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魔女と傭兵コミカライズ、大変好評をいただきありがとうございます。
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小高い坂になっているストリゴ西区の奥地。
貧困を絵に描いたように荒れ果てた街と比べ、その区画だけはまさに別世界だった。手入れの行き届いた広い敷地に豪奢な屋敷がのびのびと建てられ、マフィアが門を守っている。出入りするのは誰も彼も高価な服を纏っており、手には財を誇示するように煌びやかな装飾品が付けられていた。重要人物なのか彼らの周囲は複数の部下たちで固められており、常に周囲を警戒しているようだ。
まさしく吸い上げられた財の集積場所。様々な理由で行き場のない者達を食い物にし、その血肉で踏み固められた弱肉強食の地。
その中でも一際大きな屋敷がカララクの本拠地だ。
「……それでてめえは仲間ぶっ殺されて、おめおめと逃げ帰ったわけだ?」
屋敷の最上階。下品なまでに並べられる贅沢な家具や高価な酒。広い部屋の壁には複数の肖像画が飾られている。
部屋の主であるカララクの長、ウィルダイトは葉巻をふかしながら凄んだ。
腰かける竜革の椅子は頑丈さはともかく、決して座り心地の良いものではない。それでも贅を尽くした家具は彼の心を満たしてくれる。
「ち、違うんですよオヤジ! あいつは普通じゃねえ……アレは、アレはバケモンだ!」
彼の視線の先、怯えたように体を震わせる部下が悲鳴のような声で叫んだ。
その様子を見たウィルダイトは眉を顰める。部下が怯えているのはどうやら自分ではなく、仲間をやったという女に向いているようだ。
薬で危機意識といった類の感覚がおかしくなっているはずの部下が、絶対者である自分以外に怯えている。ウィルダイトはそれが少しだけ気になったが、今はそれよりもやらねばならないことがある。
「バケモンだぁ?」
「そ、そうなんです! あいつ……まるで人間をオモチャみてえに」
震える部下が漏らした言葉をウィルダイトは鼻で笑った。
「おいおい……今まで俺たちが何人殺してきた? 他人の命なんて屁とも思わない屑野郎の集まりだからこそ、ここまでのし上がってこれたんだろうがよ」
彼は煙を吐き出しながら部屋に飾られる肖像画を見上げた。描かれているのは種類は違えど、一人残らず人相の悪い男たち。
彼らはカララクの過去の長たち……ではない。
「ちょっと前までこの椅子に座ってた腐れ豚野郎も、俺たちがオモチャみてえにぶっ壊しただろうが。……傑作だったよなぁ、豚野郎の挽肉を贅沢に使ったラザニアを食わせた娘の顔ったらないぜ。向こう半年は酒の肴にできる」
そこに飾られているのは歴代この地に屋敷を構えた者たちの遺影だ。何代か前のマフィアがやり始めたのだが、それを面白がった別のマフィアが真似るようになった。晒し首のように並べられていく肖像画は既に七枚を数え、一番端にある太った中年男性が先代というわけだ。
丸々と肥えた豚のような男を生きたまま加工したのは記憶に新しい。
「おい、豚野郎の娘はどうなったんだっけか?」
「ウチのやってる娼館で働かせてましたが、先日死にました。何分、激しい行為をウリにしてやってまして。……最期までいい反応をしてくれる自慢の嬢だったんですが、それだけにリピーターも多かったんで」
惜しいことをしたと側近の部下が薄ら笑みを浮かべている。
それに満足気に頷いたウィルダイトが顔を戻して震える部下を睨みつけた。
「……で、そんな糞外道かつ他人の命をゴミみてえに扱ってきたのが俺たち、いやこの街に住むやつの大半だ。それが今更、仲間殺されたくらいでオモチャみてえだぁ? 笑わせるな」
これは何も特別残酷な仕打ちという訳でもない。その証拠に、心身壊れるまで慰み者にされた先代の娘も似たようなことをしていた。食事を餌に捕まえさせた子供の浮浪者を痛めつけるのが趣味だったらしい。やる側がやられる側に変わった、それだけのことだ。
立ち上がり部下の胸ぐらを掴み上げたウィルダイトが胴間声で迫ると、葉巻を部下の頬に押し当てる。
「っあ、ぎぃいい!」
肉の焼ける音と不快な臭い。悲鳴を上げて藻掻く部下を無理矢理押さえつけたウィルダイトが凶悪な笑みを浮かべる。
「他人の命をゴミのように捨てるのも、オモチャにするのも、全ては強者次第! 強い奴が正しくて、弱い奴が悪い! それがストリゴだ!!」
吼えたウィルダイトが溶けた皮膚のこびりついた葉巻を放り投げると、両手で襟を締め上げた。
「だからよぉ、俺たちは強いことを示し続ける必要がある。やられたのをそのままにしておけば、俺たちが弱ったのかと勘違いした奴らがこぞって押しかけてくる。そうならないために何をすりゃいいか……分かるだろ?」
締め上げられて青い顔の部下が必死に何度も頷く。ウィルダイトが少しだけ力を緩めると部下が咳き込んだ。だが無理にでも答えなければ自分の命がない。それを理解している彼は焼けた頬を治療もせずに口を開いた。
「げほっ……女だ。長い髪の、小綺麗な格好した極上の女」
明かされる情報に、ウィルダイトは鼻を鳴らして足りぬと示す。
