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突然の殺し合いに驚きこそすれ、この街の住民たちは色々と壊れている。自分たちに累が及ばないことに気づいた彼らは、既に高みの見物を決め込んでいた。一部では酒の肴にしようと賭けが始まり、遠巻きに野次馬が騒いでいる。
菅笠で隠された襲撃者の顔を見たジグは、内心で舌打ちせずにはいられなかった。
先の攻防で相手の腕前は実感させられたが、その認識をもう一段階引き上げる必要があるようだ。
「……やるじゃない。槍ぃ叩き落されたのなんていつ振りかねぇ?」
壮年の男は嬉しそうに言って口の端を釣り上げる。
身長はジグより頭一つ低い、成人男性の平均くらいか。紅色を基調とした独特な民族衣装はところどころ擦り切れており、上から防具を着けている。動きを阻害せず重要部位を守るように、胸当てと腰鎧に籠手。頭部は一見がら空きだが、先ほど大剣を鈍らせた防御術を考えれば兜を着けていると言っていい。実質、視界と防御を両立しているようなもの。
覗く肌は日に焼けたのとは違う、生まれながらの褐色。細かな傷のある顔に無精髭を生やし、だらしない口調とは裏腹に目つきは鋭い。
なにより特徴的なのが、片方が欠けているにもかかわらずジグよりも長い耳。
「……ジィンスゥ・ヤか」
苦い口調でジグがこぼせば、ざんばら頭を傾けて男がそれに反応する。柄が長いサーベルを芝居がかった仕草で構え、こちらに切っ先を向けた。
どこか見覚えのある仕草。しかしジグの知るものより洗練されているように思えるのは、はたして気のせいだろうか。
「おぉ! その呼び方も随分懐かしいなぁ。兄さん、もしかしてハリアンから?」
相手の一挙動も見逃さぬよう注意を払いながら、小さく頷いた。
馴れ馴れしく話しかけてきながらも、サーベルを正眼に構えた姿には全く隙がない。こちらがわずかでも意識を逸らせば、首が落とされるのは容易に想像できる。
それを承知で、視線を露骨に後方へ飛ばしシャナイアの様子を窺った。男のサーベルの切っ先が動いたが、相手は待ったを掛けるように引いた。
あまりにも堂々とした隙には逆に誘いを疑わせるものだ。男は実力者ゆえに深読みし、剣を止めてしまう。
シャナイアはいつの間にやら姿を晦ましており、時折魔術の匂いがしたと思えば悲鳴が上がっている。巻き込まれまいと離れた客たちの中に紛れ、ジグへ飛び道具や魔術を放とうとしていた者たちがいたようだ。どうやったのか、彼らは小さな悲鳴を上げてそれきり姿を消してしまっていた。
「いやね? 結構前に出稼ぎにちょうどいいから、荒れてるって噂のここに来たんだが……これがまた随分馴染んじゃってさぁ! いいよね、面倒な奴いくら斬り捨てても許されるのって!!」
へらへらと笑いながら男が後ろ足を少しだけ前へ。体はその場から動いていないが、いつでも間合いを詰められるように備えている。
「種族だ異民だと騒ぐ輩も、こいつで語り合えばすぐ分かり合えるってもんよ」
以前イサナに聞いたことがある。
ジィンスゥ・ヤには数名の達人がいるが、いずれも曲者揃いで素直に職に就ける者はほとんどいないらしい。そのため出稼ぎに行っている者がいるとは聞いていたが、まさかストリゴだとは。
「一時はハリアンで冒険者もやっていたんだがよ、どうにも性に合わなくてなぁ……四等級あたりでやめちまった。四等級の肩書は便利だから使わせてもらっているがね」
