162
「ふぅ」
ギルドの二階、執務室。
一人のための部屋には広く、ギルドの副頭取がいる部屋というには狭い。そんな場所で部屋の主は一人溜息をつく。
眼鏡をかけた神経質そうな男、カーク=ライトは立て続けに起こる問題に頭を悩ませていた。
「やれやれだ。どうしてこうも次から次へ面倒が起こる」
近頃発生している魔獣の異常行動と、それに伴う冒険者の被害発生率は過去に類を見ない程に高い。無論冒険業に危険は付き物だが、それにしても想定外が多いのだ。
魔獣だって生き物なのだから思い通りになるわけがない……それも間違ってはいないが、生き物であるからこそ行動には理由がある。食料が減った、外敵が増えた、住む場所が無くなった等々。魔獣たちの異常行動には必ず原因があるはずなのだ。
それを調べようかと思えばこの騒ぎだ。余所のマフィアが首を突っ込んできたのを放置する訳にもいかず、結果として後手に回ることになっていた。当然、依頼として冒険者に調査はさせているが。
「……焦っても仕方ないな。考えている暇があったら少しでも動くか」
それでも休憩は必要だ。適度な休息こそ仕事の効率化に繋がる。
カークは心を落ち着かせるために熱いお茶を飲んだ。スパイスの効いた独特の風味のお茶が体を芯から温めてくれる。
「ほう? ……うむ、悪くない」
初めての味わいに表情を動かしたカークがもう一口飲み、満足気に頷く。こと茶において世辞の類を一切口にしない彼にしては随分評価が高いと言える褒め言葉だ。
この茶葉は先日とある筋から届いたものだ。毒物検査に回していたが異常ナシとの太鼓判を貰えたので、ようやく飲むことができた。
贈り主を考えれば検査をする必要性はないように感じるが、カークの立場を考えれば心配し過ぎということはない。
「……あの傭兵め。見た目に似合わぬ趣味と気の回し方をしおって」
皮肉気に笑ったカークがお茶を飲み干し、ポットから注ぐ。
この茶葉、なんと送り主はあのジグだったのだ。受け取った際に“珍しい茶葉を見つけた”の一言と販売店だけ書かれた味もそっけもない文章だけは実に彼らしいと感じたのを覚えている。
この街の飲み物と言えば酒を除けば果実水が主で、どうにもお茶というものに無頓着だ。あるにはあるが種類が少なく、味も大雑把。カークが淹れている茶葉はそのほとんどが他所の街から取り寄せている。
ギルド職員にも茶より酒と言う人間がほとんどで、淹れ甲斐がない。せっかく淹れても、“美味しいと思いますよ? でも甘みが足りないですね”とドバドバ蜂蜜を投入されてドロドロになったお茶を見るのはもう耐えられなかった。
それ以来同好の士を探すのは諦めていたのだが、意外なところで見つかるものだ。
「他の茶葉も気になるところだが、ジィンスゥ・ヤではな……」
カークが渋い顔で書かれた販売元を見る。あの場所はギルドの高官がおいそれと立ち入れる場所ではない。基本的に中立を保っているギルドだけに迂闊な行動はとれないのだ。
「……いや待て。なぜあの男はジィンスゥ・ヤで呑気に買い物まで出来るんだ?」
ではジグはこれをどうやって手に入れたのだろうか。あそこは異民ゆえに排他的な者が多く、余所者を易々と受け入れるような所ではない。ましてや呑気に茶葉を選ぶ余裕などあるわけもない。如何にあの傭兵とはいえ、複数の達人を抱えるジィンスゥ・ヤへ単身乗り込むのは無謀だ。
「そういえば、イサナ=ゲイホーンがちょっかいを掛けていると聞いたこともあるな……あの戦闘狂に気に入られでもしたか?」
となると既に一戦交えている可能性が高い。当人たちの性格を考えるに、イサナ側から仕掛けたのは明白だ。どちらも生きているので大事にはなっていないようだが、これ以上の面倒は勘弁してもらいたい。
「―――っ、なん……だ?」
その時、突如として部屋の温度が下がったような気がした。
錯覚だ。カップから立つ湯気は濃くも薄くもなっておらず、急激な温度変化を告げてはいない。
だというのに指先は微かに震え、首筋は粟立っている。
寒気はなおも収まらず、原因の分からぬ感覚にカークが戸惑う。
