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魔女と傭兵三巻が3月19日発売です。
加筆部分もかなり多いので、お楽しみに!
夕暮れ時。ハリアンであれば仕事を終えた労働者たちでごった返し、酒場や飲食店が賑わっている時間帯であろうが、ストリゴは違う。この時間に仕事を終えられる者はごく一部の余裕がある者達であり、道を行くのはその辺りを縄張りとするマフィアの構成員たちだ。我が物顔をした男たちが肩で風を切り、店を冷やかしている。
ストリゴは鉱山街としてかつて栄えていた街だ。今いるマフィアたちも、元は気性の荒い炭鉱夫たちのまとめ役が変化していったものという話だ。かつては豊富な鉱山資源で人の出入りも激しく活気もあったが、その資源には限りがあった。資源の尽きた鉱山街の末路などいくらでも転がっている話ではあるが、当時の繁栄を忘れられない者達がいた。
自分たちの故郷が寂れていくのが耐えられなかった彼らは、どうにか新たな事業を生み出せないかと四苦八苦し、そして財政をさらに悪化させることとなる。彼らはなにを考えたか、観光街へと舵を切りだしたのだ。当然鉱山街に目玉となるような観光地などあるはずもなく、観光地化は大失敗。途方もない借金を抱えることとなった。
人口も減り、頼みの鉱山資源も少なくなり、新事業は大失敗。さらに悪いことに、そう遠くない場所で新たな鉱山が開拓された。フュエル岩山と名付けられた鉱山は、魔獣が多いという致命的な欠点にさえ目をつぶれば非常に豊富な資源を溜め込んでいた。そしてその欠点は冒険者を使うことで部分的にだが、解決できる。
多少危険であろうと、仕事がなければ人は生きて行けない。ストリゴからは穴の開いた桶から水が零れるように人が流出していった。
金もない、人も居ない、仕事もない。ないない尽くしの三重苦に追い詰められた当時の権力者たちは、禁じ手を使った。
依存性が強く、人体に悪影響が出る麻薬の栽培である。
手っ取り早く金を稼ぐために、彼らは戻れぬ選択をしてしまったのだ。
禁じられた薬物を安価で手に入れられる。そんな噂話はあっという間に広がり、ストリゴには数多くの移住者が現れた。当然、まともな人間たちではない。金の匂いを嗅ぎつけた犯罪者やマフィア、薬そのものにおびき寄せられた薬物中毒、その他諸々。白い布へ墨を垂らしたが如く、街の雰囲気は変わっていった。
彼らは当初、それを一時凌ぎのために必要な犠牲だと堪えた。かつての故郷を取り戻すため、今だけはそう言った輩が跋扈するのを許容すると……そんな甘いことを考えていた。
取り返しがつかないことになっていることから目を逸らし、薬物の生産を中止することを宣言したその日には彼らの首団子が並ぶこととなった。街の再建のために蓄えられた資金を巡って争いが起き、いくつもの派閥に分かれることとなる。
街は結局元に戻ることはなく、好き放題に荒廃していく。見せしめに並べられた首団子の表情は憎悪と後悔で染まっているかのようであった。
以来ストリゴでは薬物が当たり前のように蔓延し、街は腐り果てた。それでも未だに街が滅んでいないのは、ストリゴの懐の広さが原因だろう。弱者が毎日のように命を落とす一方、行き場所を失った者達が何処からともなく現れて住み着く。そして順応するか、食い物にされて消えていく。
それこそ種族問わず、無差別に。
「きたない街ですね」
そしてまた今日も、掃き溜めと呼ぶに相応しい街に新たな者達が足を踏み入れる。
蒼い瞳に黒髪靡かせ、二十代前半と思しき女性が顔を顰めた。絶世と呼んで差し支えない類稀な容姿は場違いなはずなのだが、不思議と掃き溜めの様な街でも違和感がない。
ノートンは違和感がないという違和感に、内心でわずかな引っかかりを覚えながら彼女の後に続く。
「ハリアンが比較的綺麗なのもあるけど、ここは飛び切り酷い街だからね。治安も比べ物にならないくらいに悪いから、シアーシャさんも気を付けて」
ノートンが周囲へ目を向けながら注意するが、シアーシャはそれに反応せずにしきりに辺りを見回している。誰かを探しているようで、ノートンの声が聞こえている様子はない。
肩を竦めたノートンは視線を鋭くすると、暴力的な気配を漂わせて周囲の有象無象に目で警告する。
彼女の容姿に惹かれて手を出そうとしていた者たちがノートンの危険性を理解して、力ずくでどうにかできそうにないことを悟ると口惜しそうな顔で離れていった。
ほんの少し歩いただけでこれである。彼女の人間離れした容姿は、この掃き溜めには少々刺激が強すぎるようだ。
「やれやれ……早いところ見つけないと」
ノートンは仲間へ視線を送り、それを受けた斥候役が情報を集めに離れていった。