話しながらも、摺るような足捌きでわずかに間合いを詰めた。両手持ちとはいえ、サーベルと大剣では間合いに差がある。それを埋めるための半歩。
その半歩を許す代わりに、ジグは左手の大剣を背に納め、大剣一本を両手で構えた。
右手で上側を緩く、左手で柄の下側をしっかりと握る。右手の親指は柔軟に剣を操るために、柄の腹を支えるように沿わせた。
腰をわずかに落として剣先は上へ、やや後ろに倒し右肩口で構える。
「……久々のやり手だし、名乗るか。俺はテギネ、兄さんは?」
構え一つでも力量は読み取れる。ジグの構えを見たテギネは目を細め、サーベルを揺らす。
前後に、突きをするかのような仕草。こちらを誘っているかのように緩慢な動作だ。正眼から肩口に構え、剣先をこちらに向けた。
「ジグ」
呼気に乗せるように言葉少なに名乗り、丹田へ力を籠める。
同時、テギネの剣先が目に見えるほどの殺意を帯びたような錯覚。
「いざ尋常……じゃないけど、殺し合おうぜぇジグゥ!!」
気炎を吐いてテギネが動く。
霞に構えたサーベルを囮に、左手でいつの間にか手にしていたナイフを投擲。
「ッ!」
あまりにも自然な動作。全体を俯瞰するように相手の動きを見ていたはずなのに、不意を突かれた。
いや、見ていたからこそギリギリで気づけたのだろう。
顔面に迫るナイフを辛くも左の腕鎧で弾く。
腕を上げたことで視界が塞がった。小さな動作で、生まれる時はまさに一瞬。
―――つまり、テギネにとって十分すぎる時間ということだ。
「シャッ!」
後ろ足で蹴り出し、片手での刺突。
ナイフを防いだ腕を、首ごと貫かんとする苛烈な一撃。
ジグはそれを、半ば勘まかせに後ろに跳ぶことで回避。
サーベルが腕鎧を掠め、抉るような傷跡を作る。片手とは思えない、凄まじい重さと鋭さに肝を冷やす。
テギネが刃を返し、刺突からの袈裟斬りへ。
必殺といえる刺突を凌がれることまで織り込んでいる、そう思わせるほどに滑らかな連携。
大剣で受けるのは間に合わず、さらに下がる。
サーベルの間合いから離れ、こちらの番だとばかりに後ろ足に力を籠め、
―――十字槍が鎧ごと腕を抉る音を聞いた。
「がぁっ!?」
大剣を上回る間合いから放たれる十字槍での刺突は、傷ついた腕鎧を貫き、肉を抉る。
踏み込むために重心を前に移していたので、流すこともできない。
血が滴り、遅れて左腕に焼きごてを押し付けられたような痛み。
「わりぃね、こっちが本業なんだわ」
テギネがサーベルを仕舞いながら、引き戻した十字槍を弄んだ。
穂先を伝うジグの血を愉しそうに眺め、見せつけるように払う。
「……やってくれる」
左腕の痛みをかみ殺すように歯を見せて笑う。
深くはないが、浅くもない。そんな傷。つまり動きが鈍り、十全に剣を振るえないということだ。
間合いギリギリかつ片手での突きだからこそ、この程度で済んだのだろう。両手での突きなら左腕は使い物にならなくなっていたはずだ。
暗器からの刺突、袈裟斬りまでを囮とし、蹴り上げた槍での本命。
囮を凌ぎ切り、ジグが反撃に移ることまでを読まねば出来ぬ芸当だ。
「さぁて、愉しませてくれよ?」
恍惚とした表情で舌なめずりするテギネ。
彼は隠すつもりもない狂気を全身から漏らし、これから始まるであろう戦いに酔っている。
「……まったく、お前たちはいつもそうだな」
ハリアンに来た頃を思い出す状況にため息をつかずにはいられない。この手の連中はどうしてこうも戦いが好きなのだろうか。
心中で悪態をつくも、ジグの頭は冷静さを取り戻していた。