「一体、何が……?」
わずかに震えている声を自覚しつつ、疑問の答えを求めて視線を巡らせた。扉や部屋の隅々を見渡し、馬鹿々々しいと思いつつも机の下まで覗き込んだ。
「っ!」
覗き込む顔を上げたら二メートルの巨漢が居る……そんなことがあっても驚かない覚悟を決めて正面を見るも、やはり空振り。
「……気のせいか」
ほっと一息ついたカークが、何故か収まらぬ鳥肌に首を傾げながら何気なく外を見た。
「―――」
首だ。
窓の外、首から上だけを覗かせた恐ろしく美しい女性がじっとカークを見ていた。
「カッ……」
首が絞められた。そんな感覚さえ覚える程に喉が締まり、声が上手く出ない。声どころか、呼吸すらできない程の怖気。
そう、怖気だ。先ほどまで感じていたのは寒気ではなく、怖気だったのだと、今さら理解した。事務仕事で鈍りきった六感が、全力で鳴らしていた警鐘だったのだ。
首だけの女はカークが気付いたことに嬉しそうに笑うと、口を開いた。防音処理で声が届くことはなかったが、口の動きだけで読み取れるほどに内容は短い。
「あ け て」
「……君たちは、人を驚かせないと入室一つ満足にできないのかね?」
足場にしていた浮遊する土盾を蹴り、窓から部屋に入ったシアーシャ。その背に眉間を押さえたカークが苦言を呈す。
「だって下はもう閉まってたんですもの。何度も呼んだのに気づかないカークが悪いんです」
「二階の窓は外から呼ばれることを想定していないのでね。……まあいい。それでどうだった? ジグ君の姿が見えないようだが」
窓から下を見たがあの巨漢は見当たらない。不思議に思いシアーシャへ問うと、彼女は背を向けたまま感情を見せぬ声音で話す。
「ジグさんはストリゴへ飛ばされてしまいました」
「……馬鹿な。マフィアが転移術を?」
「どうやったかは知りませんし、どうでもいいです。それよりカーク」
振り向いたシアーシャ。その目を向けられたカークが思わず固まる。
怖気は未だ、去ってはいない。
「ストリゴへ向かう手配をしてください」
有無を言わせぬ様子で彼女は言った。
言葉こそ頼むような口ぶりだが、視線に籠められた意思は命令に近い。
「……君が行ってどうする。心配なのはわかるが、ジグ君ならそう滅多なことにはなるまい」
「何か勘違いしているようですね」
鼻で笑ったシアーシャが頬を撫でた。
乾いた血がぱりぱりと剥がれ落ち、傷一つない白い肌がカークの目に映る。
「行って何をするのかは問題じゃありません。そこにジグさんがいるから、私が行くんです」
理解の出来ぬことを堂々と言い放つシアーシャ。しかしそれだけに嘘や誤魔化しを言っている訳では無く、心からそう思っているのだけは理解できた。
「……意味が、分からないな」
「奇遇ですね。私もです」
言って、可笑しそうに笑うシアーシャ。
狂っているようにも取れるその笑みに、カークはジグを憐れまずにはいられなかった。
(一体何をしたら、ここまで厄介な女に入れ込まれるんだ)
その問いに答えられる者は、ここにはいない。
だから何だというのだ。
「これは君から首を突っ込んできた仕事だ。せめて何があったのか報告くらいするのが、筋ではないかな?」
「む」
「大体シアーシャ君は馬を扱えるのかね? 歩いていくには遠いぞ」
「むむ」
「相方が適当に仕事をほっぽりだしたと知ったら、真面目なジグ君はなんて言うだろうなぁ?」
「ぐぅ……!」
しかしカークとて、いつもいつも恐怖に屈するほど惰弱ではない。
狂気には徹底的な正気で、理詰めで対応する。
自分の言葉に責任を持てと言われ、現実的な距離を示され、最後にはジグの印象を引き合いに出されたシアーシャが完全に黙り込む。
彼女が狂気から引き戻されるにつれて、怖気はいつの間にか引いていた。
「移動手段と食料も含めて、ストリゴへの手配はこちらで進めておく。だから今は、何があったのかを説明してくれ」
「……分かりましたよ」
渋々とカークの机に腰かけたシアーシャは、詳しい事情と生き残りについて話すのであった。