ハリアンからストリゴ。本来徒歩で五、六日は掛かるであろう距離を半日ほどで到着できたのには理由がある。彼女たちは、フュエル岩山への転移石板を利用したのだ。
ストリゴから一日程度の距離にあるフュエル岩山へ飛び、そこから馬を乗り継げば半日程度で済ませられるというわけだ。
転移石板は非常に貴重で、ただの移動や物資の搬入程度に使用するのは許可されていない。一人を許せば他が声を上げるのは目に見えている。だからこそ、貴重な資源を回収してくる冒険者が仕事をするときに限って使用が許されている。
“本来、冒険者用の仕事のために使われる転移石板をこういった用途で使用するのは禁止されているのだが……バレなければいいのだ”
「頭が固いんだか柔らかいんだか……よく分かりませんね」
シアーシャは、悪そうな顔をしてそう言っていたカークを思い出して首を傾げる。
公私を上手く使い分け、締めるべきところを弁えている……そういった感覚はまだシアーシャには理解ができないようだった。
人間の社会は難しいと悩みながら、道の真ん中に転がっていた人を踏みつけて先へ進む。
「ジグを探すって言っても、何かあてはあるのかい?」
カークが付けた案内役は以前にも一度仕事をしたシバシクルというクランだった。実力も人柄も確かで信頼がどうこうと言っていたが、よく覚えていない。今のシアーシャにとってどうでもよいことだった。
「情報と言えば、酒場でしょう」
「うん、まあ定番だね」
妥当な線だと頷くノートン。ベテランの冒険者からしても文句はないようだった。
「ジグさんに教わっていますからね」
そら見たことですかと、わざわざお目付け役を寄越したカークに内心で勝ち誇る。
あの小僧は自分のことを問題しか起こさない爆弾か何かのように思っているかもしれないが、こう見えてちゃんと教わっているのだ。
以前ジグが情報を集めるときにやっていたことを、シアーシャはしっかりと見て覚えていた。
「あの店なんてどうだい?」
ノートンが指した先を見ると、大きくはないがそれなりの店構えをした酒場があった。この街でそれなりの店ということはマフィア絡みなのは間違いないが、シアーシャにそこまでは理解できていない。ただ何となく、以前ジグと情報を集めに行った店に雰囲気が似ていたから頷いた。
「ええ、あそこにしましょうか」
外まで匂ってくる酒の匂いに眉を顰めながら両開きの扉を開け放つ。途端に向けられるいくつもの視線。
男は金を、女は器量を。あまりにも分かり易い値踏みの視線は、いっそ清々しくすらある。見かけない身綺麗な若い女と、金を持っていそうな装備をした男。どちらも美味そうな獲物だが、やはり女に目が向くのは男の性だろうか。下衆な笑みを浮かべ始めた客たちに、ノートンが前に出る。
「僕が代わりに聞いてこようか? シアーシャさんは、なんていうか……その……」
“まともに相手にされない”。言葉を濁して遠回しにそう伝えようとしたノートンだが、何を勘違いしたのかシアーシャは自信満々に胸を叩いた。
「任せてください。こういう時の対処法も教わっています」
「いや、そういう状況ではなくて……」
交渉相手ではなく、もっと原始的に雌としてしか見られていないと、そう伝えようとしたのだが……彼女はずんずんと行ってしまった。バーテンに酒を二杯頼み、きょろきょろと視線を彷徨わせている。やがてお目当てを見つけたのか、煙を燻らせながらにやにやと見ていた二人組の方へ向かう。
彼らはシアーシャが近づいていることに気づくと、口笛を吹いて目配せし合った。他のテーブルにいた仲間がさり気なく後方に回り込み、逃げ道を塞いでいく。
それに気づいているのかいないのか、シアーシャは気にした様子もない。
「すみません、少しいいですか?」
声を掛けられた二人組は、既にこの後のお楽しみを考えてか舐めるような目でシアーシャの体を見ている。
「なんだい嬢ちゃん? もしかして、俺らに酌してくれるのかい」
「そんなことよりよぉ……俺たちと遊ばねえか? キメながらやると最高に気持ちいいぜぇ!」
先ほどから吸っているのは煙草ではなく何かの薬物だったようだ。興奮作用のせいか、眉間の血管が浮き上がっている。
いよいよノートンが動こうかと一歩踏み出そうとしたときに、それは起こった。
「―――あ?」
びちゃびちゃと、水の垂れるような音がする。それの出所が自分の頭だということに気づいた男が、シアーシャの腰に向けていた視線を上げる。
かけられている。酒を、頭に。しかも笑顔で。
見間違えようもない光景に思考が遅れて、次いで突沸のように頭が沸き上がった。
「とてもでっかくて目つきの悪い傭兵を探しているんですけど、知りませんか?」