「それだけじゃあな。他に特徴はねえのか?」
「他は……土の魔術を使っていた」
「バカ野郎、一人一人に“あなたの使える魔術はなんですか”って聞いてまわるつもりか? 外見で分かる特徴を言え」
乾いた音を立てて頬が張られる。火傷のある場所を叩かれた男は文字通り焼け付いたような痛みに目を白黒させるが、それでも必死に恐怖で曇っていた記憶を掘り起こす。
「……た、大剣だ!」
「大剣?」
「そうだ! あのアマ、大剣を持った男に守られていた!」
髪の長い極上の女だけでは特定は難しいが、大剣使いに守られたと付けば話は変わってくる。
ウィルダイトが側近に視線で“どうだ?”と尋ねれば、頷いた側近が部屋を出ていく。今ストリゴで最も人数の多いカララクであれば、遠くないうちに見つかるだろう。
ウィルダイトは新しい葉巻を取り出すと、焼けた頬を押さえる部下に出て行けと顎をしゃくる。
一礼した部下が出ていくのを見送ることなく、葉巻に火をつけたウィルダイトは紫煙をくゆらせながら思索する。
「大剣を持った男、ねえ。俺たちが邪魔になって消しに来たか? それにしちゃ街でいきなり騒ぎを起こすのは解せねえが……誘ってるのか?」
考えども答えはでないが、それでも構わない。どちらにしろ始末する予定ではあったのだ。それが少し早まったと思えばいい。
「かなりのやり手だって話だからな。あいつも向かわせるか」
戦力の逐次投入などと愚を犯すまい。万全を期して、今持ちうる駒の中で最も強い者を当てるのが得策だとウィルダイトは判断した。部下に命じようとして、部屋には自分一人しかいないことに気づいて舌打ち。苛立ち代わりに紫煙を吐き出す。
「くそ、スティルツと連絡が取れなくなっちまったのが痛え。……侮っているつもりはなかったが、冒険者ってもんの認識が甘かったかもしれないな」
高い金を出して雇っていた刺突剣使いの殺し屋は音信不通。ハリアンの冒険者にやられてしまったのだろう。腕相応に高い料金を払わなくて済むのは助かるが、金で動く優秀な駒が減るのは面倒だ。
「だが妙だな。ハリアンの昼行燈共にしちゃあ、嗅ぎつけるのが早すぎる……まさかあの男、最初からこれが狙いだったのか? かなり盛大にやったし、流石に白かと思ったんだが」
独り言ちたウィルダイト。彼は既に先のことを考え、どう立ち回れば最も利益を得られるのかを算段している段階へ移っている。
致命的な情報の欠落に、最後まで気づかぬまま。
「へっくち!」
日も落ちて冷えてきたせいだろうか。肩を震わせたシャナイアが小さなくしゃみをする。
紫紺の長い髪が揺れ、頭の動きに追従してふわりと浮き上がった。
「もうこんな時間か。どこかで食事にしよう」
「そうだねぇ。温かいものが食べたいなぁ」
ジグの言葉に振り向いたシャナイアが目を細める。常人であれば言いようのない不安を感じるだろう独特の光彩。それを正面から見返したジグが、背の大剣の位置を直した。
「それにしても、本当に武器があるだけで絡まれるのがだいぶ減るな」
ファミリアの屋敷を出てからこっち、そういう視線を向けられることはあっても絡まれることは一度しかなかった。その一度も口上の途中で壁に頭をめり込ませてやればすぐに散っていった。
「武器があるとないとじゃ襲う難易度が大幅に変わるからねぇ。見えるところに武器を下げておくのはマナーみたいなものさ。まぁそれでも襲うときは襲うけど」
言いながらシャナイアが屋台を探して首を回している。
ジグも周囲を見渡し、視界に入った人だかりができている一つの屋台を指差す。
「あそこはどうだ?」
人だかりができるくらいに評判がいいならば味もいいのだろう。安易にそう考えて言ってみただけだが、シャナイアは首を振って苦笑いした。
「あれは……やめた方がいいねぇ」
「何故だ? 他とは違って皆、喜んで食べているように見えるが」
他の屋台にいる者たちは硬そうなパンや、湯とさして変わらない色のスープを不味そうに流し込んでいる。皆そちらの屋台へは視線を向けないようにしていた。
「あれはねぇ、美味しいというより幸せなだけさ」
「美味いものを食べれば幸せになるのは……ああ、そういうことか」
言葉の途中、貪るようにしている彼らの異常性に気づき、シャナイアの言わんとしていることを理解する。この世の悩みなどすべて忘れたように幸福そうな顔をしている彼らを見れば、それが何を意味しているかは明白であった。
「アリなのか? あれは」
以前食事に何かを混ぜるのは厳禁と聞いていた。幸せになる不思議な調味料はそれに当たらないのだろうか。
「世間一般的には毒でも、ストリゴなら別段珍しくない隠し味だからねぇ。事前に一言断っておけば咎められることはないさ。ジグ君、アレ食べたい?」
「……遠慮しておこう」
食事にまで混ぜ込むという狂気に流石のジグも引き攣った顔でそう言うしかなかった。
“賢明だね”と笑ったシャナイアがジグの腕を取り引っ張る。どうやらお目当ての物が見つかったようだ。
ジグは引っ張る彼女について行きながら、慣れぬ大剣の位置を確認するように握った。
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