シャナイアと話していたときに動揺していたのが噓のような落ち着きぶり。
彼はいつだってそうだった。
戦いが始まれば、窮地であればあるほど、頭が冴えていく。
生き抜くために、より効率的に動ける。
テギネが向ける穂先は、狙いを掴ませぬようにかすかに揺れている。
穂先を腹の高さに、石突を頭の横に。
円錐状に攻撃と防御を置いた構えは、彼の威勢とは裏腹に手堅い。正面から相手取った時、手堅い槍兵ほど恐ろしいものはない。それに手堅いだけではないのは、左腕が知っている。
上手く懐に入り込んだとて、腰のサーベルも侮れない。主武器がどちらか読みあぐねた程度には、テギネの剣腕は達者だ。
「……いつものことだ」
大剣を構えたジグが独り言ちる。
「あ?」
痛みを感じさせぬ構え。だがそれを虚勢だと見抜いているテギネが、不可解な呟きに反応する。
「あんたみたいな凄腕とやり合うのは、いつものことでな……悪いが、慣れている」
「おいおいおい……そいつぁ羨ましいねぇ!!」
心底からそう叫んだのだろう。
テギネの十字槍が、予備動作なく滑る。前の左腕をほとんど動かさぬまま、右手だけで扱くような突き。十字の穂先は点の突きを線にし、線の薙ぎを点にする。
天をも穿つような剛槍ではない。だが身も凍るような、恐ろしく鋭い突き。
たとえ弾いても、すぐに二の槍が襲い来る。剣でそれを防ぎ切るのは非常に難しい。先ほど合わせて叩き落したのも、警戒されていれば通用しない。
だが、万能の武器などありはしない。
ジグは前に出て、迫る槍へ大剣を合わせた。
穂先へ剣先をあてがい、大剣の刀身上を滑らせる。黒曜鋼の刀身が、亜竜の角を削り出した穂先に削られながらも逸らしきる。
十字穂先の横が眉間を掠める。
一歩間違えば即死しかねないそれを見ても、ジグは目を逸らさなかった。
テギネが槍を引き戻すより早く、大剣を突き出す。
間合いの外だ。
しかし飛び出た十字の穂先は、同じく十字をした大剣のハンドガードと激しくぶつかった。
「うぉ!?」
槍を引き戻そうとした瞬間に激しく押し込まれ、テギネの手中で柄が滑る。
それでもテギネは慌てず、間合いを詰めたジグへ石突を下から見舞う。
「そう来るだろうさ」
知っている。
懐に入られた槍使いがどう対処するのか。
半円を描く石突がどこを打つのか。
槍の柄を取ろうとする相手をどう組み伏すのか。
良く知っているとも。
幾度となく、思い知らされた。
ジグは密着するほどに踏み込み、下からのかち上げを左腕で防御。負傷した左腕が少なくない痛みを訴えているが、無視する。
右手で大剣を振るが、当然受け止められる。
「おーっと、逸ったなぁ!」
テギネがすかさず動いた。
柄を回し、体を入れ替え、こちらの腕を絡めとって引き倒す動き。
洗練された、無駄のない動き。間合いを詰められるのが不得手な槍だからこそ、詰められたときの対処は真っ先に叩き込まれるものだ。
「遅い」
「なっ、がッ……!?」
絡めとろうとする柄を下から殴り上げる。
手放しこそしないものの、わずかにテギネの腕が上がった隙に大剣の柄頭で顔を打つ。
腹に蹴りを入れ、怯んで一歩下がったところに上段からの斬り下ろし。
テギネは掲げた槍で受けるが、ジグの剛剣を支えきれずに大剣が肩口を捉える。
動きやすさを重視した軽装で防げるものではない。
魔具の障壁を張る間もなく受けた肩は軋むような音を立て、テギネの表情が苦痛に歪んだ。
「ぐぅ……野郎ォ!」
「肉は斬られたが、骨は断たせてもらったぞ」




