいはできる。待ち伏せや奇襲を繰り返して殲滅することもできなくはない。だが足の遅い魔術師を二人も抱えていてはそうもいかない。距離さえあれば一方的に蹂躙できるのだが。


 退路を塞がれ、距離を詰められた魔術師など物の数ではない。

 

 ―――普通であれば。




「要するに……」


 

 ふっ、と。

 ノートンの頭上に影が差した。

 その影が腕を模した巨大な土で出来ていると気づいたのは、禿げた男の頭がそれに覆い隠されてからだった。


「ぐっ!? 何だこれは、はなせ!!」


 突然視界を隠された男は必死に藻掻き、三日月刀で斬ろうとしたが、巨腕は乾いた音を立てるだけ。


「……」


 ノートンは敵を前にしているのに、背後からの悪寒が止まらない。

 振り向きたいという好奇心を、見てはいけないという圧倒的な恐怖が押し潰している。



「―――ぜぇんぶ敵ってことですよね?」



 卵を踏んでしまったような音がした。

 人間の頭蓋が圧縮され、濡れた音と乾いた音が混ざったような、そんな音。

 


 声さえ出せずに骸となった禿げ男……この名称はもう相応しくないだろう。

 頭部の無くなった男の死体がぷらぷらと揺れている。


 それを成したシアーシャは、ノートンの肩越しに伸ばした土腕を振って死体を放り投げる。

 息をするように殺してきた者たちがその光景に動けずにいる中、シアーシャは両手を広げて愉しそうに笑う。ここからが本番なのだと。


「さぁ、始めましょう」


 

 そして魔女は、歌うように開戦を告げる。


三巻は3/19発売です!

ジグが拾われた時の過去話も書かれているとかいないとか……

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― 新着の感想 ―
さあ、始めましょう 表情は『賭ケグルイ』の蛇喰夢子が浮かんだ 「さあ、賭ケグルイましょう!」
[良い点] 書籍3巻も楽しませていただきました。 それにしてもあれだけの大規模な加筆は嬉しい驚きでした。 [気になる点] 書籍の方ですが、クランハウスひっくり返して貸し出されていた魔導書がどうなった…
[良い点] 漫画から入って、webを読みながら買った書籍で加筆部分の差異を楽しんでましたが、遂にweb追い付きました。 とても面白い作品をありがとうございます!三巻も必ず買います! [一言] シアーシ…
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